No. 205 金と銀の蛇口
昨晩から、あたりがしーん、としていた。
雪の降る前は、いつもこのようになる。すべての音を低い雲が吸収してしまう。
すべての人間の営みさえも、柔らかく真綿でつつむように。
今日起きたら、世間はまっしろ。北テキサスは雪と氷に包まれた。
この池の中にいるデブ金魚は、凍らずに、身を寄せて一か所でまとまってじっとしている。 ウエットスーツを着ないで、よくまあ生き延びているもんだわ。
一年前、昨年の今頃は雪と氷がなく、やや温暖な冬であった。
しかし、我が家では一大事があった。
当時105歳の義母が我が家に避難してきた。
肩がものすごく痛く、医者に行って、ステロイドを注射してもらっても、治らない。
さらに、ばあちゃんが住む所例年にない寒さで、家の温水器が壊れてしまった。
住んでいる地域はロッキー山脈の南端からちょっと南に行ったところで、標高が2400メートルほど。 私らは、いつもスキーに行く良い所なのだが、ばあちゃんにとっては、乾燥していて寒い場所。老骨に身に染みる場所。
ばあちゃん、「ここから連れ出してくれ。息子のところに連れていってくれ。」と同居している旦那の弟さんに哀願した。
こっちも、「すぐ来てください!」と迎える準備をした。
1000キロ運転して、旦那の弟さんがばあちゃんを連れてきた。
弟さんも、ばあちゃんの介護で、睡眠不足の上、長距離の運転で大変だったろうから、ばあちゃんの部屋から遠く離れた部屋に寝室をしつらえて、ぐっすり休んでもらった。
到着した夜から、ばあちゃんは、毎晩、大きな声でうなっていた。痛い痛いって。。。
あの明るく元気なばあちゃんが、「Oh..Dio Dio...」と泣きながら神さんに助けを求めていた。 ”Dio”とはスペイン語で神さんのこと。
こちとら、夜中に何回も起こされるので、結構大変。
しかし、それ以上に、ばあちゃんが、極限にあり、「Dio!Dio!」と神さんに助けを何度も何度も求めていた。そっちの方が、すんごく深刻。
私も、夜一人、神さんに頼んだ。「どうか、ばあちゃんを助けてください。」
数日して、揺れないようにゆっくり運転して、整形外科に連れて行き、診察してもらった。
ステロイドを打ったばかりだから、ステロイドを再度打つことは、時間をおかないと駄目であるという診断。注射をするときは、MRIか何かで、ガイドしながら、打つ場所を探す方法をとる、ということであった。
一か月後のステロイド注射を予約した。
若い韓国系アメリカ人のお医者さんは、「CBDはMedical的には証明されていないが、効くという話だから、試してみては?。」と言ってくれた。
ちょうど、CBDクリームのことも調べておいたので、質問しようか、思っていた矢先であった。
テキサスでは、CBD製品は普通に売っているので、買ってきて、塗ってあげた。
同時に、医者から処方された痛み止めの飲み薬も飲ませた。
痛み止めの薬は胃に来るし、105歳の人には、副作用も心配。
普段、人へのお願いなど、あまりしない私である。
うちの教会の英語牧師先生に、テキストをして、「お時間が許すのであれば、どうか、我が家にお越し頂いて、どうか、どうか、ばあちゃんの為に祈ってください!」と特別にお願いをした。
この状態は、神さんしかいない!という極限であった。
下手したら、動けなくなり、寝たきりになってしまう。強い痛み止めは、アヘン系の薬である。長く使えば中毒になりかねない。
牧師先生、駆け付けてきてくれて、長い間、ばあちゃんと一緒に祈ってくれた。
「痛みは去ります。痛みは、無くなります。」
「。。。になりますように。」という願いの祈りではなく、「。。。になります。」という肯定をしきった、やわらかで、確信のあるお祈り。
イエス兄さんが、祈りを聞いてくれて、必ず痛みを取り除いてくれる、という確信である。
しばらく様子をみた。 痛みは治まってきたようである。
偶然に、テキサスでは手に入らないオーガニックのCBDのクリームを別の州から調達するルートができた。そのクリームを大至急とりよせて、毎晩塗ってあげた。
お食事も、スープを必ず作り、少量でも栄養価の高いものを作ってさしあげた。
だって、げっそりやせちゃったんだもの。
シャワーも介護しながら、入れてあげた。痩せちゃったから、体脂肪がない。
バスルームにヒーターガンガン炊いても、寒いって。 あたしにとっては、汗だくの室温であるのに。 体脂肪って、大切ね。 私のおなかの脂肪も愛しく思える。
ばあちゃん、しばらくシャワーできなかったんだろうなぁ。
浴槽に貯めたお湯の上に垢が浮いていた。
これは、つらかっただろうな。
強い痛み止めの薬は、飲みすぎると命取られるから、枕元には常備しなかった。
あたし自身の母が亡くなった根源は、強い痛み止めのお薬だったから。
そんなこんなしていた。
お祈りから一週間くらいたった、ある日、ばあちゃん、けろっとしていた。
「夕べは痛みましたか?」 「全然。」
「夕べ痛み止めの薬はのみましたか?」 「飲んでいないわ。」
はぁ?
<本当はここで、ぴよぴよが横一列になって、動いていくGIFを載せたい。>
その後、ばあちゃんは、体重を取り戻し、庭で日光浴もできるようになった。
痛み止めを飲まなくても、痛みが完全になくった。
ステロイド注射もキャンセルした。
******<ぴよぴよ ぴよぴよ>******
時期は2月下旬。あたしは仕事で超忙しい時期。
あたしが、離れにある仕事部屋に一日中こもっているので、ばあちゃんは、話相手がいない。
旦那は、自分の寝室で本を読んでいる人なので、話し相手になろうと、居間には出ていかない。 息子ってのは、こんなもんだろう。
なので、ばあちゃんは、静かな家の中の居間でポツンとテレビを見ていた。
居間で、背を起こしてテレビをみれるようになっただけでも、すごい回復である。
でも、人間は、人と話さないとつまんねぇ動物である。
特にラテンアメリカの人は24時間中、話続けられる才能があるので、つらいだろう。
家族全員で夕食をしているとき、ばあちゃん、今度は、「自分の家に帰りたい。」とのたまう。
そりゃーそうだ。自分の家が一番いいに決まっている。
それに、家に帰りたい、という欲求が出てくるまでに快復した、という喜ばしいことである。
早速、ばあちゃんの自宅の家と我が家の中間点にある町で弟さんと会う計画を立てて、ホテルを予約。 というか、ばあちゃんの引き渡し現場を設定した。
そこで親子3人水入らずで過ごすのもいいんじゃね?
なかなかある機会じゃないよね。
出立の前日、牧師先生が来てくださって、祈ってくれた。 感謝。
出立の日。
ばあちゃん、車を待つ間、居間で、ひざを何回かまげて、スクワットをしていた。
私は目の端で見た! すっげぇー! この生きよう、という力強さ。
105歳。あっぱれである。
「Home!Sweet Home!」と言うばあちゃんのまなざしは、前しか向いていなかった。
ばあちゃんを乗せた旦那の車は、西北にあるテキサスのはずれの町に向かって、出発した。
その時期は2020年2月の終わり。3月の声は聞いていていなかった、と思う。
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2020年2月は、新型インフルエンザ(SARS-CoV-2)、通称「Covid-19」は中国の武漢で蔓延しつつあるが、アメリカでは、まだ向こうの山の火事だねって、くらいに捉えていた。
ばあちゃんが出立した2月の下旬は、New York初め、アメリカの各地で、パンデミックお兆しが見え始めたころ。
実際に人々がパニックになり始めたのが2020年3月。
ばあちゃん、セーフ。
良いタイミングで、Sweet Homeに帰れた。
その後、4月中旬には、New Yorkでは一日1000人近くが亡くなり、大パニックが起こった。
New Yorkだけではない。イタリアもイギリスも。
そして、あっという間にコロナウィルスは世界に広がり、世の中が一転した。
これを書いている2021年のバレンタインデーでも、亡くなる方が増え続け、アメリカではいずれ60万人の命が失われる、と予測されている。
日本では、死者が増え、緊急事態。昨日は、福島県を中心に震度6の地震があった。
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このばあちゃんであるが、ラテンアメリカ出身。
家はすごいお金持ちではないが、旧姓の苗字をその国の人に尋ねれば、「知っている。」と言うだろう。
ばあちゃんの母方のじいさんは、ラテンアメリカにある小国の大統領だった。
ばあちゃんは大家族で、11人兄弟の上から二番目。兄弟の中には、事業で成功して、ミリオネアの人もいる。
私はその人たちを叔父、叔母と呼んでいる。
一方、我が家に駆けつけてくれて、お祈りをしてくださった牧師先生は、ご先祖さまがカリビアンに浮かぶ島の人だった、という話を小耳にはさんだ。
1900年代の始め、その島からは、治水工事のために、労働者がたくさん、ばあちゃんのお国に連れてこられた。
その国では、昔、公共の水飲み場に、Gold、Silverと書かれた表示があった。
Goldはその国を支配する白人だけが使える水飲み場。
Silverは肌の色が違う人が使うものだった。
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ばあちゃんは、自分の家に戻り、痛みもなく、食事作りができるようになった。
時は、春。 ばあちゃんの住む町でも花が咲いた。
パンデミックの最中の2020年5月25日、ジョージ・フロイドの事件が起こり、暴動が全米にひろがった。
アメリカでは、GoldとSilverの違いは、人々の意識に、未だに存在する。
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