No. 111 神無月の徒然抄
今日は、10月18日である。
旦那が持ってきたメキシコの風邪の菌にやられているのだろうか、今日はとても疲れているのである。
それに、先週の金曜日の夜、はしごから落ちて、右足を痛めた。 右足だけで着地して、全体重がかかったので、足首のどこかに衝撃がいったんだろう。 幸い、ねじって着地したのではなかったので、骨折や捻挫ということにはならなかった。 高校の頃、整形外科の医者に、「あんたは、ものすごく丈夫な足首しているねぇ~。」と言われたことがあるので、きっとこんな痛みで済んだんだろう。 ずぶとい足首を備えてくれた天のお父さんに感謝。
しかし、前回のBlogは9月25日に書いたので、こりゃーそろそろ書かないといかんな、と。
ということで、今回も「抄」ということで、短い文章をつれづれに記す。
*****************
Wall Street 株価暴落
2週間前だった。 それまで、もっていたエネルギーファンドを売らねば、と思っていたが、またハリケーンで原油価格が上がればあがるかも、という変な欲を持っていたがために、結構損をした。 自分のIRAというIndividual Retirement Arrangement内で買ったファンドなので、損失が出ても、Individual Taxの控除にはならない。 購入したときの40-45%の価格で売り飛ばしてしまった。 その後、そのファンドは下降を続けている。 出血を止める処置である。
ともかく、石油などのエネルギーのファンドのことについては、あまりよくわからなかったし、ProspectusというファンドのAnnual Reportみたいなものにも余り目を通さなかった。 欲に駆られた結果ということであるし、ちゃんと調査しないで投資した自分の痛い教育費、ということで、損失をだして終わった。
でも、一つ株を買った。 この会社は、不況でも必要となるサービスを提供しているので、今が買いどき、と思っていた。 $21.50くらいで買ったが、そのあと、また下がってしまった。 なので、売って、底値のときに買いなおした。 $17弱で買えた。 同一株を売り買いを前後30日の間にした場合、Wash Salesと言って、損益をクレームできなくなるのであるが、これもIRA内で買ったので、Tax上の影響はなし。
とりあえず、底値で買えたので、Dow Jones Industrialの値が下がっても、悪くは無い結果である。
ともかく、そんなことをしていた先々週であったので、忙しかった。 コンピューターと首っ丈で、株価をリアルタイムで見ていて、売買した。 たいした金額でなない。 しかし、労力はかかった。多くの一般の小投資家がその日は、同じ思いでオンライントレーディングしていたのだと思う。
ともかく、心の平安が欲しくて、半日そういったことに集中した。 儲ける、ということより、毎日、あんたの株はこれだけ減ったというレポートを目にしたくないので、安全なところに移した、ということ。
アドバイザーたちは、今、売っても、またあとで上昇するときの時期を逃すから、売るなという意見もあった。 でも、人間を動かすのは、先にあるかどうか分からない利益よりも、現在の心の平安への要求だと思った。
もっともっと心の平安を求めるのなら、イエス兄さんを知ればよい。 知るには、聖書を開いてみると良い、と思う。
うちの老犬
うちのぷっぷちゃんという老犬は13歳を過ぎた。 このところ、よたついている。 足元が定かではなくなってきた。 今日は、ベッドに乗せてあげたが、降りたときに、前のめりにつんのめってしまった。
90歳以上。 30kg以上の中型犬(日本では大型?)なので、13歳というのは長寿である。
旦那が言う。 その時が来たら、安らかに眠らせてあげることを考えなければいけない、と。
私は、怖いのか、寂しいのかもしれない。 ただ、神さんが与えてくれた命を、人間がそう簡単に終えてしまっていいものだろうか、と思うのである。 見るほうがつらいという理由もあるだろう。 しかし、ぷっぷちゃんは、それでも、食欲はある。 肉を焼くとそばに寄って来るのである。 生きているのである。
この子には、助けてもらったこともある。 子供たちが生まれたときは、そばについて離れなかった。 とくに真夜中の授乳のときは、必ずそばにいてくれた。
二人で一緒にFlorida Keyによく遊びにいったものだ。 Ann's Beachという場所は犬を連れていっていいので、そこでぷっぷちゃんと一緒に泳いだ。 先月、Corpus Christiに連れていってあげたが、風が強く、波も荒かった。 ぷっぷちゃんは、昔のように、目を輝かせて、海を楽しむ、ということはしなかった。
2年前にぷっぷちゃんが大きなVanに轢かれた時、骨折も、内臓破裂もなく、片足の脱臼で終わったのは、きっと神さんが、守ってくれたから、と思う。
ぷっぷちゃんは、お祈りのとき、そばにいてくれて、神さんの存在を楽しんでいた。 だから、神さんはぷっぷちゃんを守ってくれているんだ、と信じる。 神さんにお願いするのは、もし、ぷっぷちゃんの「時」が来たら、寝ている間に、安らかに天国に連れて行って欲しい、ということである。
夫に対する批判
周りに夫婦の問題を抱えている人が多い。
夫が他の女性を作ってしまった。
夫が借金をいつのまにか作っている。
夫が酒におぼれてしまっている。
夫のお金の使い方が困る。
などなど・・・・・。
本当に多い。 ため息がでる。
天のお父さんのお陰だろうか、私と旦那の間では、過去に旦那の借金のことや、お金の使い方、仕事のことでいろいろはあった。 しかし、お金のことは、だいぶ前に解決した。 そして、今は、まあまあに幸せな夫婦だと思っている。(のは、私だけか?)
ただし、肉親とのことでは、いろいろあり続けている。 その中で、私は自分のプライドと自我を砕いたという痛い経験があり、それを通して、自分の内にしっかりと染み付いていたプライドという罪を認識した。 2年前の冬の一週間の断食の結果であった。 痛く、つらい道ではあったが、最後の砦と自分で勝手に思っていたプライドというのは、最後の砦ではなかった。 落ちても、イエス兄さんというやわらかいクッションが私を受け止めてくれていたのである。 そんな経験があるから、結構偉そうなことを思っている。
また、シンガポール滞在中は、夫の職場でのことで、いろいろあった。 そのとき、夫の同僚の奥さんであるタイ人の年上の女性に、こんこんと説教された。
「夫を守るのは妻の役目である!」と。 夫が職場のことを喋らないからと、そこで引き下がるのではなく、聞き出さなければいけない、と。
さらに、聖書では 女性は骨からできている、というから、男性より女性のほうが強い、と思う。 だからこそ、女性は男性を後ろでしっかりと支えていくべき、と思う。
(No. 59 骨なし野郎の試作品 ご参照のこと。)
人から夫の文句を聞かされことがある。 話は聞くようにしているので、黙って頷いている。 しかし、時に、うーん、と思ってしまう。 そういった文句を言ってしまう相手と結婚したのは誰なのか? そして、夫の文句をいうことによって、夫と一体になっている妻のことも「下げて」しまうのではないか、と。
さらに、夫の批判をする、ということは、その妻が夫より自分を高い位置にもってきてしまい、「見下している。」ということか、とも見えてしまうのである。 これは、プライドのなせる的外れの業である。
この世に義人は一人も居ない、と聖書は言う。 もし、自分が正しいと思っているのであれば、それは、自分を神さんの前に置いてしまっているのと同じではないだろうか。 プライドというのは、一種の偶像崇拝ではなかろうか。
正しい者はこの世には一人も居ない、という境地に立つと、人を批判する気にもならなくなる。 私なぞ、本当に醜く、汚いものを持っているどうしようもない人間だと認識してしまったから、昔のように、人の批判も簡単にはできなくなってしまった。 自分もそうだった、そういうところがある、と内省してしまう。 これも、神さんの恵みだと思う。
そして、先に折れることが、骨から作られた女性の強さではないか、と思うのである。
まあ、夫婦間の問題は、それぞれ違うから、私がここで書いたことは、捉え方によって受け入れてもらえないかもしれないけど。
でも、批判されるのを覚悟して、敢えて言わせてもらえば、妻というのは、夫を立てるものであって、それが、妻を立てるものであるとも思う。 自分を低くすることによって、高い位置に自分をもっていかれるようになる、というのが聖書に書かれている奥義だと思うのだが。
あー、偉そうに聞こえる。 もっと的確に書ける文章表現能力が欲しいところである。
ブログからのつながり
たまに、このブログを読んでくださる人たちからメールを頂く。 とても、うれしいものである。 つたない文章の弊ブログによって、元気付けられました、と言ってくれる人もいるし、共感してくれる人もいる。
そして、そこから、親密なコミュニケーションが始まることがある。 連絡をしばらくしていない人たちもいるけど、右欄にあるリンクをみて、今、どうしていらっしゃるのだろうか、と思うことがある。
スリランカのNGOから日本に戻られて、家族の反対の中でも、別のNGOを作り、精神を病んだ方へのサポートをされている「ごとうひでたか」さん。
毎日、聖書をPODCASTする、という偉業をされている「うめThirty」さん。 ワタシにはできんわ。
下世話なクリスチャンの相談を受けている30番地教会のT牧師。 お酒の話で一時盛り上がりましたっけ。
美しい声をもった成田空港のそばのHope Chapelの鎮目さん。
ブログへのコメントを定期的に入れてくれるHさん。 この方の信仰は私はとても尊敬している。
昔の同級生、昔の飲み仲間、昔の彼氏も読んでくれているようだ。
そして、最近、お二方より、メールがきて、対話を始めている。
近々、ここで紹介していきたいと思います。
このBlogを始めたのが2006年4月。 神さんがただでコンピューターをくれた後であった。 投稿もすでに100を超えた。 なんだかんだ、このBlogがヒットされる数も一ヶ月300を超えた。 小さな、誰も知らないBlogだけど、少しずつ、少しずつ、神さんの言葉が広がってくれればよいと思う。
こんな小さなことしかできないけれど、心から神さんへの感謝をつたない文にあらわせていかれれば、と思う。
読んでくれてありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。
あかしや番頭
旦那が持ってきたメキシコの風邪の菌にやられているのだろうか、今日はとても疲れているのである。
それに、先週の金曜日の夜、はしごから落ちて、右足を痛めた。 右足だけで着地して、全体重がかかったので、足首のどこかに衝撃がいったんだろう。 幸い、ねじって着地したのではなかったので、骨折や捻挫ということにはならなかった。 高校の頃、整形外科の医者に、「あんたは、ものすごく丈夫な足首しているねぇ~。」と言われたことがあるので、きっとこんな痛みで済んだんだろう。 ずぶとい足首を備えてくれた天のお父さんに感謝。
しかし、前回のBlogは9月25日に書いたので、こりゃーそろそろ書かないといかんな、と。
ということで、今回も「抄」ということで、短い文章をつれづれに記す。
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Wall Street 株価暴落
2週間前だった。 それまで、もっていたエネルギーファンドを売らねば、と思っていたが、またハリケーンで原油価格が上がればあがるかも、という変な欲を持っていたがために、結構損をした。 自分のIRAというIndividual Retirement Arrangement内で買ったファンドなので、損失が出ても、Individual Taxの控除にはならない。 購入したときの40-45%の価格で売り飛ばしてしまった。 その後、そのファンドは下降を続けている。 出血を止める処置である。
ともかく、石油などのエネルギーのファンドのことについては、あまりよくわからなかったし、ProspectusというファンドのAnnual Reportみたいなものにも余り目を通さなかった。 欲に駆られた結果ということであるし、ちゃんと調査しないで投資した自分の痛い教育費、ということで、損失をだして終わった。
でも、一つ株を買った。 この会社は、不況でも必要となるサービスを提供しているので、今が買いどき、と思っていた。 $21.50くらいで買ったが、そのあと、また下がってしまった。 なので、売って、底値のときに買いなおした。 $17弱で買えた。 同一株を売り買いを前後30日の間にした場合、Wash Salesと言って、損益をクレームできなくなるのであるが、これもIRA内で買ったので、Tax上の影響はなし。
とりあえず、底値で買えたので、Dow Jones Industrialの値が下がっても、悪くは無い結果である。
ともかく、そんなことをしていた先々週であったので、忙しかった。 コンピューターと首っ丈で、株価をリアルタイムで見ていて、売買した。 たいした金額でなない。 しかし、労力はかかった。多くの一般の小投資家がその日は、同じ思いでオンライントレーディングしていたのだと思う。
ともかく、心の平安が欲しくて、半日そういったことに集中した。 儲ける、ということより、毎日、あんたの株はこれだけ減ったというレポートを目にしたくないので、安全なところに移した、ということ。
アドバイザーたちは、今、売っても、またあとで上昇するときの時期を逃すから、売るなという意見もあった。 でも、人間を動かすのは、先にあるかどうか分からない利益よりも、現在の心の平安への要求だと思った。
もっともっと心の平安を求めるのなら、イエス兄さんを知ればよい。 知るには、聖書を開いてみると良い、と思う。
うちの老犬
うちのぷっぷちゃんという老犬は13歳を過ぎた。 このところ、よたついている。 足元が定かではなくなってきた。 今日は、ベッドに乗せてあげたが、降りたときに、前のめりにつんのめってしまった。
90歳以上。 30kg以上の中型犬(日本では大型?)なので、13歳というのは長寿である。
旦那が言う。 その時が来たら、安らかに眠らせてあげることを考えなければいけない、と。
私は、怖いのか、寂しいのかもしれない。 ただ、神さんが与えてくれた命を、人間がそう簡単に終えてしまっていいものだろうか、と思うのである。 見るほうがつらいという理由もあるだろう。 しかし、ぷっぷちゃんは、それでも、食欲はある。 肉を焼くとそばに寄って来るのである。 生きているのである。
この子には、助けてもらったこともある。 子供たちが生まれたときは、そばについて離れなかった。 とくに真夜中の授乳のときは、必ずそばにいてくれた。
二人で一緒にFlorida Keyによく遊びにいったものだ。 Ann's Beachという場所は犬を連れていっていいので、そこでぷっぷちゃんと一緒に泳いだ。 先月、Corpus Christiに連れていってあげたが、風が強く、波も荒かった。 ぷっぷちゃんは、昔のように、目を輝かせて、海を楽しむ、ということはしなかった。
2年前にぷっぷちゃんが大きなVanに轢かれた時、骨折も、内臓破裂もなく、片足の脱臼で終わったのは、きっと神さんが、守ってくれたから、と思う。
ぷっぷちゃんは、お祈りのとき、そばにいてくれて、神さんの存在を楽しんでいた。 だから、神さんはぷっぷちゃんを守ってくれているんだ、と信じる。 神さんにお願いするのは、もし、ぷっぷちゃんの「時」が来たら、寝ている間に、安らかに天国に連れて行って欲しい、ということである。
夫に対する批判
周りに夫婦の問題を抱えている人が多い。
夫が他の女性を作ってしまった。
夫が借金をいつのまにか作っている。
夫が酒におぼれてしまっている。
夫のお金の使い方が困る。
などなど・・・・・。
本当に多い。 ため息がでる。
天のお父さんのお陰だろうか、私と旦那の間では、過去に旦那の借金のことや、お金の使い方、仕事のことでいろいろはあった。 しかし、お金のことは、だいぶ前に解決した。 そして、今は、まあまあに幸せな夫婦だと思っている。(のは、私だけか?)
ただし、肉親とのことでは、いろいろあり続けている。 その中で、私は自分のプライドと自我を砕いたという痛い経験があり、それを通して、自分の内にしっかりと染み付いていたプライドという罪を認識した。 2年前の冬の一週間の断食の結果であった。 痛く、つらい道ではあったが、最後の砦と自分で勝手に思っていたプライドというのは、最後の砦ではなかった。 落ちても、イエス兄さんというやわらかいクッションが私を受け止めてくれていたのである。 そんな経験があるから、結構偉そうなことを思っている。
また、シンガポール滞在中は、夫の職場でのことで、いろいろあった。 そのとき、夫の同僚の奥さんであるタイ人の年上の女性に、こんこんと説教された。
「夫を守るのは妻の役目である!」と。 夫が職場のことを喋らないからと、そこで引き下がるのではなく、聞き出さなければいけない、と。
さらに、聖書では 女性は骨からできている、というから、男性より女性のほうが強い、と思う。 だからこそ、女性は男性を後ろでしっかりと支えていくべき、と思う。
(No. 59 骨なし野郎の試作品 ご参照のこと。)
人から夫の文句を聞かされことがある。 話は聞くようにしているので、黙って頷いている。 しかし、時に、うーん、と思ってしまう。 そういった文句を言ってしまう相手と結婚したのは誰なのか? そして、夫の文句をいうことによって、夫と一体になっている妻のことも「下げて」しまうのではないか、と。
さらに、夫の批判をする、ということは、その妻が夫より自分を高い位置にもってきてしまい、「見下している。」ということか、とも見えてしまうのである。 これは、プライドのなせる的外れの業である。
この世に義人は一人も居ない、と聖書は言う。 もし、自分が正しいと思っているのであれば、それは、自分を神さんの前に置いてしまっているのと同じではないだろうか。 プライドというのは、一種の偶像崇拝ではなかろうか。
正しい者はこの世には一人も居ない、という境地に立つと、人を批判する気にもならなくなる。 私なぞ、本当に醜く、汚いものを持っているどうしようもない人間だと認識してしまったから、昔のように、人の批判も簡単にはできなくなってしまった。 自分もそうだった、そういうところがある、と内省してしまう。 これも、神さんの恵みだと思う。
そして、先に折れることが、骨から作られた女性の強さではないか、と思うのである。
まあ、夫婦間の問題は、それぞれ違うから、私がここで書いたことは、捉え方によって受け入れてもらえないかもしれないけど。
でも、批判されるのを覚悟して、敢えて言わせてもらえば、妻というのは、夫を立てるものであって、それが、妻を立てるものであるとも思う。 自分を低くすることによって、高い位置に自分をもっていかれるようになる、というのが聖書に書かれている奥義だと思うのだが。
あー、偉そうに聞こえる。 もっと的確に書ける文章表現能力が欲しいところである。
ブログからのつながり
たまに、このブログを読んでくださる人たちからメールを頂く。 とても、うれしいものである。 つたない文章の弊ブログによって、元気付けられました、と言ってくれる人もいるし、共感してくれる人もいる。
そして、そこから、親密なコミュニケーションが始まることがある。 連絡をしばらくしていない人たちもいるけど、右欄にあるリンクをみて、今、どうしていらっしゃるのだろうか、と思うことがある。
スリランカのNGOから日本に戻られて、家族の反対の中でも、別のNGOを作り、精神を病んだ方へのサポートをされている「ごとうひでたか」さん。
毎日、聖書をPODCASTする、という偉業をされている「うめThirty」さん。 ワタシにはできんわ。
下世話なクリスチャンの相談を受けている30番地教会のT牧師。 お酒の話で一時盛り上がりましたっけ。
美しい声をもった成田空港のそばのHope Chapelの鎮目さん。
ブログへのコメントを定期的に入れてくれるHさん。 この方の信仰は私はとても尊敬している。
昔の同級生、昔の飲み仲間、昔の彼氏も読んでくれているようだ。
そして、最近、お二方より、メールがきて、対話を始めている。
近々、ここで紹介していきたいと思います。
このBlogを始めたのが2006年4月。 神さんがただでコンピューターをくれた後であった。 投稿もすでに100を超えた。 なんだかんだ、このBlogがヒットされる数も一ヶ月300を超えた。 小さな、誰も知らないBlogだけど、少しずつ、少しずつ、神さんの言葉が広がってくれればよいと思う。
こんな小さなことしかできないけれど、心から神さんへの感謝をつたない文にあらわせていかれれば、と思う。
読んでくれてありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。
あかしや番頭
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