No. 23 新婚さんと私の結婚生活

今日の礼拝はお三方の洗礼に、この7月に新たに発足する私の行っている教会のヒューストン支部で奉仕される牧師夫妻が来られた。

実は、この牧師夫妻、夫婦になったばかり。 それも、知り合って6ヶ月で決めたというスピード結婚であった。 6ヶ月のうち実際に会った、というのは2週間だけだそうだ。 あとは、ヒューストンと日本との長距離お付き合いをしたそうだ。 なので、結婚してからまだ2ヶ月なので、お互いに知らないところが出てきて、「いろいろ」あるそうだ。 

そんなお話を聞きながら、私は旦那との結婚生活を省みていた。 旦那と私も、知り合ってから、結婚するのに一年と一ヶ月で、住んでいたところがマンハッタンとヴァージニアだったから、長距離の付き合いであった。 結婚式をあげてからも、一ヶ月半はマイアミとマンハッタンで離れて暮らしていた。 私がマンハッタンでの会社勤めを辞めて、大学も転校し、マイアミに下っていった。 

最初になれなかったのは、チェックブックの使い方。 私は現金主義だったので、チェックでの支払いに慣れるまで大変であった。 最初はそのことでちょっと旦那とあったが、それも一回きりであった。 、新婚生活はマイアミの1DKのアパートではじまった。 大学のレポートを書くのに、夜中の3-4時までラップトップをかたかた打つので、旦那が眠れない、と文句を言ったこともあった。 

その後、北のFt. Lauderdaleに新築の家を建て、一年後に固定資産税みたいの(Property Tax)が急に来たので、突然、家計が苦しくなった。 おまけに、結婚前から、旦那はクレジットカードの借金が100万円ほどあったから、その返済も私がやりくりしていたので、ますます大変になった。 車は85年と83年のホンダであったが、古いから修理にもお金がかかった。 それでも、旦那は旦那で、好きなものをポーンと買ってくることがある。 自分は、外食もせず、何を買うにせよ、吟味して、なるべく無駄なものを買わないようにしているので、突然、「これ買ってきた。」とうい日には、心象を悪くしたものだ。 

さらに、旦那のお母さんは大家族のラテン系なので、家を建てたあと、すぐに「滞在」しにきた。 1ヶ月。 その後は、2ヶ月、4ヶ月、というのもざらであった。 それが年一回だけではなく、年2回から3回であった。 最初は良いお嫁さん、として尽くして、"Entertain”したが、それも続くわけがない。 言っておくが、舅、姑との仲が悪いわけではない。 とても良い人で、何の問題もない。 ただ、私が気を使いすぎて、料理を豪華にしてあげたり、どこかへ連れていってあげたり、いろいろサービスをするもんで、疲れてしまうのである。 世話焼きすぎて、自分でどつぼにはまるってやつ。 こういうあほなんだよね、私は。 これを7年ちかく繰り返してきた。

ということで、家計のやりくり、勉強、ご両親の滞在、ということが私たちの新婚時代から、生活の一部になっていた。 私はいらいらすることも多かった。 旦那の些細な一言にかっとなって、「やってらんねーよ! ばかやろー!」って、4日ほど家出したこともあった。 双子が赤ちゃんの時も、夜、4時間の家出もした。 Ft. Lauderdaleのビーチでビール飲んでた。 いろいろあったんだけど、私と旦那は結婚してから今年の10月で・・・あらまー、12年だわ。

そういう季節のうつりかわりのなかででも、いつごろからだったんだろう、私は旦那に優しくしてあげているのだろうか? と自分に問うようになっていった。 旦那のすばらしいところは、こんな我が儘な私と結婚してくれた、その事に尽きるのである。 他の男だったら、それも日本の男性だったら、だめだったろうなぁ。 旦那は半分ラテンの血が入っているから、怒るときは、そりゃー熱いっすよ。 でも、私がいらだちをぶつけるときは、静かな言葉が返ってくる。 そして、私より素直で、彼のほうから、「I am sorry.」といってくる方が多いのである。 ちなみにうちの旦那は私より18歳年上である。 日本だったら、男が18歳年下の女に「済みませんでした。」というシーンは少ないよね。  なので、教会に行き始めてからであろうか、旦那の手持ちの朝食を作るようにしたり、機会があれば、些細なことでも、旦那に「ありがとう」と言うようにしている。 また、これは日本人っぽいのであるが、ちょっとしたことでも、「ごめんなさいねぇー、至らなくって・・・」という柄にもない言葉も出てくるのである。 


夫婦というのは、神様が定めたカップルだそうだ。 聖書に書いてあった。 旦那との出会いも、ドイツの小さな町でお互いに道に間違って、たどりついたところで、偶然にも待合のベンチの隣に座っていたってなことさ。 これは、やはりお父さんの采配だと思う。 しかし、神様が定めたカップルでも、うまくいかないことって多いと思う。 離婚する人も沢山いる。 イエス営業部の聖書を信じる人たちは、聖書の「理想」と「現実」のギャップに、聖書を知らない人たちよりももっと苦しむんだと思う。 

私はそういった経験がないから(いや、覚えていないだけか?)、苦しんでいる女性とお話をすると、どう慰めていいんだか、何をいっていいんだか迷ってしまう。 ゴシップのねたとして、いい加減な気持ちで聞くわけにはいかんし、言ってくる人だけの話を信じても、その人の相手というか敵の話はまったく別であることが多いので、実体を把握できないし。 せめて、「大変だねぇ」というくらいしか出来ない。 聖書を持ってきて、エペソの5章をさしたって、「あなたねぇ、夫に従えっていわれても、どうしようもない男なんだから、できないわよ。」って言われるのが落ちだ。 じゃあ、祈りましょう。 とやっても、このように悩んでいる人たちは、忍耐が限界に来ているから、即答を求めているのが常だろうなぁ。 だから、「あんたたちは、すぐ祈ろう、祈ろう、っていうけど、結局何も解決していないじゃない。 きれいごといわんといて!」と心の中で思われているんだろう。 じゃあ、そういう男のところにいって、「おい! こら! 彼女・奥さんに優しくしろ!」ってスリッパで、ペーン!ということしか、私には出来ないだろう。 中身のない私だから、すぐ手がでるのである。 あー、むずかしいねぇ・・・・・。  牧師先生たちは、こういった夫婦間の悩みを沢山聞かされているんだろうな。 どうやって答えているんだろうか。  ヒューストンの新婚牧師先生夫妻はそういった悩みを抱えてくる人たちに何ていうんだろうなぁ。 

 
人間って、いつも自分が正しいと思ってしまうものだから、自分が悪くても、「ごめんなさい。」とはなかなか言えない。 それは、自尊心であろうし、「ごめんなさい。」ということによって、自分の立場が弱くなることを恐れているからだと思う。 It is hard to say I am sorry. ってな歌があったっけ? 

日本の実家のことでいろいろあって、一年半前から、教会に行き始めて、人を許すことの大切さ(未だに苦しんでいるが)を、身にしみて感じたとき、だんだんと、自分が折れること、引き下がること、頭を下げることが実は「勝つ」ことなんだ、とわかってきた。 私にとっては、本当に苦しい、難しいことなんだけどね。 今でももがいている。 でも、6ヶ月前に、このやろう、と思う人間たちに頭を下げた。 しかし、自分の自尊心はなくなっていないし、負けでも、弱くもなっていなかったことに気がついた。 むしろ、頭を下げた自分が、1歩天のお父さんに近づいたような気もした。 本当に5cmくらいの1歩であるが。 だから、天のお父さんに「これでいいんですよね?」と帰り道、夜空を見上げて言った。 

誰にでも自分の「義」というものがある。 しかし、それは、self-righteousness(自己の義)であって、それを基準に他人を裁いてしまっている。 人間って、そういう毎日だと思う。 でも、母の葬儀の際に、正しい人間なんて一人もいないということに目覚めた。 正しいのは、天のお父さんだけなのである。 

今は、なんとなく楽しくやっている私たち夫婦でも、いつか危機は訪れる、と思う。 例えば、旦那が退職して、家にいる時間が長くなったときとか、双子が大学進学などで遠くにいってしまったとかね。 そういう季節が来たとき、私のことだから、自分中心になって、旦那を非難したり、自分を擁護することがおこるだろう。 しかし、まず、天のお父さんを見上げることを忘れたくないと思う。 「お父さん、どうしたらいいんですか? 教えてください。」って。 それには、やはり教会に行き続け、お父さんへの気持ちを常に新たにすることが大切なんだと思う。 

今日は、まじめにおわってしまったねぇ。 本当は、まったく別のことを書こうとしていたのだが、なんか結婚の話になってしまった。 

あかしや

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