No. 72  すべて任せて飛ぶ  その1

今朝、また2時40分に目が覚めてしまった。 日本から戻りすでに5日も経つというのに。 

今回の時差ぼけは、かなりきついのである。 いつもなら、帰国後3日目くらいが一番きつくて、その後は、だんだんとアメリカの時間になじんでいくのであるが、今回は違う。 子供達も昼間寝てしまい、翌朝は早朝4時から全開で遊びまわる。 今回は旦那は出張が続き、お留守番で、日本にはいかなかった。 当然であるが、彼には時差ぼけがなく、通常のスケジュールである。 朝の4時から子供達が「ダディー!!」と騒ぐので、旦那にとっては、降ってわいた大迷惑である。

今、私はキッチンでお茶をいれたのだが、うちのばか犬が湯飲み茶碗の音を不法侵入者と勘違いして、「わお わお わおーん」と吠えた。 このばかちんは飼い主にも吠える。 どうしようもない「あほ」である。 「ばかちん!それは、私だ!吠えるな!」と押し殺した声で叱咤したものの、果たして、旦那を起こしてしまったのでは、と冷や冷や。 

***************

今回の日本への帰国は、去年の年末と同様に、「行かねばならぬ理由」があった。 私は誕生日が6月で運転免許の更新が今年となっていた。 日本を出てしまった者にとって、免許証は日本に於ける大事な身分証明書となる。 その為、更新はしっかりやっておきたいと思った。 

まだ、親の残した小さな遺産の分割も済んでいないので、分割協議書には、印鑑証明だの、戸籍謄本だの、免許証だの、と煩雑ながらも、いろいろな書類が必要となる。 こういった証明書の類は、先手先手で準備万端にしておきたい。 結果的に、こういった努力が時間と費用の短縮になると思う。


また、日本で働いていた時に加入していた「ガン保険」「介護保険」を解約する必要もあった。 20代、30代の頃の私は、自分は結婚して家庭を持つ、などと思っていなかった。 その為、将来に病気になった時と寝たきりになった時の為に、会社で提供していた上記保険に20才台の後半に加入していた。 

アメリカに渡ってからも、多少の蓄えは日本の口座に残しておいたので、そこから毎月の保険料を自動引き落としで支払っていた。 しかし、過去十年は親の件で一年に1-2回は帰国していた為、その貯金も尽きてきた。 そして、口座残高が足りなくなって、保険料を引き落とせなくなっていた。 この春に、保険料未払いの為、保険が失効となっていた。 

これから日本に帰って、がんの治療を受けたり、介護をうける可能性はほとんど無いという判断からこれを機会に解約してしまおう、ということになった。 アメリカと違って、日本の金融機関は海外在住者には、手続き用の書類は送ってくれない。 (ましてや、保険金の送金など、やってくれるわけがない。) 日本にある家族か知り合いのところに送ってもらい、転送という厄介な手続きとなってしまう。 

両親が健在のころは、こういった手続きもスムーズに出来た。 しかし、両親が亡くなった現在、個人保護法という厄介な法律まで出来てしまったので、諸手続きは日本に帰国して行った方が結局はスムーズに行くという判断であった。 「介護保険」の方は多少の払戻金があるらしい。 一方、「ガン保険」の方は、掛け捨ての保険だったので、払戻金は無しである。

ちなみに、「介護保険」であるが、加入した1980年台には、今、日本政府が行っている月5千円の保険料の「介護保険」の存在すらなかった。 個人的に加入していたのである。 (それでも、保険料は月1500円以下であった。)



計画当初、帰国中は子供たちは旦那に預けて、さっさと免許更新を済ませて、一週間でダラスに戻ってこよう、と思った。 しかし、旦那は5月から8月まで毎週出張で、子供を面倒みれない。 ならば、子供達も一緒に日本に連れていくしかない。 どうせ、連れていくのなら、日本語学習をさせたい。 ということで、2週間の小学校の体験入学も準備して、全行程3週間の日本への旅となった。

旅そのものは、28年ぶりに再会した高校の同級生たちのこと、高校の思い出、田舎町での居候生活、子供の日本の小学校体験、京都太秦・・・と話題満載の旅であった。 それぞれ、追々ここに書いていくつもりである。 特に、高校時代の思い出話は、今の高校生が信じられないようなエピソードのオンパレードなので、書いたら盛り上がるに違いない。 請うご期待!



さて、前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。


上記にあるとおり、必要があっての帰国であったが、私には、必要なお金が無かった。 シンガポール滞在中についた浪費の癖が暫く残っていて、貯金の底が見えてきてしまっていた。 去年の年末の帰国時点で、Frequent Milesは使い切ってしまっていた。 なので、飛行機のタダ券の可能性は当初から選択肢には入らない。ということで口座を持っているCredit Unionから借金して日本に帰ることにした。 


飛行機代は夏にはで高くなる。 子供達の分を含めて$3,000であった。 日本での発着の空港が違う、DFW-成田 関空ーDFWというスケジュールにしたので、割高でもあった。 この$3,000というまとまったお金をCredit Unionから借りることにした。 

上記の「介護保険」の解約払戻金が25万円(約$2,000)なので、それを充当して、残りの$1,000は帰国したらバイトを探して返済すれ良い、と思った。 あと手持ちに10万円が残っていたので、これを日本での活動費にあてて、ホテル代、リムジンバス代、新幹線の費用は、カードを使って、家計のなかから追々返済していくことにした。 

私は働いていないので、日々の生活は旦那が一生懸命働いてくれるお給料でなんとか賄っている。 一応、私たちもアメリカの中産階級(ミドルクラス)である。 しかし、一般的に、ミドルクラスは、家こそ持っているが、隔週の給料日の間をなんとかしのぐという余裕の無い生活である。 我が家も例外ではない。 なので、たとえ$1000のローン残金でさえ、返済には時間がかかると覚悟していた。 また、日本の滞在には、いやがおうでもお金がかかる。 普通にしていても、何らかの余分な出費はつきまとう。 それに、日本は物価がバブルがはじけたあとでも、高すぎる。 ということで、この先の不安はあった。


なので、どうしたか、というと・・・・・ 私の強い味方にお願いしたのである。  じゃーん、神さん、登場。 

- 日本で私たち家族を滞在させてくれる場所を与えて下さい。
- 渡航中の私たち家族の健康と安全を守って下さい。
- 夫の健康と安全を守って下さい。
- 渡航滞在の費用をすべて面倒みてください。
- 経済的な祝福をください。

を毎朝の祈りのなかでお願いした。 日曜日ごとに、礼拝の後、パタリロ牧師に祈ってもらった。 健康と安全はお祈りしていたが、人間側でもちゃんと準備しなきゃいかんと思い、旅行保険にはしっかりと加入した。


今年の3月頃から始めた祈り。 5月下旬の出発まで、2ヶ月、毎朝、神さんに頼んだのである。 「神さん、こうなったら、借金してでも行きますわ。 後は頼んますー! 全部、面倒みてちょー!!」と安心してしまったのである。  アホの脳天気というのは、こういう人間をさすのだと思う。


しかし、結果として、すべて祈りは答えられた。 そして、日本の多くの友人からの助けが先方から来た。 両親の代わりに、友人たちが助けてくれたのである。 大概、この度は大いに祝福されたものとなったのである。


●祈り:日本で私たち家族を滞在させてくれる場所を与えて下さい。

子供の体験入学中の2週間もの長い期間、私たちを受け入れてくれる家庭が見つかった。 神奈川県立希望が丘高校の時の担任の先生が金沢郊外の村落に30年ほど前に戻っていた。 "だめもと”で、先生にお願いしたら、引き受けて下さった。 それも、ご母堂様が今は寝たきりになっているというのに、たまたまその月は一ヶ月施設に預けることになっていたという。 (もしかして、私たちのの為にそうしてくれちゃったのかも・・・。) 大きなお宅の離れに住まわせてもらうこととなった。 

先生の同級生がその町の教育長という要職についておられ、トップダウンで、先生宅そばの小学校の校長先生に話がいって、すんなりと引き受けてもらえた。 本来は、その集落では、私たち親子はよそ者である。 こういった地元の名士の方の一声は力強い。
さらに、滞在の最終の週末は、先生宅で、28年振りの同窓会と先生の退職祝いとあいなった。 私を入れて、8人が神奈川県から石川県まで来た。 朝の4時まで昔話に花が咲いた。 

うるさい双子とでかい母親を2週間も同居させていただき、一生、恩師には、足向をけて眠ることができないだろう。


●祈りに増して、更なる祝福 

話は遡るが、金沢に行く前に、横浜では二俣川の運転試験場に更新の手続きをしにいった。 運転試験場のそばに住む小学校からの友人に、事前に連絡をして、子供を面倒みてくれないか、と頼んでおいた。 快く引き受けてくれた。 その上、彼女はお昼まで用意してくれるは、横浜の西口ホテルまで車で送ってくれるわ、忘れ物も翌日ホテルまで届けてくれた。 感謝の至り!

さらに、高校の時のバスケット部の仲間も、夕方からホテルに来てくれた。 5人も集まってしまった。 25年ぶりに会う人もいた。 懐かしいものである。



横浜から金沢に向かう途中、名古屋郊外の友人宅に一泊させてもらった。 彼は小中高の友人。 奥さんも同じ高校なので、気兼ねなく、一泊お願いしたら快く引き受けてくれた。 たまたま、私の誕生日にあたったので、簡単なケーキも焼いてもらった。 友人のお子さんたちとも話が弾み、今の高校生たちは携帯メッセージをつかっていじめをする、ということを聞かされた。 卑怯者が多くなったと言うか、人と面と向かって話をすることが出来なくなる世代の登場ということか。 夕飯は山のように積み上げられたヒレカツ。 うちの子供達は大喜びであった。 感謝! 感謝!

子供の体験入学後、金沢の恩師宅からは、高校の同級生が車で丹波にある彼の家まで連れてきてくれた。 そこで、一泊させてもらった。 交通費もいらないという。 ありがたし。 夕食に「はも」の御寿司をだしてもらい、大感激。 20年振りの「はも」であった。 横浜では食べれない京都名物である。 


●祈り:渡航中の私たち家族の健康と安全を守って下さい。


日本滞在中は、後半から子供達とともに、咳が出て、私ものどが腫れたままという体調であったけど、日常活動にはまったくさしつけることがなかった。 事故も怪我もなく、夫の元に帰ってくることができた。 旅行保険は掛け捨てとなったが、まあ、無駄ではなかっただろう。


●祈り:夫の健康と安全を守って下さい。

夫も度重なる出張と職場での不満はあるらしいが、無事に出張から戻ってきている。 この週末は寿司を作り、日本から持ってきた「丹波ワイン」を振舞った。 (この丹波ワインは素晴らしいワインである。) あと、日本製の電気剃刀を父の日のお祝いとしてプレゼントした。 アメリカ製の電気剃刀より、日本のメーカーの物が、格段に品質が良いものであることを彼は知っている。 10年前に私の父が彼に日本製の電気剃刀をプレゼントした。 それが壊れてしまったので、今回新しいのを買って持って帰った。 旦那はことのほか喜んでくれた。



●祈り:渡航滞在の費用をすべて面倒みてください。

さて、保険の契約払戻金のことである。 出発直前に、申込書を送付してから、手続きに3週間ほどかかるといわれ、ガーン! ということは、滞在中の引き落としが出来ない可能性があり、帰国と一緒にアメリカにお金を持ってこれなくなるので、誰かに頼んで送金してもらわなければならないのか、とがっくり。 到着翌日に、早速手続き書類を保険会社に送り、そのまま金沢に向かった。

金沢ではインターネットの無い生活であったので、暇になるかと思っていたら、意外にも忙しかった。 朝食後、洗濯物を干し、畑の作業の手伝い、アメリカに持って帰るものの買出しなどをするとあっという間に午前が終わり、お昼の時間。 午後は子供たちが帰ってくる2:30pmまでしか自由時間が無かった。 駅まで歩いて45分の集落であり、私の銀行の支店はその集落近辺になはかった。 忙しいスケジュールだったので、わざわざ金沢まで一時間以上かけて出る時間もなかった。 なので解約払戻金のことは、旅程最終日の京都にて確認するしかなかった。 

金沢を出て、京都北部の丹波にある同級生家族と短い時間であるが、楽しいひとときを過ごして、翌朝、JR嵯峨野線で京都駅そばの新・都ホテルへ向かった。 

チェックイン前の時間だったので、荷物を預けて、コンシェリジェに銀行ATMの場所を聞いた。 支店はそばにはなかったが、近くのコンビニのチェーンでお金はおろせることになった。 子供たちは、疲れていて、おなかもすいていたが、とにかくコンビニに向かった。

ATMの前に立ってみると、このATMは通帳の記帳が出来ない。 なので、カードで残高照会をした。 振り込まれていないだろうなぁ、と出てきた明細書をみると・・・・・、お金は振り込まれていた。 間に合ったんだ。 よかったぁ。 しかし・・・・・ええええ! 残高44万円もある。 ?????? なんだ? これ???  何かの間違いではないか? 振り込まれた金額は当初44万円もあったのか???  なんなんだ、これ?


しかし、コンビニで大金(私にとっては)を引き出して、そのまま立ちすくんで考え込んでしまうと、物騒な今の日本、危ない。 ということで、20万円ほど残金のこして、コンビニを立ち去った。 40万円持って歩きたくなかった。 

気持ちが少し大きくなり、じゃあ、昼はホテルのレストランで豪勢に、と一瞬思ったが、「いや、こういった気持ちはひきしめんといかん。」と、昼は吉野家の牛丼を食べた。 コンビニからホテルへの道すがら、娘が見つけた、昔なつかしの牛丼の吉野家。 娘が牛丼のポスターの前に止まって、「これ、食べたい。」と言う。 たった400円の昼飯は捨てがたい。 親子3人で、吉野家の牛丼を食べた。 そのあと、京都駅八条口の近鉄名店街に行き、子供のおもちゃを買い、そのあと、本屋によって、折り紙とあやとりの本を買ってあげた。 その後、ホテルにチェックインに戻った。

恥ずかしい話だが、ホテルのベッドの上におろしてきたお金を広げて、数えた。 子供の目の前でもあったが。 何せ、信じられなかったので。 明細書を見て、やはり振り込まれたのは、どうやら44万円近いようだ。 44万円から、当初の払い戻し金の25万円を引くと、19万円。 払戻金が無いと思っていた「ガン保険」の払戻金なのか? しかし、掛け捨ての保険だったのに、なんでか? これは、保険会社からの手続き終了の書類が知人宅から転送されてくるまでわからないだろう。 のんびり待つこととしよう。

今、円ドル為替レートは円が最安値(一ドル123円)で40万円ですら$3200にしかならない。 しかし、使わずに持ち帰った、残りのドル建てのトラベラーズチェックを合わせれば、借金の$3,000に合わせて、クレジットカードにチャージしたホテル代、交通費が払えてしまうのである。 超過も不足もない。 神さんはいつもこうだ。 いつもちょうど良い、足りもせず、多すぎない金額を与えてくれる。



京都最後の日の午後は、子供を連れて、太秦(うずまさ)を訪れた。 初めて、蚕の社、大酒神社を訪ねた。 そして、修学旅行以来30年ぶりに広隆寺の弥勒菩藩を見に行ってきた。 太秦は、原始キリスト教の景教を日本にもたらしたとされる秦氏(弓月の君)のゆかりの地である。 この件については、別途Blogにする。

そのあとは、京福電鉄の路面電車に乗り、嵐山にいった。 夕方になっていたので、観光客は帰ってしまったとで閑散としていた。 前日の雨の為、水かさが増し、流れが荒くなっている大堰(おおい)川(橋から下流は桂川と言うそうだ)にかかる渡月橋(とげつきょう)を歩いた。 子供達が、岸辺に若い鷺(さぎ)を見つけた。 じっと身じろぎせずに、川魚が流れてくるのをまっている。 子供たちがとても喜んだ。 


橋を渡りきったところにある料理屋の前を通りかかったとき、子供がメニューサンプルをみて、ここで食べたいといった。 観光地なので、高かったが、子供達も疲れたことであろうから、好きなものを食べさせてあげた。 息子はお子様ランチ。 娘はうどんとてんぷら。 全部で、5千円もしたので、私たちにとっては、ものすごいご馳走であった。 子供たちは、2週間言葉があまり通じない学校でがんばったので、これはご褒美。 多少、懐が暖かくなったので、このくらいは良いだろう。 太秦を経て、嵐山についたときは、すでに夕方の5時であり、子供たちが疲れていたので、嵐山で夕飯を取って正解であった。

帰りは京福電鉄の路面電車で四条までいった。 四条からタクシーでホテルに戻った。 娘が京福電車の中で寝てしまったもんで。 ホテルには、寝てしまった娘をだっこして入り、ベッドに寝かしつけた。 



日本での最終夜は、風呂上りに大好きなエビスビールを楽しんだ。 ほんのり酔いが回っていた。 酔っていて祈ったら、神さんに失礼かな、と思いながらも、神さんにお礼を言った。 (旧約聖書では、モーゼの兄の祭司アロンの息子たちが酔って神殿に入り、間違った香をたいたので、焼き殺された、という箇所がある。)

「天のおとうさん、願いをすべてきいてくれて有難う。」 


**********************

さて、その2では、私が神さんに法律を破るお願いをして、聞いてもらっちゃった、という話をする。 私はほんまにどうしようもないイエス営業部員である。 神さん、いい迷惑だよねぇ。


あかしや番頭   
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コメント

匿名 さんのコメント…
しっかりと神の栄光をうけてきましたね!
ブログに書かれた気持ちヒゲはわかりますです、同じ様な皆が奇跡・偶然というそれを装った神様の栄光を授かったものにとってはほんとわかりますですじゃ。
まさしくあかしやさんの信仰があなたを救ったということですね。
しかしまぁ〜この時期ヒゲもついこのあいだPと一緒に京都インしておりましたですよ。(^^ゞ
京都の文化財ではなくお店巡りをしたのですが初めてでした(学校でいく京都は文化財しかまわらないので・・)とっても楽しかったですじゃ。ほんとにほんとイエス兄さんには感謝感謝ですじゃ。
ヒゲ
Akashiya さんの投稿…
ひげさん、お久しぶりですぅ!!

単に運がいい、という考え方も出来るんですけど、私としては、神さんにすべてお願いして、ええいって借金していったという向こう見ずな行動だったかもしれません。 でも、ひげさんが以前いわれたような、崖っぷちですがっているものから、イエス兄さんを信じて、きっと下で受け止めてくれることを信じて、ええいって手を離して落ちるってことではないかと思います。

たまには、主の御心ではないことを、自分勝手に勘違いして、ええいって飛び降りて、おしりから落ちてしまうこともあるんでしょうけど。

京都に同じ時期にいらしたんですね。 楽しいひとときであったことと思います。

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