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4月, 2006の投稿を表示しています

No. 9 君は愛されるため生まれた

もし、今、仕事中ではなく、6分音楽を聴ける状態であれば、 ここをクリック してみてよ。 きみは愛されるため生まれた 作詞・作曲/イ・ミンソプ 訳詞/神 明宏 朴 鍾弼 & B.B.J. きみは愛されるため生まれた  きみの生涯は愛で満ちている きみは愛されるため生まれた  きみの生涯は愛で満ちている 永遠の神の愛は  われらの出会いの中で実を結ぶ きみの存在が 私には  どれほど大きな喜びでしょう きみは愛されるため生まれた  今もその愛受けている きみは愛されるため生まれた  今もその愛受けている (イ・ミンソプ公認訳) (C)2004 Lee Min Sup/LIFE MUSIC(WORD OF LIFE PRESS MINISTRIES) *********************************************************** 今、机の上にサングラスをかけたバイクのおっさんの写真が表紙になっている単行本がある。 去年の9月、アーサーがうちの教会に来たときに買った本だ。 アーサーにサインしてもらった。 サインの上に、"You Are Loved.  愛されている。" と書いてある。 中を開けると、"「神はあなたを裁いている」などといったら、人は絶対についてこないことも分かった。 俺もいろいろ試してみたけれど、「愛」という言葉に人はすごくオープンになる。” ( 不良牧師!‐ 「アーサー・ホーランド」という生き方:文春文庫: p123)  ”「あなたは愛されている」 ‐これがゴスペルのスピリットだ。”という章もある。  日本人に「愛されている」、というと、ぴんと来るだろうか。 どうかねぇ。 じゃあ、「愛しているよ。」は? 今の若い人たちはアメリカナイズしているから、使っているのだろう。 でも、私たちくらいの年代では、「好きだよ」「うん、私も好きよ。」だったね。 「愛しています」なんて、英語の”I Love You"の直訳でしかなくって、恥ずかしくて、言葉に出来なかったよね。 どうですか? 男性軍? 更に、明治、大正時代の人たちなんて、使っていなかったんじゃない? むしろ、「惚れた」 「ぞっこんだぜ」 といったほうが暖かい感じがする。 夏目漱石あたりの文人だったかな? 二葉亭四迷? まあ、そ

No. 8 使用前 使用後

来月の5月にうちの教会で5人の人が洗礼を受けることになった。 そのうちの一人の方から、「最近洗礼を受けた人のbefore,afterはどんな感じ? と興味がありまして。」というメールをもらったので、じゃあ、ここに書いてみよう、と思ったんだが・・・。   このテーマって結構難しい、というかアイデアが湧いてこない。 「ダイエットピル XXXX! 一ヶ月で20kg痩せた!」 という広告で使用前の写真と使用後の写真がでてくるじゃない。 あれ、本当かどうかわかんないよ。 だって、コンピューターの画像処理ソフトで、あんなのいくらでもいじれるもん。 雑誌にあるモデルさんの写真あるじゃない。 あれって、コンピューターの画像処理ソフトで脚をやたら長くすることができるんだよ。 ウエストのくびれだって、やたらおかしいのがある。 以前、広告の仕事していて、写真の処理というのを印刷会社で見せてもらったし、テレビでそういった特集もしていた。 だから、今あなたがかじっているお菓子、そのまま食べていてね。   話がそれた。 質問に答えよう。 ダイエットピルの宣伝のような使用前・使用後の変化はなかった。 映画のシーンにあるように、バックグラウンドミュージックが「がーん」「じゃじゃーん」というのも感じなかった。  なんでかっていうと、そういった劇的な出来事は洗礼を受ける前にすでに起きていたんだよ。 この話は長くなるから、別の投稿で項目ごとに分けて書くことにするね。  じゃあ、洗礼の前後の話をしよう。 洗礼たのんますってお願いしたあと、牧師パタリロ先生(仮称)と奥さんが週一回うちにきて勉強会をすることになった。 といっても、教科書があって、宿題が出て、という難しいものではなかった。 パタリロ先生がインターネットで探してきた、聖書概要と信仰の学びみたいなプリントを渡されて、それを読んだ。 勉強会は、世間話や私の質問があると、その話で終わってしまうこともあった。 パタリロ先生曰く、「結婚みたいなもんですから。」 ふむふむ・・・。 でも、100%わかっていない。  ある日の勉強会では、パタリロ先生、冒頭に、「飼い葉おけなんですよ。」と、にっと笑う。 「????」  ここ、ダラスの郊外には、まだ馬や牛が住宅地のそばにいる。 カウボーイの世界である。 その馬や牛にえさをやるための大きな桶に朝から水を張って、太陽の

No. 7 God Will 

子供たちは6歳になった。 先日、日本語補習校の入学式があった。 母のスーツを着て、私が子供の時、着ていた服を子供に着せた。 元気に走る子供たちの後ろ姿をみて、いつのまにか大きくなったなぁ・・・と感慨深い。 天国の母は見てくれただろうか。 私の入学式のときは、木造の小学校の校庭に桜が咲いていて、母が着物を着ていた。 母と二人で外に設置された机の上で、私の名札をさがすシーンだけ、しっかりと覚えている。  6歳は私が両親に手を引かれて、ピアノの先生の家に初めていった歳でもある。 あまり熱心に練習しなかったから、時々、ブルグミューラーやハノンなどの教本を「捨てるわよ!」 と怒られたっけ。 でも、今、こうやってつたないながらも、ピアノを弾いて、賛美が楽しめるのは、今は亡き両親がピアノをならわせてくれたからだ。 「ありがとう」と感謝する毎日である。  娘はバイオリンを弾きたい、という。 息子は教会でソウルフルにドラムをたたいていたレゲエのお兄さんをじっと見つめていた。 聞くと、僕もドラムをたたきたいという。 私は両方の楽器をいじってみるのが長年の密かな夢であった。 でも、ドラムもバイオリンも高価である。 続けられる保証がないのに、そんな投資できるか。 ちょうど、TAX Return(所得税の還付)が来て、ちょっと懐があたたかくなった日、Brook Mayという楽器屋に行った。 そしたら、700ドルもするドラムセットが250ドルで売っていた。 旦那と相談したら、買えっていうから、買ってしまった。 バイオリンは高いので、躊躇していた。 そしたら、先週、旦那が出張先のメキシコで新品のバイオリンを90ドルで買ってきた。 90ドルで新品のバイオリン、アメリカでも日本でも買えないよ。  ごく最近、不思議なことが起こった。 子供たちがNikonのデジカメを壊してしまったので、修理に出していた。 修理代は、250ドルかかるはずであった。 ああーまた、家計が苦しくなるな、と覚悟していた。 先週、Nikonから修理の終わったカメラが送られてきた。 開けてみたら、請求書の金額は0-ゼロ。 えええ! 2年以上前に買ったから、保証期間とっくにきれているのに。 250ドルはちょうどドラムの金額。 請求書には、”No charge/Good Will Repair" (直訳:善意による修理=「こり

No. 6 わてらのイェスさん

日英韓国語の歌詞がのっているサイトを見つけた。 関西弁Versionというのに目がとまった。 笑える! ませり・きませり口調より、もっと身近な歌詞で心にくる。 やるなぁ。   http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/index-j.html 賛美歌461番  主 我を愛す  主は強ければ 我 弱くとも  恐れはあらじ 我が主イェス、我が主イェス、 我が主イェス、我を愛す 関西弁 Version イェスさん わてらを愛しはる  イェスさん 強いさかいに わてらは弱くても こわいことあらへん わてらのイェスさん、わてらのイェスさん、 わてらのイェスさん、わてらを愛しはる 横浜弁を付け足した。 誰か、東北弁や、熊本弁でやってくれないかなぁ。  横浜弁 Version (あかしや番頭) イェスってさ 私を愛してるのさ イェスってさ 強いじゃん 私たちが弱くても こわくないさ 私たちのイェス 私たちのイェス 私たちのイェス 私を愛してるのさ あかしや番頭   メールを送る

No. 5 ディスコ ICC  (その一)

「ディスコ」という言葉は死語なんすかねぇ? 今はクラブっていうのかな? 昔、横浜にはSoul Trainというディスコがあって、高校の時からたまに行っていた。未成年だったけど、バイオレットフィズっていうお酒を飲んで、踊っていた。 横浜だから米軍がある。 兵隊さんらしき黒人のお兄さんたちがおしゃれして踊りにきていた。 粋であった。 That's the wayとかHello Mr. Monkeyの曲が流れていた。 当時は、夜中にテレビで、Soul Trainという番組があった。 勉強の息抜きにと、踊りの練習していた。 70年代中旬から80年代の話で、ヒップホップなんて、生まれてもいない時代であった。 そう、私結構年とってんのよね。 その後、横浜にはBayside Clubは出来るわ、ワンレングスのお嬢様がお立ち台で踊っていたジュリアナ東京も出来た。 会社勤めを始めた頃は、六本木はディスコの最盛期で、あちこち、よく行った。 Dejavuにも行ったっけ。 東京タワーの方にむかっていって右側にHot Crocketというサンバの店もあった。 六本木交差点のアマンドはいまだに健在だと思うけど、私が行っていたディスコは今でもあるんだろうか? 知っている人いたら教えてちょ。  さて、私がここダラスの日本人教会、インターナショナル クリスチャン チャーチ(International Christian Church: ICC)に初めていったのは2004年12月12日であった。 なんで日にちまで覚えているか、というと、一年後の同じ日、つまり2005年12月12日、が母のお別れ式だったんだ。  ダラスには「いろは」という日本人コミュニティーの新聞があって、ICCが広告を出していた。 他にも日本人教会はあった。 でも、ICCが一番近かったから、そこにした。 自分の為にいったんではなく、母の教会を探す為に行ったんだ。 教会の礼拝に参加するなんて、15年振りだった。そのときゃ、日本の母の事で、思い詰めることがあって、暗い気持ちで行ったんだよね。  車を走らせていくと、大型トラックが道端に沢山止まっている道に入っていった。 そこに、倉庫みたいな建物があった。 こちらの教会は日本人がイメージするような、鐘が「からーん、ころーん」と響き渡白亜の建物はあまりない。 そいういうたぐいはイタリア

No. 5 ディスコ ICC (その二)

それが、どういうきっかけだったのか・・・。 賛美の伴奏をやってくれないか、と家庭集会の家を開放してくれているジャミラさん(仮称)に頼まれてしまった。 頼まれると、こちとら江戸っ子でぇい、頼まれたらいやとは言えねぇぜ、と出来もしないのに、一応引き受けた。 馬鹿だねぇ。 そこから「苦難」の道がはじまった。 最初は、Cね、ちゅーことは、ドミソか。 D? なんだこれ。 Dだから「レ」だよね。 レレレのレ。 もう、赤ん坊の歩み。 それにadd6、sus4なんていう化学記号らしきものにでくわすと降参であった。 ジャミラさんがピアノコード表を貸してくれたので、コピーしてコードの辞書として、キーボードの横に置いた。 歌詞とコードの紙にわざわざ5線譜を書いて、音符を書いた。 手探り状態。 最初の試みでは、前奏なんていうわざが出来ないので、いっちにーのぉーさん!っていきなり歌いはじめてもらった。 まちがえだらけ。 不協和音が響く。 本当にへったくそであった。 毎朝、犬の散歩から帰って、ちょぼちょぼ弾いて、限界を感じるとやめる、という練習を毎日した。でも、なぜだか諦めずに続けた。 私は本当に飽きっぽくて、やーめた、って断念する人間であるのに。 集会に来ている人たちの忍耐とおだてのおかげかもしれない。 私、すぐ図に乗るから。 アメリカってへたくそでも、たいしたことしていないのに、「よくやったー。」とほめ殺しにする文化だ。 家庭集会の人たちもアメリカナイズしたんだな。  こうやって、続けていくうちに、美しい曲に巡り合うようになった。 コードを見ただけで、手がさっと動くようになった。 ジャミラさんが今度、これ歌いたい、って歌詞とコード表を持ってくる。 けっこういい歌あるんじゃん。 ませり・まつらん賛美歌だったら、こうは続いていなかっただろう。 伴奏、といっても、左手ではベースを小指と親指で押さえて、四分の四拍子でリズムをとり、右手はコードを押さえるだけの、単純なものに過ぎない。 まったく技がないお粗末さ。 日曜日の賛美チームのピアニストの足元にも及ばない。 ピアニストの人は、右手と左手がたこのように動いて、旋律に和音をあわせ、美しいメロディーを奏でる。 本当にピアノっていろいろな音がでるんだねぇ。 礼拝のお話の後の牧師先生の祈りの時、バックグラウンドミュージックをピアノ で弾くんだ。 うっとり

No. 4 ダビンチ・コード、 ゲイ、 アメリカでは言いたくてもいえない事

ダビンチ・コードがアメリカでは5月19日に公開される。 トム・ハンクスが主役だから、日本人の間でもすでに前評判は高い。 読書家のうちの旦那はとっくの昔に原作を読んでしまっている。 新聞すら読む余裕のない双子の母親としては、ダビンチ・コードを読む時間もない。 それに、フィクションってわたしゃ、読まない。 なので、どういった内容なのか、皆目わからないけど、ちょっと小耳に挟んだのは・・・・なになに、イエス兄さんは娼婦だったマグダラのマリアっていう人と結婚していて子供までいた、ということが隠されていたぁ? さらにイエス兄さんの神性のあり方まで問われているらしい。 それで、キリスト教信者の一部の人たちが怒り、ニューエージの人たちや、イエス兄さんを否定したい人たちは、こりゃー良いセオリーだって擁護しているんだろうなぁ。 子供がいたぁ? これも面白い。 イエス兄さんはダビデから16代目だ。 イエス兄さんから16代目っていつだったんだろう。 私はイエス兄さんが結婚して、子供がいようが、いまいが、どうでもいい。 動揺さえも起こらないよ。 言いたい事いっていれば、いーじゃん。 私の兄さんへの気持ちはかわらねえぜ。   聖書を読むと、SF映画みたいなことが描かれていて結構すごい。 90歳過ぎて、女性が子供を生んだり、海が二つに分かれたり、預言者エリアが車より早く走ったとか。 ダニエル書では、神さまに仕える3人が炉の中に投げ込まれても、神の使いに守られて、髪の毛一本も焼けなかったとか。 さらに、死んだ人間が沢山生き返っている。 エリアを泊めていた家の息子もそうだし、イエス兄さんの大好きなラザロも生き返っている。 新約の最後は当然、イエス兄さんが蘇っている。 まさに、これは80年代のマイケルジャクソンのスリラー、コンピューターグラフィックを駆使して作成したLord of the Rings、ナルニワ物語だよね。 コンピューターグラフィックが発達した今、旧約聖書をすべてハリウッド映画にする計画はないのかねぇ。 Prince of Egyptみたいにねぇ。 うってつけの原作だよ。  このBlogを英語で立ち上げて、聖書にある現実ではありえない現象を信じるかどうか、という議論をしたらここ、アメリカではものすごい議論になってしまう。 それこそ、台湾の国会みたいに押し合いへし合い、ののしりあい、なぐり

No. 3 イエス営業部

あまり、クリスチャン、罪、・・・と外来語や聖書用語を書き立てるのも、ちょっと気が引ける。 なんでだろう。 外来語とその翻訳だからなんかしっくりいかない。 「クリスチャンです」なんて、日本でのたまおうものなら、若い人たちには英語だからかっこいいって受け入られても、私のおじ、おばあたり親戚一同からは、「アメリカかぶれしやがって」、て思われそうだ。 私は(有名な)XX株式会社に勤めています(偉いんだよ)、っていうような肩書きのような響きもかすかにあって、お高くとまっているというイメージも日本人の間にはある。  では、代替案として、クリスチャンの代わりに、「キリストを信じるもの」、はどうか。 うーん、長すぎて、言うたびに舌が絡まりそうだ。 「キリシタン」はどうかなぁ。 「バテレン」 ああー古すぎる。 NHK大河ドラマじゃあるまいし。 じゃあ、「イエス様の友達」か? 軽すぎる。 一部の人たちに怒られそう。 (でも、イエス兄さんは弟子たちにいった。 私は友達だよって。) 「イエス友好同盟」 なんか黒塗りの装甲車でマイクでがんがんやりそうだなぁ。 「イエスファンクラブ」 きゃーきゃー黄色い声が聞こえそうだ。 「イエス応援団」 さんさんななびょうしぃー、ちゃっちゃっちゃっ、イ・エ・ス! あ、そーれ、イ・エ・ス!  「イエス営業本部」 ”リーン、リーン!” ”がちゃっ。 ハイ! こちらイエス営業部です。 お世話になっています!”  うちの教会の牧師先生が以前、私に「私たちはイエス様の営業マンですから」といっていたなぁ。  イエスを英語でいうと、「ジーザス」だ。 ものすごい響きだ。 日本語で「イエスさまぁー」というと、体育会系の男性はちょっと言いにくい響きである。 でも、「ジーザス」というと、「ジー」のところを踏ん張って筋肉ボイスにして歌えてしまう力強さがある。 神様は「ロード」とか「ゴッド」。 これもどーんという響きがあり、尊厳がある。 でも、Passion of Jesus Christ(日本語タイトル:「パッション」)を観ると、イエスは「イェシュア」と呼ばれている。 日本語の方がアラム語、ヘブル語に近い。 これまた、別の投稿で日本語になっているべブル語について話してみたいからまたあとで。 「主」は映画のなかで、「アドナイ」とも呼ばれている。 これは確かヘブル語。(アラム語?) で

No.2 罪、なんじゃそりゃ? その一

No. 2  罪、なんじゃそりゃ? その一 牧師先生たちのお話、クリスチャンに関する話などで、必ず出てくる言葉は、「罪」。 たとえば、「神様! 私の罪をお許し下さい。」とかね。 むかーし、横浜駅のジョイナスの横を歩いていると、白い服を着た牧師みたいなひとに呼び止められて、会話をしているうちに、「原罪って知っていますか?」といわれたのを思い出した。 彼にとって、私はよっぽど罪深い人間に見えたのか? 私も若かかったから、「宗教は賭けだ!」とぶちまかして、その場を去った。 あのあと、「哀れな子羊を救ってください。」とその人に祈られていたのかも。 旧約聖書の創世記の最初の方に原罪のことが出てくる。 神さまが天地を創ってくれて、人間も作った。 でも、あの木の実はたべちゃいかんよ、と言っといたのに、へびにそそのかされたイブは実をとって食べてしまった。 旦那のアダムにも、「あれ、おいしかったから、食べようよ。」と誘って二人で食べちゃったことなんだよね。 生んでくれたお父さんの言いつけを守らなかったアダムとイブ。 エデンの園を追い出されて、神さまのそばから離れてしまった・・・。 それが罪だって聖書は言ってるんだよね。  と、ここまでは、聖書に忠実に一般的な説明をどこからか借りてきて書いただけ。  しかし、あらためて、罪ってなんだろう、自分に問うと、これがまーったくぴんと来ない。  ぴんこな(ぴーんとこない)だから、せっかく創ったのに、すぐに命令に背くような不完全な人間を、どうして神様は創ったのかねぇ? という疑問も湧く。 更に、人間を創ってから、その後何百年かして、人間、勝手なことしつくしたから、神様、ついに堪忍袋の緒が切れて、「水にすべて流してしまおう。」と決めた。 なんなら、ノアの一家も救わないで、人間なんてすべてなくしてしまえばよかったんだ。 だって、その後、人間の歴史って殺しあったらい、奪いあったり、とノアの時と同じことを繰り返している。 私はそう思うよ。 クリスチャンとしてはこういうこと、いっちゃいけないみたいだけど、私嘘つけないから、いっちゃう。 だから、今日のタイトルは「罪、なんじゃそりゃ?」。 「罪」という漢字は日本人にとって、新聞の殺人事件の記事の「一審判決、死刑」というような場面でしか、お目にかからないような単語で、あまり身近ではないし、普段の会話の中に使わない

No. 2  罪、なんじゃそりゃ? その二

No. 2 罪、なんじゃそりゃ? その二 そうか、的外れか・・・。 でも、どういうこと? アーサー曰く、「お前たちがこれだけ神様に愛されているのに、気がついていない、ってことさ。」 ふーむ。 まあ、なんとなくわかってきたかなぁ、でも、まだ実感できない。  でも、それから暫くして、ああ、これが的外れ、勘違い、わかっちゃいない、という気持ちを体験したので、ここに書く。 2005年に洗礼を受けた同じ日から、我が家に若い母親と幼い子供が同居し始めた。 いつものおっせかいで、よしゃーいいのに、私は彼女のご両親の負担を助けたくて、うちに呼んだんだ。 まあ、他人との同居はいろいろある。  法律のこと、車のこともろもろ、アメリカ生活が短く、英語のコミュニケーションもスムーズではない彼女はいろいろ苦労しているようだった。 なので、何かあれば聞いて、とか、多少の情報はおっせっかいながらも、渡したりしていた。 うちは旦那がアメリカ人だし、私もアメリカ生活長いほうなので、いろいろと助けられると思っていた。 自立できるように、学校に行きたい、という意思表示を見せてくれれば、学費を貸してあげようとも、密かに思っていた。 しかし、昔からの知り合いではないからか、信用してくれないからか、単なる遠慮なのか、彼女は私たちの申し出を受けず、わざわざ前住んでいた西海岸あたりの友人たちに相談してたらしい。 旦那の親戚に弁護士がいるので、法律の問題も相談できたのにね。 まあ、私は信頼されていなかった、ってことにしておこう。 私も彼女が傷つくようなことをしただろうし。  さて、ここで、言いたいのは、彼女がどうのこうの、というゴシップを盛り上げて、自分を良い子にすることではない。 私はもしかすると、天のおとうさんの気持ちを体験したのではないか、ということなんだ。 天のおとうさんはいつも私たちのそばにいて、助けになろう、と待っていてくれる。 でも、それって、私たちが「お父さん、困ったことがあるんだよ。それって、こうこうこうで、こういうことなんだ。 だからこれちょうだいよ。 助けてよ。」って言わないと、助けられないんだと思う。 (でも、私と母のように、神様みずから「どーしょーもねーなぁ」と助けてくれた場合もあるけど。 これを恵み、というのかな?) おとうさんはドラえもんのように、数ある解決策をポケットの中に持ってい

No.1 こんな人間が何でクリスチャンになったのか・・・独り言をはじめる理由

「神様、参りました。 降参です。なので、洗礼を受けます。」と観念したのが一年前、2005年の春であった。 そして、去年の6月に洗礼を受けた。 まだ、一年経っていない。 ここテキサス州のダラスに2004年の秋にシンガポールから来れたのは、不思議なことがあったから。 さらに、あのインドネシアの津波から私たち家族が救われたんだよね。 15年前に、LAのガラスの教会で、アメリカに「行け」と聞いた声は死んだ友人ではなくて、神様だったのも啓示によってわかった。 そして、こうやって私をものすごい勢いで神様、つまり、天のおとうちゃんのそばに引き寄せたのも、神様から離れてしまった母を天国に行かせるために、私を使われたんだ、ということが母の死の知らせを受けたときに分かったんだ。 まだ、5ヶ月前のことだよ。 いやー、ぶったまげることばっか起こってきたし、今も起こっている。 「これはいったいなんなんだ!」と分からないことばかりだった。  クリスチャン、というと清楚で清貧で、言葉遣いがきれいで、ちょっと排他的・・・というイメージがあるよね。 私? ぜんぜん、清楚でもないよ。 ほんとうにどうしようもない人間だよ。 ジョークをぶちかますのが好きだし、「おめー! このやろー!」「こんなん、やってらんねーよ!」なんてぶちまかすし、教会に行き始めたころ、息子に合気道の技をかけて黙らせていたら、牧師の息子にびびられた。 日本でのバブルのころは遊ぶに遊んでいたよ。 仕事のあと、地元のBarで夕食+飲んだ後、そこのバーテンさんたちとお店が引けた後、別のBarにいって、そのあと、バーテンさんたちみんなと朝食、なんて生活もしていた。 そんなことは、可愛いほうだった。 アーサー・ホーランドがうちの教会に来たとき、「味方が来た!」とうれしくなったくらい。 私も今年はハーレーを手にいれて、十字架のついた革ジャンきて、ドドドド・・・ってやりたい、と思っている。 ちなみに私は6歳の双子の母親で、あまり若くないけど、若く見える。 (いまだにスーパーでビール買うとき、身分証明書見せろ、って言われる。) 子供たちもカエルや便所虫(ダンゴ虫というのか?)をつかんでも平気なワイルドである。 なにせ、母親が子供の時、田んぼでカエル沢山つかまえて、爆竹でとばしていたくらいだから。  こんなどうしようもない人間だって、天のおとうちゃんは