No. 2  罪、なんじゃそりゃ? その二

No. 2 罪、なんじゃそりゃ? その二

そうか、的外れか・・・。 でも、どういうこと? アーサー曰く、「お前たちがこれだけ神様に愛されているのに、気がついていない、ってことさ。」 ふーむ。 まあ、なんとなくわかってきたかなぁ、でも、まだ実感できない。 

でも、それから暫くして、ああ、これが的外れ、勘違い、わかっちゃいない、という気持ちを体験したので、ここに書く。

2005年に洗礼を受けた同じ日から、我が家に若い母親と幼い子供が同居し始めた。 いつものおっせかいで、よしゃーいいのに、私は彼女のご両親の負担を助けたくて、うちに呼んだんだ。 まあ、他人との同居はいろいろある。 

法律のこと、車のこともろもろ、アメリカ生活が短く、英語のコミュニケーションもスムーズではない彼女はいろいろ苦労しているようだった。 なので、何かあれば聞いて、とか、多少の情報はおっせっかいながらも、渡したりしていた。 うちは旦那がアメリカ人だし、私もアメリカ生活長いほうなので、いろいろと助けられると思っていた。 自立できるように、学校に行きたい、という意思表示を見せてくれれば、学費を貸してあげようとも、密かに思っていた。 しかし、昔からの知り合いではないからか、信用してくれないからか、単なる遠慮なのか、彼女は私たちの申し出を受けず、わざわざ前住んでいた西海岸あたりの友人たちに相談してたらしい。 旦那の親戚に弁護士がいるので、法律の問題も相談できたのにね。 まあ、私は信頼されていなかった、ってことにしておこう。 私も彼女が傷つくようなことをしただろうし。 

さて、ここで、言いたいのは、彼女がどうのこうの、というゴシップを盛り上げて、自分を良い子にすることではない。 私はもしかすると、天のおとうさんの気持ちを体験したのではないか、ということなんだ。

天のおとうさんはいつも私たちのそばにいて、助けになろう、と待っていてくれる。 でも、それって、私たちが「お父さん、困ったことがあるんだよ。それって、こうこうこうで、こういうことなんだ。 だからこれちょうだいよ。 助けてよ。」って言わないと、助けられないんだと思う。 (でも、私と母のように、神様みずから「どーしょーもねーなぁ」と助けてくれた場合もあるけど。 これを恵み、というのかな?) おとうさんはドラえもんのように、数ある解決策をポケットの中に持っていて、それを自由にアレンジして時間の流れに乗せることが出来るんだから、すごいんだぞー。 

でも、困っている時は、解決策を一番豊富に持っている自分を頼ればいいのに、頼ってこない。 「ほら、ここにいるんだよ。 私の所にくればいーじゃん。」って両手を広げて待っているのに、別の人を頼る。 これって、がっかりもんだよね。 これが何度もあると、ついには怒りも感じるよね。 これが嵩じると、もう勝手にしろ!でていけ! という気持ちになる。 

天のおとうさんは、今までこういったいやーな気分を何千年と人間に味わされてきたんだよね。 これが「気がつかない」、「的外れ」、「勘違い」であって、強いては、難しい聖書用語で言う、「罪」ではないかなぁ。 そして、「お父さん、困ったことがあってさー助けてよー。」と頼むことは、「祈り」なんだと思う。 ここでいう他の人は、カルトや街角の占い師の類も含まれると思う。 聖書の中には、兄弟をあほか!とののしるのも罪で地獄の火で焼かれる、と言っている。 でも、私は根本的な罪って、そばにいて見守ってくれているお父さんを無視することなのではないか、と思う。 今、これを読んで下さっている牧師先生がいますか? どうなんでしょうかね。 

ちなみに、彼女と子供はここに6ヶ月いた。 その後、私たちが感謝祭の休暇で旦那のおばさんのとこから帰ってきたら、消えていた。 今は、どこにいて、どうしているのかわからん。 でも、天のお父さんがきっと見守っていてくれると思う。                              

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