No. 228 「馬鹿じゃないの?」の使い道
仕事中、一息、休みってときに、Youtubeを開くことがある。
また、音楽のYoutubeをBackgoundに流すことが多い。
Youtubeはかってに「お勧め」が表示されるので、題名に載せられて、ちょこっとみてしまうことも多々ある。
そう、あたしはふつーの人間。凡人で、はやりに流される。
んで、ホリエモン、ひろゆき、青汁王子、南原さん。。は結構見るようにはなった。
特にホリエモンやひろゆきさんは、辛口発言が多い。
「XXXXXなことって、馬鹿じゃね?」
「XXXXはもう終わっている。」
「XXXはボケましぐら。」
この「馬鹿じゃね?」という言葉はYoutube, SNS, Twitterなどでは、市民権を得ている。
でも、その言葉の裏に、「なんとかしてよー。」という期待も多少含蓄されていると思う。
そして、この過激な言葉に啓発されて、心ある人、気が付く能力のある人は、改善してちょうだい、という薄い期待感もあると思う。
じゃあ、聖書はなんていっているかな?
箴言9章7節―9節【1955年改訳】*
あざけるものをいさめる者は、自ら恥を得、
悪しきものを責める者は、自ら傷を受ける
あざけるものを責めるな、
おそらく彼はあなたを憎むであろう
知恵あるものを責めよ、彼はあなたを愛する
知恵あるものに教訓を授けよ
彼はますます知恵を得る
正しいものを教えよ、
彼は学に進む
あたしは、てっきり、馬鹿って言っちゃいけないよ、って聖書は言うと思った。
しかし、違った。
聖書では、人を選んで、お小言はいうように、といっている。
きつい言葉は、知恵のある人に、使え、ということだ。
ここのきつい言葉は、改善を求めるという含蓄がある。
聖書のロジックってこうだ。
あざける人を戒めたり、責めたりすると、反対に恥をかくし、反対に憎まれる。
悪しき人に何か言うと、傷つけられる
だけど、辛辣なアドバイスは人を選んで、知恵がある人だけに使えば良い。
ということだね。
古い言葉に「馬鹿にバカ、といってはいけない。」というのもある。
そうか、やっきになって、あまり考えず、馬鹿!と言わない方が安全だし、疲れないか。
SNSに何であんたバカなの、という説明を書くのも、時間がもったいない。
言いたくなったら、一晩ゆっくり寝てから、言うかどうか、考える方が賢いね。
あたしも、気をつけようっと。
怒ったり、かちんとくると、「あほじゃね!」と言ってしまうこともあるので。
一方、上の人や、お仕事関係の人から、お小言を言われなくなったら、諦められてしまった、と青くなったほうがいいのかもしれない。
そして、良識ある人に「馬鹿!」と言われたら、喜ぶべきか?
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上記の節を引用した聖書は、1955年改訳である。
あたしの机の上には、かならず聖書が置いてある。
でも、教会再開してから、聖書はバッグに入れて、入り口の方に置いてある。
代わりに、母の古い聖書を机の上に置くことにした。
ところどころ、母のメモがある。
一緒に教会の週報みたいのも挟まっている。
1982年と書かれている。
また、紀文 ○○工場の”大募集 パート アルバイト”の広告も二つ折りになって挟まっている。
時給640円だって。
日勤 9400円
夜勤11,000円
広告の裏は白紙。そこに母のメモが書かれている。
シャローム、の意味
おろかなこと = 不信仰
あがなう、の意味
”ゆるがない確かさ”
1980年代の食品製造のアルバイトの時給は上記だけど、2021年の現在、多少は変わっているのかな。今は$800-$1000くらい? あまり増えていないじゃないの?
でも、母のメモにあるように、神さんのことには変化がないなぁ。
1982年って39年前のことか。
母が難病と診断される頃だった。。。。
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