No. 5 ディスコ ICC (その二)
それが、どういうきっかけだったのか・・・。 賛美の伴奏をやってくれないか、と家庭集会の家を開放してくれているジャミラさん(仮称)に頼まれてしまった。 頼まれると、こちとら江戸っ子でぇい、頼まれたらいやとは言えねぇぜ、と出来もしないのに、一応引き受けた。 馬鹿だねぇ。 そこから「苦難」の道がはじまった。 最初は、Cね、ちゅーことは、ドミソか。 D? なんだこれ。 Dだから「レ」だよね。 レレレのレ。 もう、赤ん坊の歩み。 それにadd6、sus4なんていう化学記号らしきものにでくわすと降参であった。 ジャミラさんがピアノコード表を貸してくれたので、コピーしてコードの辞書として、キーボードの横に置いた。 歌詞とコードの紙にわざわざ5線譜を書いて、音符を書いた。 手探り状態。 最初の試みでは、前奏なんていうわざが出来ないので、いっちにーのぉーさん!っていきなり歌いはじめてもらった。 まちがえだらけ。 不協和音が響く。 本当にへったくそであった。 毎朝、犬の散歩から帰って、ちょぼちょぼ弾いて、限界を感じるとやめる、という練習を毎日した。でも、なぜだか諦めずに続けた。 私は本当に飽きっぽくて、やーめた、って断念する人間であるのに。 集会に来ている人たちの忍耐とおだてのおかげかもしれない。 私、すぐ図に乗るから。 アメリカってへたくそでも、たいしたことしていないのに、「よくやったー。」とほめ殺しにする文化だ。 家庭集会の人たちもアメリカナイズしたんだな。
こうやって、続けていくうちに、美しい曲に巡り合うようになった。 コードを見ただけで、手がさっと動くようになった。 ジャミラさんが今度、これ歌いたい、って歌詞とコード表を持ってくる。 けっこういい歌あるんじゃん。 ませり・まつらん賛美歌だったら、こうは続いていなかっただろう。 伴奏、といっても、左手ではベースを小指と親指で押さえて、四分の四拍子でリズムをとり、右手はコードを押さえるだけの、単純なものに過ぎない。 まったく技がないお粗末さ。 日曜日の賛美チームのピアニストの足元にも及ばない。 ピアニストの人は、右手と左手がたこのように動いて、旋律に和音をあわせ、美しいメロディーを奏でる。 本当にピアノっていろいろな音がでるんだねぇ。 礼拝のお話の後の牧師先生の祈りの時、バックグラウンドミュージックをピアノ で弾くんだ。 うっとりしてしまう。 どうやって弾いているんだろう、とピアノのメロディーに聞き入ってしまい、牧師先生の祈りの言葉から一瞬トリップしてしまうことがある。 いかん、いかん。
ある日、家庭集会を始めるときに、ジャミラさんが手を挙げて「はーい。 証したいことがありまーす。 実はぁ、この家庭集会を始めたときは、CDで伴奏していただけでした。 なので、ピアニストを与えて下さい、と祈りました。 そしたら、あかしやさん(私のこと)がピアニストとして与えられました。」 私はすかさず、「そうか、おまえだったのか! 陰で祈っていたのは!! だから、だいぶ前、神さんが行け!行け!ってやかましかったのは、おまえの策略だったのかーーー!」
その後、私の母が去年のクリスマス前に急に亡くなった。 そして、今年に入ってから、ジャミラさんのお父さんが重症のガンだ、という連絡があった。 彼女は祈り、祈り、祈った。 そして、彼女は言う。 「私にとって、神さまを賛美することが一番大切なんだ。」って。 私も母をなくしたばかりだったから、他人事ではない。 私もお父さんの為に祈り、賛美しよう、とそれからは毎朝、家のキーボードを弾きながら歌った。 ジャミラさんのお父さんを助けてください、癒してください、と。 気がつくと昼になっていることがしょっちゅうだった。 ジャミラさんが3月の終わりに日本に帰ったとき、不思議な導きがあったそうだ。 お父さんはホスピスに入ることになったが、待っている人が多く、入れないだろう、とがっかりしていたそうだ。 そしたら、ジャミラさんがアメリカに戻る日に、待っている列を飛び越えるがごとく、お父さんがホスピスに入れた。 そのお父さんも4月のはじめに召された。 訃報を受け取ったとき、祈った。 そしたら、光が見えた。 ジャミラさんは訃報に接したときも、天のお父さんを賛美し続けてていたそうだ。 亡くなる前のお父さんは、病気になってから一番幸せな時間を過ごせたらしい。 あれだけ、お父さんの為に全身全霊かけて祈った彼女は最高の親孝行をした、と思う。 ジャミラさんのお父さんは今、私の母とお茶をしながら、私たちの娘たち、あーんなことしてますよ、って見降ろしているんだろう。
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今思い返せば、天のおとうさんが、私はレビ人である、といったこと、Ft. Worthの家に行け!と私をつっついたのは、私を家庭集会のへたくそ伴奏者にするだけはでなかったと思う。 「彼女にこれから困難が起こる。 そのときは、おまえは母親を失ったばかりだから、お前は彼女のつらさを身にしみて感じることができる。 だから、今から彼女の元へお前を使わす。 私を彼女と一緒に賛美せよ。」ということだったんだな。
礼拝の時になぜ、あんなに長く賛美をするんだろう、という疑問には、今日、教会の人からはっとするメールをもらった。 彼女曰く、「賛美はメロディーのついた祈りなので、それが楽しくなる事は、主への栄光につながります。」 そうか、歌うことは祈ること=天のお父さんに話しかけること、なんだ。 歌のお姉さん=賛美リーダーのこにしきさん(仮称)は、「賛美を始めると、神様がどーーんと降りてこられる。」と言う。 すごいなぁ。 上記の歴代史 II 5章にある通りだ。 そうか、そうなんだ。 歌うと天のお父さんは、「私を呼んだかい?」 ってそばにきてくれるんだ。
今、私は、日曜日の賛美の時が好きだ。 実は、歌うのは嫌いではない。 20代後半のとき、会社のフュージョン系のバンドに入って、歌っていた時期があった。 バンドのドラマーが私に気があったらしく、実力もないのに、入れてくれたからである。 またまた、不純な動機である。 でも、へたなのが分かっていたから、ヤマハのボイストレーニングにも通って、腹式呼吸による発声を練習した。 それでも、結局はバンドをくびになった。 そんなへたくそでも、今は大声で歌う。
あかしや番頭 メールを送る
こうやって、続けていくうちに、美しい曲に巡り合うようになった。 コードを見ただけで、手がさっと動くようになった。 ジャミラさんが今度、これ歌いたい、って歌詞とコード表を持ってくる。 けっこういい歌あるんじゃん。 ませり・まつらん賛美歌だったら、こうは続いていなかっただろう。 伴奏、といっても、左手ではベースを小指と親指で押さえて、四分の四拍子でリズムをとり、右手はコードを押さえるだけの、単純なものに過ぎない。 まったく技がないお粗末さ。 日曜日の賛美チームのピアニストの足元にも及ばない。 ピアニストの人は、右手と左手がたこのように動いて、旋律に和音をあわせ、美しいメロディーを奏でる。 本当にピアノっていろいろな音がでるんだねぇ。 礼拝のお話の後の牧師先生の祈りの時、バックグラウンドミュージックをピアノ で弾くんだ。 うっとりしてしまう。 どうやって弾いているんだろう、とピアノのメロディーに聞き入ってしまい、牧師先生の祈りの言葉から一瞬トリップしてしまうことがある。 いかん、いかん。
ある日、家庭集会を始めるときに、ジャミラさんが手を挙げて「はーい。 証したいことがありまーす。 実はぁ、この家庭集会を始めたときは、CDで伴奏していただけでした。 なので、ピアニストを与えて下さい、と祈りました。 そしたら、あかしやさん(私のこと)がピアニストとして与えられました。」 私はすかさず、「そうか、おまえだったのか! 陰で祈っていたのは!! だから、だいぶ前、神さんが行け!行け!ってやかましかったのは、おまえの策略だったのかーーー!」
その後、私の母が去年のクリスマス前に急に亡くなった。 そして、今年に入ってから、ジャミラさんのお父さんが重症のガンだ、という連絡があった。 彼女は祈り、祈り、祈った。 そして、彼女は言う。 「私にとって、神さまを賛美することが一番大切なんだ。」って。 私も母をなくしたばかりだったから、他人事ではない。 私もお父さんの為に祈り、賛美しよう、とそれからは毎朝、家のキーボードを弾きながら歌った。 ジャミラさんのお父さんを助けてください、癒してください、と。 気がつくと昼になっていることがしょっちゅうだった。 ジャミラさんが3月の終わりに日本に帰ったとき、不思議な導きがあったそうだ。 お父さんはホスピスに入ることになったが、待っている人が多く、入れないだろう、とがっかりしていたそうだ。 そしたら、ジャミラさんがアメリカに戻る日に、待っている列を飛び越えるがごとく、お父さんがホスピスに入れた。 そのお父さんも4月のはじめに召された。 訃報を受け取ったとき、祈った。 そしたら、光が見えた。 ジャミラさんは訃報に接したときも、天のお父さんを賛美し続けてていたそうだ。 亡くなる前のお父さんは、病気になってから一番幸せな時間を過ごせたらしい。 あれだけ、お父さんの為に全身全霊かけて祈った彼女は最高の親孝行をした、と思う。 ジャミラさんのお父さんは今、私の母とお茶をしながら、私たちの娘たち、あーんなことしてますよ、って見降ろしているんだろう。
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今思い返せば、天のおとうさんが、私はレビ人である、といったこと、Ft. Worthの家に行け!と私をつっついたのは、私を家庭集会のへたくそ伴奏者にするだけはでなかったと思う。 「彼女にこれから困難が起こる。 そのときは、おまえは母親を失ったばかりだから、お前は彼女のつらさを身にしみて感じることができる。 だから、今から彼女の元へお前を使わす。 私を彼女と一緒に賛美せよ。」ということだったんだな。
礼拝の時になぜ、あんなに長く賛美をするんだろう、という疑問には、今日、教会の人からはっとするメールをもらった。 彼女曰く、「賛美はメロディーのついた祈りなので、それが楽しくなる事は、主への栄光につながります。」 そうか、歌うことは祈ること=天のお父さんに話しかけること、なんだ。 歌のお姉さん=賛美リーダーのこにしきさん(仮称)は、「賛美を始めると、神様がどーーんと降りてこられる。」と言う。 すごいなぁ。 上記の歴代史 II 5章にある通りだ。 そうか、そうなんだ。 歌うと天のお父さんは、「私を呼んだかい?」 ってそばにきてくれるんだ。
今、私は、日曜日の賛美の時が好きだ。 実は、歌うのは嫌いではない。 20代後半のとき、会社のフュージョン系のバンドに入って、歌っていた時期があった。 バンドのドラマーが私に気があったらしく、実力もないのに、入れてくれたからである。 またまた、不純な動機である。 でも、へたなのが分かっていたから、ヤマハのボイストレーニングにも通って、腹式呼吸による発声を練習した。 それでも、結局はバンドをくびになった。 そんなへたくそでも、今は大声で歌う。
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