No. 94 輪廻転生

突然、なんだ、仏教か? というタイトルである。

輪廻転生=りんねてんしょう。 仏教やヒンズー教などの根底をいく理念である。

人間が死んで、次に生まれ変わるときは、人間ではないかもしれない。 生前に、この世で積んだ業が次にどの動物となって「生まれ変わってくる」かが決まるらしい。 たとえば、悪いことをこの世でしたから、次は豚になって生まれ変わってくるとか。

ブラッド・ピットが主演した映画で、チベットが舞台になった映画がある。 題名もストーリーも忘れたが。 ダライ・ラマのことも述べられた映画だったかは、記憶が定かではない。 

ともかく、その映画の中で、ある建物をチベットの僧院の庭に建てようと計画したブラッド・ピットふんする主人公。 ある障壁にぶちあたる。

ブルトーザーで土を掘り起こそうとしたら、僧侶全員が大騒ぎ。 辞めてくれ、という。 なぜかというと、土の中にいる「みみず」を殺してしまうからである。 

チベットでは、「みみず」は「母」の生まれ代わりであると信じられているからということだ。 土は、「母なる大地」といわれるように、土からいろいろなものが生える。 だからかもしれない。 実際、みみずは、土作りに大切な働きをする。 みみずのウンチがよい土壌をつくるのである。  

え・・・・となると、アダムは土から作られたから、言い換えれば、みみずのウンチでできているのか???????



この輪廻転生のことや、仏教の考えには、地獄あり、天国ありなのである。 また、六道といって、天上界、人間界、修羅界、畜生界、飢餓界、地獄界がある。 天上界は、吸う空気も甘露であるらしい。

でも、仏教の根底とかいちゃったけど、ブッダって、ただ「悟り(さとり)」を開くことだけを精進した人であって、仏教といわれる宗教には、もともと「教義」はない、ということだ。 これは、大好きな作家の司馬遼太郎氏の言である。 彼は、関西外語大学のモンゴル語課を卒業して、関西の新聞社に勤務していたときは、「宗教」の記事を担当していた。 なので、あながち、間違いではないだろう。

仏「教」としての体系は、後進の人たち、いわゆるお坊さんたちが、いろいろ哲学をつけていったものだと思う。 ある法典を垣間見すると、聖書と似ている箇所がかなりある。 仏教という宗教体系が出来上がる過程には、景教(原始キリスト教で、中国の唐の時代:6世紀? に栄えた。)やら、新約聖書もかなり入っていったんだろう、と想像している。

この件に関しては、いつかじっくり研究したいな、と思っている。

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まあ、前置きはこのくらいにしてっと。

なんで、仏教の話をだしたか、というと、いわゆる”キリスト教”(個人的には、好きではない言葉である)には、「生まれかわり」のコンセプトがあるかどうか、という話から始めたかったからである。


キリスト教は、「生まれ変わり」を信じているでしょうか?

「はい」の人、手を上げてくださーい。

「いいえ」の人、手を上げてくださーい。


コンピューターの前で、夜ひとり、思わず、手を「は~い」と上げてしまった人がいるでしょう。 コンピューターに向かって話している自分を想像すると、怖いっすか?


キリスト教ってのは、「輪廻転生」は根本にまったくない、と思う。 でも、「生まれ変わり」らしきことが書かれている箇所がある。


ここで、以下の2箇所を挙げる。 

(1)旧約聖書のマラキ書4章5節
(2)新約聖書のマタイによる福音書の11章13,14節である。


<マラキ書4章5節>
見よ。 私は主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなた方に遣わす。(つかわす)  

<マタイによる福音書の11章13,14節>
ヨハネにいたるまで、すべての預言者たちと律法とが、予言をしたのです。 あなた方が進んでうけいれるなら、実はこのひとこそ、きたるべきエリヤなのです。


預言者エリヤは、激しい形で記述されている。 主に言われて、川辺に住めといわれた。 食べ物は、からすが運んでくるから、ということで。 しばらく、からすが落としていく食べ物でしのいでいた。 居候していた家の息子が死んでしまったところを生き返らせたり、最後は竜巻にのって主のもとに上げられた人である。 いわゆる、「ドラマチック」である。 ハリウッドの映画に十分なりそうなキャラクターである。

マラキ書は旧約聖書の最後で、このマラキ4章5節は、旧約聖書の最後から2番目の節である。 このページをめくると、次のページは、白紙である。

当時のユダヤ人は、エリヤがいつかくる、いつかくる、と信じていた。 なので、イエス兄さんが十字架につけられて、最後の断末魔で、「エリ、エリ、レナ、サバクタニ」と叫んでいるとき、周りにいた人々が「エリヤをよんでいるのか?」と言った。 それほど、エリヤというドラマチックな預言者はいつか来る、と思われていた。

でも、次の新約のマタイのところでは、エリヤはもう来た、と言っている。 それは、バプテスマのヨハネであるという。

このバプテスマのヨハネとイエスは生まれる前に、母親同士で会っている。 ヨハネが先に生まれ、イエス兄さんが続いた。 だから、年齢も同い年に近い。 このヨハネは、荒野でいなごなどを食べて生きていた。 そして、もうすぐ救い主がくる、から悔い改めなさいと、人々に洗礼を施していた。


ということで、バプテスマのヨハネは、預言者エリヤの生まれ変わりということが聖書に書かれているのである。



さて、話は180度回転して、うちの「ばかちん」のことに移る。

「ばかちん」のことを知らない人に説明する。 「ばかちん」は1歳半のうちの犬である。 アニマルシェルターから引き取ってきた、ラブラドールの雑種である。 

詳しくは、弊ブログ 
No. 73 またやってくれた、ばかちんちん
No. 60 うちのばか犬 (その1)  
No. 61 うちのばか犬 (その2)

でも読んでみてください。 めちゃくちゃなことしか、書いていないけど。

(*注意:上記リンクのHTML Codeをまだ、いじっていないので、クリックすると、このブログから一気にそこに飛んでしまいます。 BACKボタンを押しても、ここにもどらなかったので、上記リンク、後で読んでみてください。)


このばかちん、うちに来て、成犬となってから、鼻が黒からピンク色になってしまった。 つまり、マイケルジャクソン化したってこと。 黒色の皮膚組織が変わって、白くなった。 白いラブラドールでも、鼻は、たしか、黒だったと思う。 それが、ピンク。 なんか、間が抜けている。 でも、本人は気にせず、私たちのベッドでいびきをかいて、寝ている。

こいつをなぜ引き取ったか、という理由はこうである。 猟犬がほしいという旦那のために、アニマルシェルターに見に行った。 その前日、ラブラドールの雑種の子犬が5-7匹まるごとシェルターに置かれていた。 そこに私は行った。 連れて帰ることもあまり考えず、子犬がわいわいやっているケージのそばでしばらく観察していた。 

同じ兄弟の仲でも、力の強さがはっきりしていて、ヒエラルキーが出来ていた。 一匹の子犬は、いつも組み敷かれていた。 おもちゃも体の大きい子犬に取られてしまう。 でも、その大きい子犬が目を離した隙に、ささっとそのおもちゃを盗んでいた。

へぇーっとしばらく観察していた。 すると、その子犬がじーっと私を見ていた。 他の子犬たちは自分たちで、がうがう遊んでいたのに。 その子だけが、私がそばにいようと、遠くにいようと、お座りして、私のことをじいーっと見ていたのである。

その子を抱き上げて、「一緒におうちに帰ろうか?」 と連れてきた。

その後のめちゃくちゃな話は、上記Blogに譲る。 



なんで、こんなことを書くか、というと、発端は、昨年の10月下旬に日本から悲しい知らせを受け取った。 年の近いいとこが若くして、大腸がんでなくなったと。 連絡してくれた別のいとこが、同じメールで、もうひとつの知らせをくれた。 亡き父と母が溺愛していた愛犬が亡くなった、と。 

15年前、私がアメリカに立ったあとに、父と母は、保健所から子犬を引き取ってきた。 エンプティーネストに来てくれた、かわいい子犬。 賢く、愛嬌があった。 父は、なんとこの犬と一緒に晩酌を交わしていた。 さらに、おいしい刺身のトロまで、自分の箸で与えていたくらいである。 完全に「息子」と化していた。

私が帰国するたびに、歓迎してくれたのもこの犬であった。 毎度、後ろ髪を引かれる思いで、アメリカに戻るとき、この犬にいつも頼んでいた。 「ママとパパを守るのよ!」と。

果たして、その犬は、しっかりと家を守ってくれた。 そして、母の入院中に父が自宅で人知れず倒れて死んでいたときも、その犬は、そばにいた。 その犬が父の最期を看取ってくれたのである。

享年、14歳くらいであったろう。 いつ、亡くなったかは、わからない。 日本でいう中型犬で、ラブラドールのようでもあり、ゴールデンリトリバーを情けなくした、というか、15-20キロくらいにしたくらいの大きさ。 色も、うちのばかちんと同じような色。

2年前の母の葬式のあと、その愛犬に会った。 本当に喜んでくれた。 空港に向かわなければならない私を追っていきたそうに私を見つめていた。 それが、私と、その犬との最後の交わりであった。

ついに、あのわんちゃんも、母と同じ天国にいったんだな、とほっとした。 あまり、悲しくはなかった。 そのほうが、犬にとって、幸せだったと思う。


その愛犬の訃報を受けてから、しばらくしてのこと。 

ある日、うちのばかちんを見つめた。 あれ? 似ている。 父と母の愛犬に・・・・。 

愛犬の鼻は、子犬のときは、黒だったのに、いつのまにか、ピンク色になっていた。 ばかちんも、ピンク色の鼻である。 毛の色もとても近い。 

ばかちんは、私や旦那が家に帰るたび、狂喜する。 たった、30分外にいても、10年以上あっていなかったように。 父と母の愛犬もそうであった。  私が帰国して、玄関を開けたら最後。 猛歓迎攻撃にあった。

まだまだ、似ているところがある。  よく吠える。 本当にうるさい。 そして、布団の上に寝る。 動かすと、「う”--」と怒る。  そんな点もまったく同じである。



えええええ・・・・・・・・ ま、さ、か・・・・・・・・・。



では、なんで、あれだけ多くの子犬たちがいて、唯一、ばかちんだけが、私のことをじーっと見ていたのか????


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ときどき、ばかちんに向かって、「あなた、XXXXでしょ?」と父母の愛犬の名前で話しかける。 ばかちんは、じーっと私の目を見つめるだけ。 

ええい、ひとこと、ワン!といわんかい!


もしかして、そうかもしれない。 聖書でも、バプテスマのヨハネがエリヤの生まれ代わりだって書いてあるから、キリスト教でも、「生まれ代わり」は認められているってことだ。 愛犬は、父母を見送ったあと、一度天国にいって、今度は、私のところに戻ってきてくれたのかな? 

少し信じたいな。 

もう、夜の10時半。 また、冷えてきた。 今晩も、ばかちんと布団の中で一緒に寝よう。


あかしや番頭

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