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10月, 2006の投稿を表示しています

No. 52 わしらと神さんとの距離 その2: その後  

昨日、旦那のオフィスのボスがジムの家に行った。 そこで、どういういきさつかが、少しわかってきた。 ジムの息子は、病気だらけの大変な一生だったらしい。 へその緒が首に巻き付いて、生まれてきた。 それも原因なんだろうか、いろいろな病気をしてきたらしい。  確かに、一年前ほど、その息子さんが脳膜炎で首のところにShank(日本語わからないけど、チューブか小さい棒状のものであろう)をいれておいたのが、うまくいかず、床に伏したままである、との話を聞いた。 病気だから、仕事もしておらず、健康保険もない、という状態だった。 Austinに一人暮らしか、彼女と暮らしていたようでもある。 ジムと奥さんはAustinに車で出かけていって、世話をしていたと記憶する。 でも、今年の春あたり、処置がうまく行き、通常生活が送れるようになった、という良い知らせを聞いたので、ほっとしていた。 それが、今年もおわろうとしているこの時期に、突然、「死」という結末になってしまった。 何がおこったのか。 ずっと医学的な問題を抱えてきた人生だったので、いろいろな薬を飲んでいたらしい。 強い薬も含まれていたそうだ。  この金曜日の10月27日の夜、どこかに行って飲んできたらしい。 お酒と強い薬。 副作用が出たらしい。 ぴりぴりしたのか、多少錯乱したのか、それでも、車を運転していて、住んでいるAustinから離れた田舎道に迷い込んでしまったそうだ。 一軒屋をみつけて、その家のドアどがたがたとこじあけたそうだ。 夜中に人里から離れた一軒家のドアをたたいたり、がたがたこじあけようとすれば、アメリカでも、日本でも、笑顔をもってドアをあけるところなんかない。 アメリカだから、銃が迎える。  私も旦那の出張中、そういうことがあれば、旦那の狩猟用のライフル持ち出して、威嚇するよ。 子供を守らなければいけないから。  ということで、玄関先で、銃でもって、頭に弾丸2発、ぶちこまれてしまった、といういきさつらしい。 しかし、死人に口なし。 本当に何がおこったのか。 目撃者もいないだろう。 正当防衛をたてに、無実を主張してくるだろうな。 10年以上前、ルイジアナ州バトン・ルージュで、ハロウィーンの日に、日本人留学生が銃で撃たれて死んだ事件があった。 そういやぁ、明日は、ハロウィーンだけど。 この事件の場合は、日本人留学生がTric

No. 51 わしらと神さんとの距離

お久しぶり。 前投稿の「断食」に愛の行為を始めた、と書いたよね。 それ、やっと完成した。 ほかに、いろいろやらなきゃならないことがあって、あんれまー、いそがしかったよ~ん。  今日、土曜日の午後は、時間がとれるそー、と思っていたら・・・・・・・・ 旦那の同僚で、もう私の友達でもあるジムの息子が死んだ、という連絡が入った。 30代の人で、先妻との間にできた子供だけど、一人息子である。 連絡をうけたときは、日本語学校で当番していた時であった。 ジム夫妻の家は日本語学校からさほど遠くないので、私が旦那の代わりに行くことにした。 家に行くまで、天のお父さんに、言葉を与えてください、と頼んだ。 だって、子供の死って私は経験したことないし、したくもない。 その息子さん、結構大変な人生だったらしい、とは聞いていたし。  家に着いたら、すでにジムのクリスチャンの友達が沢山いた。 ジム夫妻は、寝室で休んでいるということで、待つことに。 夕飯の準備もあるが、旦那はわかってくれるだろうし。 暫くして、出てきたジム夫妻は、しっかりと立ち、微笑みを浮かべていた。 そして、クリスチャンの友人とともに、イエス兄さんありがとう、ありがとう、と感謝していた。  いったい何がおこったんですか? と聞くと。 頭に銃弾2発打ち込まれて死んだ。 殺人であった。  ダラスから3-4時間南のオースティンというテキサスの首都に住んでいた息子さん。 亡くなった場所はそこではなかったそうだ。 仕事関係らしい親子がいて、その父親に殺されたらしい。 詳しいことは、父親であるジムもわからないそうだ。 今、警察が捜査中である。 葬式は火曜日ー水曜日らしい。 私は暫くだまって、ジム、奥さん、友人たちの話をじーっと聞き入っていた。 私の目は息子さんの写真にそそがれていた。 6時半になり、夕飯の支度をしなければならず、家に帰ることにした。 そして、ジムの横に座り、肩を抱き、手を握り祈った。 いつも祈るのは日本語なので、英語がでるかどうか・・・。 でも祈ることが大切だと祈った。 お父さん、 私たちは、こういうことがあると、何故ですか?? 何故なんですか?? と問います。 あなたは、それには答えてくれないときもあります。 答えてくれるときもあります。 でも、こういったこともあなたのプランの一つなんでしょう。 聖書の中に、 生まれるとき

No. 50 断食

またまた、ご無沙汰してしまいました。 子供たちは小学校一年生となり、幼稚園とは違い、「成績」がついてくるようになったので、宿題を見てあげたり、学校で行った学習の復習をする時間が増えてきた。 そのうえ、日本語学校の宿題も毎日、すこしずつするので、子供の帰宅後から夕飯、そして寝かしつけるまでの9時までは、まったく自分の時間がない、という日々。 これは、どのお母さんもおんなじか。 さらに、私には、ピアノの練習もある。 毎週金曜日の聖書研究会でピアノの伴奏しちゃってるので。 あとは、ジャズピアノの理論と練習。(私にとっては、不得意だった化学の授業のように思える。) ピアノのことはなかなかかけずにいるなぁ。 これもおもろい話だから、書かなきゃね。 自由時間が無いのに、2週間前から、あることを始めてしまった。 なので、なかなかBlogを更新できずにいる。  母の死から、はや10ヶ月が経った。 その間、私の感情と体力に上下が激しくあった。 そりゃー、去年まで、実家に何かあれば、30時間かけて帰国していた、という生活を10年していたし、父と母の最期にまつわるいろいろなこと -本当にいろいろなこと-があった。 そのいろいろなことの中には、まだ実質的に決着がついていないこともある。 感情の中でも決着がついていないことがある。 解決の為、祈ってきた・・・かな? 多少は祈ったが、ある問題からは、「逃げていた」んだと思う。 それは、その問題を性急に解決しようとすると、自分の心に秘めた汚い部分、ずるい部分を直視しなければならない、と私は無意識のうちにわかっていたんだろう。  だから、人を雇って、問題解決をしようと試みた。 しかし、それは成就しなかった。  神さんがそれはあかん、といっていたんだろうな。 いや、そう私もうすうす感じていたけど、私は「人間らしく」否定していた。 かなりの時間がたってから、やっぱり自分が手を下さなければいけないのだな、という思いがすこーしずつ、湧き上がってきた。  でも、どうしていいかわからないので、私は一週間断食して祈った。 過去一年の間に3-4回断食したけど、今回は旦那が出張中ではないので、夕飯だけ食べる、という変則的断食。 実は、断食をするのなら、一日中、何も食べないほうが実は楽。 夕飯だけを食べると、そのあとがどーんと疲れるので、実は、こういった断食の方がきつ