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6月, 2006の投稿を表示しています

No. 32 気ちがい家族

今日は、旦那が出張先から帰ってきたので、コンピューターの前に座っていないで、早く床に就こうか、と思っていた矢先のこと。 また、親子のばか遊びが始まった。 話は昨晩のことに遡る。 何かを取ろうとして、冷蔵庫のフリーザーをあけたら、なんとそこには、双子が赤ちゃんの時から大事にしている、小さい縫いぐるみ、ブランケット、その他のものが入っていた。 なんで? 子供たちを見て、「なんじゃ!これは!」といったら、二人で「いーっひひひひひひ!!!!」とゲラゲラ高笑を始めた。 冷たくっていいんだよーだって。 いったい何を考えているのか、うちのやつらは! すぐに、旦那に国際電話して笑ってしまった。 お風呂のお湯を貯めるので、蛇口を開けてお湯を流して待っていた。 しばらくして、チェックにいったら・・・! 床がお湯だらけ。 なんと、蛇口の先には、手袋のような、韓国製のあかすりミットがかぶさっていて、横から出たお湯がとびちって、タイルの床の上に広がっていた。 これには、少し怒った。 でも、やつらは一向に堪える気配がない。 今日の午後、旦那が帰宅して、子供たちに冷凍庫にある小さい縫いぐるみを見せてもらっていた。 そしたら、旦那、いいか、これは今は、「冷たい」だが、水をつけると「凍っている」になるんだ、といって、小さい縫いぐるみなどに水をつけ始めた。 よしゃいいのに、なにやってんの、旦那。 さて、就寝時。 明日の用意をしている私の背後から息子と旦那がけたけたいいながら近寄ってきた。 なんと、その「凍った」縫いぐるみを私のパジャマの下から背中にいれたのである! やったなー!! と今度は息子を捕まえて、おしりの後ろにいれてやった。 「ひえーー!!」と息子。 でも、喜んでる。 マゾだこいつ。 それからは、私と息子の応酬戦。 今度は、旦那が「マミーを捕まえているから、背中にいれろ!」と私を捕まえようとする。 「ぎえー!」と私も逃げ回る。 子供部屋から、居間、玄関を逃げ回る。 犬のプップちゃんも追いかけてくる。 プップちゃんはだいぶ前に旦那が私にいたずらをすると襲うように躾けておいた。 「Get Daddy!]と命令すると、「がおー!」っと飛び掛るのである。 また、私に触れている手に噛み付くのである。 本気ではんないが、半分マジで噛む。 「プップちゃん! Get Daddy!]と叫ぶ。 プップちゃんの攻防

No. 31 聖歌・賛美歌・ゴスペルソングMIDI  「いつくしみ深き」

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とあることから、賛美歌の「いつくしみ深き」の歌詞を探すことになった。  ネットサーチしたところ、   というとても良くできたサイトにめぐり合った。 昨日も、アメリカのコンテンポラリーな賛美の曲をサーチして、歌詞やコードを探していたが、オーソドックスな、オルガンのふにゃら~という音を伴奏にして歌う 「賛美歌」はこのところ、ご無沙汰である。  母の葬式の時に、歌ったくらいであった。  このサイトに行ってびっくり。 まず、画像がきれい。 そして、音もMIDIの単調な旋律ではなく、8トラック使って録音したような素晴らしい演奏が聴ける。 歌詞も絵もそこに載るコメントも素晴らしい。 このサイトは、かなりの労力を費やしているどころか、サイトに来た人、一人一人の質問に丁寧に対応している。 大変なことである。 平安朝にいえば、「あなおそろしや」 「妙」である。 おそろしや=すげ~。 妙=お見事。 まろは感銘をうけたぞよ。 ほほほ。 「いつくしみ深き」の歌詞は文語調である。  まろなりに、口語体で訳してみた。  では、歌ってみよう。  仕事中でない人で、または、音楽を聞けるひとは、以下題名ををクリックする。 いつくしみ深き 讃美歌 312番 オリジナル               あかしや版口語訳 いつくしみ深き   友なるイエスは   ごーっつう優しい ダチのイエスは 罪とが憂いを    とり去りたもう    悪徳なやみを 帳消しにした こころの嘆きを   包まず述べて    胸のいたみーを さーらけだして などかは下ろさぬ  負える重荷を   なかなか言えない いーやなことさえ いつくしみ深き   友なるイエスは   ごーっつう優しい ダチのイエスは われらの弱きを   知りて憐れむ   おらのー弱さを  知ーってるんだよね 悩みかなしみに   沈めるときも    涙がちょちょぎーれて 落ち込む時に 祈りにこたえて   慰めたもう      祈るーおいらを  だきしめたのさ いつくしみ深き   友なるイエスは   ごーっつう優しい ダチのイエスは かわらぬ愛もて  導きたもう      絶えーず微笑む 船頭親分   世の友われらを  棄て去るときも   おまえはくずだと ののしられても 祈りにこたえて  労りたまわん     死んでおいらを すーくってくれた おそまつさんでした。

No. 30 父の日 <長文>

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今日は父の日。    今朝は、子供たちが作ったカードと、クリップオン(お札を挟む幅広のクリップ)が付いた、カード入れを子供たちから、旦那に渡してもらった。旦那は出張先でカード入れを紛失したきたので、とふと思いついて、この機会に購入した。   旦那はとても、良い父親である。  一緒に子供たちと遊んでくれるし、毎晩、子供たちの歯ブラシに歯磨き粉をつけて、洗面所においておいてくれる、という人である。  子供たちが悪いことをしたときで、いつもがみがみ言うマミーでは、効き目がない、というときは、旦那に登場してもらう。ちゃんと、理論で説明して躾けるので、感情で叱りがちな母親の躾とのバランスが取れる。 しかったあとは、子供をしっかりと抱きしめて、「愛しているから、怒るんだよ。」と言う人である。    一度、子供たちに 「ダディーとマミー、どっちが偉いの?」と聞かれたので、「そりゃー、ダディーだよ。」と答えると、神妙な顔をして、それ以上聞いてこなかった。  やっぱ、一家の中では、お父さんが大黒柱だな、と私らしくないようだが、そう思う。 また、そう思わせてくれる夫である。 ********** 私の父は2004年8月20日に自宅で一人死んでいるのを警察に発見された。 入院中の母が何度も電話をかけても誰もでないので、近所の人に見に行ってもらった。そしたら、郵便受けに新聞が溜まっていたので、警察を呼んで天窓から入ってもらい、発見となった。  検死の結果、脳内出血が原因であった。検視医が注射針をうなじの方から刺して、注射器のピストン部を引いた所、血がでてきたので、死因がわかったそうだ。 猛暑の中の 寂しい死に方であった。  目撃者は犬一匹。    この犬は、私がアメリカに留学したあとに両親が保健所から引き取ってきた犬。  父はこの犬をとても可愛がっていて、二人でよく晩酌をしていた。犬もビールを飲んだ。私が両親の為に買ってきた高いトロも、私たちが「あー!!」と言っているうちに、その犬にあげてしまっていた。               ********** 父はお酒が入ると、私たちのことをよく怒鳴った。私たちが子供の時は、よく殴られた。人を傷つけることを平気で言った人であった。 母のこともよくいじめた。 一度、私はあまりにも傷ついたので、母に「なんでこんな人間と結婚したんだ!」と、泣きながら、

No. 29 とっつあんと子供の祈り

事前にいっておくが、この投稿は書かれている本人たちの事前の報告をせずに書いた。 なので、本人たちがいやだ、という場合には、消去することもある。 ********************************************************************************* 「男らしい」というのはどういうもんかなぁ。 どうしても、外見で判断しちゃうよね。 体ががっしりしていて、髪の毛は七三分けではなく、ちょっとぼさぼさ気味。 めしをがんがんかっくらって、「おいしっすよ!これ!」とにっとわらった歯が白い。 お酒にはめっぽう強い、スポーツマン。声が低くてでかい・・・てなことかね。 昔の私は、面食いで、背が180cm位の男性がいいな、と思っていた。 実際、そういう男性とも付き合ってきた。 (旦那は背は低いし、ハンサムでもないよ。カエルみたいな声してるし。) 年輪を重ねるごとに、本当の男らしさというのは、外見からは計り知れないのではないか、と思うようになった。 以前、仕事の上の失敗を上司に助けられたことがある。 その上司は、私が批判していた人間だった。 どちらかというと、「男らしい」というより、ちょっと「女々しい」感じの人であった。 でも、そんな私を助けてくれたんだよね・・・・。 今は、連絡をとっていない人だけど、この人には一生足を向けて眠れないと思う。 さて、うちの教会にも、私が密かに「男らしい」と思っている男性がいる。 「とっつあん」と呼びたい。とっつあんは関西出身で、日本人だけの礼拝(うちの教会は日本語英語の合同礼拝と言語で分かれた礼拝がある)の時、いつも、パタリロ牧師に指名されて、聖書を朗読する役目を担っている。 気に入ったのは、関西弁そのまんまで、ごっつう朗読してくれちゃうんだよね。 お国言葉を堂々と喋る人って好きなんだよね。 それに声がやや高音で、頭のてっぺんから出てくるようで、通る声をしている。  私は江戸浜っ子だから、日本の今の標準語で育ってきてしまったので、けっこうつまらない。 かといって、関西弁を真似するとかなりの無理がある。 いつかどつかれるだろうな。 「おんどりゃー!下手な真似しくさって!」と。 そのとっつあん、着物着せて、扇子持たせたら、吉本興業並みにいい話をしてくれそうな、ちょっとひょうきんな感じもする。 関西弁だ

No. 28 誕生日と化け物

ご無沙汰っす。 一昨日まで、朝は惰眠をむさぼる毎日で、今日からまた、朝6時に起きる生活になってしまった。 子供の夏のESL(English for Second Language)夏講習が始まった。 ということで、遅く床に着くと明日がつらいので、今日は手短に。 先週の金曜日の6月2日は誕生日であった。 その朝は、旦那が起きたのがわかったが、「敢えて」起きて手持ちの朝食をつくらなかった。 学校がない一週間、惰眠をむさぼる快感がこれまた、風呂上りのビールみたいに気持ちがいい。 「今日は、何の日だか、わかっているでしょ?」と言わんばかりに起きなかった。 ベッドのなかで、旦那が自分でサンドイッチを作っている音を夢うつつに聞く。 目が覚めると、なんと双子たちが両脇で寝ている。 いつ、忍び込んだんだぁ~? しかし、出かける旦那に何か言われて、起きて、どこかへいって、戻ってきた。 カードをくれた。 そして、"Happy Birthday!" といってくれた。 翌日の土曜日は、旦那が、ダラスのNobuというレストランに連れて行ってくれた。 高いんだけど、なんと旦那、出張手当てをこの日の為にちょこちょこ貯めていたんだと。 お陰で、とても美味しいデイナーでした。 Nobuでは、シェフのおまかせコース。 最後に出てきた握りすしがなんと、昔通っていた築地の寿司清(すしせい)の握り方に似ていて、懐かしかった。 ご飯は少なめで、ゆるく握るのであるが、それでいて崩れない、そんな握り方。 帰りがけ、寿司カウンターの人たちにお礼をいって、今度昼来ます、と言い残した。 でも、ここ、昼の定食が$50。 こんな金額だから、いつ来れることやら。  46年前、私は東京は渋谷の日赤病院で生まれた。 朝の2時ごろだったらしい。 母は微弱陣痛をおこし、難産の末、やっと私が生まれたそうだ。 生まれたときは、私はなかなか泣かなかったそうである。 昭和35年ころは、Epidural(硬膜外麻酔)も子宮収縮剤というのも、一般的ではなかったので、大変だったんだろうなぁ。 私が生まれたあと、父と祖母は板橋の家まで、歩いて帰ったそうだ。 その道すがら、朝日がのぼり、そのなかを歩いていったのが印象的だった、と父が言っていたっけ。 今年は、XX歳になりました、と電話して報告する両親もおらず、ちょっと寂しくもある。

No. 27 ひげさんからの素晴らしいコメント

このBlogを通して、未知の方たちとの出会いがある。 こういった出会いも、天のお父さんが導いてくれているような気がする。 今回、ここに紹介したいのは、私のBlogをみてくださって、貴重なお時間を費やして、メールにてコメントを下さった「ひげさん」の文を紹介したいと思う。 ご本人には、了解をとってある。 メールでお話していて、ひげさんと私はかなりの共通点があるようだ。 もちろん、天のお父さんとイエス兄さんを信じるということで、イエス営業部の兄弟ってことであるのはもってのほか。 今回のメールにて、私がまだ、漠然としか把握していない、「創造主」と地球の歴史、という点で、とてもよいお話をしてくれて、理解が一歩深まった。 とても有難い。 では、以下、ひげさんの文です。 テキサスの時間で、2006年5月31日に受信しました。 *******************************************************************************  <引用はじまり> こんばんはあかしやさんヒゲです。 今回のブログで遙か前方に熊がいる事に感じたあかしやさん、素晴らしい!!  それを読んでちょっと違うのですが、ヒゲは仕事で山の中へ行くことがよくあり(測量をしていたころ)道無き山の中を進んでいて谷を越えるときに向かいの山の目標物に向かって進むのですが、谷へ降りていくとその目標物が見えなくなるので、自分が真っ直ぐ進んで行っているかわからなくなるのです、目標までは今いる山と向かいの山の同じ高さの場所ですからかなりあります。そんな時にふと後ろから自分を呼ぶ感覚があるので振り返りました。そしたら大きな一本の木が目に入りそれを見た瞬間に「私を後ろの目標物にしなさい」と言う感じがすぐに沸いてきました。誰もいない山の中でとっても心強く思えました。 むかしからこういう動かぬ物、道具やそういった物達には母親からは命がぜんぶあると教わり、その後インディアンなどでは「精霊」マニトゥともいっていましたが、きっとそれがあるんだと感じ、物を投げたり無造作に扱うのが好きではありませんでした。 ですからきっと山にいても孤独はかんじませんでしたが、きっと人がいないだけで山の中はそういった霊が沢山いるのだと感じておりました。ただ良い霊と悪い霊はいるのだと思います。 そんな時、今では自分