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9月, 2021の投稿を表示しています

No. 238  山の下り坂

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 2021年の9月はあっという間に飛び去ろうとしている。 巷では、まだコロナのデルタバリアンスがはびこっており、感染者、死亡者は相変わらず発生している。 先日訪れたフライフィッシングのお店のご主人もこの初夏に亡くなってしまっていた。 コロナだった。 奥さんが後をついで、店を切り盛りしている。 ある一定の年を超えた人たちの死因ではコロナが多くなっているが、若い人たちの罹患者が「死」に至ることは少ない。ただし、重症になり、後遺症を引きずる場合もある。 若い人たちの死がニュースになっても、その陰で、老兵はそっと消えていくのであろう。 日本は、先日、菅総理大臣の退任後の後継が発表された。 日本って、うちわで決めるのね、次の後継者。 そんななか、同窓生からお嬢さんの就職先についてのメールが届くなど、日本の若い人たちにとっては、結構大変な世の中になっている日本。 今後の予測、という題が付く記事には、押しなべて貧富の差が激しくなる、という。 日米、同じようなことが起こっている。 アメリカの不動産は登り基調であったが、投資家や、現金で買える人達が20%以上のSalesを占めており、始めて家を買う人の層にとっては、手が出なくなっているアメリカの不動産市場である。 あたしも、今後、若くはならないし、旦那かあたしのいずれかが先に死ぬことは確実。 自分の子供たちの経済的安定も必要だろうから、その準備はしていこうとは思う。 行動はすでに一つは起こして、軌道には乗っている。 でも、子供が二人いるから、もう一つのプロジェクトをしたいが、最初の一歩がまだ踏み出せていない。 そいういう優柔不断な現状に嫌気もさすし、この不動産、株価高騰の時代、何に手を付けようかと思う。 上がったものは、下がるので、投資項目の値段が下がるまで待つか、という気持ちもある。 しかし、命には限りがある。あたしも明日しぬかもしれない。 山道は登りは大変だけど、下り坂の方が難しい。 一気に転落ってこともあるし、往路だから疲れている。 あたしは人生の下り道を歩まなければならないのだろう。 だったら、注意が必要である。 登るときより、降りる時のステップを一つ間違えれば、がけから落ちてしまう。 しかし、まてよ。 そんな考えがもたげるのは、下に降りることを考えているからだろう。 では、一生、登り続けていくことを考えていくのは、どうだろう

No. 237 神さんに押し付け

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先日の聖書の箇所を再度くりかえす。 ルカ 18:18 また、イエスは、失望せずに常に祈るべきことを、人々にたとえで教えられた。 たとえを要約すると、冷酷な裁判官に、やもめがしつこく懇願しにきていた。 暫くは無視していたが、あまりにも、しつこいので、もうやめてちょうだいよ、という感じで、その依頼を引き受けた、ということだ。 なので、毎日しつこく、神さんに祈っていくと、上にいる神さんは、 「あーもう、うるせぇなぁー! 聞いてやるか、その祈り!」 となることを、あたしは期待している。 この前の書き込みに息子の命が助けられたことを書いた。 その祈りだって、以下に書くようなもんだった。 でも、しっかりと聞かれていたのだ。 息子が大学にアプライ(申請)するとき、がたがたしていた。 だって、成績わるかったので。 親子で喧嘩して、息子は夜に家から、弾丸のように出て行って、家の前で膝を抱えてすわっていたこともあった。 部屋の壁にパンチか蹴り入れて、穴が開いたことも。 ある時、もう、こりゃだめだわ、と神さんに投げつけた。 「神さん! 今、ガタガタしていますが、にっちもサッチモいきません。 なので、ここであなたに投げます! 神さん、あんたが創ったうちの子供たちです。 あたしはここまで託された命を育ててきました。 でも、ここでがたがたして、大変です。 もう、すべてお任せします。 煮るなり、ゆでるなり、すきにしてくだせぇ!」 で、お役御免を願った。 そのあとである。 大学に受かり始め、学費半分を負担できる奨学金がもらえた。 そして、知らない間に、息子は命を救われていた。 ただ、神さんに投げただけだ、あたしは。 でも、その願いはしっかりと聞きとどけられ、願い以上のこと、 つまり、命を助けてくださった、という究極のおまけをいただいていたのだ。 だから、祈りの始めには、感謝をたくさんしなきゃ、とますます思う 

No. 236 聞かれる祈りのコツ?

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 こんな話を聞いたことがある。 息子を殺した犯人が釈放されるときに、その殺人犯が求刑され、罰金刑が課された。 被害者の父親はこういう条件をつけた。 「毎日一ドルのチェックを息子の名前で、一生、ここに送り続けなさい。」 暫くは、罪の意識の為、毎日こつこつとチェックを書いていた。 しかし、1年も経つと、チェックを書く作業は、かなりつらくなってきた。 毎日毎日自分の罪をチェックを書くたびに、思い起こされたからである。 一ドル、という金額の少なさに、これは、簡単だぜ、と承諾して始めたこと。 しかし、これは、究極の拷問であったのだ。 現在であれば、Online Bankingで自動に設定すれば、何もせずに、毎日お金は送られていくだろうけど。 この毎日何かをする、というのは、結構難しいだろう。 毎日の継続の習慣ができる人はいる。 あたしは、できない方である。 あることを始めても、仕事で忙しくなると、忘れてしまう。 途中までやりかけたペーパーワークもどこかへ。 ある時、その紙を見つけて、「なんだったっけ?」という有様。 本当に、良く忘れる。すっぽかす。怠惰である。 今日、聖書を開けたら、以下の箇所が出てきた。 ルカ 18:18 また、イエスは、失望せずに常に祈るべきことを、人々にたとえで教えられた。 卒業式で、地元の名士と呼ばれる人がくる。 小学生、中学生を前に、1-2時間、演説をしていた、というかすかな記憶がある。 でも、今、思い出そうとしても、その時の演説なんぞ、まったく覚えていない。 その人間が誰だったかも、覚えていない。 その人間がメッセージを伝える相手は、卒業する子供たちではなく、校長先生、先生たち、親御さんたちだったのだろう。 一方、アメリカの大学を卒業するときに、来てくださった方は、宇宙飛行士だったかたであった。 アフリカンアメリカンの人。 完結なメッセージで、最後の締めくくりが、”Stay Focus!”だった。  宇宙船の外部で、何かを修理するときか、何かをガイドするとき、ロボットアームを使って、細かい作業をしたときの話だった。Focusして、その業務を達成した話だったと思う。 この「Stay Focus!」という言葉は、心に残っている。 上記より、神さんに聞いてもらえるお祈りって何かコツがあるんだろうか? と考える。 韓国のチョー・ヨンギ牧師は、「具体的に祈る

No. 235 あたしは貧欲だったのだなぁ

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仕事で一つの顧客を失うことになった。 それは、予測していたけど、ばあちゃんのことで、6月ー7月まったく仕事ができなかったことも影響している。 しかし、心証はよくなかった。 あったりまえだ。 ビジネスをしていて、収入が減ることは良くない。 結構大きな額である。 一方、その仕事は、自分が機械になった、というか、ソフトウエアに使われてしまっている、という感が増してきていた仕事であった。 不毛だなぁ、と思っていた。 たぶんであるが、そのつぶやきを神さんに聞かれてしまったのかも。 そのお客を失うことがはっきりしたとき、「不安」が私を襲った。 そして、今まで気にしなかった銀行口座の残高や、今後の経済状態を考えてしまった。 まだ、起こっていないのに。 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。 ……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。 あすのことはあすが心配します。 労苦はその日その日に、十分あります。 マタイ 6 : 25 、 32 〜 34 そして、今週教会からいただいた記事は以下。 韓国の牧師先生が書いた文章である。 この世で神の国を味わうためには、貪欲に気をつけなければなりません。 貪欲とは、自分のために何かを得ようとする強い欲望です。 信仰の先人たちは、食べ物に対する貪欲も罪と考えるほどの敬虔さを追い求めました。ジャン・カルヴァンは、宗教指導者たちに対し、大皿を 3 枚以上使うような豊かな食事を禁じる規定を作りました。 今日の私たちは、昔に比べて豊かになり、ゆとりのある生活を送っていますが、それにもかかわらず満足することができません。 それでサタンは、「今よりもう少し努力すれば、安定した老後を送ることができる」とささやいて誘惑します。このような不安のために、人は少しでも多くの財産を得ようとするのです。特に人は未来の安全を願うので、それを得ようとしてあれこれ考えているうちに、だれもが貪欲という罠に掛かってしまいます。 貪欲なこころが働くと、「もしかして不幸が訪れる