No. 38 ぐうたらな一週間
長距離運転したバケーションからもどってきたとたん、ダラスの相変わらずの猛暑にKOされた。 あとで、立ち上がって、逆転判定勝ち、という怪しげな勝ち方もしようとは思わなかった。 なんというたとえだ?
サンタ・フェやグランドキャニオンでは華氏60度台(15度前後くらいかな?)の涼しさであり、夕方はジャケットが必要な日々であった。 夜中、テントの中を風が通ると、涼しくて気持ちよかったが、明け方は寒くなり、寝袋を子供たちにかぶせ、私ももぐりこんだ、という日々であった。 なので、体が楽ではあった。 しかし、ダラスに戻ってからの猛暑の応酬にはまいった。 また、最後の日の運転が田舎道のハイウエイで、いつも強い風が吹くところ。 運転に神経を使う長丁場であったので、疲れた。
ということで、旦那も私もしばらくぐったりしていた。 旦那はお仕事があるから、可愛そうに、毎朝、7時には起きて、出かけていた。 一緒にバケーションにいった、犬のぷっぷちゃんも疲れていて、朝、旦那が起きても、私たちのベッドの上で、ぐーっと寝たまま。 忠犬とは程遠い。
旦那には、悪かったけど、私は、ぐうたらの極致を窮めることとした。
朝、旦那の朝食を作ったあと、パジャマのままで、コンピューターに向かうか、また、ベッドに戻った。 帰ってきて3日目は、朝、子供たちが「マミー、おきて~」 といっても、「やだよ~」と起きなかった。 二人とも、勝手にコーンフレークを食べて、近所の友達の家に行ってしまったようだ。 気がついたら、朝の11時。 子供はいない。 犬も文句言わずに(トイレをがまんしているのかどうかはわからない)、寝ていた。 なんといい加減な母親であろうか。 子供に何かあったらどうすんの、だよね。
我が家はカル・デ・サック(フランス語らしい:リュックサックが軽いという意味ではない)という、日本語で言えば、袋小路に住んでいる。 つまり、この道の先は行き止まり。 なので、通過する車は訪問者を除いてはほとんどおらず、すべて顔見知りのご近所さん。 ご近所さんたちの家には、子供か、犬か、子供と犬のいるのがほとんど。 なので、週末の午後には、子供たちと犬たちが一斉に外にでて出てくる。 幼稚園か小学校の校庭かというありさま。 スケボーやローラーブレードで飛んだり、野球したり、とね。 なので、子供たちが家から消えても、外に出て呼ぶか、近所の家にいって、「うちの子、いる?」と聞けば大体見つかる。 親もお互い、見守っているという感じ。 昔の長屋横丁みたいでしょ。
ウチの子供たち、この夏は、近所の子の家にいることが80%で、近所の子供たちが来るのが20%。 近所の子はウチで夕飯を食べていくこともある。 そのくらい、近所の子供たちとは毎日、遊んでいる。 勉強もしなかった。 一ヶ月ほど、陸上のトレーニングに、二人を連れて行ったくらいで、なにか習わせることもしなかった。 家にいるときは、勝手にテレビのまんがみてな、って感じ。
子供が家にいる、ということは、本当に忙しいし、不便でもある。 あれほしい、これほしい、これつくって、あれとって、という双子たち。 一度に二人から要求が来るのがほとんど。 その上、やつらは物を出すことはするが、元に戻さない。 片付けない! 家がちらかる一方である。 また、やつらが近所の家にいっているから、といって、私は買い物になどは行かれない。 やはり、家で待っている。 なので、家で缶詰状態。
そんなぐうたらママは、MixiというアメリカではやっているMySpaceの日本バージョンなるものに、はまってしまったのである。 遠くにいる友人がMixiのコミュニティーに入れてくれた。 なにげなく、検索していたら、教会を離れたクリスチャンのコミュニティーを見つけて、そこに入り、「教会性うつ病」というものに出会った。 いや~、日本での伝道って大変なんだ。
さらに、高校のコミュニティーを見つけてしまったから、さあ大変。 同期の人がいて、昔話に花が咲いてしまった。
我が高校は、昔の『旧制神奈川一中』というやつで、100年以上の長い歴史がある。 また、バンカラで、ものすごく面白い学校であった。 気に入らない授業は自主カットといって、授業でないで、雀荘いったり、紅茶専門店にいったり、校庭の芝生で寝ていたり、という具合。 夏合宿では、酒盛りした人たちもいた。 なんと、修学旅行の時は、芸者を上げて騒いだという話も出てきてしまったよ。 2時間目になるとツイスト踊りながら、「お~い、○○、下校の時間だぞ~」って迎えにくる「ツイストおじさん」という先輩もいた。 ここは、大学ではない。 高校の話よ。 上記の沙汰は、ほんの一部。 ほんとうに、すごいことやらかした人多かった。 いたずらも、粋だったね。
さらに、名物先生の話。 雨が降ると来ない先生。 3年生を受け持つと、ストレスで校庭を急に走り始めた先生。 授業を古文の朗読して終わる先生。 気に入らないやつは、別の本を読んでいて良し、とか。 でも、良い先生は確固とした尊敬を集めていたし、自主カットせずに、ちゃんと授業にはでた。
こんな高校であるが、一応、有名人、沢山輩出している。 音楽家の故黛俊郎氏、故飛鳥田横浜市長などなど。 同期には、葛飾北斎の娘のことを書いた本,『応為坦坦録』で、文藝賞を取った、山本昌代女史がいる。 他に、作家、歌手、弁護士、医者、経営者ぞろぞろ。 変わったのには、後輩で、現横浜市長がいる。 (私は、受験勉強いやになって、落ちこぼれである。)
この高校のOB会もしっかりしていて、バスケット部であった私は卒業後もOB会に出て、試合を続け、先輩たちに酒の飲み方を教わった。 ずっと年上の先輩にも面倒みてもらい、銀座の横浜版である、関内のクラブに何回もつれていってもらった。 一回座って、10万とかいうやつ。 ママさん、阿川泰子みたいで、とてもきれいで、Gパンはいた小汚い女性の私を丁寧に接待してくれ、お土産もくれた。 バラの香りのする石鹸であった。 その先輩、皆で飲んだ後は、必ず全員タクシーで送ってくれた。
3歳上の先輩も、夏休み中、ずっとバイトして、そのお金で私たち後輩におごってくれたのである。 先輩は後輩を面倒見る、というのが不文律であった。 なので、社会人になってからも、いろいろとお世話になった。
そんな思い出を書き始めたら、きりが無い。 よしゃいいのに、バスケ部OBのコミュニティーと、1-2年の時のクラスのコミュニティーまで作ってしまったのである。 こういうのを「はまる」というんだよね。 やべ~よ、これ。
「はまる」ことの怖さというのは、いつのまにか、自分が他人からの返答を待ちきれなくなる、ということである。 なので、時間さえあれば、返事きたかな? コメントはいっているかな? とコンピューターの前に座り続けてしまうのである。 そのうち、伴侶とか子供が「XXXしてよ~」というもんなら、「うるさいな~、あたしゃ忙しいんだ~」となってしまう。
ちょっとやばいぞ、と思っていたときに、日曜日が来た。 救いの日曜日よ。 2週間ぶりに教会にいった。 私のいない間に、副牧師が二人任命されていた。 また、新しいワーシップソングになっていた。 一曲は、私の大好きな 『The More I Seek You』であったので、とてもハッピーであった。
そして、久々の祈りの時間。 やはり、腰をすえて、じっくり祈るのは良い。 運転しながら、山登りながら、神様に話しかけるのもいいけど、人間、時にこうやって、自分と神様と二人だけでお話する時間って必要だってあらためて思う。
友達の為にも祈る。 遠くにいて、これから癌の手術を受ける友人の大切な人の為、許せない人を許すのにものすごく苦しんでいる友人、入院している人、夫、子供のためにも祈る。 ネット上でも、多くの友達、知り合いが出来、そこで知り合った人たちのためにも祈る。
ぐうたらをし尽くし、だらしなくなった自分がリフレッシュされた感じがして、やはり、教会に来るのは、いいことだなぁと実感する。 さらに、日曜が週の初めということを改めて認識したのである。 まあ、こういうことに気がついたので、ぐうたらし放題もよかったのかな?
体重、増えたのが玉に傷か。 ズボンきつい。 どうしよう。
来週から、子供たちが学校に戻る。 そして、規則正しい日々が始まるのを楽しみにしているのである。 今日、やっと雨が夕方降った。 もう、日本ではお盆か・・・・。
"The More I Seek You" 、良かったら聞いてみて。 題名をクリックするとKari Jobeのサイトに行きます。そこで、音楽が流れ始めるので、注意。 彼女のサイトが開けられたら、下部のメニューの”Music"をクリックする。 次に、右上にある早送りというかスキップのボタンをおして、3番目の曲にいくと、The More I Seek Youです。
The more I seek You,
the more I find You
The more I find You,
the more I love You
I want to sit at Your feet
Drink from the cup in Your hand
Lay back against You and breathe
Feel Your heartbeat
This love is so deep
It's more than I can stand
I melt in Your peace
It's overwhelming
あかしや 番頭
サンタ・フェやグランドキャニオンでは華氏60度台(15度前後くらいかな?)の涼しさであり、夕方はジャケットが必要な日々であった。 夜中、テントの中を風が通ると、涼しくて気持ちよかったが、明け方は寒くなり、寝袋を子供たちにかぶせ、私ももぐりこんだ、という日々であった。 なので、体が楽ではあった。 しかし、ダラスに戻ってからの猛暑の応酬にはまいった。 また、最後の日の運転が田舎道のハイウエイで、いつも強い風が吹くところ。 運転に神経を使う長丁場であったので、疲れた。
ということで、旦那も私もしばらくぐったりしていた。 旦那はお仕事があるから、可愛そうに、毎朝、7時には起きて、出かけていた。 一緒にバケーションにいった、犬のぷっぷちゃんも疲れていて、朝、旦那が起きても、私たちのベッドの上で、ぐーっと寝たまま。 忠犬とは程遠い。
旦那には、悪かったけど、私は、ぐうたらの極致を窮めることとした。
朝、旦那の朝食を作ったあと、パジャマのままで、コンピューターに向かうか、また、ベッドに戻った。 帰ってきて3日目は、朝、子供たちが「マミー、おきて~」 といっても、「やだよ~」と起きなかった。 二人とも、勝手にコーンフレークを食べて、近所の友達の家に行ってしまったようだ。 気がついたら、朝の11時。 子供はいない。 犬も文句言わずに(トイレをがまんしているのかどうかはわからない)、寝ていた。 なんといい加減な母親であろうか。 子供に何かあったらどうすんの、だよね。
我が家はカル・デ・サック(フランス語らしい:リュックサックが軽いという意味ではない)という、日本語で言えば、袋小路に住んでいる。 つまり、この道の先は行き止まり。 なので、通過する車は訪問者を除いてはほとんどおらず、すべて顔見知りのご近所さん。 ご近所さんたちの家には、子供か、犬か、子供と犬のいるのがほとんど。 なので、週末の午後には、子供たちと犬たちが一斉に外にでて出てくる。 幼稚園か小学校の校庭かというありさま。 スケボーやローラーブレードで飛んだり、野球したり、とね。 なので、子供たちが家から消えても、外に出て呼ぶか、近所の家にいって、「うちの子、いる?」と聞けば大体見つかる。 親もお互い、見守っているという感じ。 昔の長屋横丁みたいでしょ。
ウチの子供たち、この夏は、近所の子の家にいることが80%で、近所の子供たちが来るのが20%。 近所の子はウチで夕飯を食べていくこともある。 そのくらい、近所の子供たちとは毎日、遊んでいる。 勉強もしなかった。 一ヶ月ほど、陸上のトレーニングに、二人を連れて行ったくらいで、なにか習わせることもしなかった。 家にいるときは、勝手にテレビのまんがみてな、って感じ。
子供が家にいる、ということは、本当に忙しいし、不便でもある。 あれほしい、これほしい、これつくって、あれとって、という双子たち。 一度に二人から要求が来るのがほとんど。 その上、やつらは物を出すことはするが、元に戻さない。 片付けない! 家がちらかる一方である。 また、やつらが近所の家にいっているから、といって、私は買い物になどは行かれない。 やはり、家で待っている。 なので、家で缶詰状態。
そんなぐうたらママは、MixiというアメリカではやっているMySpaceの日本バージョンなるものに、はまってしまったのである。 遠くにいる友人がMixiのコミュニティーに入れてくれた。 なにげなく、検索していたら、教会を離れたクリスチャンのコミュニティーを見つけて、そこに入り、「教会性うつ病」というものに出会った。 いや~、日本での伝道って大変なんだ。
さらに、高校のコミュニティーを見つけてしまったから、さあ大変。 同期の人がいて、昔話に花が咲いてしまった。
我が高校は、昔の『旧制神奈川一中』というやつで、100年以上の長い歴史がある。 また、バンカラで、ものすごく面白い学校であった。 気に入らない授業は自主カットといって、授業でないで、雀荘いったり、紅茶専門店にいったり、校庭の芝生で寝ていたり、という具合。 夏合宿では、酒盛りした人たちもいた。 なんと、修学旅行の時は、芸者を上げて騒いだという話も出てきてしまったよ。 2時間目になるとツイスト踊りながら、「お~い、○○、下校の時間だぞ~」って迎えにくる「ツイストおじさん」という先輩もいた。 ここは、大学ではない。 高校の話よ。 上記の沙汰は、ほんの一部。 ほんとうに、すごいことやらかした人多かった。 いたずらも、粋だったね。
さらに、名物先生の話。 雨が降ると来ない先生。 3年生を受け持つと、ストレスで校庭を急に走り始めた先生。 授業を古文の朗読して終わる先生。 気に入らないやつは、別の本を読んでいて良し、とか。 でも、良い先生は確固とした尊敬を集めていたし、自主カットせずに、ちゃんと授業にはでた。
こんな高校であるが、一応、有名人、沢山輩出している。 音楽家の故黛俊郎氏、故飛鳥田横浜市長などなど。 同期には、葛飾北斎の娘のことを書いた本,『応為坦坦録』で、文藝賞を取った、山本昌代女史がいる。 他に、作家、歌手、弁護士、医者、経営者ぞろぞろ。 変わったのには、後輩で、現横浜市長がいる。 (私は、受験勉強いやになって、落ちこぼれである。)
この高校のOB会もしっかりしていて、バスケット部であった私は卒業後もOB会に出て、試合を続け、先輩たちに酒の飲み方を教わった。 ずっと年上の先輩にも面倒みてもらい、銀座の横浜版である、関内のクラブに何回もつれていってもらった。 一回座って、10万とかいうやつ。 ママさん、阿川泰子みたいで、とてもきれいで、Gパンはいた小汚い女性の私を丁寧に接待してくれ、お土産もくれた。 バラの香りのする石鹸であった。 その先輩、皆で飲んだ後は、必ず全員タクシーで送ってくれた。
3歳上の先輩も、夏休み中、ずっとバイトして、そのお金で私たち後輩におごってくれたのである。 先輩は後輩を面倒見る、というのが不文律であった。 なので、社会人になってからも、いろいろとお世話になった。
そんな思い出を書き始めたら、きりが無い。 よしゃいいのに、バスケ部OBのコミュニティーと、1-2年の時のクラスのコミュニティーまで作ってしまったのである。 こういうのを「はまる」というんだよね。 やべ~よ、これ。
「はまる」ことの怖さというのは、いつのまにか、自分が他人からの返答を待ちきれなくなる、ということである。 なので、時間さえあれば、返事きたかな? コメントはいっているかな? とコンピューターの前に座り続けてしまうのである。 そのうち、伴侶とか子供が「XXXしてよ~」というもんなら、「うるさいな~、あたしゃ忙しいんだ~」となってしまう。
ちょっとやばいぞ、と思っていたときに、日曜日が来た。 救いの日曜日よ。 2週間ぶりに教会にいった。 私のいない間に、副牧師が二人任命されていた。 また、新しいワーシップソングになっていた。 一曲は、私の大好きな 『The More I Seek You』であったので、とてもハッピーであった。
そして、久々の祈りの時間。 やはり、腰をすえて、じっくり祈るのは良い。 運転しながら、山登りながら、神様に話しかけるのもいいけど、人間、時にこうやって、自分と神様と二人だけでお話する時間って必要だってあらためて思う。
友達の為にも祈る。 遠くにいて、これから癌の手術を受ける友人の大切な人の為、許せない人を許すのにものすごく苦しんでいる友人、入院している人、夫、子供のためにも祈る。 ネット上でも、多くの友達、知り合いが出来、そこで知り合った人たちのためにも祈る。
ぐうたらをし尽くし、だらしなくなった自分がリフレッシュされた感じがして、やはり、教会に来るのは、いいことだなぁと実感する。 さらに、日曜が週の初めということを改めて認識したのである。 まあ、こういうことに気がついたので、ぐうたらし放題もよかったのかな?
体重、増えたのが玉に傷か。 ズボンきつい。 どうしよう。
来週から、子供たちが学校に戻る。 そして、規則正しい日々が始まるのを楽しみにしているのである。 今日、やっと雨が夕方降った。 もう、日本ではお盆か・・・・。
"The More I Seek You" 、良かったら聞いてみて。 題名をクリックするとKari Jobeのサイトに行きます。そこで、音楽が流れ始めるので、注意。 彼女のサイトが開けられたら、下部のメニューの”Music"をクリックする。 次に、右上にある早送りというかスキップのボタンをおして、3番目の曲にいくと、The More I Seek Youです。
Words&Music by Zack Neese
The more I seek You,
the more I find You
The more I find You,
the more I love You
I want to sit at Your feet
Drink from the cup in Your hand
Lay back against You and breathe
Feel Your heartbeat
This love is so deep
It's more than I can stand
I melt in Your peace
It's overwhelming
あかしや 番頭
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