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No. 141  それは、いつも見上げているから

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11月の前半に日本に行っていた。 同窓会と野暮用があったため。 実家は空き家となっており、電気もガスも水道も使えず、かびがはびこっており、泊まれる状態ではない。 しかし、友人が彼女の家での宿泊を勧めてくれた。 ありがたく頂戴した。 この友人、料理がうまいし、仕事もこなすスーパーウーマンである。 お子さんも成長し、堅実な家庭を築いている。  到着時の夕飯に御寿司。 そして、友人は仕事を休んでくれて、買い物などの野暮用に付き合ってくれた。 今までは、電車でそういった用を足していたのだが、車でさっさっさーとあっちこっち連れて行ってくれて、時差ボケがある私としては、本当に体が楽であった。  彼女宅への宿泊が一泊短くなり、なんと、その分のホテル代まで出してくれてしまった。 おいしいおそばまでも、おごってくれて、その上、お茶まであとで送ってくれたのである。 本当に、世話になりっぱなしで、頭が下がる思いである。 ホテルに移り、多少の野暮用を昼に終え、夜は、中高からの後輩とホテルで会い、飲みながらいろいろと話した。 翌日は、鎌倉でInternetで知り合った人と会い、天園ハイキングコースを少し登ることになり、由比ガ浜、大島を小さい峠から見たのである。 北鎌倉へ、亀が谷切通しを通り、大船から湘南電車(=東海道線)に乗り、湯河原へ。 紹介されて予約をしておいた、たった5部屋しかないこじんまりとした温泉宿に二泊した。 子供は旦那に任せて出てきたので、ゆっくりと出来た。 二日目の朝、バスにのって大観山に行き、富士山の絶景を堪能してきた。 翌日からまた曇りで、富士山が見えたのはこの日だけ。 箱根までいって、杉並木の旧道を少しあるいて、もどってきて、部屋でうだうだしていたら、出来立てのお饅頭とお茶をもってきてくれた。 このお宿、高いけど、食事が絶品。 若い女将さんはじめ、家族経営であるが、心づくしのサービスに感動。 後で気がついたら、2日目のお昼のそばのチャージと、頼んだお酒、一合飲みきれなかったら、チャージが無かった。 翌日の少量のお酒もチャージされていなかった・・・。 湯河原を後にして、真鶴に立ち寄って、横浜へ戻り、同窓会へ。 30年ぶりにあう人、久々の友達・・・。 懐かしく、食べることを忘れて、話してばかりであった。 合計4次会ま

No. 140 日本訪問直前

あと、12時間で空港に向かう。  今日は、10月30日。 夜である。 家族を残して、単身の日本帰国・訪問である。 しかし、母親と妻として、お留守番をするものたちへの指示、支払い、手はず、とかなり忙しい。 その上、仕事のTaxの試験があった。 10月半ば、熱のでないへんな風邪で、2週間ダウンしていたので、勉強できず。  神さんに、「どうか、お願いします。 帰国の準備がすんなりと行きますようにしてください。風邪にかかりませんようにお守り下さい。 そして、出発前日の試験が受かりますように。」と祈ってきた。 結果として、試験は受かった。 88%だけど。 でも、これで、お給料のベースが少し上がる。 子供たちの為に、次のシーズンは、もう少し稼ぎたいところなので、この試験は受かりたかった。 もう一レベル上げたいので、12月中に試験もう一つ出来るであろうか・・・・。 あと神さんにお願いするのは、私の旅中の健康と安全。 そして、夫と子供たちの健康と安全。 もちろん、うがいに手洗いは敢行している。 しかし、こうくたくたの毎日では、体力も免疫も落ちているから、神頼みが大切。 たった10日の滞在である。 何があるのかな? 神さんはどういったところに導いてくれるのか? 暇な時間はあまりないけど、日本に少し滞在する私を使ってくれるかもしれない、という小さな楽しみもある。 それでは、行って来ます! あかしや

No. 139 揺れた時の賛美歌

あったま来るほど忙しいこの頃である。 余裕が無く、祈る時間もあまりない。 朝、おきて、神さん、有難う、と感謝する時としない時まで出てきてしまった。 これは、いかんいかん。 10月下旬から10日ほど日本に行って来る。 理由は、高校の同窓会。 30周年だ。 クラスメートが言う。 「もう人生の半分きたんだしさ。」 ありゃーほんとうだ。 どうしよう。 ************* こういった出発直前にやってくる嫌なニュースがある。 昨日、アメリカン空港ダラス発成田行きのAA61便が乱気流にあって、けが人が出たという。 私、それに乗るんですけど・・・・。 初めてアメリカに行ったのが、1983年であった。 安い飛行機ってことで、China Airlineを使った。 台湾の航空会社である。 ハワイ経由でLos Angelsに行った。 アメリカから戻ってくる時に、気流の悪いところを通った。 みんな緊張しているようだったけど、お隣のフィリッピンの叔母ちゃん二人は、何か歌っていた。 何歌っているんだろうなあ、と思ったけど、良くわからなかった。 タイタニックだったか、客船が沈没するとき、小オーケストラが音楽を奏でたという話は、多くの人が知っていると思う。 埼玉の教会を訪ね礼拝まえの賛美をしていたときであった。 ぐらっときた!  そばにいたフィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生と私は、やばい!といったかどうかは別にして、ドアを開けにいった。 祖母と母からは、地震の度に、戸を開けろ、でないと、戸が開かなくなって閉じ込められる、と言われて育った私であった。 しかし、後ろを振り向けば、前で賛美していたフィリピン人の女性は、歌い続け、地震がまた襲ってくると、手を挙げて祈り、賛美していた。 そうして、地震は収まった。 その時、この方は、真のクリスチャンだ!と恐れ入ったのであった。 (そう、この方、私の代わりに日本での母の娘になります、と言って、私を大泣きさせてくれた方である。 詳しくはまたいつか書くね。) ちなみに、フィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生、フィリピン人と書いたが、皆日本語で礼拝していた。 若い頃は、乱気流の時も、ぐっすり眠りこけていたものである。 しかし、こう何度も飛行機に乗るようになり、昔と比べて、いつも満員で、家畜の

No. 138 亡くなった人の為に祈る

日曜日の朝だったのだろう。 父の夢を見た。 どこからか苦しい声が聞こえてきて、それがだんだん近くなった。 吐いている苦しみの声であった。 私たちの寝室に来たのは、一回り小さくなって、白くなっている父であった。 父は、またすぐに苦しくなって、トイレのほうに行った。 そんな夢であった。 実は、一年ほど前にも、寝ているとき、父の声が聞こえてきて、「苦しいんだ。」と言っていた。 夢を見た後、暫くして起きたと思う。 そして、神さんに祈った。 神様、人間が死んだあとのことは、私にはわからない。 天国と地獄以外に他のところがあるのかも、聖書には書いていないから、私にはわからない。 だから、あなたにお願いします。 父を楽にしてあげてください。 母と同じ天国に連れて行ってください、と。 神さんは、パタリロ牧師を通じて、「おまえの愛する者は、私のそばにいる。」と言ってくれたので、母は神の御国にいる。 しかし、父は今、どこにいるのだろうか? 父の死後、父がうらめしそうな顔をして、枕元に立っていたのを見た、という親族もいる。  父はどこにいるのだろうか? ****** 私の父は、アル中で、いろいろあった。 私も結構いやな思いをして育った。 詳しくは、3年前に書いたBlog 「父の日」  を読んでもらえれば、結構具体的に書いてしまったからわかるだろう。 素直に、愛しているという対象ではなかった。 でも、今は、感謝の対象である。 教会の礼拝のあとの祈りの時間で、父のことを祈り始めたら、涙がどっと出そうになった。  父を助けてあげたい、という気持ちが沸いてきてしょうがなかった。 だから、心に誓った。 これから毎日、しつこく、神さんに頼もうと。 父を良いところに移して欲しいと。 父の苦しみを取り去ってほしいと。 私たちが死んだ先は、神さんの領域である。  「私たちクリスチャンは天国にいかれるのよ。 でも、信じない人は、地獄行きだわ。」 と、のどもとまで出掛かっているクリスチャンと呼ばれる人は多いだろう。 私は、人が死んだあとは、天国と地獄しかない、というのは、まだ、わからない。 単に聖書を全部読んでいないからかもしれない。 でも、父のためには、その中間点があってほしい、と思うことがある。  これは、単なる一個人の勝手な願いである。 日本の実家では、何回か家庭集会があった。 退職したあとの父はそれを

No. 137  癒しは私にも起こってしまった

とんでもないことが起こった。 「癒し」を体験してしまったのである。 先週の土曜日と日曜日はうちの教会の修養会、つまりリトリートであった。 宿泊施設に泊まり、ゲストスピーカーを呼び、メッセージをしてもらったり、祈りの時間を長く持ったり、そして、バーベキューもしたのである。 ゲストスピーカーは、Carrolltonという町にある Covenant Church のYouth Pastor, Joel Scrivner氏が来てくれた。 テコンドーのチャンピオンにもなった人である。  アメリカでもキリスト教では、福音派、ペンテコステ派、メソジスト、バプティスト、と色々なDenominationがある。 いわゆる派閥みたいなのであろうか? そして、ペンテコステ系の教会は、異言(意味のわからない言葉を祈りのときに発する)や、奇跡、癒しという、日常から少し離れたことを信じる傾向がある、ということで、保守的なバプティストや、福音派からは、白い目で見られている、らしい。 うちの教会は、どちらかというとペンテコステ派であろう。 しかし、そういった超自然現象というか、スピリチュアルなことばかりを中心にしているわけではなく、聖書をしっかりと読み、勉強するという福音派が喜ぶこともしっかりしている。  まあ、私に言わせれば、聖書に書いてあることを、都合の良いところばかり、自分の都合に合わせるということよりも、まるごとそのまんま信じるべきなので、癒しも超自然現象もOKと思っている。 でも、バプティストや福音派は、自分たちでそういったことを経験していないのであろうか、「そういったことは、現代では起こらない」と一掃している。 うーん。 でもねぇ、イエス兄さん、ものすごい数の人間を癒しているんだよねぇ。 死からもよみがえっちゃったし。 パウロだって、牢屋にぶち込まれたとき、地震が起こって、足かせはとれちゃうわ、牢屋は開いてしまうわ、ってことが起こったし。 死んだ人も生き返ることもあった。 そういうことが書かれているのが、聖書なんだけど。 それも、多くの箇所がある。 そういった部分を無視したら、聖書の半分くらいは、破り捨てなければいけないんじゃないだろうか。 さて、そのJoel牧師は、何でそういう意見の違いが起きるのかを簡単に説明してくれた。 それは、次回に述べる。 なるほどーと思った。 この書き込みの

No. 136  後悔しない "I love you"

洋画(死語か?)やアメリカからのドラマを見ると、よくもまあ、「I love you.」を連発している。   日本では、そんなこと言わないだろうなぁ。 そんなこといったら、虫唾(むしず)がはしる、というか照れくさいというか。それだけ、日本人にとっては、「愛している」「I love you.」という表現とは距離がある。 というか、こういう表現は、日本の文化にはないのだろう。    では、日本の愛情表現は、態度で示す、その人の為に尽くす、という行動なのだろう。言葉では、「好きだよ。」とか、「大切だよ。」なんだろう。   今日は、2009年9月11日。 New Yorkの同時テロから8年たった。 子供を学校に送ったあと、車の中でNPR (National Public Radio)をいつものように聞いていた。東海岸時間の8時40分過ぎ、テキサス時間の7時40分過ぎに、一人の男性が話している録音が流れてきた。   その人の息子は、New Yorkの消防士で、テロ事件で若くして亡くなった。 New York World Trading Centerの一つのビルに飛行機が突っ込んだのが、この朝8時40分過ぎであった。 その男性は、イタリア系の苗字であった。 New Yorkはイタリア系がとても多い。 私がNew Yorkに住んでいたころ、Little Italy はChineseに押されて、かなりの小規模になってしまっていた。 しかし、イタリア系も4世5世の世代となり、アメリカ経済・文化の一貫となっている。 民主党のSpeakerという重要なポストは、Nancy Pelosi. 苗字からして、イタリア系である。 政府の確かAttoney General(司法長官)の女性も、苗字は、Napoletano. イタリア系。   さて、話題を本題にもどしてっと。  学校から家への短い距離であるが、ラジオから流れる、そのイタリア系の苗字の男性のナレーションに聞き入った。 息子の一人が警官になり、そのあと消防士になり・・・という生い立ち。 そして、いつも仕事にでるときは、息子と父の間の会話は、「I love you.」であった。   2001年9月11日の前日。 夕方の出勤に向かう息子は、父親に「I love you.」と言って、家を出た。 翌朝、息子は父に電話し、テロ事件が起こっ

No. 135 尻拭いしてくれた神さん

夏休みが終わり、子供たちの学校が始まった。 旦那と子供の為に朝食と弁当作り。 さらに、学校のあとのスナックに、夕食の弁当つくりも週一回となった。  子供たちがある武道を始め、それが週三回。 他にもサッカーとピアノがあるので、私はとたんに忙しくなる。 以前、そんなことしている友人を見て、あれまー、と思っていたけど、今度は自分がその立場。 あれま~。 そんな忙しい日々である。 土方もだいぶめどがついてきて、あと1-2プロジェクトで終わる。 その後は、家の片付けに税制の勉強である。 なかなかここに書き込めないが、短いのを単発でやっていこうか、と思う。 ************* 昨年の秋は、税制の勉強のコースをやたら取りすぎて、自分の首を自分で絞めてしまっていた。 勉強して、コースの試験にパスすると、時間が加算されて、それによって、Certificationと言って、格付けが決まる。 格付けが上がればあがるほど、一つあたりの仕事の単価があがり、収入があがる。 しかし、今思うと、焦りすぎた。 そんな忙しい昨年の秋のこと。 近所の人で知り合ったイエス営業部の人。 タイ人である。 その人は、近所の家で平日は住み込みで子供の面倒と家政婦をしている。 長い話を短くすると、私は頼まれて、その家で祈った。 やはり、感じる変なものがあり、幻も見えた。 子供が悲しんでいること。 別れた奥さんのこと。 いろいろある家庭。 子供の部屋で祈ったあと、うしろから何か迫ってきて、翌日から背中が痛くなった。 これは、日曜日の礼拝のあとに祈ってもらった。 そういった場所で祈ると、時に「やられる」ことがある。 そんなかんやで、そのタイ人の彼女、何かと電話してくる。 そして、一緒に祈っていた。 明日試験、という日で勉強中にも電話がかかってきた。 子供たちがオカルトか、暴力的なビデオばかりみていて・・・という相談だった。 彼女は、もうこんな家にはいたくない。 辞める、といい始めた。 しかし、私は善人ではない。 今は勉強中で手が離せないから、後で祈っていてあげる、と。 ただ、神さんは、あなたをこの家に送ったんだよ、とは、言ったが、辞めたいと決めたのなら、辞めたらどうですか。 そこまで自分を犠牲にすることはないでしょう。 とも言った。 それから一年近く経った。  ある暑い夏の夜。 ばかちんの散歩に出た。 ふと、彼

No. 134 夏休みももう終わり

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前回の投稿は6月下旬。 今日は、広島原爆記念日の8月5日。 一ヶ月半も書き込まなかった。 不定期発行だもんね。 Blogにまどわされないのだ、というか、夏休みで子供がいるので、じっくりコンピューターに向かっていられない毎日であった。   以下は、何をしていたかを早送りで書く。というか、どっかのソーシャルネットワークの日記をコピペして、手を加えただけ。 だって、もう夜中。 眠いし、明日早朝は勉強したいので。   2009年夏休み <達成したこと>   (1)Back Yardの家庭菜園の芝生をとって、川砂利をしいた。 ものすごい重労働だった。でも、もうスプリンクラーを使って芝を潤すことをしなくて良くなった。水道代も節約だし、環境にも良し。  芝って、水あげて、肥料上げて、伸びれば芝刈り。 刈った芝はBio Massとしてはものすごい量。 これ、食べられないんだよね。 なんという資源の無駄。 という考えかたから。   (2)家庭菜園の拡張。    中途半端だった菜園を広げた。 ミントが繁茂してしまったイチゴ畑を整理した。畑は、今はなかなかの出来。日本のきゅうり、オクラ、ズッキーニ、すいかが生っている。 すべて無農薬・無肥料。 家ででる野菜の皮とかくずを土に鋤きこんであげている。 きゅうりは毎日食べている。 これから豆とオクラの収穫。 すいかもだいぶ大きくなってきたよん。 だいこん、メロン、かぼちゃ、トマトが今成長している。   (3)木の塀。   ほぼ完成。 土方でまっくろけっけ+筋肉+体重が減った。 明日、市の人がInspectionに来る。 となりの敷地に1-2インチはみ出してしまっているので、却下されるか? その場合のPlan Bはすでに旦那と相談してある。   (4)子供の勉強。    一応、毎日こつこつと算数をさせている。 今日、やっとあまりのある割り算を教えた。 本も一日一冊は読んだ。 何日かは読まない日もあったけど。 日本語は今までは、ひらがなとカタカナの書き取りのみ。 今月からスピードアップして、作文と読みをさせねば。 遅れてしまっていたよん。   (5)曲作り。    一曲できたわ。 英語の歌詞は断念したけど。 イエス兄さんへの感謝と、自分を含め、人を安易に裁いてしまう人のことを思いながら作った。実は、いつも家でピアノで賛美して

No. 133 試してみろ、っちゅーから、試すよ。

夏休みに入って、4週目。 今年は、あまり疲れずに子供の相手もできる。 Wiiというゲームを買って、子供がそれで遊んでてくれる間は楽が出来るからか。 ということで、先週の木曜日の午前中、子供を家に残して、郵便局へ。 何を送ったか、というと、日本の教会と西海岸の教会への献金を送った。 4ヶ月のTaxの季節労働の報酬の十分の一をこつこつ封筒にためてきた。 Taxの仕事が4月の第3週に終わり、最期のお給料が5月の上旬に入った。 それから、だいぶ経ってしまったけど、ようやく先週の木曜日、各教会に送ることができた。 私の行っている教会には、すでにちゃんと献金した。 日本人が教会に関する質問の中に、献金をしなければいけないのですか?というのがある。  私に言わせれば、「しなければいけない」というレベルではない、と思う。 喜んで献金はするものだと思う。 というか、収入があるのは、神さんのお陰なので、10%は就職斡旋業としての神さんの取り分である。 私のものではない。 ということで、献じるというよりは、お返しする、というほうが正しいと思う。 旧約聖書の最期のマラキ書3章10節には、10%を納め、私を試してみよ、と神さんは言っている。 過去に試した。 そうしたら、大きな恵みが来てしまった。 ウエイトレスの助っ人で頂いた$100があった。 十分の一だから$10を納めて、そのあとすぐに借金して日本にいった。 お金ないから、飛行機代、借金だった。 そうしたら、日本の私の口座に30万円がどこからか振り込まれていた。 アメリカに戻り、それで、借金を返すことが出来た。 $10で、$3,000(役30万円)を神さんから頂いてしまったのであった。 300倍である。  知り合いが、試してみようって、十分の一の献金を始めます!と宣言して、開始した。 その数ヵ月後、旦那さんに良い仕事が与えられた。 更にその一年後、収入は倍増していた。 うちの教会のパタリロ牧師も億単位の負の遺産を抱え込んでいた。 やけくそになって、どうせ、ないお金だ!と十分の一の献金を始めてから、10年でその負の遺産は、消えた。 何故か、周りから助けてくれる人が沢山でてきたそうだ。  Taxのファイリングの仕事では、経済的なことをいろいろ質問する。 そうやって、どういうCreditなどが適用できるかを判断していくのである。   Schedu

No. 132 今日は誕生日

今日は何を隠そう、私の誕生日である。 もう、いいたくない年齢だから、言わないもんね。 自分がこんな歳になるとは、思ってもいなかった。 更年期も近いのか? ということは、骨ももろくなってきて、老化がもっと進むんだろうなぁ。  かといって、対策をとるつもりもない。 ただ、健康でいたいと思う。 4X年前の夜中の2時ごろ、私は東京は渋谷の日本赤十字病院で生まれた。 母にとっては、難産で、大変だったらしい。 生まれたとき、私は声を上げなかったそうだ。 生まれたあと、父と祖母は明け方の道を二人で家までとことこ歩いて帰ったそうだ。 渋谷から板橋まで。 そんな話を父母から何回か聞いた。 子供のときは、病弱だったが(嘘だ!ええーっつ!という声が聞こえるぞ。)、今は一応元気な双子のかあちゃんである。 いろいろあった人生だけど、40歳代後半まで、こうして何とか生きてこれたことに感謝する。 元気な双子の子供も生めた。 そうだ、旦那という素晴らしい人にもめぐり合えた。  父と母は、それはいろいろあったけど、やはり、私は私の父と母の間に生まれて幸せだったと、今思う。 私が父と母を選んだのかも。 それか、神さんが私を父と母に託したのだろうなぁ。  なんだかんだいって、ごたごたしたけど、それでも、死ぬまで両親は一緒だった。 私たちの為に大きな犠牲を払ってきてくれたんだろうな。  だから、神さんにお礼を言う。 私を父と母の元に送ってくれて有難う、と。 私にはもったいない夫を与えてくれて、有難う。 美しい双子を与えてくれて有難うと。 食べるのに困らないで何とか生きていかれる環境においてくれて有難う。 雨露をしのげる屋根のついた家に住めることに感謝。 周りで体を壊している人が多いのに、一応、今の所、健康であることに感謝。 目が見えること、耳が聞こえること、両手両足があること、喋れることに感謝。 昼は、Taxの仕事場の人たちが誕生会を開いてくれる、という。 夜は、夫と子供たちがご飯を作ってくれるという。 今日は朝から雷雨。  庭と、庭の家庭菜園も人の力を借りて、だいぶ完成。 昨日は豆や大根の種を植えた。 よし! 更年期になると骨がもろくなるから、今日は、植木の植え替えという重労働を朝にして、骨を強くしよう。 重力に逆らう動きが骨にいいんだよね。  歳をとるけど、どんどん体を動かして、健康でありつづけたいも

No. 131 Me and God

今日は、母の日。  でも、まったく関係のない内容を書く。 それも、短く。 明日は月曜日で早く起きなければならないので。 ********* Taxの仕事は、クライアントのサインをもらう書類がやたら多い。 夫婦合算というか、夫婦で一緒にTaxをファイルする場合は、夫婦二人のサインが書類に必要である。  でも、往々にして、夫か妻のどちらかが、一人できて、あとでもう片方のサインをもらうことがある。 オフィスに来てもらうか、持ち帰ってサインをもらって、また戻ってきてもらうか、ということだ。 リタイアした70歳代のご婦人がTaxをしにきた。 対応してあげた。 普通はクライアントのことは公にしないのだが、このご夫婦は、リタイアメントとソーシャルセキュリティーの収入でほそぼそと暮らしている。 でも、教会への献金はしっかり10%されていた、と思う。 それでも、明るい奥さんである。 そして、言うのである。 「明日、股関節手術をするのよ。」と。 多少のリファンドがあって、$100ちょっとの費用で終わった。 そして、書類を盛って帰ってもらって、旦那さんのサインをもらって、旦那さんにもってきてくださいね、と融通を利かせた。 本当は、夫婦一緒にサインするまで、ファイルできないんだけど、私は多少、ルールから外れても、やっちゃう。 本当はいけないんだけどね。 さて、暫くしても、サインした書類が届かない。 旦那さんももってこない。 たぶん、術後で大変なんだろうなぁ、と思った。 電話したら、いなくて、留守電に。 そして、電話がかかってきた。 明るい奥さんの声。 手術のあとは、大丈夫だったみたい。 話の内容を聞くと、旦那さんの奥さんの世話で忙しいみたい。 ということで、普通はしないんだけど、「伺いましょうか?」といったら、「それは、助かるわ!」と嬉しそうに言うので、子供を迎えにいったあと、その足で向かった。 オフィスのそば。 家の前に車を止めた。 小さな家。 ほそぼそと老後を二人で過ごしているみたい。 気づいた旦那さんが外に出てきた。 家にはいりますか? と聞かれたけど、術後の奥さんは動こうとするだろうから、遠慮した。 車のボンネットの上でサインをもらった。 そして、オフィスから盗んできた袋一杯のスナックを渡した。 なんでそうしたかは、分からない。 ただ、奥さんの明るい声を聞いたからかもしれない。 旦

No. 130 死ぬんじゃねぇ!バカヤロー!!

オクラホマにいる癌と闘病中の親戚のところで週末食事作りにいって、帰ってきたら、忌野清志朗=キヨシローが亡くなっていた・・・。 泉谷しげるの口調で言う。 キヨシロー、死ぬんじゃねぇ! バカヤロー!!! ニュースの人が言うように、確かにキヨシローは、日本のロックを代表していたと思う。 早すぎるよなぁ、死ぬの。 たくろうも体調わるいらしいし。 泉谷、中井戸さん、教授・・・と、あの時代の人たちがなんと50歳代後半から60歳になっている、ということに驚きである。 自分も歳を取った、ということだ。 オクラホマの親戚も、大腸がんの手術をして、家に戻って一週間後、出血して、ICU。 死に掛かった。 また家に戻ったあと、食事を作りにいったんだが、今度は感染症をおこして、病院へ。 一週間後のこの金曜日に退院したばかり。 そこに、また食事つくりをしにいった。 小腸から大腸に行く場所から管を通して、腸内のものを小さいバッグに行くようにする。 一般的にストマっていうんだけど。 感染しやすいらしい。 それに、しょっちゅう交換しなければならない。 奥さんは夜中に少なくとも2回は起きて、交換する、ということである。 昼間ならなおさら。 食事をつくるほうとしても、植物繊維は腸が詰まって危ない、ということで、避けなければいけない。 普段は、大腸をきれいにするために、繊維をとろう、というのが常套文句である。 それが出来ない。 そういった食事を作るのが意外と難しい。 術後の傷の回復と体力回復のため、たんぱく質をなるべくとってもらうようにする。 こちらのほうは、まだ、簡単。 どういう野菜をどうやって調理するかがチャレンジだった。 同じ時期、93歳のじいさんも心臓発作おこして、病院に運ばれたけど、マイルドだったらしい。 家に昨日帰ってきた。 93歳で心臓発作起こしたほうが、67歳で大腸がんの手術をした人より、回復が早い。  それほど、中期の癌でも、治療の過程は大変である。 ほんとうに。 小腸は癌にならないから、胃と大腸の癌だけにはなりたくないなぁ・・・。 本当に大変だから。 看病する家族も大変。 人間関係もギクシャクしてくるしね。 帰り道3時間、運転しながら思った。 この夫婦が神さんを知っていたら、もっともっと心が楽かもしれないのに、と。  本当だよ。 宗教することはどうでもいいのよ。 何をしようと、何を行お

No. 129 旦那の家族のちょっと不思議な出来事

 3日前の火曜日の早朝、メキシコに出張に行こうとしていた旦那に電話があった。じじばばの家からであった。  じいちゃん(旦那のお父さん)、心臓発作起こして病院にいる、だと。  私も飛び起きて、急いで、フライトをオンラインでとってあげた。  旦那は、その日の10時前には、現地に到着していた。 月曜日、じいちゃん、震えて、がたがたしたそうだ。 熱があるから、肺炎かという見方があったのだが、入院した病院の医者が言うには、軽い心臓発作だったそうだ。    でも、今は、じいちゃんは、普通にしていて、数日後には家に戻ってくるそうだ。 今日、旦那を空港まで迎えにいって、実際どのようにして起こったのかを聞いた。  月曜日の朝のこと。月曜日はばあちゃんは、地元の老人会でビンゴをしに行く日であった。 友達が10時に迎えにいくよ、と電話をくれたらしい。いつもなら、迎えに来てもらうそうだ。   しかし、理由もなく、その日は、お迎えを断ったらしい。 ばあちゃんも何故だかはわからないそうだ。    -ところで、ばあちゃん、今年95歳になるんだが、未だに車を運転している。   朝食を済ませ、じいちゃんは居間の定位置のカウチにいたそうだ。10時近くなったので、ばあちゃん、ビンゴに出かける準備をした。そうしたら、じいちゃんが、気分が悪い。救急車を呼べ、と言ったそうだ。   旦那の弟は近くのオフィスにいた。 ばあちゃん、弟に電話して、弟は、救急車を呼んだ。 そして、家に駆けつけてきた。 そのあと一日様子を見た。そして、朝方の5時ごろ、また心臓発作を起こした、ということだ。  そこで、旦那に電話がかかってきた火曜日の朝。 旦那が駆けつけたときは、多少病人のような様相をしていたらしいが、暫くして、顔色も良くなってきた。  昨日は、座って食事をして、いつもと変わらない爺さんだということだ。 家にはこの週末あたりもどるだろう。  もし、ばあちゃんが「いってくるねー!」とお迎えの車に乗って、ビンゴに行ってしまっていたら、じいちゃん、危なかっただろう。  なんで、ばあちゃん、お迎えの車を断ったんだろう。ばあちゃんにも理由がわからないらしい・・・・。   実は、じいちゃん側では、似たような話がもう一つある。 じいちゃんが子供だったとき。 1915年生まれだから、第一次世界大戦中か、第二次世界大

No. 128 Swine Flu (豚インフルエンザ)

大変御無沙汰してます。 4月15日がアメリカの個人のTaxの締め切りでしたが、残務処理(他の人たちの)をやったので、21日で仕事納めとしました。 あとは、夏にアドバンスのTaxコースをまたとることになりますです。   *********   さて、巷では、豚インフルエンザのことが騒がれている。 今日(4月29日)の速報で、同じ学区の小学校で豚インフルエンザの発症があった、という連絡が来た。うちから、20分くらい離れている小学校である。 なので、今は、さほど気にならない。 しかし、それも時間の問題か?   日本では、ゴールデンウィークの直前に、豚インフルエンザの注意報が出たので、海外旅行を中止する人が増えた。更に、成田空港など、北米から来た飛行機は機内で検閲を始めている。到着しても、機内で2時間も待たされるらしい。 水際で止めようというプロアクティブな方針である。 日本にいる人たちは、戦々恐々としているのだろう。  ・・・と、他人事の様に、のんびり構えて書いている。    実は、2003年の春に、SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)がアジアで蔓延したとき、シンガポールにいた。 発症者数が206人、死亡者32人であった。    中国政府がSARS患者発症のことを隠蔽していた時期、旦那は北京に出張していた。私も騒ぎの直前に香港にいって、シンガポールにSARSウィルスをもってくるきっかけっとなったホテルに泊まろうと思っていた。 安かったから。 でも、直前に旦那の薦める九龍のホテルに変更。 あのまま、泊まっていたら、そして、保菌者と同じエレベータに乗っていたら、私は死んでいた?   まあ、ともかく、今回の豚インフルエンザの騒ぎは2回目。 なので、ああ、またかぁ、と思う。  しかし、子供たちには、外から帰ったら、手を洗うように厳しく言っている。  明日からは、学校のあと、校庭で遊ばせるのはやめることにしよう。今回は、どうやらメキシコにあるアメリカの養豚工場が発生源みたいである。大量の豚が飼われているのであろう。 その地域のそばに住む子供がどうやら第一感染者らしい。 そのあと、春休みにイースターで人の行き来があり、メキシコ市に広がり、アメリカはじめ海外に広がっている。 (イースターはメキシコではSemana

No. 127 呪縛の国、日本:カーネルの呪い

今日本では、というか大阪道頓堀川では、23年前に川に投げ込まれた。ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダース像について大騒ぎしているらしい。 報道のヘリコプターまで出動したってんだから。 おまけに、朝日新聞まで、連続して、記事載せている。 http://www.asahi.com/national/update/0310/OSK200903100056.html トラファンにとっては、拝む対象なんだろうなぁ。 ケンタッキーフライドチキンの店頭に戻っても、そこでは、神社、祭壇が出来るに違いない。 旧約聖書で、モーゼが40日間、シナイ山にこもって神さんと会っていたときに、イスラエルの民は待ちきれずに、金をかき集めて、子牛の像を作って拝んでしまった。 これは、神さんの逆鱗に触れた。 この出来事を思い出してしまった。 十戒では、偶像崇拝はいかんと神さんは言っている。 もし、偶像崇拝をしたら、結果は死が待っている。  日本、なんでも拝んでしまう、呪縛の国。  自分を「神」と偽って、100万円しぼりとった輩のニュースもある。  おいおい、反対だよ。 収入のたった10%を神さんに捧げるだけで、100万円どころではない、心の平安と神さんからの祝福がくるのが、本当の神さん。 十戒に、神の名前をみだりに使うな、というけど、確かにそうだ。 そんな時、桜島が噴火。 http://www.asahi.com/video/news/TKY200903100244.html この記事の題名が「爆発的に噴火・・・」とあるが、噴火って爆発的だと思っていたのは、私だけだろうか。 大丈夫か、日本。 これから天変地異が起こるんじゃないか? 神さんが怒ると、火と地震が来る。 低俗な霊に蝕まれた日本。 ソドムとゴモラか。 地の果てまで落ちてしまうのか? それをよそにして、私はインフルエンザのためダウン。 そして、このあと恒例のじじばばのところに一週間行って来る。 あかしや

No. 126 春来る、でもばかちんは・・・

ダラスには春が来た。 なんでわかるかというと・・・庭に雑草が急に生え始めたから。 今日は、久々に仕事を休んだ。 だからというわけではないが、雑草を少し抜いた。 昨年、収穫に預かったオクラの枯れ木も抜いた。 正露丸くらいの大きさの種から、直径3cm以上の木(?)になるのである。 抜くと、根が大きい。 こんな小さな種から、こんな大きな木を作ること自体、神業である。  今年は不景気で、TaxのClientの数も去年に比べて減っている。 でも、私にはTargetがあって、その数をこなさなければならない。 ここのところ、忙しくて祈りと感謝をないがしろにしていた。  雑草を抜きながら、オクラの木を抜きながら、改めて神さんに感謝する。 そうそう、仕事も神さんに捧げるという気持ちでやっているんだが、この一週間、その意識がどっかいってしまった。 焦っていたのか? なので、明日から、また、このお仕事は神さんに捧げるもの、Clientを通して、伝道すること、マラキ3:10の目撃者になること、と心に言い聞かせて、新たにやってみよう。 仕事はときにこういったブレークが必要である。 神様に立ち返るブレークが。 ・・・と、ばかちゃんは、このところ、太り気味。 私は、子供を送ったあと、その足で、仕事場に向かってしまうので、お散歩していない。 いつも、寂しそうな顔をして、私を送り出してくれるばかちん。 今日は、久々に、お散歩につれていった。 鼻をピィーと鳴らして、喜んでいた。 しかし、ばかちん、数日前、息子の聖書をかじって食べてしまった。 ああ・・・、ばかちん・・・・・。 久々の休暇。 今日は、これから、韓国風の銭湯にいって、大きな湯船に使ってきますだ。 極楽、極楽。 たのしみである。 あかしや番頭

No. 125 I am worth for it. (わたしゃ、値打ちがあるんやで!)

今日、教会のあと、30マイル以上(48キロ以上)運転して、McKinneyという町に行った。 スキー一式を買いに行った。 なんでまた、そんな遠くまで、というのは、新聞に「50%オフ」のセールを見つけたからである。 広告にはクーポンがついているので、それを切り取って、もって行った。 スキーは、ブーツが一番大切である。 なので、ブーツ売り場にいった。 初老の男性が他のお客に対応していたので、他の人を呼んでくれた。 そのお兄ちゃんと話して、半額クーポンで、一番高いのを半額にして、スキー用品一式を$400でそろえられるか?と聞いたら、出来るということで、「じゃあ、あんたにまかせるさ。」と頼んだ。 10分もしないうちに、スキー用品一式、つまり、スキーブーツ、スキー、バインディング、ストックを一揃えた。 現金は$300だけ下ろしてきたので、残りは、家計のチェックを借りて、支払った。 買った一式のうち、知っているメーカーはバインディングのロシニョールだけ。 後は、よく知らん。 ブーツは、履いた感覚がよかったイタリア製のものにした。 いい加減な買い方だったけど、疲れている上に、30マイル以上も走ったので、もう、これは、店員に任せようと言うことにした。 以前のBlogにも書いたけど、今を去ること30年前の短大時代、私は横浜のYMCAで子供たちにスキーを教えるスキーリーダーだった。 学生だったから、高いスキーセットには手が出なかった。 なので、いつもレンタル。 でも、就職が内定しそうなある秋に、横浜ジョイナスのスポーツ用品店に行って、スキー一式を取り揃えた。 そのときは、ノルディカ(Nordica)の女性レーサー用のスキーブーツ、7万円。 一番上のモデルだった。 スキーは、Olin Mark III 175cmの溝なしスキー。 これも、7万円はしたと思う。 バインディングは、ソロモンの結構良いやつ。 ということで、何だかんだいって、20万円近かった。 1980年のことだから、大金であった。 これは、就職をする、という先払いローンを組んでもらった。 その為に、私は就職したようなもんであった。 それまでは、就職も真剣に考えなかった。 ともかく、当時は、急斜面に命を賭けていたし、その後の数年は、毎週末には、五龍遠見にいって、山小屋の屋根裏に寝泊りして、スキー三昧の冬だった。 だから、良いスキ

No. 124 ぷっぷちゃんのこと

相変わらず、忙しい毎日である。 朝は、柄にもなく化粧をして、きちんとした格好して、子供を学校に連れて行ったあと、仕事へ。 Taxもシーズンたけなわである。 そんななかで、2ヶ月間、出張のなかった夫の出張が始まった。 そんな矢先、夫と喧嘩。 子供のいる夕飯の席で。 ぷっぷちゃんをどうするか、ということで。 ぷっぷちゃんは、14歳になるラブラドールとシェパードの雑種。 ばかちんは、まだ2歳で、ぷっぷちゃんは、ばかちんとは違う、もう一匹の犬である。私たち夫婦の長女である。 日本の感覚だと大型犬になるのだろうか。30キロ以上はあった。   犬の14歳は、人間で言えば90歳を超えている。 なので、このところ、老化現象著しい。 目もあまりみえないらしいし、耳も聞こえないようだ。 歩くのもおぼつかなくなってきた。 庭にだすと、人事不詳って感じで、立ち尽くしている。 家の中でも、よろよろして、ご飯や、水の入れ物をころがしてしまったり、家の中でそそうをしてしまうようになった。 旦那は、それをみて、「Put to sleep」つまり、「安楽死」を考えねばいけないと私にほのめかしていた。 でも、私は、怖いのか、よくわからないが、神様から頂いた命は、人間が勝手に絶ってしまってはいけないのでは、と思う。  旦那は、「じゃあ、何を期待しているんだ、ぷっぷちゃんに!」と怒り始めた。 私は、「自然のなすがままに!」 でも、結局、「殺すことはできない!」と泣いてしまった。 それを見ていた息子も涙ぐんでいた。 娘は・・・・平然としていた。(先が怖いぞ。) 人間も犬も年をとり、最期がちかくなると、汚くなり、見ているほうもつらくなる。 私は、旦那は、見ているのがつらいのだと思う。 だから、アメリカでは、犬の安楽死は常識のようになっている。  でも、ぷっぷちゃんは、どこが痛いというわけでもない。 ただ、ただ、召される日に向かって下降線をたどっているに過ぎない。 こけて、自分のしたうんちの中に転がってしまうこともある。 家の中におしっこをしてしまい、家に帰ると家がおしっこ臭くなってきた。 でも、それは、掃除をすればよい。 だから、ぷっぷちゃんには、「いいよ、うんちも、おしっこもして、いいんだよ。」と言ってあげる。 人間をはじめ、生き物が神様のおうちに帰る過程というのは、ごく自然なことで、赤ちゃんが大きくなる過

No. 123  憑いている?

インフルエンザが流行っているダラス地域である。 毎日、4-5組のクライアントに接する私は、しっかりと風邪を引いている。 おまけに、週一回しか休まないで、仕事のピークを向かえ、くたくたのくたさんである。 今日の日曜日は仕事を入れなかった。 でも、昼少し前から、属しているある団体の新年会というか、年次Meetingに出かけた。 カントリークラブのクラブハウスでそのMeetingは行われた。 会議が始まる前に、トイレに向かった。 一年前、仕事が忙しく、水も飲まなかったので脱水症状を起こした。 それ以来、水分は常に取るようにしているので、トイレも近い。 なので、40分も運転したので、自然が呼んだのである。 トイレの前で、アメリカ人の小柄な男性の老人と目があった。 なので、にこっとしてあげた。 その杖をついた老人は私にこういった。 「笑顔がいいねぇ。 あなたには、エンジェルがついているよ。」 その老人は、もう一回、私に天使がついている、と言った。 なので、私は、「はい。 神様はいつも私のそばにいます。」 2年前の12月、母の遺品を片付けに日本に戻ったときのこと。 渋谷のとある事務所でで用を済ませて、JRの駅の改札に向かっているときだった。 母の聖書数冊、聖書解説書数冊をダンボールに入れて、カートに乗せて、人通り激しい渋谷駅の外郭を足早に歩いていた。  その時である。 一人の女性に声を掛けられた。 「あの・・・すみません。」と。 その人は私を見て、「やはり」と言う。  ???? 今となっては、その人が何をいったのか覚えていないが、たぶん、何か素晴らしいものが憑いているといったような気がする。 そして、「お待ち下さい。」と言われた。 ちんぷんかんぷんのまま、その人と話していると、その人が、「先生、このかたが・・・」と他の女性を呼び止めた。  その先生と呼ばれた人が私のところに来て、「ああーーー」と頷く。  なんだよ、変な顔してるっていいたいのかよ? そこから、その女性は、私が海外に住んでいること、母方と父方の家系をよく受け継いでいること、でも母親の家系のほうが強いということ、そして、私の生まれに家族関係とその現在までも言い当てていた。 そして、「ものすごいものをもっている。 あなたは、「時の人」です。」、とも言った。 「そんなん、時の人なんて、テレビに出ている人や、有名人で沢山い

No. 122 仕事のピークが始まったで

うー、さむっ。 ダラスは今日も冷える。 おまけに、私は風邪をひきつつあって、はなみずじゅるじゅる、咳少々、頭痛少々。 今、お茶をすすりながら、書いている如月のおついたちの夜である。 一月下旬は、雇用主が従業員にW-2という、昨年の所得と所得税、日本の厚生年金と国民保険のようなものの保険金を給料から払ったで、という書類を発行する時期である。  ちなみに、アメリカには、日本のような国が行う「厚生年金」と「国民保険」のようなものは、ない。 年金は、各会社で。 やらない会社もある。 国民保険は存在せず、老人保険と低所得者保険はある。 アメリカは、一応、先進国なのだが、ヨーロッパと日本が享受している国民皆保険、年金というものがないのである。 自分の健康も老後も金次第、というのである。 この現実を知ったとき、ほんまに、怖い国や、と思ったものである。 日本では、所得税は、給料からの源泉徴収なので、扶養家族のことを一寸かくくらいで、税金に対して国民がすることってあまりない。 私のように、いくら税金を納めているのかも無関心である。  一度、計算したら、なんだかんだ30%とられていた。 信じられず、忘れることにした。 でも、今、思うと、日本だって、税金は高いと思う。 しかし、アメリカでは、支払う税金の帳尻あわせは、Tax Filingを各自がするのである。 従って、自分がどのくらい税金を払ったか、というのは、分かる。 特に、自営業を始めて、初めてTax Filingをするときは、それまで何もしないでいると、10万円、20万円、時には100万円という税金を納めなければならないことに愕然とする。 雇用主がいないから、税金が源泉徴収されていなかったためである。 一般の人で、人様に雇ってもらっている身分の人たちは、雇用主からW-2が発行される。 従業員は、源泉徴収されている。 Tax Filingのときにいろいろ計算して、源泉徴収される金額が、おさめるべき税金を上回っていれば、税金の払い込みすぎということで、税金の還付がある。 つまり、税金がもどってくる。 なので、Tax Returnというのである。 でも、常に、Returnではなく、Balance Dueが生じることもある。 なので、私は、Tax Filingということにしている。 その税金の還付は、時に、大きく、時にあまり大きくない。 年

No. 121  「神さん、助けてね」

遅ればせながら、2009年、無事に迎えられたことを感謝します。 これを読んでくださるあなたも、無事に何とか2009年を迎えられたので、一緒に喜んじゃいましょう。 Tax Seasonが始まり、忙しい毎日である。 クリスマスカード、年賀状も書いていない。 返信も出していない。 そんな状態なので、これは、短く。 今日は、1月20日の火曜日。 アメリカ、新大統領の就任式があった。 こんな寒いワシントンDCに150万人以上の人が、歴史的な就任式を見ようと、参加していた。 寒くて、トイレ、どうしたんだろうか。 もらす人もいるんだろうけど、凍ってしまうんじゃないか、と勝手に心配しながら、テレビを見ていた。 他の用をしながら、半分は聞いていたので、のめりこんで見ていた訳ではない。  オバマ大統領の演説は、彼が2年前に出馬を決めたときの方針と一致していて、悪くない演説だった、という批評があった。 彼は、虹色の未来のことは約束せず、国民の犠牲、自己責任を訴えていた。 内容としては、レベルが高かったが、果たして、全員が理解できたかどうかは、少し疑問であった。 それにしても、このスピーチライターは若干26歳の青年だということ。 今までとは違った、新鮮さのあるスピーチである。 最高裁の裁判官の前で、オバマ大統領は宣誓をした。 この宣誓の言葉の最後は、常に、「So, Help me, God」なのである。 つまり、『神さん、助けてね!」なのである。  大統領就任宣誓だけでなく、国家に対しての、宣誓の〆は、「So, Help me, God」=『神さん、助けてね!』である。  アメリカという大国の長に経つ、大統領が、助けを求める、というのは、何故かアンバランスな感じがしないでもない。 また、選りすぐったブレーンを抱えて、国事をこなしていくのだから、そこで、他力本願になる、というのも、「おいおい、だいじょうぶかえ?」とつんのめるかもしれない。 しかし、アメリカの歴史で、代々の大統領は、『助けてチョ』を繰り返してきたのである。  アメリカは、宗教の自由はあるが、やはり、われわれの神さんの元に出来た国なんであろう。 そこのところ、ダビデが極めたイスラエル王国と同じである。 一応、アメリカでは、有名(らしい) Rick Wallen牧師が就任式の冒頭で祈りを捧げた。 彼は、この国の悔い改めと隣人の許し