No. 103 訃報の折々

今は、夜中の一時近い。 明日は、朝6時起床なんだが、ちょっと書かないといけないなと思う。

いつものぶっちゃけ口調ではなく、今回はちょいとまじめ。 それも、イエス営業部として、まじめに書く。 


先ほどまで、日本から来た訃報に返信していた。 父方親戚の3人の訃報の知らせ。 日本とは、半分音信不通の状態であったが、おじが亡くなったので、送ってきたらしい。 おじの訃報以外は、過去の訃報の報告であった。

私は、近年、日本に帰るたびに、「今しかできないこと」を両親と親戚と友達にしてきた。 上記訃報を受け取った3人の方たちには、近年、お見舞いと訪問をしていた。  一人には、泊めさせていただいて、昔の話などを聞かせてもらっていた。 なので、自分なりの満足感というのがある。 

葬式は、残された人たちの心のやり場の行き着くところ、死を周りが受け入れるための儀式であって、亡くなった本人のためだけではないと思っている。 だって、死んでしまっていて、この世では本人はやることがない。 それより、本人が生きている間に精一杯のことをしてあげるほうが、同じ生きている者がすることだ、という思いがある。 なので、帰国のたびに、「今しかできないこと」をしてきた。

父が突然亡くなる直前には、シンガポールから飛んでいった。 母の入院と夏の暑さで、げんなりしていた父に食事を作ってあげた。 また、私が母の面倒をみるから、休んでいて、と。 短い滞在を終えて、私が空港に向かうタクシーに乗ったときは、いつものように、半分喧嘩状態であった。 その4日後、父は自宅で一人で倒れてなくなっていた。 その直後は、私は、父が私に言いたかった愚痴を半分だけ聞くだけにしてしまったので、泣いて悪かったと反省した。 しかし、日本に駆けつけてあげたこと、食事を作ってあげたこと、短かったけど、時間を一緒に過ごし、話を聞いてあげた。 それが、私にとって心の平安につながった。

母は・・・。 これは、圧巻であった。 まだ、ここに書けるほど、私の中で熟成していない。 しかし、母が亡くなる前の一年は、激動の一年であり、私が主にものすごい勢いで引き寄せられ、奇跡や不思議なことを体験させられていた。 あっという間にイエス営業部になった。 そして、苦しい道を通り、泣きながら祈る毎日であった。 母は、クリスチャンであったが、このまんまだと、地獄にいっちゃうぞ、というところまで信仰がなくなってしまっていた。 また、親族との確執も起こった。 更に、日本に頻繁に戻ったので、夫に寂しい思いをさせた。 更に、母とのコミュニケーションを個人保護法に阻まれる、という困難山積みの中を通った。 でも、それは、ほとんどが神さんの計画であった。 果たして、神さんは、私をこき使い、母を天国に行かせてくれたのであった。 


新約聖書のヨハネの福音書に、「主は信じた者を決して見捨てない。」とある。 (箇所は、あとで探す。) 本当にその言葉は真実であった。 一度、信じた母を主は忘れなかった。 見捨てず、私を遣わして、天国の門を開けてくれたのである。 

このことを思い出すたび、目頭が熱くなってしょうがない。 母を失った悲しみ、というより、神さんの愛と約束に感動し続けているからである。 

*************

実は、今回亡くなった、または、亡くなっていた3人の人には、一人を除いて、神さんの言葉を聴いてもらった。 一人の人には、実際に手を置いて、祈った。 もう一人の人は、母のお通夜のとき、なぜか私が仕切って、親戚一同の前で、神さんのこと、聖書のこと、天国のことを話した。 それを聞いていただいたはずである。

なんでこんな私がお通夜を仕切ったかというと、牧師先生はお通夜にこれないから、あんた、やりなさい、ということだった。 結果として、親戚何人からは、非難を浴びた。 仏さんにお尻を向けたとか、あれは説教だった、とか。 こまるよ!といった人もいた。 でも、そんなん、どうでもよかった。 私は、100匹の羊のうち、一匹でも分かってくれれば良い。 親戚の非難など、神さんのことを伝える大切さに比べたら、どうでもよかった。 私の立場など、どうでもよかった。  ただ、興味深いのは、参列者の中にいた、昔の彼氏と存じ上げていない参列者の方かれ、それぞれ、「よかったですよ。」と言われたのである。


しかしながら、亡くなられた3人方は、イエス兄さんの愛を実感し、信じます、と言わないまま、他界されてしまった。 つまり、神さんの御国には、行っていないということだ。 実は、父も知らないまんま、他界した。 数ヶ月前、父が苦しいんだ、という声が聞こえた。 なるべくなら、認めたくないところであるが、父はたぶん、神さんの御国には行かれなかったんじゃないか、と思う。 いや、イエス兄さんを心で信じて、口で、信じます、と言わないと天国のゲストブックには、名前は書かれない。 

だから、母のいる御国には、今回亡くなった3人の人たちは行っていないのである。

では、どこへいったのか?
地獄?? 

まだ、聖書の勉強不足なので、自分なりに結論がでていないのであるが、この次の世は、地獄か天国しかないという人もいる。 涅槃(ねはん)とか、ハデスとか、何か中間点見たいのがあるのかなぁ??

ただ、人間として、知っている人が地獄という場所にいってしまった、とはなかなか言いにくい。 それに、私は地獄に行って見ていないから、断言できない。 なので、今の所、天国とはいわず、神さんの御国には、行っていない、としか言い切れないのである。 でも、父の声の苦しさからして、御国以外のところは、あまりいいところではなさそうである。

母方の親族、父方の親族両方あわせて、生きてこの世の中にいるクリスチャンなのは、私だけである。 母はクリスチャンだが、今は、天国にいるから、数に入れない。 これって、本当に大変なことだ。 責任重大なんだよね。 だって、一人でも多く神さんの元に行かれるようにしてあげなきゃ行けない。 神の御国、すなわち天国というすばらしいところに。 それが、神さんがイエス営業部の一人ひとりに課した仕事なんだよね。 日本のクリスチャンって、1%って言われている。 なので、日本という国は、イエス営業部にしてみりゃ、未開拓の市場である。 こりゃー、ものすごい営業ノルマになるわ。 でも、それが私たち日本語を話すイエス営業部員の宿命だよね。

そうしたら、うっかり、のんびりしていられないよねー。 一人でも多く、アムウエイのように、引き入れなきゃ。  でも、入会金ただだし、何ぼクリスチャンにしたからって、報酬は無い。 あえて報酬というのは、心の喜びだけだけどね。 それがまた甘露で、心地よいのである。

アメリカに来てクリスチャンになった日本人たちは、日本の親戚を天国に行かれるようにしてあげるのが課せられた仕事なんだろうな。 でも、その前、っていっちゃなんだけど、ワタシの夫をまず引き入れなきゃ。 明日の命はだれも分からない。 だから、「今、出来ることをする。」ことが迫っているんだ。


人の訃報に際して、こう思わせてくれるのは、「死」というものの別の側面であると思う。 私らイエス営業部日本支部には、「今」しかないんだよね。

************

ところで、ワタシの葬式では、音楽どんどんやって、ドンちゃん騒ぎやって欲しいなぁ。 がんがん飲んでかまわないと思う。 大声でハレルヤーって賛美して、喜んじゃっていいと思う。 だって、とってもいいところにいけるんだから、めでたいことだもの。

あーあ、もう夜中の一時半だぁ。 明日の朝がつらいわ~。
ちょっと、いいこと書いたんだから、明日の朝、神さん、起こしてくださいよ! 祈りながら、眠るとするかね。 


あかしや番頭

コメント

匿名 さんのコメント…
あかしやさん
同世代(だと思っている)としてとても共感します。日本にいる親に、少しでも今できること、相手にわかってほしいこと、感じてほしいことを、伝えないといけませんね。
Akashiya さんの投稿…
コメントありがとうございます!

また、こんなアホなブログを大事なお時間を費やして読んでくださって、大変ありがとうございました。

親だと、恥ずかしくて、なかなかいえないことって、あると思います。 言葉で伝えるのを躊躇するのであれば、手紙、という手もありますよね。

自分のことで精一杯な20歳代、30歳代。 自分以外の人間のことも面倒見なければならなくなる40歳代というのは、結構つらいですよね。 私はたくさん泣き言をいってきました。 あと、自分自身の健康の懸念も増えてくる頃ですね。

本当につらいとき、不思議に神さんに強引に引き寄せられ、助けてもらいました。 なので、このBlogがあるんです。

匿名さんが、小さくともいいから、一つでも、親孝行、親に伝えることがこれからも出来ますようにね!!
匿名 さんのコメント…
私はオーストラリアにすんでいるクリスチャンです。
父は既に18年近く前に亡くなっています。クリスチャンでなかった父のことを思うと、、今でもともて悲しい気持ちになります。でも、私たちの理解をはるかにこえた神様の大きな愛にゆだねようと思っています。あかしや番頭さんのブログを読んで、すこし、、元気がでました。ありがとう。
Akashiya さんの投稿…
匿名さん、

コメントありがとうございました。 最初のコメントの方と同じかたなのかは、文面からは察することはできませんが、ともかく、オーストラリアからこのBlogに来てくださってありがとうございました。

文面の「アメリカにいる日本人クリスチャン」というのは、改めて、「海外にいる日本人クリスチャン」とすべきだなぁ、と反省。

日本人のたった1%がクリスチャン、つまり、神の御国に入れる人たちなので、匿名さんのように、また、御国でご両親と再会できないのでは、という悲しみをもたれているかたは、多いと思います。

肉体が亡くなったあと、私たちはどこへいくのかは、生きている間はわかりません。 たまに、天国と地獄を見てこられた方たちがいますけれど。

こればかりは、天のお父さんが支配する世界なので、私どもにはどうすることもできません。 でも、私は天のお父さんに、父と母をよろしくお願いします、と頼んでいます。 そして、もし、父が母と同じ場所にいないのなら、お願いですから、一緒のところに生かせてあげてください、と頼みます。 それしか出来ません。 でも、私たちは、イエス兄さんが居られるから希望があります。

聖書の中に、天の御国はすぐそばにある、という箇所があったと思います。 また、ハデスという場所があります。 それはどういうところなのか、再度聖書をよく読まなければならないなぁ、と思っているところです。

主は私たちの祈りを必ず聞かれる方です。 そこには、希望があるから、私たちは明日に向かって歩んでいかれます。

悲しい気持ちがあるからこそ、「今」私たちがしなければならないことがあります。 一人でも多くの人たちが、主のもとにいかれるように。 主の愛を実体験できるように、とりなしの祈りをしなければいけないと思っています。

あかしや

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