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No. 90 年越し・おせち料理

日本では、とっくに年が明けているのに、ここダラスでは、まだまだ。 あと30分でやっと2008年である。 旦那は、さっき見に行ったら、いびきをかいて寝ていた。 私も、今日は、早く寝るとする。 風邪がものすごくはやっているので、休養は十分にとらんといかん。 さて、サンタフェから3日前に帰ってきた。  行きは強風の向かい風の中を走っていったので、燃費がものすごく悪かった。 中間地点にある、アマリロ(Amarillo)に到着したときに、I-40というハイウエイの反対に向かう車線で、ものすごい事故があった。 私達が通りかかった直前に起こった様だ。 大型トレーラーが数台、くの字型になっていた。 その間に、何台もの乗用車が連続衝突をおこして、積み重なるようになっていた。 救急車は20台はいただろう。  走りながら、旦那と二人で、「うっわーーーーーー」。 サンタフェについて、テレビを見たら、CNNや全国放送網でその事故が報道されていた。 60台の車が巻き込まれ、すくなくとも5人の死者を出したそうだ。 これからクリスマスを家族と一緒に過ごそう、という人たちが多かったはず。 子供もいただろう。 哀れな気持ちになった。 一方、旦那は、「ガソリンが無い。」とのこと。 燃料タンクのインジケーターに赤いランプがついているではないか! 向かい風のせいで、普通なら、もっともつはずのガゾリンが、カラになりつつあった。 近くのガソリンスタンドに行ったが、その地域が停電していたため、ガソリンが入れられない。 事故のせいだろうか。  2件目にいったけど、そこも駄目。  暫く、その場で停車してぼーっとしていた。 ここで、夜を過ごすのか? と不安になり、祈った。 でも、もう少し先に行けば、電気が通っている場所があるはずだ、と旦那がいうので、車を走らせた。 そして、あった。 ガゾリンスタンドが。 そこで、ガソリンを満タンにして、サンタフェに向かった。 次回は、予備のガソリンタンクを持っていくことにしよう。 サンタフェでは、子供をスキーに連れて行った。 自分のスキーウエアを着たら、きつくなっていた。  20年着ていて、今まで大丈夫だったのが。 これは、やばい。 健康によろしくない。 また、子供にスキーを教えていたのだが、そのあと、ものすごく疲れた。 体力も筋力も衰えていて、体重が増えていたせいだ。 中年太り、なん

No. 89 わたしゃ、クリスマス嫌いなんだよね

タイトルを見て、なんだ、こいつ、クリスチャンのくせに! と思われる方もいるだろう。 でも、私は、クリスマスシーズンが大嫌いである。 何故かと言うと、サンクスギビングの後から始まる、「クリスマスショッピング」というのが大嫌いなのである。 まず、新聞の折込広告の量が増える。 すべてそのまんまリサイクルの箱にいってしまうだけであるが、重たい。 資源の無駄だ。 XX%割引! 早朝7時から夜は、11時まで開店!ってな、ハガキの広告も入ってくる。 だれがいくんだよぉ~。 朝、7時前に起きて、ショッピングなんて。 従業員もたまったもんではない。 ウチは、テレビが見れない状態なんだが、ラジオや新聞で言っていた。 サンクスギビング明けの金曜日の早朝から、ある電気屋のまえでキャンプして待って、バーゲンを逃さない、という人々が押しかけたそうだ。 まったく暇な人間がいるもんだ。 私にいわせれば、正気の沙汰ではない。 この時期、ウオールマートやターゲットという量販店に夕方や、土日に行ってしまったら、これまた大失敗である。 1-2点の品物をかごにいれて、レジまでいったはいいが、そこから先に出られない。 人、人、人、である。 ナントカしてくれ。 クリスマスショッピングシーズンでうんざりしているうちに、さらに追い討ちをかけるのが、寄付である。 クリスマスは、ギビングシーズンだ、という名目で、寄付を募る電話がなる。  寄付の電話には、こう対応している。 「お宅のOverhead Costは何パーセントですか? ファイナンシャルステートメントありますか?」  Overhead Costとは、間接費みたいなもので、事務経費、人件費のことである。 もっと簡単に言えば、寄付が必要な人には、寄付金のすべてが渡らない。 その間に、いろいろな費用がかかかる。 事務所費、印刷費、事務要員費など。 そういった費用の割合が60-80%という慈善団体が結構ある。 本当に必要な人には、あまり渡らない場合がある。  なので、Overhead Costの割合を必ず聞くことにしている。 そして、その割合が10%くらいなら、良しとする。 しかし、今まで、私の質問に答えられた団体はいない。 一つを除いて。 それは、うちの老犬が仔犬の時引き取ってきた、フロリダのアニマル・シェルタ-。 ここでは、会計報告をキチンと送ってきたので、長年、

No. 88  与えられる理由

あーー、いそがしかったぁ。 11月20日から、この金曜日の7日まで。 日本の盆暮れ正月が一気にくるこのアメリカのこの季節。 11月20日の週は、サンクスギビングの週で、そのあと12月の上旬が子供達の誕生日。 家に滞在する人も増え、おいしいものを一緒に食べるから、お勝手に詰めきりとなる。 子供の誕生日は、午前中、子供達が日本語学校に行っている間、ばたばた準備して、93歳のおばあちゃんもこき使い、料理。 2時から子供11人が家に来て、パーティ。 ゲームをして、ケーキ。  ケーキは、また手作りにした。 アメリカのケーキって、青、紫、黄色、その他どくどくしい着色料をどーっと使っている上に、美味しくない。 ヨーロッパ風のケーキに慣れている日本人にとっては、アメリカのケーキは、どうもいただけない。 っちゅーことで、作った。 子供達のPartyのあとは、大人たちを呼んで、Party。 普段からお世話になっている仲の良いご近所さんたち、学校の先生、パタリロ牧師夫妻。 そしてパーティの特別ゲストとして、93歳の義母を準主役に添えた。 それまで、前菜を作ってもらったり、フライパンの焦げ付きをがりがりと綺麗にしてもらっていたんだか。 さて、話は、遡る。 この夏、義母と義父のいるニューメキシコ州サンタフェに行った。 毎年、2-3回は行き来している仲なので、また行った、というのが正しいか。 夏だから、雑草も生えているだろうから、芝刈りと、雑草抜きと、庭木の剪定をしようと構えて行った。 また、家の中も、掃除機をかけてあげよう、と思って行った。 11時間運転して、サンタフェにあるモーターホームに到着。 小さなプレハブみたいな質素な住まいである。 家の中に入ると、綺麗。 掃除機をかけた後がある。 庭も、ちゃんと、芝刈り機がかかっていた。 義父のじいちゃんは、片目は見えないし、歩くのも億劫だから、掃除も芝刈りもできない。 じゃあ、身長たった145センチくらいの義母が掃除と芝刈りしたのか?としばし黙ってしまっていた。 その後、わかったのは、ご近所さんが手伝ってくれたそうだ。 そのご近所さん、あとで訪ねてきてくれた。 感じの良い、60歳代の大きな女性であった。 そのあと、その女性はうちの子供達をゴーファー(あなもぐらねずみ?)に餌付けできるとこに連れていってくれたりもした。 子供達は大喜び。 ゴーファー

No. 87 とんでもねえ祈り

盆暮れ正月が一気にくるこの季節のアメリカ。 先週の木曜日は、Thanksgiving(サンクスギビング)=感謝祭、であった。 旦那の93歳の母親と旦那のいとこ夫婦で、子供達のゴッド・ペアレントが来た。 犬も、もう一匹きた。 友人も来た。 気の合う家族と友達でわいわいと、食べてばかりいた一週間であった。  毎日、ほとんどの時間を台所と食卓の周りで過ごした。 食べてばっかり。 音楽をきいたり、いろいろな話をしたり、と本当に楽しい家族の時間。 特に、ばあちゃんと旦那のいとこはパナマ人だから、ラテン系。 私も、今は、すっかりラテン化している。 ラテン系のよいところは、こうやって家族沢山あつまってわいわい、他人が来ても、いつの間にか家族にしてしまい、わいわい、とやるところである。  こんないい家族に囲まれて、わたしゃ、幸せだべよ~。 さて、この日曜日の25日は、双子の洗礼式であった。 この話は後日書く。 なにせ、今度の日曜日は子供達の誕生日で、午後一番は、子供達のパーティー。 夜は、世話になった人たちを呼んでいるので、また、忙しい一週間なのである。 なので、今回は簡単に。  先ほど、洗礼式の写真を見て、ショック。       ま た  ふ と っ た ・・・・・・ 前回のブログの「先はまだみえないけれど」の最後は、宝くじあててください、という祈りでおわった。 宝くじは、ギャンプルだから、やってはいけない、と教会の人が言っているのを聞いたことがある。  う~ん。 祈っていいのかなぁ? でも、神さんは、なんでももっていて、何でも出来てしまうから、どうかなぁ。 頼むだけ、「ただ」だし。 沢山、お金があれば、沢山献金できるし、仕事しなくても、伝道に専念できるし。  といっても、宝くじ、買っていないから、あたるわけないか。  やっぱ、私は、ばかだなー。 じゃあ、太ったので、「痩せさせてください。」という祈りは、どうなんだろうか。 おっと、祈りは、「具体的」出なければいけないから、「病気や心労で痩せるのではなく、健康そのもので、健康的に痩せさせてください。」と祈らないとだめだろうなぁ。 この間の試験のこと。 正統な(?)理由があって、読むべきところの一章を読まなかった。 時間がなかったので、「試験、受からせてください。」と祈ったら、読んでいなかったその章のある場所が示された=心?頭?に浮

No. 86  先はみえないけど

いや~、ご無沙汰しています。 とても、忙しく、コンピューターに向かわない日々でした。  何をしていたか?というと・・・・・ 勉強と仕事でした。 月曜日に最終試験が終わり、今、ほっとしているところです。 しかし、たまり溜まったものは、洗濯物、医療費の保険請求の整理、開けていない封筒・・・・と山積みで、山を見て、ため息をついているんですよね。 実は、旦那がもう退職できる年となります。 18歳年上なので、還暦なんてとうに過ぎているんですよ。 わか~く見えますが。 旦那は一応、国家公務員で、古くからの職員なので、年金がしっかりもらえるというラッキーな年代です。  アメリカでは、いまや、退職金は、401Kといって(これは、税制番号です)自分が働いたお金を入れないと、会社、雇用主は退職年金を作ってくれないという制度にどんどん移行しています。 401kで作ったアカウントは自分でか、信託して、投資をして、Nest Egg(虎の子とでも言うか?)を増やしていかねばなりません。 なので、ストックマーケットが落ちたときは、Nest Eggの価値がどーんと下がってしまい、老後の不安がつのるんですね。 リスクが低いアメリカ国債(US Bond)もポートフォリオに入れて、あまり市場の影響を受けないように管理することも大事です。  一方、旦那の場合、日本やヨーロッパのような年金というものがもらえるんですね。 それも、退職前の年収の80%は保証されています。 そういった点で、老後と健康の保証がどんどん消えていくこのアメリカでは、貴重な恩恵をいただけるということになります。 子供がすでに巣立って、家も支払い終え、夫婦でのんびり生活、という老後ならば、まあまあの暮らしができる年金です。 しかし・・・、うちにはまだ7歳の双子と支払い期限が27年残っている家のローンがあります。 ということで、年金だけでは、生活していかれないのであります。 今の収入が20%落ちれば、現状維持は不可能ということです。 なので、2年後あたりをめどに、私もフルタイムの仕事に就くことに決めました。 といっても、もう若くないし、子供もいるので、若いときと違った選択をせねばなりません。 これが20-30代だったら、大学院にちょっともどって、マスターの学位を取り、その後、なんとかCPA取って、ダラスの大手会計事務所で、がーっと働いて、と

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく  (その1)

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今日は、日曜日。  ウチの教会で数人が洗礼を受ける。 そのうちのひとりは、この夏まで私が、へたくそピアノ伴奏をさせてもらった、聖書の学びの家庭集会からの人である。  彼女だけではない。 旦那さんも一緒。 こりゃー、めでたい、っちゅーことで、歌を歌うことにした。   聖書の学びの家庭集会の仲間3人とで、歌うのである。 3人で歌うのがこれで二回目。  以前、グループ名どうする?なんて冗談に話していた。 「キャンディーズ」はどう?という提案をした者がいた。   私はこけた。どう考えたって、キャンディでも、賞味期限が過ぎたキャンディーである。   なので、私は、「『おば三』なんてどお?」と代替案をだした。当然のごとく、大反対の憂き目にあった。   もう一人が、「『カルバリーズ』は?どお?」  私ー「やだよー! それって、『どくろズ』って意味になっちゃうじゃんよ!」  といういうことで、まったくグループ名も決まらないまま、夏が終わった。   このところ、涼しくなったダラスである。冷房も要らない。おまけに、最近、新しい教会に移り、そこには、洗礼の槽がある。  なんと、お湯がはれるので、冬でも洗礼できるのである。私なんぞ、馬牛の飼葉おけだったんだぞ。それも、午前中にお水をはって、外に置いて、天日によって暖めた超自然的な洗礼槽だったんだぞ。 (詳しくは、Blogの多分2005年当たりにある『使用前 使用後』に書いたと思う。) *************** 今回歌う曲は、ちょっと前のBlog『You Raise Me Up』に貼ったビデオの最初の曲  『It is Well With My Soul』(邦題:やすけさは川の如し:賛美歌476)  この曲の練習の歌詞カードを作成するにあたり、この曲の背景をちょっと調べた。 作詞は、Horatio Spafford (ホーレイショー・スパッフォード) (1828 – 1888)  作曲は、 Philip Bliss (フィリップ・ブリス) (1838-1876)    曲としては、賛美歌のスタンダードであるが、何故、この曲が、100年以上も間、人の心をひきつけて止まないのはなぜであろうか。  時として、素晴らしい作品、とくに詩や音楽は、個人的な困難があったときに書かれている。  例えば、Eric Klaptonの「Teas i

No. 85 It Is Well With My Soul  やすけさは川のごとく (その2)

以下は、It is Well With My Soulの詩と訳です。 全部の詩をやくしきれていません。黄色文字の詩の部分だけの訳を下部に書きます。 もう、教会に行く時間なので、今日のところは、こんへんで! It is Well With My Soul When peace, like a river, attendeth my way, When sorrows like sea billows roll; Whatever my lot, Thou hast taught me to say, It is well, it is well with my soul. (Refrain:) It is well (it is well), with my soul (with my soul), It is well, it is well with my soul. Though Satan should buffet, though trials should come, Let this blest assurance control, That Christ hath regarded my helpless estate, And hath shed His own blood for my soul. (Refrain) My sin, oh the bliss of this glorious thought! My sin, not in part but the whole, Is nailed to His cross, and I bear it no more, Praise the Lord, praise the Lord, O my soul! (Refrain) For me, be it Christ, be it Christ hence to live: If Jordan above me shall roll, No pang shall be mine, for in death as in life Thou wilt whisper Thy peace to my soul. (Refrain) And Lord haste the day, when my faith shall be sight, The clo

No. 84 普通であることの有難さ

本当なら、勉強せにゃならん、この日曜日。 水曜日が試験だよー。 でも、5分だけ時間をもらって、書こう。 労働市場に戻るための一環として、公立学校の代理教員になった。 一応、アメリカの大学を出ているんで、こんなとき、首がつながるのである。 無駄ではなかったんだ、あの苦労。 さて、先週、代理教員として行ったところは、子供の通う小学校の特別教室。 子供の送り迎えが楽という理由と、こういった特別教室へは、なかなか代理教員が行きたがらないので、ならばその欠員を手伝ったほうがいい、ということで。 仕事の内容に、子供を持ち上げたり、おしめを代えるのも仕事に含まれる、と書いてあるから、ますます来る人はいないだろうな、と思った。  中学の数学の代理の仕事も同じ日に掲示されていたのだが、特別教室を選んだ。 朝一番の7時45分に教室に入った。 すでに生徒達は教室にいた。 立ち上がれず、マットの上に転がるだけの子供。 目が見えない子。 咀嚼ができず、チューブでおなかから栄養を取る子。 叫び通しの子。 つばも飲み込めない子供。 飲み込んだら最後、気管にはいってしまい、大騒ぎになる子。 7-8人いた。 でも、何故か、怖くなかった。 母の最期が精神病院だったし、そこで、一週間寝泊りして、精神障害の人たちと一緒に生活したからか? この子達は、もしかしたら、母だったかもしれない。 将来の自分かもしれない、と思って接した。 重度の障害を持つ子供達でも、笑顔が美しく、とても美しいものに触れた気がした。 話は突然変わるが、私の母方の叔父は素晴らしい人だった。 東京都千代田区の厚生部長を務めたかたで、人望が厚い人だった。 厚生部なので、福祉や心身障害者の施設の仕事も手がけた。 自慢じゃぁないが、シルバー人材派遣のさきがけを担った人でもあった。 その叔父が生前、私に言った言葉があった。 「いいか、○○ちゃん。 こういう人たちがいてくれるからこそ、お前達が普通の状態でいられるんだぞ!」 今、そいういった人たちと実際に触れてみて、本当にそうだなぁ、と思う。 13歳になろうとする体の大きい子を持ち上げて車椅子に乗せたり、大きなオムツを交換した。 目も見えず、自分で食事が出来ない子にごはんを食べさせてあげた。 よだれをたらしっぱなしの子の口を何度もタオルでぬぐった。 べとべとの手で、私に触ってくれたけど、何故か、きた

No. 83 キャリアウーマンが聞いた「声」 その2

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<その1よりつづく:その1は、スクロールダウンするとあります。> その1年半後、私は、待遇と給料のよかった仕事を未練もなく、すっぱりとやめた。 そして、ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク市立大学のBaruch Collegeに留学した。 1992年の8月なので、もう15年前のことである。  当時は、バブルがはじけたばかりであったが、まだ一般人には、その影響が体感されていなかった時であった。 なので、留学が決定したことを、マスコミ関係の飲み仲間に話したところ、その中の一人が、「今、アメリカに行くのは、トレンディーじゃあないんだよね。」とビールのグラスを傾けながら、ぽつり、と言った。 確かに、年収がとてもよかったし、会社も有名でネームバリューがあったから、その仕事を捨ててまで、学ぶものがもう無いアメリカに行くのは、賢い選択ではない、と思う人も多かったのだろう。 しかし、私は前進することで精一杯で、惜しいものを捨ててしまった、という考えがまったく浮かばなかった。 私が日本をでて、まもなく、日本は「失われた10年間」に突入し、リストラ、という言葉が誰の耳にも馴染み深くなってしまった。 一方、アメリカは、低迷から脱出し、首切りになった人たちがSmall Businessブームを引き起こし、さらに、テクノロジーバブルとなり、1996年ごろには、Nasdaqが5000を突破した。 私は、ニューヨークでは、激貧生活を一年ちょっと経験したものの、これまた不思議なことで、仕事がみつかり、口糊をしのぐことが出来た。 さらに、今の夫ともドイツで巡り会えた。 そして、フロリダにうつり、学生主婦となり、その後は、「ゴルフのプータローおばさん」となり、そして、「双子の母親」となった。 「キャリアウーマン」の私は、いなくなってしまった。 その後、シンガポールに移り、ダラスに来た。 ダラスは本来なら、来るはずではないところであった。 これも、本当に不思議なことが起こって、ダラスに引っ越すことになった。 ダラスにくる直前に父が突然亡くなり、それから母と私の苦難が始まった。 そのときに、私は、イエス兄さんと神さんに、ぐいっと引き寄せられたのである。 母がアメリカの私の元に来ようかしら、といった一言で、私は気がついたら、ここの日本人教会の一つに車を走らせていた。 母は、クリスチャンであったので、

No. 83 キャリアウーマンが聞いた「声」 その1

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またまた、ご無沙汰でござんす。 なんと、一ヶ月近くもBlogを更新しなかった。 また、やった。 多忙であったのだ。 8月下旬から、とある講座を週3日取り始めた。 予習をしっかりしていかないと、ついていかれない。 10月の中旬が最終試験なので、それまでは、この忙しいスケジュールは続く。 2-3年後を目標に、また労働市場に舞い戻ろうと考えている。 旦那の退職が控えているためである。 退職すれば、私の旦那は、いまどきアメリカでは、大変貴重な「年金」がもらえる。 その点では、我が家は大変恵まれている。 しかし、年金は、今の収入の80%なので、今より20%収入が減ることになる。 7歳の双子を抱えて、まだ、住宅ローンがのこっている我が家では、20%以上を補填(ほてん)する手立てを考えねばならない。  一般に、私の世代は、管理職になって、収入もまだ上がる、というのが一般的である。 しかし、私の夫は18歳年上なので、ライフサイクルが平均の家庭と違う。 おまけに、子供が小さい。 本来なら、夫にとっては、7歳は孫の年齢といっても、過言ではない。 そういう点で、一般の人たちの生活設計とはちょっと違った対応をしなければならない。 これは、別に大変だ、ということでもない。  働くのなら、朝のラッシュの中、ダラスに通って、大手会計事務所とか、マーケティング会社あたりで、フルタイムで働いて、まあまあの収入を得ることは、可能である。 しかし、私はそれを敢えてしたくない。  朝、30-40分かけての通勤はたとえ車であっても、私には、「痛勤」である。 また、交通事故の確率も上がってしまう。 子供を育てるには、まず第一に、母親の心身の安全と健康が先に来る、と信じている私なので、通勤の長さは、大きな要素なのである。 さらに、小学校が終わったあとは、子供をディ・ケアーに預けねばならない。 子供のおやつと、宿題は親がしっかりとみるものだ、と思っているので、ディ・ケアーには、あまり預けたくない。 また、ディ・ケアーは安くはないのである。  収入のかなりの部分が、ディー・ケアーにかかってしまうことは事実で、かなりの収入が無い限りは、何のために子供をディ・ケアーに預けているのか、わからなくなってしまう。  しかし、こういった選択ができること事態、恵まれてはいるんだろう。 シングルマザーの人たちは、選択の余地ないもん

No. 82 You Raise Me Up その2ー小さな祈りも聞かれたー

今日も忙しく終わった。 朝一番の用、午後の歯医者、子供の絵画教室に、図書館でのお勉強。  夕飯を食べたのが、ずっと遅くなり、7時過ぎになってしまった。 7時過ぎの夕飯は、9時には、就寝体勢に入る我が家にとっては、とても遅い夕飯なのである。  私は、まだこれからしなければならないことがあるが、今日、起こったことは、書き留めておきたい。 今朝、8時前に子供を学校に下ろしてから、ある申し込みをするために、とある場所に行った。 資料はだいぶ前に用意しておいたので、昨晩は、それを台所においておいた。 今朝、子供を送ると同時に、その書類を車に入れた。 中身は、見直さなかった。 申し込み会場に早めに行った。 会場には、すでに人が沢山座っていた。 暫くぼーっとしていたのだが、何人かの人が呼ばれていった。 その中に、パスポートを持っている人もいた。 ああっ! 身分照明の為に、パスポートが必要だったんだ・・・。  私が持っているのは、パスポートのコピーだけである。 コピーなんて偽造できるから、証明には、現物をもっていかんとだめなんだよねぇ、一般的に。  ああー、今日の受付はおじゃんで、また一ヶ月先にやり直しなんだろうか・・・、とがっかりしていた。 いやー、「あとで持ってきなさい」っていってくれかも。 アメリカって国は、結構温情的だから。 なんとかなるかなぁ・・・。  これが、日本だったら、受け付けてもくれないもんね。 でも、もしかしたら、面倒なことになるんじゃないか。 ああー、もう、いやだなぁー。 まったく馬鹿だ。 忘れてくるなんて・・・・。 と、心の中が穏やかではなかった。 これは、神頼みしかない!と、天のお父さんにお願いした。 お父さん、身分証明書の現物を忘れてくる私はアホです。 またやってしまいました。 それ以外にも、毎日、あなたの心にそぐわないことばかりしている、このアホです。 ごめんなさい。 でも、もし、御心でしたら、もし、よろしかったら、申し込みの受付の人の心を和らげて下さい。 この申し込みがすんなり行くようにしてください。 暫くして、呼ばれた。 受付の人に「すみません。 身分証明書、忘れました。」とまず言った。 「では、運転免許証ありますか?」「はい、あります。」「ソーシャルセキュリティーカードは?」「あー、あれは、うちにあります。」 運転免許証だけでは、不十分で、もう一

No. 81 You Raise Me Up

このところ、Selahというゴスペルグループを崇拝(?)している。 ラジオから聞こえてきて、心を打たれたのである。 早速、CDと楽譜を買って、歌とピアノを練習している。  曲は、昔からある賛美歌であるが、アレンジと歌い手の力量でこれほどまでに、人に感動をあたえるのだなぁ、とつくづく思いいるのである。 ここまで、うまくできるわけないけど、毎日練習している。 このところ、腹筋、背筋のトレーニングも再開した。 発声練習も再開した。 声帯も筋肉なので、鍛えなければいい声が出ない、というとあるVoice Trainer のブログをみて、もっと努力してみようと思ったのだ。 今は、9月10日の夜である。 明日も、忙しい日なので、もう早くねる。 寝る前に、簡単に一つだけUpしておこう。 今日、いとこの訃報が届いた。 歳があまり違わない従妹だった。 中学のとき、吉祥寺につれていってもらって、たばこを教わった、母方のいとこである。 最後に会ったのは、1年9ヶ月前の母の葬式である。 彼女は、大腸がんであった。 子供もまだ小さいそうだ。  明日は、9・11のテロ6周年である。 アメリカの節操の無い外交政策の結果といえば、そうだと私は思う。 しかし、5000人以上の命が失われた。 未だに覚えているのは、New York Timesの写真。 ネクタイをした証券マン風情の男性が、ビルを背景にして、まっさかさまに落ちていく写真。 ネクタイがなびいていた。  14年前、毎朝のように、ワールド・トレードセンターに通っていた私であった。私は、旦那と出会わずに、あのままNew Yorkにいたら、多分死んでいただろう。 以下は、YouTube.comからのビデオ。 昨年の9・11のメモリアルセレモニーでSelahが歌った。 この二つの曲を今、マスターしようとしている。  何故なら、歌もピアノも見事だから。 しかし、それ以上に、詩が素晴らしいのである。 私は、もう寝るけど、明日あたり、歌詞を日本語に訳してみます。 ビデオは8分あります。 周りに差し支えのない状態を確認してからクリックしてね。 だって、仕事中にコンピューターにむかってないちゃったらねー。 You Raise Me Up Words and Music by: Brendon Joseph Graham, Rolf U. Loevland Whe

No. 80 Luciano Pavarotti

超有名な、テノール・オペラ歌手のLuciano Pavarotti (ルチアーノ・パバロッティ)が一昨日、亡くなった。 享年、71歳。 若い死だと思う。 実は、私はパバロッティのコンサートに1.5回行っている。 両方とも、タダ。 ロハ。 New Yorkで、極貧学生だったときのこと。 もう、10年以上前のことである。 住んでいるところは84thのWestsideであった。 そこから、自転車で20ブロックほど南下すると、Lincolon Center (リンカンセンター)があった。 そのなかの、Arvery Fisher Hallには、自転車に乗って、音楽を聴きに行った。  とくに、冬はオペラシーズン。 拾ったぼろぼろの毛皮(というか、もう熊か雑巾をしょっているに近い格好だった)を着て、ヘルメットをかぶり、サイクリングで凍りつくマンハッタンの夜道を下った。 New Yorkの冬の風はほっぺたが切れるようであった。 吐く息も凍りそうであった。 地下鉄のトークンが1ドルくらいだったので、その1ドルも、もったいなく、自転車で移動していた。 (ちなみに、現在はトークンはない。)  お金がなかったから、ひもじかった。 消え行く貯金のなかから、$25のチケットの為に、お金を引き出すには、清水の舞台から飛び降りる決心であった。 それでも、オペラ、クラシックは聴きたかった。一番安い、一番後ろの席のチケットを勇気だして、昼間買いに行った。 その夜は、わくわくしながら、Arvery Fishher Hallに自転車を走らせた。 なので、寒かったが、心は暖かった。  着飾るようなものはもっていなかったので、セーターにジーンズ。  周りは、イブニングドレスと黒い背広にネクタイをした人たちが、オペラが始まる前に、ワインと食事を楽しんでいた。 私は、使い古しのプラスチックのボトルに水を入れて持っていった。 ”Moon Struck"(邦題:「月の輝く晩に」だったかな?不確か)という映画を見たことのある人、いるかな? シェールとニコラス・ケージが主演で、後家さんと婚約者の弟さんとのロマンスとそれを取り巻くイタリア系アメリカ人の家族の映画。 私の大好きな人間臭いイタリア的な匂いがあったし、笑えた。 そして、じーんとくる良い映画である。 後家さん演じるシェールを、最後のデートをオペラで、と頼

No. 79  子供の信仰  その2

3連休のアメリカ。 なのに、連休中日の明日、私は一日中、家にいない。 ということで、旦那が子供達を連れて、ボートに乗せてくれる、という。 このボートは、鴨の狩猟用で、昨年買ったものだ。  私は知らなかったのだが、暗い時間にボートを出すときは、照明のついた棒をボートにつけなければいけないらしい。 つけないで、見つかるとなんと$500の罰金だと。 なので、旦那は、このくそ暑い中、ボートに穴をあけて、照明灯のついた棒を設置していた。 これまた、今日の夕飯時のこと。  旦那:「今日は、ボートに照明燈のついた棒をつけたから、もう大丈夫だ。」 娘:「なんで、照明燈をボートにつけなければいけないの?」 旦那:「だって、法律だからさ。」 娘:「どの法律?  『モーゼの十戒』   ?」 ここで、私と息子はこけた。 息子は、食卓のベンチにのけぞった。 旦那は、凍っていた。 かちかちになって、無口になった旦那を娘は、じぃ~~っとみて、一言。 「You have beautiful eyes.... (あらー、美しいまなざし・・・)」 娘は(息子も)7歳である。 ******************** 食事が終わり、お皿をあらっていると、娘が私のところに来て言う。 娘:「マミー、『モーゼの十戒』の10個、すべて知っている?」 私:(うぐっ)「えーっと、 像を作って拝んではいけない 。 でしょ、 結婚したら、他の人を好きになってはいけない。 でしょ。  人に対して、嘘の証言をしてはいけない。  たとえばさー、おとなりのエミリーが悪いことして、あんたに、『私がしたって言わないで。』と頼んでも、エミリーのお母さんいは、正直にいわんといかんのよ。  あとは、 安息日を守れ、 だわ。」 娘:「これってなぁに?」 私:「日曜日は教会にいって礼拝しなってこと。 あなたは、今まであまりいかなかったよねー。」 娘:「わかった。 これからちゃんといく。 今まで、教会は、とっても退屈だったけど、最近、たのしいから。」 私:「オーケー! あとは、っと・・・・・・、うーん。 思い出せないなぁ。」 そう。 十個しかない、神様が決めた法律。 なのに、この私は覚えていない。  あー、だめなイエス営業部員だわ。  娘が、聖書はどこにあるの? だと。 絵付の子供用の聖書が居間においてある。 娘は、それを持ってきて、食卓に座

No. 78 自分の子供の信仰

さっき、子供と夕食をとっていたときの会話。 やぶから棒に、娘が切り出した。 娘:「天国にはどうやっていくの?」 私:「(何を突然言うか、この娘・・・) それは、昇っていくんだよ。」 娘:「え、でもどうやって天国に行かれるの?」 私:「それは、簡単なことさ。 イエスを信じて、口に出して、『信じます』って言えばいいんだよ。」 娘と息子:「なんで?」 私:「だってさー、聖書に 『心で信じて、口で告白して救われる。』 って書いてあるんだもん。」 娘と息子:(口を揃えて)「うん。 信じる。 僕、(私)イエスを信じるよ!!」 私:「(何を突然言うのか、この二人は???)」 そこで、娘が食卓のベンチの上に立って、飛び上がろうとしている。 私:「何してんの? お前?」 娘:「口で信じるって言ったけど、昇らないよ・・・。天国いかないよ。」 私:「おいおい、お前ーー。 死なんと、天国にいかれないだろが!」 娘:「(目を点にして)えっ?」 私:「命とか、時ってのはさー、神さんが決めてるから、何時天国行くかわかんないよ。 あんたは、今日の命をもらったんだよ。 ところで、あんた達、それだったら、洗礼受けないとだめだよ。」 娘:「なにさ、洗礼って?」 私:「水のなかにざぶんって入って、ばっと出てくんの。」 息子:「そうやって、僕の体の何かが変わるの? 何かがとれるの?」 私:「そういうこっちゃないけど。 漬かって、すぐ上がってくるだけだよ。」 娘:「どうしてよ。 私、もうクリスチャンだよ。」 私:「(また、何を突然言うのか、この娘) あのなー。 イエスと同い年のバプテストのヨハネって人がいてねー、イエスに洗礼を授けたから、私達もイエスの真似をするんだよ。」 息子&娘:納得した様子で、うなずく。 私:「じゃあさー、イエスを信じるというのなら、これから毎週日曜日には、教会へ行かないとだめだよ。 今までは、『行きたくなぁ~い』だったじゃん。」 息子&娘:(口を揃えて)「行く、行く!」 私:「(何を急に言うか。 この二人は・・・。 今までは、いきたくなぁ~いって言っていたくせに・・・・)」 息子:「マミー、ところで、赤ちゃんはどうして出来るの?」 私:「結婚しないとできないよー。」 息子:「赤ちゃんは、ぼくのタマの中にはいるんだよねー。 ちんちんの中にもはいるんだよねー。」 私:「ばっ

No. 77 よくもまあ、こんな下手な・・・・

8月10日からこの土曜日まで、またまたサンタ・フェの旦那の両親のところに行っておりました。 片道11時間かけて夫婦で交代して運転して行って帰ってきました。 なので、今日も疲れは残っています。 なのに、夕方からまた庭仕事をしてしまい、今、夜なんですが、くたくたでありんす。 今、自分の書いたBlogを読み返していたんですが、よくもまあ、こんな稚拙な文を読んでくれる人がいるんだな、と驚いています。 誤字、脱字はものすごく多い。 それにとどまらず、文章の構成も、時間的にいったりきたりしているし、文章の一節が長すぎることが多い。 なので、内容がうまく伝わっていない、と自分でも思う。 読んでくれている人たちには、もっ難解であろう。 本当にへったくそな文!  あーあ。 一応、このBlogには、Google の「Analytics」というWebやBlogに来てくれる人数などをレポートしてくれる無料解析プログラムのコードをはってあるんですよ。 それ見ると、この一ヶ月、なんと290人の人が訪ねてきてくれている。 半分は、キーワード検索していて、「あれまー、こんなところにきてしまったわい。」、とすぐに他のサイトに行く人たちです。 それでも、きちんとこのBlogに来てくれて、読んでいってくれる人は、月のべ100人を越えているんですよね。 これは、驚きです。 このBlogにきてくれる人には、日本、アメリカだけではなく、香港、スリランカ、イギリスから覗きに来てくれる人たちがあります。 いったい、どうして、ここにきてくれたのか?? 他のサイトにで紹介してもらっているんで、そこから来る人たちもいますし、キーワード検索してこられるかたも。  訪れてくれる人のなかには、とわざわざ時間を割いてコメントを書き込んでくれる人jもいます。 私の小中高の友人も、たまに読んでてくれるようです。 しかし、この下手な文章、どうにかならんかいなぁ・・・・・・。 読み返していくと、一つのBlogに話題を多くつっこみすぎる傾向があります。 なので、これからは、もっと短く、完結な文にしていこうか、と。 あと、最近は、文字のサイズを大きくしました。  老眼の人も多いだろうし。 しかし、この「老」眼って単語、どうにかならんかねぇ・・・・。 「成熟眼」とか「分別眼」てのは? ほら、こうやって、話がそれるし・・・・。 ピアノも今日ち

No. 76 ダクトの掃除、その後(No. 75 固定観念の追記)

今日は安息日の日曜日であるが、私たち夫婦は働いた。 朝、旦那は早速屋根裏にあがり、LintEaterでごりごりごりと「正しい」ダクトを掃除していた。 昨晩、手伝うよ、と言った私は、犬と子供達とで、Bedで遊んでいた。 しばらくして、旦那が、「こっちきて、見てみなさい。」と言う。 キッチンの方に寝巻きのままで赴く。 汗まみれの旦那の手にあったものは・・・・・ 「鳥の巣」 だった。  それも、かなり大きい。 ここら辺は、Hay(ヘイ)といって、馬と牛の餌にする干し草が平原にどーんと置かれている。 その干し草をつかった鳥の巣。 屋根とダクトの出口にあり、さらにダクトの中にまで、巣があったそうだ。 確かに、雨水をしのげるし、冬は乾燥機からの暖かい空気でぽっかぽかである。 でも、夏は、住めやしないぞ。 この巣のお陰で、一年近く、乾燥機がうまく使えなかったのだ。 だから、排気を家の中からオフィスのある一角に出していた。 家の一部がほこりまみれになっていた。 旦那の6ヶ月以上続いた出張もひと段落したので、こうやって、やっとダクトを直すことができた。 一休みしてから、庭の芝刈りをするから、とうい旦那。 でも、結構疲れているようなので、芝刈りは、私がした。 木の剪定(せんてい)に、雑草取り。 また、土方焼けにはくがついた。  教会に行く途中、豪雨に見舞われる。 礼拝も大幅に遅れた。 でも、ちょうど庭の水撒きが必要だったので、ちょうどよい、お湿りであった。 鳥の巣、といえば、もしかしたら、暖炉の煙突の出口にも、あるのではないか。 朝、たまに、暖炉から、鳥のピーチクパーチクが聞こえることがある。 また、冬がきて、暖炉を焚く日が来れば、焼き鳥となって落ちてくるか??? ということで、労働してしまった安息日も終わる。 今日も9時までには床に入って、「How doctors think」を読むこととしよう。 今週も安全で、良い一週間でありますように。  あなたにもね。 あかしや番頭     メールを送る

No. 75  固定観念

今朝4時に、老犬に起こされた。 ベッドのわきにきて、「う゛ー」と言われた。 人間の言葉に翻訳すると、「はよう、起きて、あたしを外に連れていかんかい! もれてしまうで!」である。 夢遊病者のように起きて、犬を外に出して、「わん!」と呼ばれるまで、居間のソファーに寝ていた。 自分のベッドに戻ってからは、私のこと、すぐに眠りについた。 旦那はそうじゃなかった。 その時から起きてしまい、家の仕事を始めた。 土曜日の今日の私たちの仕事は、詰まっている乾燥機のダクトを掃除して、空気の流れをよくすること、と、車のメンテであった。 そのダクト掃除には、先日Lint Eaterという道具をネットで買った。 煙突掃除用の細長いワイヤの先にブラシやら、小さなつかみ手のようなものを装置して、ダクトの中を這わせる。  私が起きたころには、旦那は朝食を外ですませ、必要な道具をHome Deptというところで買ってきていた。 屋根裏の板を削る電気のこぎりの音がまもなく聞こえてきた。 うちのばか犬は、何事か?といぶかしげであった。 昔のビクターのマスコットであった、ダルマシアン犬が蓄音機のラッパ型のスピーカーに耳を寄せて首をかしげている、まさにそんな感じで。 下から掃除道具を入れたが、途中、ひっかかったらしく、屋根裏にあがって、上からも詰まったリント(Lint:衣類からでる繊維のごみ)をとろう、という魂胆であった。 ダクトは、地上階から屋根裏に登って、外に熱い空気が排出される用に這わせてある。 日中は40度ちかくなるダラスの夏。 さらに、屋根裏部屋はもっと気温が高い。 その中で、旦那は一生懸命働いてくれた。 途中、旦那が屋根裏からおりてきて、「面白いダクトシステムで、つっかかったのは、なんとFanが途中に入れてある。 おもしろいシステムだね。」といっていた。 私も、「うん。よく出来たシステムだね。」と答えた。 午後は、車のメンテ。 3月のInspection(年次車検というのか)の時、メカニックがパワステ用のオイルというか潤滑油が汚いので、交換しなきゃだめ。 エア・フィルターも汚い、と見せてくれた。それぞれ、$20と$70かかると言う。 うーん。 それは、ちょっと高い。 自分で変えられるからいいや、と断った。 それを旦那と一緒にやろうとしたら、午後、あっという間に旦那がすべてやってくれた。 部品、

No. 74 Have you hugged your children today?: 今日、子供達を抱きしめたかい?

最近、生活のリズムを変えた。  夜、9時から10時が旦那の就寝時間なので、私も同じ時間に床に就く事にした。 朝は、旦那の朝食と昼のお弁当二つを作り、7時には、いってらっしゃい、と送り出す。 その後、洗濯、子供の食事、そして、子供の勉強をみっちりとする。 午後はなんだかんだ買い物などの用が入り、あっという間に6時過ぎには、夕食。 夕食を片付ければ、もう寝る時間。 ということで、コンピューターに向かう時間はほとんど無くなってしまった。 明日は、早く子供達を起こして、ダラスのダウンタウンにある博物館にいこうと思っている。 博物館への行き方をネット検索したついでにこれを書いている。 ***************************** 2日前に6年ぶりにフロリダに住んでいた時のご近所さんに用があって電話した。 うちから4件隣にすんでいたレバノン人の家族であった。 1997年、1998年あたりに、そこの高校生の息子さんの数学の家庭教師をしていた。 優秀なお子さんで、優等クラスに入ったはいいが、数学にちょっとついていけなくなった、ということで、彼の母さんから頼まれた。  ご近所さんだから、毎日来ていいよ、値段も安くしておきましょう、ということで始めた。 背の高い子で中近東人の綺麗な顔をしていた。 毎日、学校が終わると、家に荷物を置いて、すぐに私の家に来た。 お父さんが自分で会社を経営していて、お母さんも事業を手伝っているため、時には、かぎっ子状態であった。 なので、うちで、水とスナックを出してあげた。 育ち盛りだから、よく食べた。 いつも勉強のはじめには、「今日、学校で何があったの?」と聞くようにしていた。 だんだんうちとけて、「今日、俺、伝説を学校でつくったんだ! バスケットの試合ですごい業をしたんだよ。」とか、「あの先生ににらまれた。」「麻薬は学校で簡単に手に入るよ。」などと、自分の親には、話さないであろう内容の会話もしてくれる間柄になっていった。 勉強の方も、試験を受けるコツ、見直しの大切さを教え、幾何学では、箱をつかって立体モデルを作って説明した。 結果として、平均して、95点以上の成績をキープできるようになった。 その子は3人兄弟の長男だった。 妹さんと一番下には弟さんがいた。 時に、頼まれて、妹さんが数学で苦労していたときは、タダで見てあげた。 一度、3兄弟が

No. 73 またやってくれた、ばかちんちん

本来なら、No. 73  すべて任せて飛ぶ その2、と来るはずだったのであるが、今日起こったことを書く。 うちのばか犬は1歳になった。 でも、物を噛む癖はまったく治らない。 毎日、何かが噛み砕かれて、床に散らばっている。 それを片付けるのも疲れてきた。  このばか犬が我が家に来てから、余計な事が増えて、疲労困憊となった一年であった。 あまりにも、いたずらが過ぎるので、最近は、「ばかちん」と呼ぶようになっている。 先週、時差ぼけフルスイングの時に、昼寝をしていた。 なんのきなしに起き上がってベッドの横をみると、ばかちんは、バッグの中から私の携帯電話をそろりと抜き出して、アンテナのところくわえて、そーっと引きずっていた。  現行犯逮捕とあいなった。 今日の午後、自分のオフィス野暮用をしていると、突然、子供達が大声を上げながら入ってきた。 「たいへんだー!! ○○(犬の本名)がマミーの電話を食べたーー!!!」 なにぃーっと、寝室へかけていった。 そこにあったのは、かじられた私の携帯電話。 ソフトカバーをつけてあったのだが、その下半分がかじられていた。 アンテナの先のプラスチックは消えていた。 延長アンテナは、曲がっていて、中に押し込んでも入っていかない。 細い針金が出たまんまになってしまった。 アンテナの元の太い部分には、歯型ががじがじに後を残していた。 しかし、電話は死んではいなかった。 なので、歯型のついた電話だけども、そのまま使うことができるので、買い替えの必要はない。 ただ、ばかちんは、証拠をしっかりと残し、双子の証人もいるので、執行猶予なし、情状酌量なしの確信犯である。  電話を鼻っ面に持ってきて、「ばかちん。 この、ばかばかばかばかばかばかばかーーーー!!!」 と頭とお尻を何回かひっぱたいた。  こうして教えないと、再犯となる。 昨日の礼拝の牧師のメッセージの冒頭は、「Dog Wisperer」(犬と会話が出来、どんな犬でも手なずけてしまう人のこと)の話であった。 そういったDog Wispererは犬を大声で決して叱らない、手を挙げない、とのこと。  そのメッセージを聞いた翌日に、しっかりと飼い犬をひっぱたいている私である。  これを馬耳東風という。 旦那はいつも4時過ぎに帰宅する。 帰宅したところを見計らって、買い物と郵便局に行った。 郵便局では長蛇の列。

No. 72  すべて任せて飛ぶ  その1

今朝、また2時40分に目が覚めてしまった。 日本から戻りすでに5日も経つというのに。  今回の時差ぼけは、かなりきついのである。  いつもなら、帰国後3日目くらいが一番きつくて、その後は、だんだんとアメリカの時間になじんでいくのであるが、今回は違う。 子供達も昼間寝てしまい、翌朝は早朝4時から全開で遊びまわる。 今回は旦那は出張が続き、お留守番で、日本にはいかなかった。 当然であるが、彼には時差ぼけがなく、通常のスケジュールである。 朝の4時から子供達が「ダディー!!」と騒ぐので、旦那にとっては、降ってわいた大迷惑である。 今、私はキッチンでお茶をいれたのだが、うちのばか犬が湯飲み茶碗の音を不法侵入者と勘違いして、「わお わお わおーん」と吠えた。 このばかちんは飼い主にも吠える。 どうしようもない「あほ」である。 「ばかちん!それは、私だ!吠えるな!」と押し殺した声で叱咤したものの、果たして、旦那を起こしてしまったのでは、と冷や冷や。  *************** 今回の日本への帰国は、去年の年末と同様に、「行かねばならぬ理由」があった。 私は誕生日が6月で運転免許の更新が今年となっていた。 日本を出てしまった者にとって、免許証は日本に於ける大事な身分証明書となる。 その為、更新はしっかりやっておきたいと思った。  まだ、親の残した小さな遺産の分割も済んでいないので、分割協議書には、印鑑証明だの、戸籍謄本だの、免許証だの、と煩雑ながらも、いろいろな書類が必要となる。 こういった証明書の類は、先手先手で準備万端にしておきたい。 結果的に、こういった努力が時間と費用の短縮になると思う。 また、日本で働いていた時に加入していた「ガン保険」「介護保険」を解約する必要もあった。 20代、30代の頃の私は、自分は結婚して家庭を持つ、などと思っていなかった。 その為、将来に病気になった時と寝たきりになった時の為に、会社で提供していた上記保険に20才台の後半に加入していた。  アメリカに渡ってからも、多少の蓄えは日本の口座に残しておいたので、そこから毎月の保険料を自動引き落としで支払っていた。 しかし、過去十年は親の件で一年に1-2回は帰国していた為、その貯金も尽きてきた。 そして、口座残高が足りなくなって、保険料を引き落とせなくなっていた。 この春に、保険料未払いの為、保険

No. 71 インターネットのない生活へ

6月下旬まで無沙汰をさせていただきます。 そこには、インターネットが無い、日本海に面した集落というか、村というか、町です。 昔は共同浴場があり、秋には、若者たちが剣を持って踊る祭りがあります。 お寺があって、それを中心に村ができています。 お店は一軒しかありませんでしたっけ。  年を取った方には、その村から一歩もでたことがない、といいます。  ちょっと出ると地平線に砂丘が見えて、そこまでずっと田んぼが続きます。 今頃は、苗代で稲が生長していて、田植えの時期だとおもいます。 過去25年通っていたんですが、最近は駅の周りも華やかになってきました。  おどろいたことに、教会も出来ていました。  では、6月下旬に。 あかしや番頭

No. 70 GPS

先週の終わりから、旦那とのコミュニケーションの時間をしっかりと持つため、夜9時の旦那の就寝時間以降は、コンピューターに向かうのを辞めた。 でも、今日は、旦那は出張。 それに、神さんに書けって言われているようだ。 日本行きの準備やら、ケーブルから光ケーブルのブロードバンドに変える工事やら、息子のサッカーやらでくたくたなので、30分以内で書いてみようと思う。 自慢ではないが、私は野外や路上での方向感覚が悪くない。 太陽の場所とか、感覚的に方向がわかる。 本当に迷って困ったというは、イタリアのベネチアでまよって、ウィーン行きの夜行列車の出発5分前に列車に飛び込んだということくらい。 一方、旦那は始めての場所は方向音痴。 歌も音痴。 だからか、狩猟のポイントを記録しておくためか、GPSのナビゲーションの端末をだいぶ前に購入した。 ちょっとした遠出には、このGPSを持っていく。 GPSとは、Global Positioning Systemの略で、衛星からの信号を受けて、地球上の位置を確定するシステム。いまや飛行機も船も使っている。 この週末、旦那の上司というか、仲の良い人の別荘というか、キャンピングカーの置いてある湖畔のコミュニティーに行ってきた。 これは、2006年の夏あたりの弊投稿「みあげてごらん、夜の星を」に書いた場所。 我が家から2時間のところ。 ダラスの北東にあり、ルイジアナ州よりである。 さて、旦那はこのGPSを車に乗せて発信した。 子供の日本語学校からの出発であった。 私は、一回行った場所なので、方向、使う道、ハイウエイはあたまに入っていた。  このGPS, うるさい。 そろそろ曲がる、ってときに、「ビビッ」と言う。 今、曲がれ、ッちゅー時には、、「ビビーッ!」  さらに、このGPS, 危ない。 運転しながら、旦那、「ピッピッピッ」って、GPSの機械のボタンを押すもんだから、こちとら、事故になりやせんか、とひやひや。 私にとっては、道順と方向をを最初から頭にいれておいて、肝心な右か左かの曲がる方向と場所だけ掴んでおけば、大丈夫なのであるが、旦那は、GPSに頼っている。 なんか面白くない。 あぶない。 うるさい。 さて、日本語補習校をでて、私はてっきりMarshという道を右にまがって、635というダラスを中心の環状線を通って、I-30というハイウエイを東にいくも

くそ忙しいぞ!

5月下旬の日本帰国 -いや、滞在というのか ー に向けて、こまごまとした準備で忙殺されているんだよね。 子供たちを田舎の小学校に体験入学させる。 通学服の色と形が決まっているし、体操着だの、「名札」をつけなきゃいけない。 なにも書いていない真っ白の子供のT-シャツを探すだけで、くたくたになる始末。 ないのよ、子供用の白いTシャツ。 体操着袋、歯磨きセット袋・・・。 それに名前かいて・・・。 うわばきの存在すら忘れていましたよ。 いろんな人に世話になるから、おみやげを選んで。 アメリカってろくな土産ないんだよね。 日本で入っていたいろいろな保険も解約するし。 解約書類、PDFで送ってください、と頼んだけど、「本紙」 - たぶん、厚い紙なんだろう - じゃないと駄目とか。  それに、日本では、免許更新に28年ぶりに高2クラスの同窓会に、いとこと一緒に温泉だ。 親が二人ともいないってのは、やっぱ不自由だね。 「親を敬いなさい」 - 十戒  ほんとうだよね。 出発までに、書けたらかくね。 あかしや

No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。 私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。  とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。 大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。 さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。 さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。 私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。 引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けな

No. 67 時間のやりくりと要領

ここで告白する。 私は遅刻大王である。  中学の頃から、遅刻は得意であった。 まだ、時間あるやーっていつも構えていて、直前になって青くなって、ばたばた・・・。 早くいって待ってりゃいいのに、どうもぎりぎりまで、うだうだしている。 結果遅刻となる。  高校のときは、学校まで7分というところに住んでいて、学校と家の間に担任が下宿していたので、歩いて学校に向かっている担任を走って追い越せば、遅刻にならなかった。 まったく自慢にならない。 母に生前言われた。 あなたは、このことでいつか大失敗する。と。 失敗、とは意識しないまでも、信頼は失っているんだろう。 あーあ。 子供にも悪い影響、与えてるんだろうなぁ。 さらに、私は時間の使い方がへたくそである。 これを少しここでやって、次にこれをここからやって、という芸当ができない。 何か始めて、それに没頭してしまうと、途中で止められない。 次に計画していたものが出来なくなる。 一度始めたことは、集中してしまうと、かっぱえびせんの状態。 ♪やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪、なのだ。 以前、上司に「お前は竹槍投げだ!」といわれたくらい、何かを始めると、職場にも帰ってこなかったり・・・。 しかし、竹やりって、今でもあるのか? まあいいや。 そんなことで、毎週のように、後悔ばかりしている。 このBlogだって、今日は辞めとくかと、思っていても、書き始めると一気に書いてしまうので、結果として、寝るのが遅くなり、翌朝つらいのである。 そんなことしてるから、朝は、子供たちを短時間で食べさせたり、あげくのはてに、送っていく車のなかで食べさせるということになる。 ぐうたら母親である。 さて、こんなアホがMIXIというオンラインコミュニティーにはまったらどうなるか、それは火を見るより明らかである。 28年ぶりの高校の同窓会の連絡をMIXIでやっていた、という理由もあるが、別のコミュニティーで、いろいろあり、そこで時間をさいて、投稿していた。 なので、結構時間を取られていたようである。 いつものことながら、どつぼにはまっていたんだと思う。  これが度を越すと、日本語では、「○○中毒」「○○依存症」と呼ばれて、英語だと、「○○Abuse」とか、「○○Addiction」となるんだろう。 しかし、先週の日曜日から一日のスケジュールを変えた。  朝は