No. 101 誕生日のプレゼント (その一)

今日は、6月2日。 横浜の開港記念日であり、また、私の誕生日である。
小学校と中学校は横浜市立の学校に通っていたので、私の誕生日は学校はいつもお休みであった。 さらに、山下公園では、花火が上がる。 横浜中が私の誕生日を祝ってくれていたようなものであった。

しかし、ダラスは・・・くそ暑い! 今日も30度は越えていたかもしれない。

一昨昨日の土曜日は、旦那とディナーに行った。 Mi Piaci (イタリア語で、You like me.)というGazatに出ているレストラン。
http://www.zagat.com/Verticals/PropertyDetails.aspx?VID=8&R=65311&AJX=Ntk%253DGeoChildID%25257cHomepage+Search%2526Ntt%253D850%25257cmi%25252bpiaci%2526VID%253D8%2526N%253D120%2526Ntx%253Dmode%25252bmatchall%2526Nr%253DOR%2528Item%25252bStatus%25253aActive%25252cItem%25252bStatus%25253aTemporarily%25252bClosed%2529

たとえ、土方をしている私でも、イタリア料理には、ちょいとうるさい。 イタリアには、合計3週間くらい滞在していて、いろいろ味わってきた。 南イタリアには行ったことがないけど、中部から北部は巡った。 昔、イタリア人の彼氏がいたから、彼を通して、イタリアの文化、言語、食を勉強したのである。

アメリカでは、パスタのゆで方からなっていない。 水が違うからかもしれないけど、どうしても「うどん」状態のパスタがこの国では出てくるので、いつも落胆している。 ということで、なかなか本当のイタリア料理にはなかなかめぐり合えないもんだわ、と諦めていた。 

しかし、このレストランは、北イタリア料理専門。 だったら、リゾットと海産物だろう、ってことで、オーダーした。 かなりレベルが高かった。 サービスも肩が凝らず、Maitre’Dのイタリア人のおじさんもイタリア人ならではのジョークで話してくれて、心地よかった。 お値段もあれだけ頼んでも、$200超えるだろう、と構えていたら、ウエイターへのチップを入れても、越えなかった。 こういうディナーは年に一回か二回しかしないので、奮発して、夫婦で楽しむ事にしている。 なので、多少の値段は、二人で美味しい料理と良いサービスで楽しく過ごすためには、よいと思っている。

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さて、食べ物の話はここまでにしてっと、今日したこと、あったことを書きたい。

朝起きて、トイレに座っていると、旦那と子供からカードが来た。 いつもながら、旦那は、口に出していえない感謝の気持ちをカードに託してくれる。 子供たちは、彼らなりにメッセージを書いてくれて、結構笑わせてくれる。

旦那と子供たちを送り出したあと、ばかちんと老犬を連れて、森の中に入った。 小さい小川沿いにある森の中の歩道。 ばかちんは、迷いもせず、水の中にざぶーんと飛び込む。 毎回、この調子。 そのあと、土の上に腹ばいになる。 だから、どろだらけ。 お陰で車もどろだらけ。 車の掃除なんて、何ヶ月もしない。 無駄なので。 だから、私の車は、走るゴミ箱と呼ばれている。 一方、老犬のぷっぷちゃんは、もうあまり走れないので、多少もたつきながらも、何とか歩いている。 もう13歳。 人間でいえば、91歳である。 


祈りの場所にいって、まず、神さんに感謝する。 いつものように、朝起きて、夫と子供たち、そして自分が生きていることに感謝する。 

祈っていると、たまに、野生のコヨーテが20メートル先を横切ることがあるのだが、今日はいなかった。 ばかちんは、祈りの場所への入り口と私が見える中間点でいつも見張りをしてくれる。 老犬は、私のうしろでどうやら一緒に祈っているようである。 いや、神さんの存在を楽しんでいるといったほうがいいか。 犬というのは、神さんがそばにいるのがわかるらしい。 

朝日が若葉の間から木漏れ日となり、風に吹かれて、太陽の光がまたたく。 すがすがしい朝であった。


そうだ、誕生日なんだから、神さんに誕生日プレゼントをねだろう!という気になった。 


おねだりしたプレゼントは、「癒しの賜物」であった。


ここのところ、日本の友達、教会の人たち、ここダラスの友達、知り合いに、体の具合の悪い人たちが急に増えたような気がする。 事故や、怪我、病気、と教会の週報にこのところ毎週のように具合の悪い人のことが載る。 

イエス兄さんに質問した人がいた。 なんで、病気があるのか、と。 そうしたら、イエス兄さんは、「主の栄光が現れるためである。」とのたまわれた。 

そうであることも、あるだろう。 しかし、病気や怪我をしている人にこれをいったら、なんでや!といぶかしげに思われるだろう。 また、私の母は、長い間いろいろな病気を患ってきて、私は小学校の頃から、「病弱」である人の生活というのをよく知っている。 その道は長く、本当に耐え難いものである。 しかし、聖書では、ぶっとんで、「栄光」という。 おいおい
それは、飛びすぎだ。


そこで、私は祈った。 

「お父さん、確かに、人が病気になり、それをめぐって、あなたの栄光が顕われることはあります。 しかし、時間の感覚がお父さんと人間とでは、違うと思います。 病気の過程は、それは長く苦しいものです。 そういった状態にある人間は、先が見えないので、焦ります。 わらをもつかむ思いなんです。 聖書を読んで信じきれる人がいる一方、まったくあなたを頼らず、じたばたする人間の方が遙かに多いのだと思います。

だから、お父さん、もし、私が手を置いて祈る時、あなたが働いてください。 癒すのは私ではなく、あなたである、ということが伝わる時、あなたの栄光が現れます。 そして、私ではなく、癒された人が、ソマリアの女のように、証をする人となります。 そして、多くの人があなたを賛美するんです。 私は単なる媒介者にしか過ぎません。 使われる者にしか過ぎませんから。

今日は、私の誕生日です。 だから、お父さん、おねだりします。 癒しの賜物を下さい。」


ベニー・ヒンとか、日本の中部地方のある教会のように、ものすごい癒しの賜物を持たれる人は少なからずこの世には存在する。 とても素晴らしいことである、と同時に危険も含むと思う。 

何故なら、人間の傾向として、目に見える現象を信じがちであるからである。 そして、癒しの賜物は聖霊に属し、人間には、属さない、ということが認識されずに、媒介者であるその人間を拝みかねないからである。 とういか、そういう事態の方が多いのではないか。 

また、そうやって持ち上げられてしまう人の中には、自分を神格化してしまうという自信過剰状態に陥ることもあるだろう。 これは、怖い。

私が今まで、「癒しの賜物」をいただきたい、と大胆に祈れなかったのは、そういった危惧もあったからである。 

しかし、知恵も知識も主から与えられるものだ、と箴言に書いてあるのを先週読んで、自分は「単なるアホ」である、と再認識した。 今までは、自己顕示欲も強かったが、神さんいなけりゃ、単なる脳みそ一ビットの人間である。 なんだ、私は、神さんがいなきゃ、単なる馬鹿じゃん、とわかり、自分がどう社会に思われるかということは、もう同でも良くなってしまった。 

人が何をしようと、隣がベンツやBMWを買っても、プールを持っていても、人の子供が優秀であっても、ここんとこ、まったく気にならなくなっているのである。 他人の持ち物と自分の持ち物を比較しなくなっていた。 なんでだかわからないけど。

何回か死の一歩手前、あやうい!という事態にあったことがある。 2004年に、インドネシアの津波から救われたのだ、とわかった時に、今まで命を救われてきたのは、すべて神さんのお陰だ、とわかった。 アメリカに留学できたのも、私の足りない脳みそとお金を不思議な形で補ってきてくれたのも神さんだってことがわかった。 夫も子供もそうだ。 夫とだって、ドイツの小さな船着場で出会った。 あれは、偶然ではなかった。 双子の体外受精のものすごい費用だって、みーんな、神さんがくれてきていたのだ。

だから、人が何をもっていようと、どんな家に住んで、どんな仕事をして、どんなにお金があろうども、どうでもよいのである。

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祈りを森の中で終えて、家に戻った。 まず、ヘア・サロンに電話して、午前中の予約をとった。 今年の一月から何もしていなかったこの髪の毛。 そろそろ刈り込みの時期である。 そのあと、クリスマスプレゼントのスパのクーポンを使って、水曜日にマッサージの予約を取った。

ヘアサロンでは、なんとシャンプーに特別なトリートメントにカットがついて$30というキャンペーン。 普通、もっとするんだけど。 美容師さんが決めた値段じゃないから、チップは、通常料金にはらうチップを払ってきてあげた。 お誕生日のおすそわけだよんって。

ヘアサロンから帰ってきて、さーてと、今日は、なかなか出来ないことをするぞ! 誕生日なんだから、一番したいことをしよう! と決めた。 それは、なにか、というと・・・

「昼寝をむさぼる」ことである。

いつも忙しく何かをしているので、ぼーっとする時間はないし、昼寝など、ほとんどしない。 なので、昼寝というのは、私にとって、ものすごい贅沢なのである。

さて、これからキッチンからベッドにいくかぁ、と昼飯の片付が終わったころ、電話が鳴った。 医者からであった。 先週の木曜日に胃カメラと大腸内視鏡をしてくれた医者からであった。

(その二に続く)

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