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No. 165 勇気づけられること

ちょーー忙しくて、体力気力的にもばて気味のこのごろ。 仕事にも文句を言いそうになったり、ネガティブな発言が増えきそうな傾向にあるこの頃。 そんな時、鼓舞されることがある。 それは・・・・・ KISS 行為のKissではなく、Rock BandのKISS。 この土曜日に、息子のサッカーチームのファンドレージングのために、この地域にあるPizza Hut Stadiumに行った。 KISSのコンサートがあったのだが、そこで、ジュース、ビール、スナックを売るスタンドで売り子+準備係り+掃除のおばさんをしていた。 終わったのが夜中の12時過ぎで、体にこたえたけど。 そのKISSであるが、リーダーはGene Simmons。巷で言われているのは、4700人以上の女性と関係した、ということである。 4700人を365で割ったら、約13。 つまり、毎日一人の女性を相手にしても、13年かかる、という計算である。 しかし、確率からいって、変な病気をもらう可能性が高くなるけど、いまだに生きているGene Simmons。  別に、関係した女性の数を肯定するつもりもなく、否定するつもりもなく、また、クリスチャンの人はそういうことを真っ向から否定するでしょ、というステレオタイプに従うことも考えず、ただただ、数の計算をしただけなんだけど、いや~、大変なことだ、これは、もし本当だったら・・・・。 と、そんなことはどうでもいいことである。 KISSって、私が十代のころから活躍していた。 ということは、老舗のRolling Stoneの一世代後のバンドだけど、メンバーってすごい歳なんだろう、と思う。 サーチしたら、Gene Simmonsは61歳であった。 仕事が一段落したとき、外にでて、コンサートをちょっと見た。(もちろんボランティアだから、入場料払っていないので、ただ。) ちょうど、Gene Simmonsが舌を出して、真っ赤な血のようなものを口からだしていたところ。 そのあと、彼は、ワイヤーで吊り上げられて、ライトがつる下がっている仮ステージの上で演奏した。 いや~、61歳になる親父がここまでするんだよね。 それに、演奏しっかりしていたし。 メンバーは4人になってしまっていたけど、皆デブっていない。 上半身裸のメンバーもいたけど、見る限り、おなかが出っ

No. 164 道端に立つ兄弟

あれは、夏ではなかったと思う。 ものすごく寒い冬でもなかったであろう。 秋だったのか、春だったのか。  父はまだ帰って来なかったある夜。 ふすまの向こうから母が、言う。 「T先生に電話して。」 黒い電話の受話器をとって、ダイアルを回した。 電話がつながったことをふすま越しに母に言うと、「先生に、こういって。 血を少し吐いたので、来てほしい、と。」 その通りに、電話の向こうのお医者さんに伝えると、先生は、 「すぐ行くから! XXちゃん、おうちがわからないから、○○通りのところまで出てきてくれないか?」 「はい。 わかりました。」 夜は暗かった。 一人で行くのが不安だったのか、弟を一人家の残すのが心配だったのか。弟の手を握り、夜人通りのない通りに出て、お医者さんを待った。 たった、一分もしない30メートルくらいの家の前の道を通りまで出た。  私はたぶん、9歳か10歳くらいだったろうか。 弟は6歳だったであろう。  どのくらい待ったのであろうか。 電燈があったにせよ、夜、人通りのないところに、ぽつんと二人立って待っていた。 しばらくして、白い軽自動車が勢いよく走ってきた。 私たちの前にきぃーっと止まり、先生がまどから顔をだして、「どっち?」 私は先生を先導して、家まで走った。 T先生は、家に駆け上がり、ふすまの向こうに行った。 ふすまの向こうには、両親の寝室で、母がそこに伏していた。  記憶にはないのだが、たぶん、部屋には入るな、といわれていたと思う。 母は、学校に帰ってきたあとから床に伏していたんだと思う。 (夕飯はちゃんと用意してくれたのだと思う。) お医者さんが、「洗面器を持ってきて。」というので、洗面器に新聞紙をひいて渡した。  しばらくして、母の苦しい咳とうめき声が聞こえてきた。 居間にいた私は弟の耳をふさいだ。 何度も何度も苦しそうな咳が聞こえてきた。 怖かったのか、心細かったのか、苦しい声を聞きたくなかったのだろう、私は弟の手を取って、玄関から外にでた。 二人で、星空の下にいた。 私は弟に、「二人で神様にお願いしよう。 ママを助けてください、って。」 弟は何もわからないようであったが、私は弟の手をとって、「神様、ママを助けて下さい。」とお願いした。 当時、私は神がどういう存在であることすら知らなか