No. 232 自制
Blogは心に余裕がないと書けない。
八月の中旬になる今週に、やっとBlogを書いている。
前回書いたのは、5月3日と6月1日。
この両日付の間に、スーパーばあちゃんは天国に行った。
ばあちゃんのお葬式がおわり、さて、医療費の支払いとほんの少しあった貯金というか、投資の分割、という話になった。
親が死ぬと、避けて通れない遺産分割。
多くは、もめる。
うちも例外ではなかった。
ばあちゃんの残したお金は、ものすごく少額だった。
しかし、お金がどうしても「今」欲しい人がいた。
その為、6月と7月は、計算したり、緊急の州外の旅、ということが起こってしまった。
物議を醸しだしたので、当然、いやな気持にさらされた。
親戚の間で、朝からテキストやら、E-Mailやら。。。
16年前に経験した遺産相続の時の、いやーな心の痛みがほじくり返された、という感じ。
信じられないような発言もあった。
ここまで言うか、という。
多くの人は、知り合いや友人に、「ねえ!聞いてよ!」とぶちまけるだろう。
また、発信する場所があれば、そこに、感情のままに吐露する人もいるだろう。
YouTubeやBlog、Facebook, Twitterなどは、ぶちまけのオンパレードではないか。
***
ガラテヤ書 5:23
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、自愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
「御霊」は聖書では、”みたま”と呼ぶ。
お味噌汁をすくう「おたま」ではない。
えー!聖書って、「霊界」や「スピリチュアル」な話もでるんかい!
と思う人もいるだろう。
あたしも、おおー、キリスト教でも、「霊」があるんかいな、とまだ、イエス営業部になっていないとき、思った。
霊能者の江原啓之さんや、美輪明宏さんがでてきそうじゃないの。
「あなたの後ろに、先祖の霊が。。。」「背後霊」「守護霊」などに使われる「霊」という漢字があてはめられている。
この”みたま”はスピリットというのかな。
イエス兄さんが死んじゃって、生き返って、天国にいったあと、
「私は体は地上にはないけど、ほら、気持ちを送るよ!」って感じだろうか。
御霊(みたま)は、「聖霊」とも「Holy Spirit」とも言われる。
そこらへんをうろうろしている「霊」より、ずっと次元が高いと思う。
「霊談議」はこのへんにして、数式を書くぞ。
愛 x
喜び x
平和 x
慈愛 x
善意 x忠実 x柔和 x自制 x=御霊の実
なのじゃ。
もう、ありがたやーの要素だらけ。
こういう人がいたら、150%のお人よしのアホかも。
だって、人にひどいこと言われたり、裏切られても、
柔和で、「あれーそぉー」で流して、
むしろ、優しくして、お小遣いまでくれちゃってさ、
文句たれずに、その場を丸く収めて、
にこにこしている、という人だ。
そんな人がいたら、後光が差しているにちがいねぇ。
教会って、こういった人が多いという先入観を持つ人は多いだろう。
その先入観と現実がマッチしないとき、
「あの人、クリスチャンなのに、なんでこんなこと言うの?」
「この世で一番いやな奴は、クリスチャンだ。」
という反応となる。
あのねー、勝手にイメージ創り上げといて、
それにそぐわないからってさ、批判すんの、やめてくんね?
んで、あたしの話にもどるけど、
ばあちゃんのお金のことで、まじにいやーな思いをしたんですよ。
でも、あたしは、ここに、ぶちまけなかった。
なぜか、この聖書の箇所の「自制」という言葉が頭にいつもあったから。
信頼できる人の数人や、サポーティブな親戚には、ぽろっとはこぼしたよ。
だって、あたしは聖人でも君主でもない。
ふつーの人間。
でも、あたしは騒がなかった。
耐えながら、不眠症になりながら、やるべきことをやりながら、
2か月間やってきた。
仕事も随分遅れてしまって、お客さんを待たせてしまった。
一人のお客さんは、私から去ろうとしていると思う。
でも、いいや、という気持ちである。
「御霊の実」の一つは、ちょこっと達成できたのかな。
だから、神さん、失う客からの売り上げを倍にして戻しておくんなせい。
いや、7倍返し!にしてくれるのが、神さんじゃ。
もう、安心して寝ようっと。
愛+ 喜び +平和 +慈愛 +善意 +忠実 +柔和 +自制
=脳天気
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