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6月, 2010の投稿を表示しています

No. 162  断食終了とこれから

金曜日の夕方で、断食を終えた。 5日であった。 神さんにいつ食べていいか、と祈って聞いた。 子供にも祈ってもらい、頼んでもらった。 金曜日の夜、町でフェスティバルがあったので、いったのだが、そこで足がつった。 こむらがえりであった。 あー、これがサインか、と。 足がつるのは、体の中の電解質が足らなくなったからであろう。  フェスティバルの夜店は、ホットドックやら、レモネード、アイスクリーム、ファフィータ、ナチョといった類。 その中で、ギリシャ料理があった。 なすの揚げ物を頼んだのだが・・・これが・・・見かけほど、おいしくなかった。 そのあと、ファフィータも食べたんだけどまあまあ。 *********** 断食中、いや、その前からであろう。 どうやったら、昔の燃えるような信仰がもどるのだろうか、と考えていた。 そして、教えてください、と祈っていた。 私は神さんにかつおの一本釣りのごとく、ひきあげられたどうしようもない、人間であった。 そのきっかけは、母の受難と天国への道であった。 そのことは、ある事柄が落ち着いてから、じっくりここに書いていこうか、と思っていた。 現在進行形のものがあるから、まずいかもしれない、と躊躇があった。 でも、母のこと抜きにしては、私の神さんへの熱い思いは語れない。 今日の礼拝でも、同じ事をパタリロ牧師を通していわれた。 神さんへの熱い心があったときの自分の信仰を思い出せ、と。 そして、言葉に出して伝えよ、と。  どうやら、母のことをここに書いていくことになる。 あかしや

No. 161 断食祈祷 Day-2

今はDay-3の朝なんだけど、午前1時ごろまで仕事をしていた。 ああ、もう1時半である。 くそ熱いダラス。40度は超える気温。 そんなときに、私のホームオフィスのエアコンが壊れた。 熱い。 夜中を過ぎて、おなかがすいてきた。  今日は、ざくろジュースを飲んだ。 水も飲んだ。 うちの教会のWebsiteにTのお父さんと奥さんの仲むつまじい写真がある。 それをみていて、思わずまた祈った。  神さん、Tのお父さんを治してあげてください! お二人でまた仲良く一緒にバイブルスタディーのために車を走らせることができますように! Tのお父さんたち、健康保険をもっていない。 なので、病院の費用はものすごい。 すでに、$10,000はかかっている。 手術となると、もっとすごいだろう。 一千万いっちゃたりして。 でも、天のお父さんは、ものすごい金持ちだし、できないことはないんだから、入院費も面倒見てくれるに違いない。  お金はどうにでもなるんだ。 回復してもらって、またお二人のむつまじい姿を見るんだ。 断食祈祷続けます。 手を上げたい人はコメントください。 あかしや

No. 160 断食祈祷 Day 1 -その2

私の生ぬるい信仰のせいで、Tのお父さんが倒れた、と思う。  ばかばかしい、あまりにも日本人的な自己欺瞞的な発言だけど、そう思う。 私が倒れればいいものを、Tのお父さんが倒れてしまった。 身代わりに倒れてしまった。 イエス兄さんがそうだった。 私どもなんぞ、ありを踏み潰すくらいに簡単に根こそぎ絶つことができるのが神さん。 でも、もし、イエス兄さんがいなかったら、本当にどうなっていたんだろう。 2000年前の人類。 だから、今、祈る。 神さん、すんませんでした!と。 あまり祈れなかったこの春。 そして、だらけた信仰。 まず、神さんに謝ってからじゃないと、神さんだって、祈りなんて、聞いてくんないよ。 自分立場で考えてみればそうだよ。 助けたり、一生懸命愛したり、信じたんだけど、裏切られたり、そっぽ向かれたやつがいる。 でも、何かのときに、そのやつが、「だずげでぐで~」ときたとする。 どうするかね、そんとき? こんにゃろ~、今頃きやがって、というのが人間の反応である。 でも、そんとき、「あの時は、すまなかった!」と指をつめる覚悟できてくれれば、こちらとて、「う~む。 そうか、反省しとるか。 よし、ここは過去のこと水に流して、人肌ぬぐか。」となるのが人情である。 なんで、やくざの世界っぽくなってしまったのかわからんが。 なんで、人肌脱ぐのか?というのもよくわからんが。 肌脱いだら、いたいじゃないか! と、わき道にそれたが、まずは、神さんとわれらの間に通っている黄金の道においてあるうんちを拾わんといかんのである。 うんちとは、神さんの愛を無視したことである。 うんちとらないと、前に進めない。 神さんだって、うんちがいやだから、助けてくれない。 だから、神さんに謝る。 すみまへんでした、神さん。 私のいいかげんな信仰を許してください。 あかしや

No. 159 断食祈祷 Day 1

Mixi, Twitter, Facebookに載せた。 断食祈祷を今日から始めた。 T牧師の完全なる回復と、経済的にすべてが満たされるように。 24時間、水物しか取らない断食である。 脂肪の蓄積はある。・・・・と馬鹿なことをまた書いているが。 自分が好きなものを絶ち、祈るしかない。 賛美もしよう。 そして、熱い炎が神さんからまた私に送られることを。 一緒に断食できる方、祈れるかた、賛美できるかた、一緒にしよう。 いまや、こういったBlogへのコメントでもいいし、Twitter, Facebook, Mixiでも、コメント残して、一緒に祈れるではないか。  Akashiya Bantoまたは、Akashiyaで検索すれば、Twitter, Facebook, Mixiで私のHomeにいくはず。 こんな日に限って、Officeのあるはなれのほうのエアコンが壊れたようだ。 熱い部屋で今書いている。 でも、神さんにもっと熱い炎を送ってもらいたい。 コメントに何でも書いてほしい。 あなたの祈りでも、なんでも。 神さんに叫ぼう。 あかしや

No. 158 Send the fire! 熱い心を送ってください。

この春から感じていた。 でも口に出したくなかった。 認めたくなかった。 でも、私は初恋の心が薄れてきてしまっていた。  あの、切なく、激しく。 そして、一日中そのことを考えていた季節が遠くになりつつあった。 忙しい、という漢字は心が亡くなると書く。  神さんが仕事を与えてくれた。それは、ありがたい。 しかし、失ったものは、神さんに対する熱い思いであった。 でも、言葉に出していいたくなかった。 でも、ここで新たに言葉にして、現実の認識をしよう。 出会った頃の情熱は、いずれ冷めてしまうことがある。 結婚するとマンネリ夫婦になることがある。 それが私の現状である。 でも、神さんは炎の方だ。 私に対する愛は果てしなく大きい。 そして、神さんは私に対して、とても優しい。 たとえ、私の火が衰えても、神さんの火は強く、高く、激しく燃えているのだ。 そして、神さんはいう。  私は決してあなたを孤児にしない。  ヨハネ14:18 神さんの私たちへの熱い思いは永遠である。 いつもそばにいてくれるのである。 それを忘れちゃあ、いかんぜよ。 と、自分の戒めのために、これをかく。 もう夜中である。 

No. 157 食べ納め

今までは、断食する、と決めたその時点で断食を始めていた。 いつであろうと、何時であろうと。 しかし、なんであろうか、このだらけさは。 私が今晩したことは、食べ納め。 というのも、ビビンバ作りすぎたのと、昨日のケーキの残りがあったからである。  昨日、パナマに向かう親戚が飛行機の乗り継ぎのため、うちに一泊していた。 たまたま、お誕生日であったので、韓国系の本当においしいケーキを買ってきた。 また、イスラムのラマダン(秋の断食の月)の前の食事のようにがっついていた。 今まで、こんな気持ちになったことがなかったのだが・・・・。 本当にどうしようもない不信仰者である。 と、自分で自分をあきれ返っていたのだが、先ほど、パタリロ牧師から、Tのお父さん(牧師)が火曜日の朝にバイパス手術をする、と連絡がきた。 ほかの医者はRiskyだ、といっていたのだが、3rd Opinionだったのか。 やはり、それだけ緊急を要する容態なのだろう。 明日から24時間水しか飲まない断食をする。 自分をあきれる、なんて悠長なことやってられるか。  子供をつれてHoustonにいこうか、とも思ってはいたが、それより、今、私に求めらているのは、祈ることだ。 熱く祈らなければならぬ。  神さん、熱い思いをください! あかしや

NO. 156 命を懸けてきてくれた牧師

「Tのお父さん」と私が呼んでいる牧師が数日前に、心筋梗塞で倒れた。  うちの教会のHouston Branchに次の牧師が就任するまでの2年、ということで、日本から来てくださった。 私の両親より、2-3歳年が若い方であるが、昭和一桁生まれの江戸っ子。 「神様に仕えるために」とこんなに遠いテキサスまで来てくださった。 奥様も横浜に住んでいたということと、母に歳が近いので、お母さんと呼んでいた。 ふと、思ったのは、この方たちは、死のことも覚悟してこられているのではないか、と。 牧師夫妻の活動は、「これが70歳過ぎの人かよ?!」と驚くほど、あちらこちらにバイブルスタディーへ、長距離を走って、主催されてきた。 ヒューストンからサン・アントニオまで250キロ以上はあるだろう。 4時間はかかる。 そんなところまでいって、神さんのことを話しにいっていたのである。 コーパスクリスティーにも行かれていると思う。 昨年と今年には、立て続けに空き巣に入られた。 ご家族の方の術後の経過が悪いこともあった。 困難続きであった。 そこへ、今度は、心筋梗塞。 今日、車を運転していて、思った。 最近、私の中に、炎のような心はあるんだろうか、と。 そして、Tのお父さんが苦しんでいるのに、何もしなくていいのか、と。 そうだ。 断食だ。 お父さん苦しんでいるのに、こんなことしか出来ない。 でも、好きなものを経って、神さんにTのお父さんの全快を懇願するしかない。 今日、パタリロ先生から教会員全員にメールがきた。 12時間断食をして、T牧師の回復をいのろう、との旨。 やはり、そうか。 みんなで、好きなものをギブアップして、祈ることを神さん、望んでいるのだろうなぁ。 最近太っているから、ダイエットにいいや、という考えもよぎる。 あー、よこしまな考えで、現世的なこの私。 これじゃ、神さん、こけるだろう。 いや、こんな私のあほさはすでにご存知であろう。 命を懸けて、日本からアメリカまでスーツケースひとつで来られたT牧師夫妻。 その命は神さんにあづけられている。 だから、私たちも一緒に後押ししなきゃいかんね。 あかしや

NO. 155 新しくなる

このブログはGoogleを使っているんだけど、なんと、新しいデザインが追加された。 いろいろ選んだ結果、夏らしい、ってことで、ぶどうのバックグラウンドを使うことにした。 東京は大手町だったか? 『ぶどうの木』というケーキ屋さんがあったと思う。 ぶどうって聖書の中にたくさん出てくる。 地域柄、ぶどうが多く収穫できたんだろう。 ぶどうがたわわになっている様子は、神さんからの恵みを思わせるしね。  恵みと違ったぶどうの意味では、サムソンに言及できる。 サムソンはナジル人として生まれた。 ナジル人は、ぶどう畑に入ってはいけない。 髪の毛をそってはいけない。 死体に触れてはいけない、というおきてがある。 それをすべて破ったのがサムソン。 力持ちで、イスラエルの敵をことごとく打ち倒していった。 でも、女に弱かったから、ついに彼の弱みを妻に知らせることに。 妻は敵の手先であった。 結果、敵に捕らえられて、目玉を抉り取られてしまう。 でも、最後は宮殿の柱を二つ抱えて、根こそぎにして、宮殿をつぶし、多くの敵とともに、自決した、という人。 詳しくは、聖書を読むと面白い。 でも、何で、ぶどう畑にはいってはいかんのかねぇ。  イエス兄さんは、天に帰る前に、ぶどう酒は飲まない、という宣言をした。 アルコール中毒の人が「おりゃ~あしたっから酒はやめるだべぇ~」というのとは違うんだけど、なんでそういうことをいったのか?  う~む。 ぶどうには多くの意味があるようだ。 と話がそれたが、とどのつまり、ブログのデザインを新しくしましたよ、ってことだ。 家の中でも、新しくするところがある。 新しいというか、変えるといったほうがいいかも。 それは、自分のHome Office。  夏は、家で仕事をするので、機能的にならなきゃいかん。 現在は、ごみためのように、紙やら、税制の本、資料がちらかっている。 この夏はこの部屋で過ごすことが多くなるので、一新する。 机のエクステンション、書類のトレイ、新しい本棚などを買ってきた。 明日は、その作業をする。 来客もあるし、家事、子供の世話、客室の掃除などで明日は忙殺されるであろう。 片付けは苦痛である。 私の場合、これだけ、物や紙が溜まると、気が重い。 でも、掃除して、新しいものを入れることは、すっきりして、気持ちが新たになる