No.105 忌野清志朗さん

うちの旦那はメキシコに出張に毎週のように行っている。 出張先がメキシコ・シティーだと、必ずホテル・ニッコー=日航ホテルに泊まる。 私も以前、仕事でメキシコ出張したときに一ヶ月ほどお世話になったホテルである。 

顧客には、日本人が多いので、(ユダヤ人も多かったと思う。)日本語の新聞や雑誌のサービスがある。 ということで、メキシコ・シティー出張のお土産は、日経新聞と共同通信のダイジェスト版である。

昨日、もってきてくれた7月中旬の日経新聞をベッドでぼーっと見ていたら、一つの記事があった。

キヨシローが喉頭がん克服した、という矢先に、今度は、腰の腸骨にがんが移転していた、という記事であった。

キヨシローとは、RCサクセションの忌野清志朗さんである。 私の世代より一回り上の団塊の世代の人で、日本を代表するといってもいいロッカー。 特に有名なのが、「雨上がりの夜空に」という歌。 題名と歌詞がまったくマッチしないけど、こんなサビのある歌。

 ♪ どうしたんだ Hehe Hey 俺のポンコツ~ ♪

というと、ああ、あの歌、と思い出す人もいるだろう。  この曲は、サブリミナル・メッセージがあるので、クリスチャンとあまり結びつかないかもしれないけど、でもこういう歌です。




彼が、喉頭がんで治療に専念していた、というのは、海外にいる私でも知っていた。 でも、やっと復帰した矢先に、がんの転移ってのは・・・。


私は中学のときは、井上揚水、吉田たくろう、古井戸、かぐや姫、NSP、などなどのフォークソングのグループが華々しい活躍をしていた時代であった。 当然、私もギター担いで中学校に通っていたわけ。 でも、ロックはしなかった。 だって、エレキギターやドラムは手が届かなかった。 お金のあるお兄さんお姉さんしか出来ないことだと思っていた。 だから、清志朗さんの存在はそのときは知らなかった。

彼の存在を知ってからも、別にファンになったわけではなかった。 そのころは、浜田省吾に没頭していた。 省吾さんのことは、また別の機会に書こう。
でも、たまにテレビなどに出てきた清志朗さんを見ていて、何故か私はこの人に一目置いていた。 存在感もあったし、やさしさというのか、純粋な感じも受けていたからかもしれない。


清志朗さんのニュースを読んでから、改めて、彼の音楽を聴いてみた。 つくづく、彼のロックは、歌詞といい、曲といい、パフォーマンスといい、すべて芸術だと思う。 そして、何よりも、すばらしいと思うのは、歌詞がはっきりとこちらに伝わってくるのである。 

Wikipediaで閲覧した清志朗さんの語録に以下があった。

「(日本語で歌を唄うのは)ただ単に英語ができないから日本語で唄ってるだけ。いつも日本語で喋っているし日本語しか喋れないから、日本語で歌を唄う以外ないという感じなのね。やっぱ、意味が分かってないと唄えないでしょ」


私なりに、歌がうまい人っていうのは、歌詞をきちんと聞き手にデリバー、つまり、伝えることが出来る人だと思っている。 いくら、テク(技術)があっても、詩または詞として、聞く人の心に染み入らなければ、なにも伝わらないと思っている。 もちろん、曲自体の美しさ、すばらしさだけで、心にじぃ~んと伝わるものはある。 でも、せっかくそのメロディーの上にある伝えたいメッセージがあるのなら、それを符号として、的確に聞き手に伝えるべきというヴォーカリストの力量というのも必要だと思う。

それは、英語でも日本語でも構わない。 曲のテンポが速くても遅くても、関係が無いと思う。 

そんな中で、曲のすばらしさにサポートされて、なおかつ、すばらしい歌い手というのは、数少ないのではなかろうか。 好みは別として、そういった意味ですばらしい歌い手だなぁとおもうのは、フランク・シナトラ、そして美空ひばりだと思う。 古いやつだとお思いでしょうが・・・・、もし機会があったら、聞いてみてちょ。 このお二人。 前者は、英語だけでど、字幕なしでも、歌詞が分かると思う。 日本人にも。 そして、後者は、大御所だけど、弟がやくざだったけど、でも、そんなことは抜きにしても、う・ま・い。 歌詞が心に入ってくるのである。 北島三郎もそうかなぁ。 「与作」なんて傑作だと思うし。 あと、ビートルズの「Let it be」も歌詞が心に入りやすい。 

歌い手の力量もあるけど、作詞の力もあるのかもしれないね。 高音に伸びるところに、「あ」などののどが大きくあく母音を持ってくる歌詞にうまく仕立てるというのも、作詞家としての力量か。

そういった点で、清志朗さんってのは、すごい、と思う。 だって、シナトラや美空ひばりの四分音符が並ぶ曲ではなく、8-16ビートのロックやっていて、それでいて、歌詞がはっきりと伝わってくる。 作詞はほとんと清志朗さんだ。

彼の書いた詞を聞くと、抗議的な詞もあれば、慰めの詞がある。「FM東京」なんて、ぶっとぶ詞である。 「パパの歌」は、中年のサラリーマンへの賛歌でもあるわけで。 いろいろな曲が放送禁止になっているところなど、アメリカのDJのハワード・スターンみたいである。 

以下、二曲目が「FM東京」 これは、放送禁止になったんだと思う。 ものすごい抗議の曲。 よくやったわ、と褒めたい! 古館さんが最後でびびっている。




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「FM東京」の歌詞の内容はこの、Blogが、「クリスチャン」というタイトルを含んでしまっているので、落差を感じる方もいるだろう。 

しかし、いけにえ品を売る店や、宮廷男娼などがたむろしていたエルサレムの宮に入ったイエス兄さんはこんな気持ちだったんだろうと思うよ。 「XXXX野郎! 俺の父の聖なる宮でなんてことすんだ!」ってドカヘルかぶって、覆面して、けりをいれるは、星一徹のように、テーブルをひっくり返すわ、めちゃくちゃにしたはずだ。

さらに、何事も律法でがんじがらめにした政治家の手先のようなファリサイ人に対してだって、そんな気持ちだったろう。 「おめ~ら、俺の父親がいったことをおめえらで勝手に曲げて、めちゃくちゃな法律つくりおって!」とこれまた、怒ったことだろう。 でも、イエス兄さんが、そういうことを批判し始めたときから、ファリサイ人は、イエス兄さんを殺そうと考え始めたから、イエス兄さんは、今度は、たとえ話を使って話すようになった。 「雨上がりの夜空に」のサブリミナルな歌詞と同じである。

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音楽って、歌って、曲にメッセージを乗っけるものである。 賛美歌もしかり。 賛美歌は、曲のついた祈りである、と教会の友人が言っていた。 まさにそうである。 

メッセージ、祈りは、伝わらなければいけない。 心に伝わらなければ、良い音楽があっても、BGMにしかならない。 

多くのRockでも、コンテンポラリーな曲でも、どの言語でも良い。 ただ、対象となる人たちにメッセージを伝える、ということが一番大切ではないかと思う。 

そういう意味で、清志朗さんの曲と歌詞は、一言たりとも無駄になっていなくて、的確な言葉でっメッセージが伝わってくる。 そして、それこそ、「FM東京」のように、リハーサルでまともにやれば、放送禁止になっていいたことは、確実なので、うまくごまかして本番でやらかした、というゲリラ的戦法も、時には、メッセージを伝えるという意味では、すごいと思うのである。

そういう意味で、清志朗さんは、ものすごいと思う。

私ら、イエス営業部も清志朗さんのように、メッセージを的確に伝えて、時にはゲリラ戦法をとらんといかんと思うのである。


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彼が喉頭がんの治療に入る前に発売したCDに「GOD」というのがある。 Amazonで視聴しようとしたのだが、出来なかった。 どなたか、この「God」という曲を視聴できるところ、教えてくださいね。 是非、聞いてみたい。

清志朗さん、是非、回復してください。 神さんにも祈ります!  回復したら、神さんのための曲を作ってください!


あかしや番頭

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