No. 68 パンドラの箱

前回の投稿でかいたように、私は遅刻大王であり、時間の使い方がへったくそである。 そして、家の片付けも大の苦手なのである。 物が捨てられない。 昭和一桁生まれの両親にそだてられたからかも、と理由を死んだ親にこじつける。 昭和一桁生まれの人たちは、第二次世界大戦、または、太平洋戦争のとき、10代を過ごし、戦争中は配給制、戦後派は物資不足の中を闇市で口糊をしのいできた人たちが多いので、物を捨てない。 なので、親からは、「物を上手に捨てる。」ということを習うことをがなかった。

私の捨てられないもの、とは、本。 大学の時の(アメリカでの)ノートと教科書。 子供の書いた絵、作品。 紙の手提げ袋。 

とくに、本は、司馬遼太郎がすきだし、そのほか、いろいろな本がある。 何度も読み返すことがあるので、捨てられない。 旦那も一週間に、1-2冊読んでしまう人なので、二人の本の数がすごい。 数ヶ月前、ついに、本棚が重さで崩れ落ちた。 それも修理しておらず、山積みのまんま。

大学の時の教科書は、会計、税制の分厚い本があって、今でも使うので、自分のオフィスの上にしまってある。 ノートもきちんととっていたので、これもすてられない、というか、会計などの技術的なことのノートはあとで読み返すかも、と捨てられない。

さて、これだけではない。 アメリカでは、毎日これでもか、これでもか、とダイレクトメールが来る。 それをいちいち開けて見る時間がないので、そこらへんにぽいとおいて、それが山となる。 これだけは、なんとかしてほしいものだ。


さて、物を捨てられない上に、我が家には、引越し荷物がダンボールにはいったまま、たくさん残っている。

私たち家族がシンガポールからテキサスに引っ越してきたのが、2004年の9月の終わりであった。 となると、今年の秋で3年となる。 それを遡る2002年の9月にフロリダからシンガポールに引っ越した。 となると、2002年から2004年の間に海外引越しを2回したということだ。 私自身、日本にいるときから数えて引越しは、海外引越し2回を入れて合計7回である。 旦那は、その3倍くらいは引越ししているんだと思う。

引越しをするたびに、「なんでこんなに荷物があるんだろう。」といつも驚く。 それは、引越し回数を重ねるごとに、荷物の量は増えるのであった。 引越しが頻繁になると、引越し荷物を開けないまま、つぎの引越しとなることもある。 うちの場合はそれもある。

フロリダからシンガポールの引越しの時は、子供達がまだ2歳になったころで、家の片付けも出来ないし、引越し荷物を整理する、ということは、不可能であった。 あまりにも、荷物があり、ごちゃごちゃなので、引越し業者のひとが”Oh My God! (なんてこったい!)”と叫んでいたほど。 


さらに、追い討ちをかけるように、さらにダンボールが我が家に増えた。 去年の年末、日本に戻り、実家で父と母の遺品を整理した。 母の三味線、客用の布団、座布団、お茶の道具、すりばち、日本食器、母の着物、日本画の道具、母の書いた絵、などなど、ダンボールにして16個。 

開けたくないので、客室のクローゼットに山積みになっている。 開けてしまうと、心に秘めた父と母への思い出が一気に解き放たれてしまうようで。 今の自分には、まだその心の余裕がないのだと思う。

ガレージには、旦那の15年前の引越し荷物のダンボールに、フロリダ、シンガポールからのダンボールもある。

これらも、開けると、整理するまでに、「あれー、なつかしいわー。」ってものすごく時間がかかってしまうだろうし、捨てるのが下手だから、開けてしまったら最後のような気がする。

私は、これらの開かずのダンボールを「パンドラの箱」と呼んでいる。 何が出てくるかわからんし、出てきたら、いろいろな思い出が飛び出してくるだろうから。



さて、こういったダンボールは物理的なものだけど、あなたの心にも、箱にいれて、封をして、長期間たってしまったものはないかな?

たとえば、10代の時の失恋の痛み。 振った彼氏のこと。 おごるだけおごってもらって、車で送るだけおくってもらった、メッシー君とかアッシー君のこと。 利用した人への謝罪の気持ち。 誰かについた大嘘。 

人間それぞれ、いろんな箱を心の中に持っていると思う。 でも、そういった箱の在庫確認ってしないから、いつの間にか忘れてしまう。 特に、その箱の中身が、自分が悪いことをした、というものであればあるほど、心の奥底の暗い暗い地下倉庫につっこんで、二度と日の目をみれなくしたい、と誰でも無意識のうちに思うんだろうね。

そういった顕在的意識にある箱というのもあるけど、幼児期などに、親とか親しい人たち、心を赦した人たちから受けた虐待、性的いたずら、レイプなどのトラウマ的な事件というのも、分厚い箱にいれて、厳重に封をして、心の奥底の地下倉庫にしまって、それに触れることができないようにしてしまうのも、人間の防衛本能として、自然なことだと思う。 


でも、そういった箱はある日がきたら、どろん、って消滅しない。 箱は箱のまま、中身をしっかりと保持したまま、存在しつづける。 人間の心は、忘れようとしても、その箱の存在は事実であり、心から消すことの出来ないものである。  

ちょっとしたきっかけで ‐たとえば、地震がおこって- 箱がずれて、すこし開いてしまって、中身が見えてしまうこともあるだろう。 箱が棚からどーんと落ちて、中身がどばーってあたり一面にちらばることだってある。 地震はいつ来るかわからない。 でも、起こるものである。



こうやって、ガレージ、クローゼットに山と詰まれたダンボールを見ると、ある日には、意を決して、すべての箱を開けて、中身を検分して、整理しなけらばいけないと思う。 同じく、私たちの心の奥底に隠したものに対峙しなければいけないときも来るんだろうと思う。 


私は、ある人にいつかしっかりと謝りに行かなければならない日がくると確信している。 もう20年前のことだけど、いまさら、謝らなくてもいいのかもしれない。 しかし、自分の心がNoという。 それは、2年前、聖なるバディーによって、心の奥底に秘めていた自分の犯した事を思い出されたからである。 

聖なるバディーというのは、人の心に触れることができる、イエス兄さんの分身みたいなもんである。 イエス兄さんが天に上げられてから50日後にこの地上の人々の上に来るようになった。(新約 使徒の働き) 映画を見て感動して、涙流す、ような時の心の熱さを感じさせてくれる働きもする方だと思う。 


幼児期に受けたトラウマが原因で、拒食症、精神病、アルコール中毒、麻薬中毒になる、という人はとても多い。 旦那のいとこは、幼児期に受けたことが原因で、人とのまともな関係がもてなくなり、子供は生んだが離婚し、40歳代でピストル自殺をした。

心の奥底においてある箱は、箱で存在したままである。 その箱を開けて、何が起こったのかを再度、面と向かって対峙し、引き起こされた心の傷をひとつひとつに薬をつけて、傷口を治さないと、根本的に解決にはならない。 


箱は人間をやっているとどんどん増えるけど、それは、人の行く手を阻むものである。 道に物が落ちていて、それがどんどん増えると通行不可能となってしまう。 神さんと私たちの間の道も箱によってふさがれてしまうこともある。

それを取り除くには、神さんにお願いしながらも、人間の力も必要なのだと、つくづく思う。

神さん100%。 人間100%。


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