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5月, 2007の投稿を表示しています

No. 71 インターネットのない生活へ

6月下旬まで無沙汰をさせていただきます。 そこには、インターネットが無い、日本海に面した集落というか、村というか、町です。 昔は共同浴場があり、秋には、若者たちが剣を持って踊る祭りがあります。 お寺があって、それを中心に村ができています。 お店は一軒しかありませんでしたっけ。  年を取った方には、その村から一歩もでたことがない、といいます。  ちょっと出ると地平線に砂丘が見えて、そこまでずっと田んぼが続きます。 今頃は、苗代で稲が生長していて、田植えの時期だとおもいます。 過去25年通っていたんですが、最近は駅の周りも華やかになってきました。  おどろいたことに、教会も出来ていました。  では、6月下旬に。 あかしや番頭

No. 70 GPS

先週の終わりから、旦那とのコミュニケーションの時間をしっかりと持つため、夜9時の旦那の就寝時間以降は、コンピューターに向かうのを辞めた。 でも、今日は、旦那は出張。 それに、神さんに書けって言われているようだ。 日本行きの準備やら、ケーブルから光ケーブルのブロードバンドに変える工事やら、息子のサッカーやらでくたくたなので、30分以内で書いてみようと思う。 自慢ではないが、私は野外や路上での方向感覚が悪くない。 太陽の場所とか、感覚的に方向がわかる。 本当に迷って困ったというは、イタリアのベネチアでまよって、ウィーン行きの夜行列車の出発5分前に列車に飛び込んだということくらい。 一方、旦那は始めての場所は方向音痴。 歌も音痴。 だからか、狩猟のポイントを記録しておくためか、GPSのナビゲーションの端末をだいぶ前に購入した。 ちょっとした遠出には、このGPSを持っていく。 GPSとは、Global Positioning Systemの略で、衛星からの信号を受けて、地球上の位置を確定するシステム。いまや飛行機も船も使っている。 この週末、旦那の上司というか、仲の良い人の別荘というか、キャンピングカーの置いてある湖畔のコミュニティーに行ってきた。 これは、2006年の夏あたりの弊投稿「みあげてごらん、夜の星を」に書いた場所。 我が家から2時間のところ。 ダラスの北東にあり、ルイジアナ州よりである。 さて、旦那はこのGPSを車に乗せて発信した。 子供の日本語学校からの出発であった。 私は、一回行った場所なので、方向、使う道、ハイウエイはあたまに入っていた。  このGPS, うるさい。 そろそろ曲がる、ってときに、「ビビッ」と言う。 今、曲がれ、ッちゅー時には、、「ビビーッ!」  さらに、このGPS, 危ない。 運転しながら、旦那、「ピッピッピッ」って、GPSの機械のボタンを押すもんだから、こちとら、事故になりやせんか、とひやひや。 私にとっては、道順と方向をを最初から頭にいれておいて、肝心な右か左かの曲がる方向と場所だけ掴んでおけば、大丈夫なのであるが、旦那は、GPSに頼っている。 なんか面白くない。 あぶない。 うるさい。 さて、日本語補習校をでて、私はてっきりMarshという道を右にまがって、635というダラスを中心の環状線を通って、I-30というハイウエイを東にいくも

くそ忙しいぞ!

5月下旬の日本帰国 -いや、滞在というのか ー に向けて、こまごまとした準備で忙殺されているんだよね。 子供たちを田舎の小学校に体験入学させる。 通学服の色と形が決まっているし、体操着だの、「名札」をつけなきゃいけない。 なにも書いていない真っ白の子供のT-シャツを探すだけで、くたくたになる始末。 ないのよ、子供用の白いTシャツ。 体操着袋、歯磨きセット袋・・・。 それに名前かいて・・・。 うわばきの存在すら忘れていましたよ。 いろんな人に世話になるから、おみやげを選んで。 アメリカってろくな土産ないんだよね。 日本で入っていたいろいろな保険も解約するし。 解約書類、PDFで送ってください、と頼んだけど、「本紙」 - たぶん、厚い紙なんだろう - じゃないと駄目とか。  それに、日本では、免許更新に28年ぶりに高2クラスの同窓会に、いとこと一緒に温泉だ。 親が二人ともいないってのは、やっぱ不自由だね。 「親を敬いなさい」 - 十戒  ほんとうだよね。 出発までに、書けたらかくね。 あかしや

No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。 私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。  とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。 大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。 さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。 さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。 私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。 引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けな