投稿

9月, 2009の投稿を表示しています

No. 138 亡くなった人の為に祈る

日曜日の朝だったのだろう。 父の夢を見た。 どこからか苦しい声が聞こえてきて、それがだんだん近くなった。 吐いている苦しみの声であった。 私たちの寝室に来たのは、一回り小さくなって、白くなっている父であった。 父は、またすぐに苦しくなって、トイレのほうに行った。 そんな夢であった。 実は、一年ほど前にも、寝ているとき、父の声が聞こえてきて、「苦しいんだ。」と言っていた。 夢を見た後、暫くして起きたと思う。 そして、神さんに祈った。 神様、人間が死んだあとのことは、私にはわからない。 天国と地獄以外に他のところがあるのかも、聖書には書いていないから、私にはわからない。 だから、あなたにお願いします。 父を楽にしてあげてください。 母と同じ天国に連れて行ってください、と。 神さんは、パタリロ牧師を通じて、「おまえの愛する者は、私のそばにいる。」と言ってくれたので、母は神の御国にいる。 しかし、父は今、どこにいるのだろうか? 父の死後、父がうらめしそうな顔をして、枕元に立っていたのを見た、という親族もいる。  父はどこにいるのだろうか? ****** 私の父は、アル中で、いろいろあった。 私も結構いやな思いをして育った。 詳しくは、3年前に書いたBlog 「父の日」  を読んでもらえれば、結構具体的に書いてしまったからわかるだろう。 素直に、愛しているという対象ではなかった。 でも、今は、感謝の対象である。 教会の礼拝のあとの祈りの時間で、父のことを祈り始めたら、涙がどっと出そうになった。  父を助けてあげたい、という気持ちが沸いてきてしょうがなかった。 だから、心に誓った。 これから毎日、しつこく、神さんに頼もうと。 父を良いところに移して欲しいと。 父の苦しみを取り去ってほしいと。 私たちが死んだ先は、神さんの領域である。  「私たちクリスチャンは天国にいかれるのよ。 でも、信じない人は、地獄行きだわ。」 と、のどもとまで出掛かっているクリスチャンと呼ばれる人は多いだろう。 私は、人が死んだあとは、天国と地獄しかない、というのは、まだ、わからない。 単に聖書を全部読んでいないからかもしれない。 でも、父のためには、その中間点があってほしい、と思うことがある。  これは、単なる一個人の勝手な願いである。 日本の実家では、何回か家庭集会があった。 退職したあとの父はそれを

No. 137  癒しは私にも起こってしまった

とんでもないことが起こった。 「癒し」を体験してしまったのである。 先週の土曜日と日曜日はうちの教会の修養会、つまりリトリートであった。 宿泊施設に泊まり、ゲストスピーカーを呼び、メッセージをしてもらったり、祈りの時間を長く持ったり、そして、バーベキューもしたのである。 ゲストスピーカーは、Carrolltonという町にある Covenant Church のYouth Pastor, Joel Scrivner氏が来てくれた。 テコンドーのチャンピオンにもなった人である。  アメリカでもキリスト教では、福音派、ペンテコステ派、メソジスト、バプティスト、と色々なDenominationがある。 いわゆる派閥みたいなのであろうか? そして、ペンテコステ系の教会は、異言(意味のわからない言葉を祈りのときに発する)や、奇跡、癒しという、日常から少し離れたことを信じる傾向がある、ということで、保守的なバプティストや、福音派からは、白い目で見られている、らしい。 うちの教会は、どちらかというとペンテコステ派であろう。 しかし、そういった超自然現象というか、スピリチュアルなことばかりを中心にしているわけではなく、聖書をしっかりと読み、勉強するという福音派が喜ぶこともしっかりしている。  まあ、私に言わせれば、聖書に書いてあることを、都合の良いところばかり、自分の都合に合わせるということよりも、まるごとそのまんま信じるべきなので、癒しも超自然現象もOKと思っている。 でも、バプティストや福音派は、自分たちでそういったことを経験していないのであろうか、「そういったことは、現代では起こらない」と一掃している。 うーん。 でもねぇ、イエス兄さん、ものすごい数の人間を癒しているんだよねぇ。 死からもよみがえっちゃったし。 パウロだって、牢屋にぶち込まれたとき、地震が起こって、足かせはとれちゃうわ、牢屋は開いてしまうわ、ってことが起こったし。 死んだ人も生き返ることもあった。 そういうことが書かれているのが、聖書なんだけど。 それも、多くの箇所がある。 そういった部分を無視したら、聖書の半分くらいは、破り捨てなければいけないんじゃないだろうか。 さて、そのJoel牧師は、何でそういう意見の違いが起きるのかを簡単に説明してくれた。 それは、次回に述べる。 なるほどーと思った。 この書き込みの

No. 136  後悔しない "I love you"

洋画(死語か?)やアメリカからのドラマを見ると、よくもまあ、「I love you.」を連発している。   日本では、そんなこと言わないだろうなぁ。 そんなこといったら、虫唾(むしず)がはしる、というか照れくさいというか。それだけ、日本人にとっては、「愛している」「I love you.」という表現とは距離がある。 というか、こういう表現は、日本の文化にはないのだろう。    では、日本の愛情表現は、態度で示す、その人の為に尽くす、という行動なのだろう。言葉では、「好きだよ。」とか、「大切だよ。」なんだろう。   今日は、2009年9月11日。 New Yorkの同時テロから8年たった。 子供を学校に送ったあと、車の中でNPR (National Public Radio)をいつものように聞いていた。東海岸時間の8時40分過ぎ、テキサス時間の7時40分過ぎに、一人の男性が話している録音が流れてきた。   その人の息子は、New Yorkの消防士で、テロ事件で若くして亡くなった。 New York World Trading Centerの一つのビルに飛行機が突っ込んだのが、この朝8時40分過ぎであった。 その男性は、イタリア系の苗字であった。 New Yorkはイタリア系がとても多い。 私がNew Yorkに住んでいたころ、Little Italy はChineseに押されて、かなりの小規模になってしまっていた。 しかし、イタリア系も4世5世の世代となり、アメリカ経済・文化の一貫となっている。 民主党のSpeakerという重要なポストは、Nancy Pelosi. 苗字からして、イタリア系である。 政府の確かAttoney General(司法長官)の女性も、苗字は、Napoletano. イタリア系。   さて、話題を本題にもどしてっと。  学校から家への短い距離であるが、ラジオから流れる、そのイタリア系の苗字の男性のナレーションに聞き入った。 息子の一人が警官になり、そのあと消防士になり・・・という生い立ち。 そして、いつも仕事にでるときは、息子と父の間の会話は、「I love you.」であった。   2001年9月11日の前日。 夕方の出勤に向かう息子は、父親に「I love you.」と言って、家を出た。 翌朝、息子は父に電話し、テロ事件が起こっ

No. 135 尻拭いしてくれた神さん

夏休みが終わり、子供たちの学校が始まった。 旦那と子供の為に朝食と弁当作り。 さらに、学校のあとのスナックに、夕食の弁当つくりも週一回となった。  子供たちがある武道を始め、それが週三回。 他にもサッカーとピアノがあるので、私はとたんに忙しくなる。 以前、そんなことしている友人を見て、あれまー、と思っていたけど、今度は自分がその立場。 あれま~。 そんな忙しい日々である。 土方もだいぶめどがついてきて、あと1-2プロジェクトで終わる。 その後は、家の片付けに税制の勉強である。 なかなかここに書き込めないが、短いのを単発でやっていこうか、と思う。 ************* 昨年の秋は、税制の勉強のコースをやたら取りすぎて、自分の首を自分で絞めてしまっていた。 勉強して、コースの試験にパスすると、時間が加算されて、それによって、Certificationと言って、格付けが決まる。 格付けが上がればあがるほど、一つあたりの仕事の単価があがり、収入があがる。 しかし、今思うと、焦りすぎた。 そんな忙しい昨年の秋のこと。 近所の人で知り合ったイエス営業部の人。 タイ人である。 その人は、近所の家で平日は住み込みで子供の面倒と家政婦をしている。 長い話を短くすると、私は頼まれて、その家で祈った。 やはり、感じる変なものがあり、幻も見えた。 子供が悲しんでいること。 別れた奥さんのこと。 いろいろある家庭。 子供の部屋で祈ったあと、うしろから何か迫ってきて、翌日から背中が痛くなった。 これは、日曜日の礼拝のあとに祈ってもらった。 そういった場所で祈ると、時に「やられる」ことがある。 そんなかんやで、そのタイ人の彼女、何かと電話してくる。 そして、一緒に祈っていた。 明日試験、という日で勉強中にも電話がかかってきた。 子供たちがオカルトか、暴力的なビデオばかりみていて・・・という相談だった。 彼女は、もうこんな家にはいたくない。 辞める、といい始めた。 しかし、私は善人ではない。 今は勉強中で手が離せないから、後で祈っていてあげる、と。 ただ、神さんは、あなたをこの家に送ったんだよ、とは、言ったが、辞めたいと決めたのなら、辞めたらどうですか。 そこまで自分を犠牲にすることはないでしょう。 とも言った。 それから一年近く経った。  ある暑い夏の夜。 ばかちんの散歩に出た。 ふと、彼