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8月, 2021の投稿を表示しています

No. 234  すくわれていた命・子供の為に祈る

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 いやー、もう神さんには、感謝しかない。 仕事のことや、お金のこと、物のことをお願いするなんて、程遠い。 そういうことを思い知らされた先週であった。 今、仕事前に書いているので、かなり短い文章となる。 うちの息子が大学にいったばかりのある夜。 コンピューターゲームを安く譲る、という話に引き寄せられて、引き渡し場所にいったらしい。 そこで、銃口を突き付けられた。 そして、財布などを取られた。 しかし、息子はその輩の後を追いかけて、追いつき、捕まえたらしい。 警察が来るまで、その男を押さえつけていたそうだ。 犯人は、息子に銃口を突き付けて、引き金を引いた。 しかし、弾丸は発砲しなかった。。。。 先週、息子の部屋をかたずけていて、見つけた警察からの手紙から発覚した。 その事件は3年前のことであった。 しかし、息子は帰省した時に、一言もそのことを話さなかった。 ぞっとする。 今でもショックである。 本当にぞっとする。。。 一週間たっても、私の心には、銃弾の鉛の重さが、胃にのしかかる。 私と夫は、本当であれば、息子を失った夫婦であり、死ぬまでその悲劇を引きずって生きていたはずである。 *** 引き金を引いても、弾が出なかったのは、神さんの「わざ」だ。 神さんが、息子を守ってくれていたのだ。 もう、感謝しかない。 それ以外にない。 仕事のこと、経済的祝福のこと、そんなこと、祈る気もしない。 ひれ伏して、祈るだけである。 神様、息子を守ってくれてありがとうございます。 親は、子供の為に、ずっと、真剣に祈っていくしかないのだ。。

No. 233  IQ 145 はすごいことか?

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うちの旦那側の親戚にIQ145の人がいる。 あたしの旦那もIQ140超えているということだ。 ホームレス差別発言 で、昨日、Youtubeが炎上した、というメンタリスト ダイゴって人もIQ142だそうだ。 ちなみにお医者さんたちの平均のIQは120というのを、昔読んだことがある。 あたしのIQは。。。知らない。 小学校の時、ア・テスト受けさせられたのだろうけど、知らない。 Wikipediaからの引用では、IQとはIntelligence Quotient  知能指数 (ちのうしすう、 独 :  I ntelligenz q uotient ,  英 :  I ntelligence  Q uotient ,  IQ )とは、数字であらわした 知能検査 の結果の表示方式のひとつである。知能が高いほど数字が大きく、知能が低いほど数字が小さくなる。 IQの平均値は100であり、85–115の間に約68%の人が収まり、70–130の間に約95%の人が収まる。 ということだ。 更に、Wikipediaを読み進むと、以下の表がある。 職業集団とWAIS-Rの全検査IQ  職業集団                     全検査IQの平均 専門的・技術的職業(医者、弁護士)  112.4 経営者・役員(事務職員、販売員)   103.6 熟練労働者(職人、職長)       100.7 半熟練労働者(サービス業、農業)    92.3 非熟練労働者(肉体労働者、農場労働者) 87.1 IQへは、環境、遺伝、と色々なファクターが影響するらしい。 しかし、読んでみると、あまり明確なベースがみあたらないなぁ。 まあ、それはともかく。 イエス兄さんは大工だったから、職人、職長でIQ100.7のカテゴリ。 ペテロは漁師だったから、反熟練労働者あたり。なので、IQは92.3のカテゴリだろうかね。 マタイは、事務職員に該当するだろうから、100.7 ルカは医者だったので、一番上の専門的技術的職業のカテゴリーでIQ112.4 パウロは、弁護士レベルの法律家だったので、同じく一番高い平均値のIQ 112.4のカテゴリ。 IQに限って言えば、みんな、あたしの親戚や旦那のIQよりは、下である。 そして、使徒たちの中で、下位に分別されてしまった職業についている人たちが、12人⁺1人(イエス兄さん)のリ

No. 232 自制

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  Blogは心に余裕がないと書けない。 八月の中旬になる今週に、やっとBlogを書いている。 前回書いたのは、5月3日と6月1日。 この両日付の間に、スーパーばあちゃんは天国に行った。 ばあちゃんのお葬式がおわり、さて、医療費の支払いとほんの少しあった貯金というか、投資の分割、という話になった。 親が死ぬと、避けて通れない遺産分割。 多くは、もめる。 うちも例外ではなかった。 ばあちゃんの残したお金は、ものすごく少額だった。 しかし、お金がどうしても「今」欲しい人がいた。 その為、6月と7月は、計算したり、緊急の州外の旅、ということが起こってしまった。 物議を醸しだしたので、当然、いやな気持にさらされた。 親戚の間で、朝からテキストやら、E-Mailやら。。。 16年前に経験した遺産相続の時の、いやーな心の痛みがほじくり返された、という感じ。 信じられないような発言もあった。 ここまで言うか、という。 多くの人は、知り合いや友人に、「ねえ!聞いてよ!」とぶちまけるだろう。 また、発信する場所があれば、そこに、感情のままに吐露する人もいるだろう。 YouTubeやBlog、Facebook, Twitterなどは、ぶちまけのオンパレードではないか。 *** ガラテヤ書 5:23 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、自愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 「御霊」は聖書では、”みたま”と呼ぶ。 お味噌汁をすくう「おたま」ではない。 えー!聖書って、「霊界」や「スピリチュアル」な話もでるんかい!  と思う人もいるだろう。 あたしも、おおー、キリスト教でも、「霊」があるんかいな、とまだ、イエス営業部になっていないとき、思った。 霊能者の江原啓之さんや、美輪明宏さんがでてきそうじゃないの。 「あなたの後ろに、先祖の霊が。。。」「背後霊」「守護霊」などに使われる「霊」という漢字があてはめられている。 この”みたま”はスピリットというのかな。 イエス兄さんが死んじゃって、生き返って、天国にいったあと、 「私は体は地上にはないけど、ほら、気持ちを送るよ!」って感じだろうか。 御霊(みたま)は、「聖霊」とも「Holy Spirit」とも言われる。 そこらへんをうろうろしている「霊」より、ずっと次元が高いと思う。 「霊談議」はこのへんにして、数式を書

No.231 横浜カナンキリスト教会

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15年前に、父が亡くなったあとのこと。 喪が明けて、家の片づけに帰国した。 洋服、布団などどうしよう、と思案した。 鎌倉に雪の下教会(プロテスタント)がある。 そこの長老の方とよく連絡を取っていたので、相談したところ、 「カナン教会に寄付してどうでしょうか? 寿町にあります。」   *寿町:横浜の町。簡易宿泊所などがある。 ということで、亡き父の洋服、靴、布団を寄付した。 ここで、日本ならではの障害、というか、小さな困難がある。 荷物をどうやって運ぶのか? 私は単なる一時帰国者なので、車はない。 アメリカでの運転に慣れてしまったので、日本の左側通行の狭い道路では、もう運転できない。 だれかひき殺してしまう。 んで、どうしたか、というと、郵便局に電話して、特別にピックアップしてもらった。 料金を払って。 小さい活動でいいので、何かのついでに、ピックアップして、お届けしてくれるサポートがあれば、ありがたいなぁ。 車社会ではない日本では、難しいか。 横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区と並ぶ、「ドヤ街」である。 ちゃらちゃらとデートする元町、綺麗になってしまったレンガ倉庫広場、横浜スタジアムがあると京浜東北線の東側ではなく、反対側の西側にある。 子供の頃、父の運転する車で、寿町界隈に入ってしまったことがある。 車の窓から見える景色は、普段、あたしが暮らしている環境とは違った。 路上での焚火。 そして、人々の目が違っていた。 あたしと父は、そこでは、場違いな存在であった。 このビデオは、横浜カナンキリスト教会が行っている寿町に住む方たちへの祈り、希望、支援が記録されている。 ナレーションは、どこかで聞いたことのある声かもしれない。 映像に、若い人たちが、参加してサポートしているのを見て、日本、悪くない、と思った。 これから、日本は、お金儲け、ではなく、「愛」があふれる国になってほしい。 多くの人がどん底を経験している日本のこの頃。 でも、優しい若者が増えているように思える。 お金は生きるのに必要だ。 しかし、お金を求めるのを、目的としてしまうと、どうなんだろうか。 達成の代償としての計りとしての、お金は心地よい。 でも、時に人は、「稼ぐこと」に必死になってしまって、家族との時間、自分の時間を忘れてしまうことがある。 生きるのが目的で、お金はそれに必要なのだ。 1コリ

No. 230 愛がなければ

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告白する。 現実逃避としてYoutubeをみることがある。 仕事の合間の息抜きに。 ビジネス系Youtubeもよく見る。 ひろゆきさん、ホリエモン、南原さんなどは、聞いていて、ほおー、そういう考えなのね、と感心することもある。 ほかに長者番付上位の人のYouTubeを見て、家を掃除しなきゃ、とか、啓発はされる。 まあ、そんなビデオを見てきてはいた。 でも、この日曜日、Youtube Channelに下の番組が出てきた。 死に向かう母親の為、病室で結婚式を挙げた、というもの。 その二日後、この方の母親は亡くなった。 百万回再生されている、とキャプションに出てきている。 Leslee Layton Filmという会社がYoutubeにUploadしているので、収入を得ることも目的とはしていると思う。 でも、内容を見ると、ビデオにあふれているのは、「愛」であった。 たまにみているのが、デンジャラス赤鬼のYoutube。 横浜は関内の駅構内と横浜スタジアムの脇で、路上生活をする人たちに、いつも食事を配っている”なきまくん”たちがのチャンネル。 あの界隈は、私が住んでいたところなので、あ、近所じゃん、という背景が出てくる。 そう。横浜ってのは、30-40年ほど前から、みなとみらい、とか言って、開発はすすんだが、あまり美しい景色になはっていない。 汚く、路上生活者がいつも風景にあり、裏には、元遊郭だったソープランド街があり、飲み屋があり、在日韓国人の友達が、素のままで生活できるところーだった。  やくざさんもいまだに沢山いるんじゃないかな。 中華街にある事務所の前だけ、いつも、駐車スペースがあいていた。 関内駅の北側に行けば、寿町、というドヤ街がある。(そこにカナン教会がある。) さて、デンジャラス赤鬼のなきま君たちが、路上生活者の方たちを支援し始めて、であったのが、「おいちゃん」。 先週にそのおいちゃんは、舌のがんで亡くなった。たぶん、寿町の簡易宿泊所だったのだろう。 4か月、ずっとなきま君たちはおいちゃんの世話をしてきた。 売名行為、再生数稼ぎ、という批判も当然あると思う。 でも、おいちゃんの最後の一週間のビデオをまとめてくれて、Upしてくれたのが、この土曜日。 他人にとって、人の死はある意味で快感― シャーデンンフロイデ”Schadenfreude” である。 物見遊山で

No. 229  お客様は、神様じゃねぇ

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以下は、昭和の名言である。 「三波春夫でございます。 お客様は神様です。」 今の若い人は知らないと思うけど、三波春夫さんという歌手がいた。 令和の前の前の元号、昭和の時である。 戦後の歌謡曲の歌手の多くが、教科書通りみたいな歌い方だった。 この歌手の人が、派手な着物をきて、派手なステージに立っているお姿はテレビでよくみた。  男のくせに、お化粧をしてステージに立っていたので、子供の時は、不思議な人がいるなぁ、と思ったことも。 昭和かぁ、テレビ、というメディアが、お茶の間の中心であった時代のこと。 「お客様は神様です。」 結構インパクトが強い文句なので、人々の頭に、まるで格言のように刻みこまれている。 意識に植え付けられている言葉だから、多くの人たちが、勘違いして、この文句を真実と思ってしまっている。 結果、このフレーズは、色々な場面で使われるようになった。 一番利用しているのは、「クレーマー」と呼ばれる人たちかな? クレーマーって、これまた、「Cramer vs Cramer]という古い映画ではなく、「クレーマー」。英語だと、WinerとかComplainerというのかな。 店やサービスしてくれる相手に対して、難癖付けて、ぐちぐち文句言う人達のことらしい。 そこでよく使われるフレーズは、「お客様は神様だ!」らしい。 あたしの商売は一応、客商売+法律+政府に提出、というたぐいである。 でも、クレームはほとんどなし。 困ることは過去数回しかない。 その一部を公開すると、こうなる。 私より年上のお客さんでアメリカ人だけど、順番を待たずに、すぐに結果を急ぐ人がいた。  そういう方には、順番ですよ。ほかのお客様も尊敬しなければなりませんので、私の方で処理しなくてもいいですよ、とやんわり断ってしまう。 私も歳をとると、このように、忍耐が無くなるのか、と怖くなる。 気を付けようっと。 でも、こういう人たちは、まだ、かわいいほう。 問題なお客は、法律を説明しても、従わないようにできないか、と湾曲的に聞いてくる人。 もっと問題なのは、法律を説明しても、それにチャレンジしてきたり、無視して続行という人たち。 そういう人達は、あたしは、”Fire Clients”をする。 日本語に直訳すると、「お客を解雇する。」 たとえ、百万円、二百万円くらいの手数料を毎年頂いていても、”Fire”しち

No. 228 「馬鹿じゃないの?」の使い道

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 仕事中、一息、休みってときに、Youtubeを開くことがある。 また、音楽のYoutubeをBackgoundに流すことが多い。 Youtubeはかってに「お勧め」が表示されるので、題名に載せられて、ちょこっとみてしまうことも多々ある。 そう、あたしはふつーの人間。凡人で、はやりに流される。 んで、ホリエモン、ひろゆき、青汁王子、南原さん。。は結構見るようにはなった。 特にホリエモンやひろゆきさんは、辛口発言が多い。 「XXXXXなことって、馬鹿じゃね?」 「XXXXはもう終わっている。」 「XXXはボケましぐら。」 この「馬鹿じゃね?」という言葉はYoutube, SNS, Twitterなどでは、市民権を得ている。 でも、その言葉の裏に、「なんとかしてよー。」という期待も多少含蓄されていると思う。 そして、この過激な言葉に啓発されて、心ある人、気が付く能力のある人は、改善してちょうだい、という薄い期待感もあると思う。 じゃあ、聖書はなんていっているかな? 箴言9章7節―9節【1955年改訳】* あざけるものをいさめる者は、自ら恥を得、 悪しきものを責める者は、自ら傷を受ける あざけるものを責めるな、 おそらく彼はあなたを憎むであろう 知恵あるものを責めよ、彼はあなたを愛する 知恵あるものに教訓を授けよ 彼はますます知恵を得る 正しいものを教えよ、 彼は学に進む あたしは、てっきり、馬鹿って言っちゃいけないよ、って聖書は言うと思った。 しかし、違った。 聖書では、人を選んで、お小言はいうように、といっている。 きつい言葉は、知恵のある人に、使え、ということだ。 ここのきつい言葉は、改善を求めるという含蓄がある。 聖書のロジックってこうだ。 あざける人を戒めたり、責めたりすると、反対に恥をかくし、反対に憎まれる。 悪しき人に何か言うと、傷つけられる だけど、辛辣なアドバイスは人を選んで、知恵がある人だけに使えば良い。 ということだね。 古い言葉に「馬鹿にバカ、といってはいけない。」というのもある。 そうか、やっきになって、あまり考えず、馬鹿!と言わない方が安全だし、疲れないか。 SNSに何であんたバカなの、という説明を書くのも、時間がもったいない。 言いたくなったら、一晩ゆっくり寝てから、言うかどうか、考える方が賢いね。 あたしも、気をつけようっと。 怒ったり、か

No. 227 顧客が洗礼

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 とても暑い毎日。 ばあちゃんが逝ってまってもうてから、3か月経ってしまった。 人、特に親というものが亡くなると、残った子供たちの間で、お金に関するいざこざが起こるのは、いつものこと。 それやかんだで、緊急事項の対応などで、州外に行ったり、会計やったり、ばたばたしていた。 そんな中で、嬉しいおしらせ。 数年前、お客様を教会に連れていった。 そのお客様が、昨日、洗礼を受けた。 ご本人だけではなく、奥様とお子さんお二人を含む、家族4人全員であった。 私はただ、声をかけて、教会に来ていただいただけ。 すべては、神さんのご計画だと思う。 数年前、教会に来ていただいたとき、たぶんであるが、この家族の為に祈ったと思う。 神さん、お願いしまっせ、って。 でも、そのあとは、どうなのかなぁ、と思っていた。そして、コロナ禍が来た。 その祈りは、忘れてしまったけど、教会のみんながフォローして、コロナの大変な時期に、この家族を支えてくれた模様。 以前、別のお客様を連れてきて、紹介したとき、看護師の方がこう言った。 「お客様でーす、って紹介していたから、次回は、私も、”患者さんでーす。”って連れてこようかな?」 ** 選ぶのは神様である。 私はただ単に、神さんが上から見ていて、ご自由に使われていたにすぎない。 このご家族の祝福を心から神さんにお願いする。 ありがとうございます。神さん!