No. 237 神さんに押し付け
先日の聖書の箇所を再度くりかえす。
ルカ 18:18
ルカ 18:18
また、イエスは、失望せずに常に祈るべきことを、人々にたとえで教えられた。
たとえを要約すると、冷酷な裁判官に、やもめがしつこく懇願しにきていた。
暫くは無視していたが、あまりにも、しつこいので、もうやめてちょうだいよ、という感じで、その依頼を引き受けた、ということだ。
なので、毎日しつこく、神さんに祈っていくと、上にいる神さんは、
「あーもう、うるせぇなぁー!
聞いてやるか、その祈り!」
となることを、あたしは期待している。
この前の書き込みに息子の命が助けられたことを書いた。
その祈りだって、以下に書くようなもんだった。
でも、しっかりと聞かれていたのだ。
息子が大学にアプライ(申請)するとき、がたがたしていた。
だって、成績わるかったので。
親子で喧嘩して、息子は夜に家から、弾丸のように出て行って、家の前で膝を抱えてすわっていたこともあった。
部屋の壁にパンチか蹴り入れて、穴が開いたことも。
ある時、もう、こりゃだめだわ、と神さんに投げつけた。
「神さん! 今、ガタガタしていますが、にっちもサッチモいきません。
なので、ここであなたに投げます!
神さん、あんたが創ったうちの子供たちです。
あたしはここまで託された命を育ててきました。
でも、ここでがたがたして、大変です。
もう、すべてお任せします。
煮るなり、ゆでるなり、すきにしてくだせぇ!」
で、お役御免を願った。
そのあとである。
大学に受かり始め、学費半分を負担できる奨学金がもらえた。
ただ、神さんに投げただけだ、あたしは。
でも、その願いはしっかりと聞きとどけられ、願い以上のこと、
つまり、命を助けてくださった、という究極のおまけをいただいていたのだ。
だから、祈りの始めには、感謝をたくさんしなきゃ、とますます思う
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