No. 57 がまん強さ

新年おめでとう!

昨日の夕方、サンタ・フェから戻った。

本当は、12月28日に戻り、お正月を自分の家で過ごそう、という計画であったのだが、戻ったのは、5日後の1月2日。 

サンタ・フェでは、記録的な大雪で、帰路の高速道路がすべて通行止めになってしまったのであった。 

お陰で(?)、一日余分に息子にスキーを教えてあげることが出来た。 さすが、私と旦那の息子である。 教えて2日目には、すいすいと、ゲレンデを滑って行った。  スピードの制御がまだであるが、急勾配でないスロープなら、転ばずにすいすいと滑っていくことができる。

学生のころ、横浜のYMCAで子供たちにスキーを教えていた。 

子供に教えるには、まず、最初にスキーのバインディング(スキーとスキー靴を留めるデバイス)の調整をしっかりする。 これを怠ると、骨折事故に簡単につながる。 だから、自分の担当の子供たちには、時間をかけてでもひとりひとりバインディングを調整する。 ゲレンデで転んだとき、負荷がかかってバインディングが外れるように調整する。 大きな負荷がかかっても外れないときは、捻転骨折につながる。 一方、バインディングがちょっとした負荷で簡単にも外れてしまうと、スキーをしている最中にスキーがはずれ、これまた怪我の元となる。 

なので、必ずドライバーを用意して、一人一人の調整をしてあげた。 調整して、スキーを履かせる。 そのスキー靴を横から思い切り蹴って、外れれば良し。 外れなければ、ちょっと緩める。  自慢ではないが、こうやって無駄に思える時間を一人一人に費やしたので、私の担当のグループからは怪我や骨折した子供は一人も出なかった。

一人の子に時間を費やしている間、子供達には勝手に雪の中で遊んでいてもらう。 これも重要なトレーニングの一つ。 「雪慣れ」してもらうのである。

バインディングの調整が終わったら、次は転び方と立ち方。 転び方は、女性の横座りのごとく、お尻をスキーの外の「山側」、つまり斜面の上に落とす。 両足の間にお尻を落としたって、スキーはなかなかとまらない。 そのまま「ぎゃぁーー!」と奈落の底に滑っていくのを眺めるしかない。 

起きるには、まず、寝そべって、上体を「山側」、つまり、斜面の上、に置き、足を「谷側」、つまり斜面の下側に持っていく。 寝そべって両足を宙に振り上げてでも、その体勢に持っていく。 斜面に垂直にスキーを持っていき、谷側の足に重心を置いて、両手を前に置き、立ち上がる。

最初のレッスンでは、リフトは一切使わず、すべっては転び、起き、歩いて斜面を登る。 これだって、大切なフットワークである。 斜面を登るうちに必要な筋肉はついていく。 スキーでは、足の筋肉以外に腹筋も大切なんである。 とくに、ぼこぼこの斜面をがんがんすべる時には。  英語では、モーグルというものだ。

不思議なことに、スキーはどんどん転ぶたびにうまくなるようなきがする。 息子を見ていて、そう思う。 私も最初は転んでばかりいた。 でも、数年後には、五竜とおみの山小屋の屋根裏部屋に毎週泊まり、ゲレンデでは、暴走族と化していた。 リフト小屋のおっちゃんに顔をおぼえられ、スキーパトロールには追いかけられていた。


スキーをしなくなって15年経っていたので、今回は、すべてレンタルにした。 スキーの長さを聞かれたとき、175cmから180cmと言ったら、レンタル屋のお兄さんの目が点になった。 

もうそういう長いスキーは作っていないんだと。 また、重心をかけて回転する必要もないんだと。 腰で体重移動をするだけで、スキーは曲がっていってくれるようになったそうだ。 借りたスキーを観察すると、スキーの側面のカーブ、つまり曲線が昔のスキーに較べて、大きなカーブになっている。 言い換えれば、スキーの両端の幅と中心の幅の差が大きくなっている。 いわゆる魅力的な女性のt体型になっている、ってことか。 だから、ちょっと踏むだけで、努力もせずに、スキーのパラレルが簡単にできる、という構造になっている。 だから、もう長いスキーは作れない、ということなんであろう。 もし、180cmのスキーがあって、同じようなカーブをつけるとすれば、スキーの先端の幅はスノーボードくらいの幅が必要になってしまうからだろう。


技術の進歩といより、人間が努力することをどんどん少なくしていく傾向を感じた。


話はまったく変わるが、おととしの6月に、手術をした。 IV, いわゆる点滴の針を腕の血管にする手順は、手術をしたことのある人ならお分かりであろう。 血管の確保を早いうちにしておくためでもあり、(手術中に体液が失われて、針を刺す血管が見つからなくなることを防ぐため)IVから麻酔薬やらいろいろな薬を入れることが出来るようにするためである。 

そのIVの針を入れるのに、なんと「局所麻酔」を小さな注射針でうったのである。 そして、IVの針を血管に刺した。 これには、少し驚いた。 アメリカ人は注射がきらいで、大人でも大騒ぎをする、というのは、わかっているけど、たかがIVの針を入れるために、局所麻酔をするとは・・・。 


ここでも、人間がどんどん我慢をしなくてすむようにしていく傾向を感じた。


24歳の時、バイクで自爆の事故をした。 左腕のひじの骨を折り、顔、手など、切った。 ひじには釘2本とワイヤーを入れる手術をした。 数ヵ月後、その釘とワイヤーを抜く手術をした。 いや、あれは手術といえたのだろうか?  大工さんの作業といったほうが良かったのかもしれない。

手術室が空いていなかったので、医者たちは、「ここでいいやー。」と、私をギブス室につれていった。そこで「局所麻酔」でくぎを抜く作業を始めた。 それも、インターンの実験台にされたのであった。 そして、途中で麻酔は切れた。 インターンは、経験が少ないので、うだうだやっていたからだ。 最後の釘を抜くときは、本当に、「いっでぇぇぇぇぇ~~~!!」であった。 縫合するときは、麻酔がまったく切れていたから、一針一針さされるのはすべてわかり、確かに痛かった。 「は~い、おっしま~い。」と整形外科の医者はいいかげんであった。 私は涙を拭きながら、「有難うございました。 でも、痛ったかったぁ~。」と、「ギブス室」から歩いて自分の病室に帰った。 IVもなにもなし。 麻酔がないと、いとも後が簡単であった。


話はもどるが、一昨年の手術の時は、内視鏡を使った手術であった。 子宮筋腫があったので、子宮を全部摘出した。 術後、一泊したら、家に帰る、という予定であった。 手術の麻酔が切れ始めて、痛みを感じはじめたら、自分でボタンを押して痛み止めを自動的にIVの中に入れる、というもシステムがそなえられていた。 この痛み止めはなんですか?と聞くと、「モルヒネ」、だという。 

子供を帝王切開で生んだ後、打たれた痛み止めが「Demerol」(デメロル)であった。 Hallucination(ハルシネーション=光が飛ぶような現象)と、半日げろげろ、という副作用に苦しんだ。 なので、痛み止めの種類には、ことさら神経質になっていた。 さらにモルヒネは麻薬である。 ためしにちょっとボタンを押してみた。 う~ん、ぼーとしてきて、体が温かくなってきた。 痛み止めというより、やはり麻薬だ、と自覚した。 

なので、術後でも、使うのを辞めた。 手術のあとは、夜半まで痛みが続いた。 ベッドの柵にしがみついた。 でも、げろげろになるのはいやだし、麻薬はいやだ。 なので、我慢した。 ”イエス兄さんは十字架にかかったとき、もっと苦しい思いをしたんだ。”と比較にもならない馬鹿なことを考えながら。 力んだお陰か、熱が少し出て、真夜中に看護婦さんを心配させた。 でも翌日、退院となった。

担当医に「Toughy」(我慢強いねぇ)と言われた。 アホな私は、「残ったモルヒネをストリートで売って儲けられまっせ。」と言った。 医者は困った顔をしていた。


私は「げろげろ」はなるべく避けて生きていきたい。 肉体的な「痛み」のほうが、まだ耐えられる。 また、これからも耐えていくだろう。 心の痛みより、肉体の痛みのほうが楽でもあるし。 高校のとき、バスケット部でしごかれて、エネルギーすべて使い果たし、学校の前庭に大の字になって寝そべってしまったことに較べれば、多少のことはがまんできてしまう。 

人間って、痛み、つらさを避けて通ればそれでいいのだろうけど、ある程度、痛みなどを経験しておいたほうが、「がまん強く」なると思う。 むしろ、痛みを避けようとして、余計な麻酔薬をつかうと、その副作用のほうがかえって害になるときがある、と思う。 痛みは最初に受けて我慢すれば、あとは楽。 あえて、痛みを避けようと薬などを使うと、思わぬ副作用があり、回復がものすごく遅れるのである。


人生にたとえれば、自分の内面の汚さを直視すること、自分の非、罪を認めること、乗り越えるべき障害をさけようとして、なんだかんだ理由をこじつけて、ずるずる問題への解決を引き延ばしてしまうことと同じような気がする。


聖書にこうある。 

主はあなたに耐えられない試練、痛みを与えない、と。


手術の痛み、スポーツのしごきを通してのつらさを通して、私もそう思う。



 
今回の帰路、I-40というアメリカの真ん中の東西を結ぶ高速道路を使った。 西に向かう反対車線は45キロほどの大渋滞。 それを横目で見ながら、東へ走った。 高速道路は駐車場と化し、高速道路の中央分離帯では、雪合戦している人たちもいた。 あの人たち、あのまま夜を迎えたのだと思う。 

夜は冷える。 長い間、車をアイドリング状態にしていれば、ガソリンは無くなる。 食べ物も十分に無い人たちもいるだろうし、毛布を用意していない人たちも当然いる。 零下になる夜、暖房、毛布、食べ物なしで車の中で夜を過ごす。 死んでしまう人たちだって出る。 だから、赤十字が出動して、そういった毛布、食べ物、ガソリンを支給する。 


私は予感がして、毛布、寝袋、食べ物と水を積んでいった。 本当は、予備のガスタンクも持って行きたかった。 実際には使わなかったけれど、焦って出発を一日早めていたら、高速道路の上で一夜を明かさなければならなかったであろう。 7歳の子供二人と92才の老人と、犬二匹と大人二人で車の中で一晩過ごさなければならなかったであろう。 行きの快晴の天気の元では、思いつかない備品であるが、今回の大雪のように、突然、必要になるときがある。 そういった危機管理は常に必要だと思う。 石橋を叩いてわたるように思われるけどね。 



試練、痛みは来るものである。 好むと好まざるにかかわらず。 だから、それらが来るのを恐れながら待つより、また、避けるために大げさな処置をとったりするより、常に自分のなかで、危機管理をしておくことが必要であると思う。 


だから、常に心にイエス兄さんを持っていようと思う。 常に、心に平安が来るように祈っていようと思う。  それが私の人生への危機管理でもある。


あかしや番頭

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