No. 90 年越し・おせち料理

日本では、とっくに年が明けているのに、ここダラスでは、まだまだ。 あと30分でやっと2008年である。

旦那は、さっき見に行ったら、いびきをかいて寝ていた。 私も、今日は、早く寝るとする。 風邪がものすごくはやっているので、休養は十分にとらんといかん。


さて、サンタフェから3日前に帰ってきた。 

行きは強風の向かい風の中を走っていったので、燃費がものすごく悪かった。 中間地点にある、アマリロ(Amarillo)に到着したときに、I-40というハイウエイの反対に向かう車線で、ものすごい事故があった。 私達が通りかかった直前に起こった様だ。

大型トレーラーが数台、くの字型になっていた。 その間に、何台もの乗用車が連続衝突をおこして、積み重なるようになっていた。 救急車は20台はいただろう。 
走りながら、旦那と二人で、「うっわーーーーーー」。

サンタフェについて、テレビを見たら、CNNや全国放送網でその事故が報道されていた。 60台の車が巻き込まれ、すくなくとも5人の死者を出したそうだ。

これからクリスマスを家族と一緒に過ごそう、という人たちが多かったはず。 子供もいただろう。 哀れな気持ちになった。


一方、旦那は、「ガソリンが無い。」とのこと。 燃料タンクのインジケーターに赤いランプがついているではないか! 向かい風のせいで、普通なら、もっともつはずのガゾリンが、カラになりつつあった。 近くのガソリンスタンドに行ったが、その地域が停電していたため、ガソリンが入れられない。 事故のせいだろうか。 

2件目にいったけど、そこも駄目。  暫く、その場で停車してぼーっとしていた。 ここで、夜を過ごすのか? と不安になり、祈った。

でも、もう少し先に行けば、電気が通っている場所があるはずだ、と旦那がいうので、車を走らせた。 そして、あった。 ガゾリンスタンドが。 そこで、ガソリンを満タンにして、サンタフェに向かった。 次回は、予備のガソリンタンクを持っていくことにしよう。


サンタフェでは、子供をスキーに連れて行った。 自分のスキーウエアを着たら、きつくなっていた。  20年着ていて、今まで大丈夫だったのが。 これは、やばい。 健康によろしくない。

また、子供にスキーを教えていたのだが、そのあと、ものすごく疲れた。 体力も筋力も衰えていて、体重が増えていたせいだ。 中年太り、なんて、笑っていられない。 健康の危機である。 なので、今日から、買い物にいったら、店から遠い場所に車を停めて、なるべく歩くようにすることとした。 一年の計は、おおみそかにあり。


11月下旬から料理し通しだったので、今日は、するもんか、と思っていたんだが。 やっと喪が明けたし、3年、御節をつくっていなかったので、つくることにした。 Korean Marketに行ってきた。 うちの横浜の家では、大晦日はすき焼き、と決まっていた。 準備が簡単だからである。 しかし、今日、買い物に行った場所がKorean Marketということで、カルビ焼きとビビンバになってしまった。 でも、ビビンバって野菜沢山とるから、体によさそう。


夕飯の片づけが終わったあと、おせち料理つくりを始めた。 いつも行く日本食屋には、黒豆がなった。 栗きんとんはつくったのがあったが・・・。 ということで、黒豆、金団、なます、にしめ、かずのこ、とすべて一からつくることになってしまった。

すべては、一番出しを先に作っておけば良いので、意外にも手がかからず出来てしまったのである。


料理しながら、日本で私の家族と過ごした年末年始のことを思い出した。 

7-8歳の頃、除夜の鐘を聞こうと庭に出たが、寒かった。 母のコートの中にかくまってもらったこと。 父と犬を連れて、近所のお寺に行って、除夜の鐘をつきにいったこと。 しゅんしゅんと蒸気の出るヤカンがのったアラジンの石油ストーブ。 煮しめを作るとき、「材料をすべて一緒にいれるのは、嫌いなのよ。」、といっていた母。 煮えた物を置く、外側が緑色で、内側が白のほうろうのバット。 おもしろくもないのに、惰性でみてしまう紅白歌合戦。 正月の朝、着物をきちんと着た父。 すべてが茶色となった空き地での凧揚げ。

さいばしをもったまま、涙を流してしまった。 あの時は、もう還ってこないのだと。 私の子供達も、除夜の鐘を聞くことも、あまりないだろう。 娘は、おせち料理を作れるようになるだろうか。

こんな悲しい思いをするのであれば、大晦日は、スキーでも、パーティでもして、飲んだくれていた方がいいのかもしれないとも思った。


でも、暫くすると、気持ちも穏やかになってきた。 習ったわけではないけど、見よう見まねで、私は、母と同じようなおせち料理の味付けができるようになっていた。 母が亡くなる数年前、御節をすべて一人で作ったことがあった。 味付けの免許皆伝をその時、母からもらった。 なので、母からの伝統の一つを受け継ぐことが出来ていたことに感謝する。 


今回のおせち料理は以下の通り。

黒豆(2年前の母の葬式の帰りに大阪でよいものを買っておいた。 これが、とてもよく煮えた。)、ごまめ、なます、やきぶた(うちの定番)、煮しめ、栗きんとん(明日芋をにて、すべて手作りとなる)、かもぼこ(市販)、伊達巻(市販)、てなところ。 

明日の朝は、屠蘇散(とそさん)がパントリーのどこかにねむっているはずなので、それを探して、お屠蘇を作る。 驚いたことに、この「屠蘇散」(とそさん)のことを知っている若い人たちが意外にもいない。 なんでだ? 同い年の日本にいる友人にも、過去に話したら、知らないという。 う~む。 これは、日本からの入手が困難だから、自分で、漢方薬調合して、作るしかないのだろうか。 


お雑煮は、うちは、関東風。 一番だしから、澄まし汁をあした作る。 それに、もち、ゆでて絞ったほうれん草。 湯がいた鶏のもも肉のスライス。 それに、みつばをのせる。 ほんとうは、これにゆずの皮があればいいんだけどねぇ。 昨日、教会でもちをつくったから、そのあまりをいれることとする。 それまでは、サトウのきりもちだったんだけど。

関西では、みそや、あわせみそ。 野菜とかぶりをいれるとこのこと。 丸もちだそうだ。 私は、食べたことが無い。 おもしろそうなので、一度は食べてはみたいものだ。 機会が死ぬまでにあるだろうか??


と、書いているうちに2008年になってしまった。


たとえクリスチャンになっても、わたしは日本人である。 行事としてのクリスマスより(意義は、全部ブログに書いてある)、やはり年末年始の行事の方が、大切である。 料理も日本料理のほうが楽しい。 当分は、両親のことを思い出す年末年始なのだろうけど。  

でも、たとえ、悲しくても、私の横には、必ず、天のお父さんやイエス兄さん、そして、聖なるバディーがいてくれるから、いいか。 頼る者があるから、生きていかれる。



昨年、このBlogに来てくれた人たち。 どうもありがとうございました。 今のところ、一ヶ月で300以上のヒットがあります。 訪問される人たちも、今までリピーターや、URLを指定してこられる人たちが50%以上でした。 でも、このところ、検索結果でこのBlogにきてくれている人たちが増えてきました。


相変わらず、稚拙な文ですが、それでも読んでくれて有難うございます。 これからも、ぼちぼちやっていきます。 誤字脱字の多い下手な文章ですので、多めにみてやってください。 

誤字、脱字が多いのは、英語環境のコンピューターなので、マイクロソフトのIMEというただのソフトを使って、ローマ字変換で入力しているからなんですよ。 昔の仕事が日本語から英語への翻訳だったもんで、英語のタイピングのスピードはかなり速いんです。 でも、これをローマ字変換で打つと、時々、ソフトがタイピングのスピードに追いつかなかったりします。 あと、「ず」と「づ」の違いなどで、急いで変換するとぜんぜん違う漢字が表示されてしまうことも。 たとえば、「かたづける」。 急いで、タイピングすると、「かたずける」と打ってしまい、変換すると「固唾蹴る」なんって漢字がでてきてしまうんですよね。 あとは、「いがいにも」。 これは、「意外」「以外」の違いを見逃してしまい、そのままブログを表示してしまうことも、多々あります。 


と、言い訳をとりあえず、書いてみたものの・・・・・


私は、ただ、私が受けてきたものを、少しでも分け与えられられればいいな、とやっているだけなんで。  こんな「アホ」で、壁にぶちあたってばかりのどうしようもない人間でも、神さんが愛してくれているんだ、ってことを伝えられたら、と。

時に、笑い、泣き、怒る。 そんなさらけ出しのBlogですが、2008年もごひいきにお願いいたします。

良いお年をお迎えください。


あかしや番頭 いよーっ、(ここで、つづみでぽーん!) でしたっ。

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