No.231 横浜カナンキリスト教会
15年前に、父が亡くなったあとのこと。
喪が明けて、家の片づけに帰国した。
洋服、布団などどうしよう、と思案した。
鎌倉に雪の下教会(プロテスタント)がある。
そこの長老の方とよく連絡を取っていたので、相談したところ、
「カナン教会に寄付してどうでしょうか? 寿町にあります。」
*寿町:横浜の町。簡易宿泊所などがある。
ということで、亡き父の洋服、靴、布団を寄付した。
ここで、日本ならではの障害、というか、小さな困難がある。
荷物をどうやって運ぶのか? 私は単なる一時帰国者なので、車はない。
アメリカでの運転に慣れてしまったので、日本の左側通行の狭い道路では、もう運転できない。
だれかひき殺してしまう。
んで、どうしたか、というと、郵便局に電話して、特別にピックアップしてもらった。
料金を払って。
小さい活動でいいので、何かのついでに、ピックアップして、お届けしてくれるサポートがあれば、ありがたいなぁ。
車社会ではない日本では、難しいか。
横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区と並ぶ、「ドヤ街」である。
ちゃらちゃらとデートする元町、綺麗になってしまったレンガ倉庫広場、横浜スタジアムがあると京浜東北線の東側ではなく、反対側の西側にある。
子供の頃、父の運転する車で、寿町界隈に入ってしまったことがある。
車の窓から見える景色は、普段、あたしが暮らしている環境とは違った。
路上での焚火。
そして、人々の目が違っていた。
あたしと父は、そこでは、場違いな存在であった。
このビデオは、横浜カナンキリスト教会が行っている寿町に住む方たちへの祈り、希望、支援が記録されている。
ナレーションは、どこかで聞いたことのある声かもしれない。
映像に、若い人たちが、参加してサポートしているのを見て、日本、悪くない、と思った。
これから、日本は、お金儲け、ではなく、「愛」があふれる国になってほしい。
多くの人がどん底を経験している日本のこの頃。
でも、優しい若者が増えているように思える。
お金は生きるのに必要だ。
しかし、お金を求めるのを、目的としてしまうと、どうなんだろうか。
達成の代償としての計りとしての、お金は心地よい。
でも、時に人は、「稼ぐこと」に必死になってしまって、家族との時間、自分の時間を忘れてしまうことがある。
生きるのが目的で、お金はそれに必要なのだ。
1コリント 1:28
(神は)有力なものを無力なものにするために、
この世で身分の低いものや、
軽んじられているもの、
すなわち、無きに等しい者を、
敢えて選ばれたのである。
人は自分が弱い時に、助けを求める勇気が出れば、強い。
自分のエゴをすてて、神さんに、「助けてください!」と叫ぶいう瞬間、人間は強くなれる。
聖書に書かれていることに忠実に、献金はする。
今は、オンラインで自動的に定期献金ができる世の中。
でも、時に思う。
これでいいのかな、と。
お金、献品を送ったままで。。。
1コリント 13:3
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、
自分のからだを焼かれるために渡しても、
もし、愛がなければ、
一切は無益である。
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