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8月, 2006の投稿を表示しています

No. 44  探し物は見つかる  その一

探し物はなんですか 見つけにくいものですか かばんの中も 机の中も 探したけれど みつからないのに まだまだ探す気ですか それより僕と踊りませんか 夢の中へ 夢の中へ  行ってみたいと思いませんか Wooo Wooo  Wooo Haa/// 井上揚水 「夢の中へ」より ご無沙汰であったのう。  先週から探し物をしていて、多忙であったのぢゃ。  今、二つの物を探している。 一つは、見つかったのだが、そのせいで、睡眠不足の毎日に、洗濯ばかりしている。 眠いので、今回のBlogはMixiに書いている日記からかなり引用して、手抜きをする。 ウチには、ぷっぷちゃんというラブラドールの雑種のとても良い犬がいる。 11歳だが。 命令は良く聞くし、いつもそばにいてくれる。   旦那、フロリダにいたときは、毎週末海にいってモリで魚を取ってきた人。 テキサスの海から6時間離れた、ここダラスでは、海がそばにない。 なので、かも、七面鳥、いのししなどの狩猟を始めた。 この冬のダックシーズンに、ぷっぷちゃんを連れて行った。 ぷっぷちゃんはラブラドールとシェパードの雑種であるが、泳ぎは得意だし、しっかりとRetrieve(獲物を取ってくる)が上手。  ダックの狩猟は寒い冬だし、水辺が多いので、ラブラドールリトリバーは、落ちたダックを泳いで取ってくるために、人間に「作られた」犬の種類である ある寒い冬の日、旦那はダックハンティングに行くため、朝の4時に起きた。 ぷっぷちゃんは、どてーっと私たちのベッドの上に寝そべっていて、起きやしなかったそうだ。  起こすと、「何よ?」という顔をしたらしい。  なんとか、たたき起こして、狩りにいった。 森の奥深くに入り、ダックに狙いをさだめた。   最初の発砲音で、ぷっぷちゃん、逃げた。  旦那、青くなって、探したけどいない。 なんと2マイル(3キロ)離れたところに停めて置いた車の横でがたがた震えていたそうだ。  旦那のオフィスの人たちの笑い話の種となった。 また、秋が来る。 旦那は純潔のラブラドールの子犬が欲しいという。 子供のうちから銃声にならしておくことが猟犬には必要である。  純潔、血統証もいいが、遺伝の問題が多すぎて、長生きしないし、血統証には私、まったく興味がない。 それより、不要犬として、ほっておけば安楽死が待っている犬を引き取ったほうが良いと

No. 43 ひろう神

子供の学校が始まり、一週間が経った。  去年と較べると、私には余裕が出来ていた。 去年は、アメリカの小学校に子供をいれるのは、初めての体験であった。 その上、入学一ヶ月で、転校という事態になった。 子供たちの英語力が足らないので、ESLという英語を母国語としない生徒のクラスにいれるように、との学校からのお達しがあった。 その上、日本では、母の入院先がわからなくなるという出来事も重なった。  学校では、いろいろな書類にサインしなければならない。 多くの書類を読んでサインするのが苦痛であった。 なので、ほおっておいたら、催促がきた。 聞いていたことであるが、アメリカの学校って親への負担がかなり大きい。 「○○を持ってきてください。」「家で○○をさせてください。」「○○の行事がありますので、ボランティアして下さい。」とやたら『うるさい』。 なので、最初は参った。  しかし、一年を過ごすと、慣れてきた。 今年は転校もないし、子供達も明るく元気に学校に通っている。 金曜日の夜はファンナイトとかいうものがあるのだが、それもPTAの勧誘と知っているので、行かなかった。 担任の先生を直接たすけるのはOKであるが、PTAという組織はあまり好きではないし、メリットを感じないので、自分自ら必要だ、と思えるようになるまでは、まあ、いいや、というスタンスである。 さて、昨日の金曜日の午後、子供たちを迎えにいった。 昨日のブログで話したミス・マリーの姿が見当たらない。 幼稚部で一緒だったお母さんが近づいてきて、ミス・マリーは他の小学校に転勤になりました、という。 「じゃあ、解雇ではないのですね!?」と聞くと、親指立てて、「そうです。」とそのお母さん。  「捨てる神あれば、拾う神あり」、というか、「捨てる学校あれば、拾う学校あり」。 あ~よかった、と安堵のため息が出た。 たとえ、学校が変わっても、収入の道が閉ざされることがない。 それに、別の学校で、もっといいことがあるかもしれない。 または、これは、「天のお父さんの御計画」かもしれない。  計画の一つかな?と思うのは、私たちの子供達たった6人の教師になるため、うちの小学校に来てくれたということ。 普通の教室は20人前後。 でも、去年は特別に6人という小クラスで、先生の目がよく届くクラスであったこと。 お陰で、私の子供達は落ちこぼれずに済んだ。

No. 42 幸運・不運 - 神様のえこひいき?

ジョンベネ・ラムジー ちゃん殺害(10年前)の容疑者がタイのバンコクで身柄を拘束された、というニュースが夕べ発信された。 当時、犯人は裕福な親か、兄か、という疑いもあり、メディアの注目をあびた事件であった。 今日の新聞の一面トップはそのこと。 レバノン情勢より上の段に出ていた。 朝のCNNのニュースもそのことでもちきりであった。 ただ、今日の段階では、詳しい情報はない。  容疑者のジョン・マーク・カーの発言がとても気になった。  まず、いとも簡単に罪を告白している。 「あなたは無実ですか?」 『ノー』 なんじゃ、こりゃ? 普通、どんな罪を犯しても、無実を主張するのが普通のアメリカ人だけど・・・。 そして、『僕はジョンベネ(当時6歳)を愛している。セックスしたが、死んだのはアクシデントであった。』 ラムジー家との関係は、という質問には、『ノーコメント』。 母親のパッツィーとは話したか? 『ノーコメント』。  あと、この容疑者は事件のあったコロラドのボゥルダーには住んでいなかった。 ただ、幼児ポルノ愛好者ではある。 この人、本当に容疑者であろうか? まあ、ジョンベネちゃんのつめから取れたDNAサンプルがあるし、容疑者がコロラドに移送されてから、調査が始まるので、時間の問題か。 ジョンベネちゃんのお母さんのパッツィーも元ミス・ぺージェントだったので、きれいな人であったが、真犯人がつかまるのを見ずに、今年の6月に卵巣がんとの長い闘病の末、亡くなった。 お父さんはビジネスマンである。 しかし、事件当時、一度も涙をTVで見たことがない。 どんな質問にも、感情を吐露せずにクールに答えていた。 だからか、この父親も疑いの目で見られていた。 社交界で華やかな存在で、裕福であったラムジー家はジョンベネちゃん殺害事件で、一転して、家族がばらばらになる、という状況に落とされた。 こういうことってあるんだなぁ・・・。 今日、いつものように子供達を学校に迎えに行った。 ぴかぴかの一年生である。 お迎えのとき、幼稚部のときの担任のMs.マリーに会った。 彼女、「ちょっと話が・・」と私を呼び寄せた。 「校長先生が今年度は幼稚部の生徒が少ないので、あなたを解雇するかもしれない、と言われました。 なので、私の為に祈ってください。」 これにはショックであった。 だって、過去10年、家庭内暴力の末、離婚し

No. 41 夢で逢えたら ~このBlogのきっかけ~

昨晩、夢を見た。 父と母が出てきた。 それ以外に、父方、母方の亡くなった多くの親戚が出てきた。 仲の良い、生存中(?)の母方のいとこも二人とも出てきて、皆でどこかへいく、という。 東京のどこかで、皆で泊まったあと、身支度を整えていた。 地方にある、いとこの取引先にいくようであった。 さあ、行こうか、というところで目覚ましのアラームが鳴った。 目覚めて、はっとした。 今日は、8月の14日である。 お盆の中日。  わたしの父と母は東京出身なので、お盆に田舎に帰るという習慣がなかった。 なので、お盆、と言われても、だからなんなの?で生きてきた。 なのに、日本から遠くはなれたアメリカで、今日、お盆を思い出した。 お盆を検索したので、 お盆の意味はここ 。 しかし、親戚一同、夢の中にでてきちゃったのは驚きである。 夢というと、この和歌が、心に何十年も残っている。 思ひつつぬればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを (小野小町・古今集) 意味: 思い慕いながら寝たので、あの人が夢にあらわれたのだろうか。 もし、夢であると知っていたならば、目を覚まさなかっただろうに。 これは、恋歌である。 しかし、歌の中の「人」は広範な意味の愛するひとでもいいではないか。 今年の春、何故だか、いらいら、せわせわ、というか、やたら自分を追いまくる気分になっていた。 頼まれたら嫌といえない性格だから、自分の能力以上のことを引き受けてしまったのか、自分でやります、といっておきながら、忙しくなって、どつぼにはまったのか。 ちょっと疲れてしまったのである。  ウチの教会のWebsiteを、ががががーって、秀吉の 墨俣一夜城 (すのまた いちやじょう)のごとく作ったのは良かったが、その反動が来たのか。 何故ならば、今年の春は母が亡くなって、まだ3-4ヶ月しか経っていなかったときであった。  お葬式の時、年配の方に、「亡くなったあと、暫くしてから、『きます』からね。それは、そのときで通り過ぎるしかありません。」と言われた。  今、思えば、そのいらいらした日々が「きた」ときだったのだろう。  ボクシングのボディーブローだね。 いや、冷酒か? 「親の小言と冷酒はあとから効く」と父が良く言っていた。 その後、亡き母が恋しくて、天のお父さんに、「お願いします。 母に逢わせてください。 母に逢わせてください。

No. 40 ちょっと一息

いつもなら、ばかげたことをぶちまかす私もNo. 39「沈黙」では、中学校のような読書感想文になってしまった。 これじゃぁ、息もつまるだろうな。  ということで、今日は息抜き手抜き栓抜きだ。 あのテロ騒ぎの木曜日(日本は金曜日)、旦那はメキシコから帰ってきた。 メキシコシティーの空港では、もう混乱状態。 そりゃーそうだ。 普段でさえ、のんびりしていて、混沌としているメキシコがテロ厳戒態勢でセキュリティーチェックを始めたら、もう混沌を超えた、ブラックホールだ。 今、メキシコでは登場時間の3時間前に空港にいくようにとのお達しがでているそうだ。 でも、金曜日はメキシコの駆け出し航空会社の社長が仕事場に来たそうだ。 彼は、自分専用の飛行機を飛ばしてきたから、ボトルに入った水もワインも堂々と持ち込んで来たんだろう。  旦那のオフィスにて、仕事を済ませた後、その社長がオフィスの人たちをお昼に連れて行ってくれたそうだ。 美味しいワインとステーキ。 旦那、赤い顔して帰宅。 この会社の為に、ずっと一生懸命やってきたから、これくらいのご褒美はいいんじゃない。 賄賂か? いや、認定が終わったあとだから、いいか。 それにマネジャーも一緒だから、いいのよん。 それまでは、メキシコの担当者たちがきたら、旦那たち自腹切ってお昼ごちそうしていたから。 実際のところ、日当にあたる金額までの食費はおごってもらっても違法ではない。 我が家は金曜日がステーキなんだが、旦那、すでに食べてきたので、いらないって。 なので、冷凍の鮭を子供たちと食べる。 こちとら、給料日前で、きついし、買い物面倒くさいから助かった。 さらに、冷蔵庫の中身がからに近くなったので、今日、冷蔵庫の掃除が出来た。 冷蔵庫、ピカピカしてきれいよ、今。 そのあと、トイレにいったら、ウ○チが床に擦り付けられた跡が・・・ウ○チがついた小さいパンツがぬぎすててある。 便器の中も、流れていないウ○チが・・・。 ああ、うちの息子、またやった。 早く言えばいいのに。 と、トイレ、洗面所を掃除した。 拭きながら、「このうんこたれめ。」と噴出してしまった。 古い日本語だなって。  洟垂れ小僧って昔よくいて、袖の先が乾いた鼻水で光っていたらしい。 だから、うんこたれ小僧ってのもいたんだろうな。 漫画で、とりいかずよしの「トイレット博士」を知っている人は読者のな

No. 39 「沈黙」

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ぐうたらママをしていても、本は読んでいた。 この2週間で読んだのは、 「沈黙」 遠藤周作    「春琴抄」谷崎潤一郎  の2冊。 両方とも、地元の日本人学校のバザーで一冊50円で買ってきたもの。  バケーション中に「沈黙」を読もうと、もっていったが、Sedonaのおばさんの家においてきてしまった。  バケーションから戻り、「沈黙」が家に届くまで、「春琴抄」を読んでいた。 「沈黙」のあらすじはWikipediaに書いてあったので、 リンク を貼るので、割愛する。 まず、あらすじを読んでください。   「沈黙」 を読み続けていくうちに、キリシタン迫害の拷問の仕方にいろいろあって、だんだん気分が悪くなってきた。 たとえば、海の中に柱を立て、そこに人をくくりつけてほおって置くやり方。 穴つりといって、耳のうしろに穴をあけて、その人間を蓑虫のように蓑でぐるぐるまきにして、逆さに穴のなかに吊るすやりかた。 熱湯をかけるやりかた・・・。    それぞれの拷問で、受刑者がどういうメカニズムで苦しみ死に至るのかは、私には具体的にわからない。 Slow Death=じわじわと苦しみながら迎える死、であろうから、想像を絶する。 十字架の刑も、体の重みで肩、胸の骨や筋肉が気管を締め付けるのであろうか、これもSlow Deathで極刑とされている。 「パッション」=「Passion of Jesus Christ」の最後ではイエス没後、地震が起こり、ローマ兵が他の受刑者のすねを折る場面があるが、すねを折ることによって、すべての体重が肩、うでにかかり、結果として、呼吸ができなくなる、ので、死を早めるのであると思う。 日本でのキリシタン弾圧は豊臣秀吉の命であり、江戸時代も続けられた。 踏み絵、隠れキリシタン、フランシスコ・ザビエル、という名前は歴史の教科書にのっているので、日本人の間でも一般常識である。  インターネットで当時の日本の信者の数、そして殉教者の数を調べたかったが、出てこない。 本の紹介はあるが、その本を買って読むまで気力がない。 せめて、学者の文献くらい、サーチできないものか。  ウチの教会のパタリロ先生によれば、当時、日本人の三分の一がクリスチャンであり、多くの人たちが殉教した、ということだ。 では、1600年代の日本人の人口は約1,220万人くらい。 

No. 38 ぐうたらな一週間

長距離運転したバケーションからもどってきたとたん、ダラスの相変わらずの猛暑にKOされた。  あとで、立ち上がって、逆転判定勝ち、という怪しげな勝ち方もしようとは思わなかった。 なんというたとえだ? サンタ・フェやグランドキャニオンでは華氏60度台(15度前後くらいかな?)の涼しさであり、夕方はジャケットが必要な日々であった。  夜中、テントの中を風が通ると、涼しくて気持ちよかったが、明け方は寒くなり、寝袋を子供たちにかぶせ、私ももぐりこんだ、という日々であった。 なので、体が楽ではあった。 しかし、ダラスに戻ってからの猛暑の応酬にはまいった。 また、最後の日の運転が田舎道のハイウエイで、いつも強い風が吹くところ。 運転に神経を使う長丁場であったので、疲れた。  ということで、旦那も私もしばらくぐったりしていた。 旦那はお仕事があるから、可愛そうに、毎朝、7時には起きて、出かけていた。 一緒にバケーションにいった、犬のぷっぷちゃんも疲れていて、朝、旦那が起きても、私たちのベッドの上で、ぐーっと寝たまま。 忠犬とは程遠い。  旦那には、悪かったけど、私は、ぐうたらの極致を窮めることとした。  朝、旦那の朝食を作ったあと、パジャマのままで、コンピューターに向かうか、また、ベッドに戻った。 帰ってきて3日目は、朝、子供たちが「マミー、おきて~」 といっても、「やだよ~」と起きなかった。 二人とも、勝手にコーンフレークを食べて、近所の友達の家に行ってしまったようだ。 気がついたら、朝の11時。 子供はいない。 犬も文句言わずに(トイレをがまんしているのかどうかはわからない)、寝ていた。 なんといい加減な母親であろうか。 子供に何かあったらどうすんの、だよね。 我が家はカル・デ・サック(フランス語らしい:リュックサックが軽いという意味ではない)という、日本語で言えば、袋小路に住んでいる。 つまり、この道の先は行き止まり。 なので、通過する車は訪問者を除いてはほとんどおらず、すべて顔見知りのご近所さん。 ご近所さんたちの家には、子供か、犬か、子供と犬のいるのがほとんど。 なので、週末の午後には、子供たちと犬たちが一斉に外にでて出てくる。 幼稚園か小学校の校庭かというありさま。 スケボーやローラーブレードで飛んだり、野球したり、とね。 なので、子供たちが家から消えても、外に出て呼ぶ

No. 37 我回家了:かえってきたで~

我回家了: (うぉぁ ふい じゃ ら:”我、家に戻る”) うろ覚えの中国語ですが、家に帰る、というのに「回」という漢字をつかうんですね。 了(ら)は完了を表す言葉なんで、一応つけたけど、果たしてこれでいいのか・・・。   閑話休題(=それはさておき)、大変、ご無沙汰しています。 7月23日から、家族でバケーションというか、親戚まわりとキャンプに行ってきました。 行きはダラスから12時間運転して、ニューメキシコ州のサンタ・フェへ。 旦那の両親が住んでいます。 確か二人とも第一次世界大戦前の1914年くらいの生まれなので、もう92歳くらい。 小さなトレーラーハウスに二人で住んでいます。  お父さんは、片目をだいぶ前に失明し、腰痛があり、家の中にいるだけですが、それでも、BBCのWorld News をちゃんと見てるし、Time Magazine を定期購読して、しっかりと時勢を追っている人。 最近はそうでもありませんが、以前は一日本を1冊読んでしまう人でした。 判らないことがあれば、まず、お父さんに聞けば、殆どの答えが返ってきました。 季節によるハリケーンの動き方とか、コンクリートに打つ釘の種類に始まり、世界の宗教、それも回教からアメリカ・インディアンのGreat Spritのことまで、とても詳しく知っていて、本当に博学な人です。  我が家に滞在していたときは、夜は私と二人でスコッチとかテキーラを飲みながら、いろいろな話をしてくれました。 クレーン技師に頼んで、パナマ運河の向こう岸まで、クレーンをかけてもらい、そこへよじ登り、向こう岸に渡った。 向こう岸には、貧民窟(Shanty Town)があったそうです。 でも、そこの人たちと仲良くなり、車をあげた話とか。 ヴェネズエラにいたときは、「うちの娘と結婚してくれ。 そうして、娘をヨーロッパからここに連れてきてくれ。」とユダヤ人に頼まれた話。 また、ドイツ人と仲良くして、FBIに尾行された話などなど・・。 冒険談というか、20世紀の始めの時代の多くの物語。 本になるくらいの、わくわくする話が満載です。 お父さんは、1978年にパナマ運河のDredge船(運河にたまる泥を取り出すための船)のパイロットとしてリタイアするまでは、中南米のいろいろな国に住んでいた人です。 北欧系なので、背は180cm以上あるし、多分金髪だったと思