No. 235 あたしは貧欲だったのだなぁ
仕事で一つの顧客を失うことになった。
それは、予測していたけど、ばあちゃんのことで、6月ー7月まったく仕事ができなかったことも影響している。
しかし、心証はよくなかった。
あったりまえだ。
ビジネスをしていて、収入が減ることは良くない。
結構大きな額である。
一方、その仕事は、自分が機械になった、というか、ソフトウエアに使われてしまっている、という感が増してきていた仕事であった。
不毛だなぁ、と思っていた。
たぶんであるが、そのつぶやきを神さんに聞かれてしまったのかも。
そのお客を失うことがはっきりしたとき、「不安」が私を襲った。
そして、今まで気にしなかった銀行口座の残高や、今後の経済状態を考えてしまった。
まだ、起こっていないのに。
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、十分あります。
マタイ6:25、32〜34
そして、今週教会からいただいた記事は以下。 韓国の牧師先生が書いた文章である。
この世で神の国を味わうためには、貪欲に気をつけなければなりません。
貪欲とは、自分のために何かを得ようとする強い欲望です。
信仰の先人たちは、食べ物に対する貪欲も罪と考えるほどの敬虔さを追い求めました。ジャン・カルヴァンは、宗教指導者たちに対し、大皿を3枚以上使うような豊かな食事を禁じる規定を作りました。
今日の私たちは、昔に比べて豊かになり、ゆとりのある生活を送っていますが、それにもかかわらず満足することができません。
それでサタンは、「今よりもう少し努力すれば、安定した老後を送ることができる」とささやいて誘惑します。このような不安のために、人は少しでも多くの財産を得ようとするのです。特に人は未来の安全を願うので、それを得ようとしてあれこれ考えているうちに、だれもが貪欲という罠に掛かってしまいます。
貪欲なこころが働くと、「もしかして不幸が訪れるのではないか」という不安が押し寄せてきます。そして、不安を鎮めるために再び貪欲になるという悪循環を繰り返すのです。
なるほどなぁ、私もそういったわなにかかったのか。。。
今は、その仕事については、なぜか不安がなくなった。
祈ったせいかな、と思う。
人間、弱いもんだから、なんかあると、じたばた じたばた してしまう。
あたしも、情けない人間なので、そういう不安がもたげてきた。
でも、今は、「神さんがその分、埋めてくれるさ!」と思って、気にするのをやめてしまった。
ああ。。脳天気。
最初のモデルの構築には、時間と試行錯誤が必要だが、そういった枠を作ると、うまく回ることはあると思うのだ。
なので、そういったモデルができるように、神さんにもっと祈っていこうと思う。
そうしていたら、何故か、とんでもない所から、仕事の依頼みたいのが入ってきた。
問い合わせも、増えてきた。。。
大きなお客さんではないけど、比較的短時間で終わる仕事量のようなので、数を早くこなしていけばいいのか、と思いもした。
これが進む道なのかな?
もっと楽で、楽しくやっていく仕事があるはず。
神さん、教えてね。
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