No. 141  それは、いつも見上げているから

11月の前半に日本に行っていた。

同窓会と野暮用があったため。

実家は空き家となっており、電気もガスも水道も使えず、かびがはびこっており、泊まれる状態ではない。 しかし、友人が彼女の家での宿泊を勧めてくれた。 ありがたく頂戴した。

この友人、料理がうまいし、仕事もこなすスーパーウーマンである。 お子さんも成長し、堅実な家庭を築いている。 

到着時の夕飯に御寿司。 そして、友人は仕事を休んでくれて、買い物などの野暮用に付き合ってくれた。 今までは、電車でそういった用を足していたのだが、車でさっさっさーとあっちこっち連れて行ってくれて、時差ボケがある私としては、本当に体が楽であった。 

彼女宅への宿泊が一泊短くなり、なんと、その分のホテル代まで出してくれてしまった。 おいしいおそばまでも、おごってくれて、その上、お茶まであとで送ってくれたのである。

本当に、世話になりっぱなしで、頭が下がる思いである。

ホテルに移り、多少の野暮用を昼に終え、夜は、中高からの後輩とホテルで会い、飲みながらいろいろと話した。

翌日は、鎌倉でInternetで知り合った人と会い、天園ハイキングコースを少し登ることになり、由比ガ浜、大島を小さい峠から見たのである。

北鎌倉へ、亀が谷切通しを通り、大船から湘南電車(=東海道線)に乗り、湯河原へ。

紹介されて予約をしておいた、たった5部屋しかないこじんまりとした温泉宿に二泊した。 子供は旦那に任せて出てきたので、ゆっくりと出来た。

二日目の朝、バスにのって大観山に行き、富士山の絶景を堪能してきた。 翌日からまた曇りで、富士山が見えたのはこの日だけ。

箱根までいって、杉並木の旧道を少しあるいて、もどってきて、部屋でうだうだしていたら、出来立てのお饅頭とお茶をもってきてくれた。

このお宿、高いけど、食事が絶品。 若い女将さんはじめ、家族経営であるが、心づくしのサービスに感動。 後で気がついたら、2日目のお昼のそばのチャージと、頼んだお酒、一合飲みきれなかったら、チャージが無かった。 翌日の少量のお酒もチャージされていなかった・・・。


湯河原を後にして、真鶴に立ち寄って、横浜へ戻り、同窓会へ。 30年ぶりにあう人、久々の友達・・・。 懐かしく、食べることを忘れて、話してばかりであった。 合計4次会まで行き、4時半まで飲んでいた。 

同窓会翌日は日曜日。 朝、ぼーっとしながらも、同級生とホテルのカフェで朝食を取り、のんびり、まったりの朝。 その後、横浜駅まで見送って、ジョイナスあたりをうろついたが、あまりの人の多さに圧倒されて、私はホテルに戻った。 その後2時から、ホテルの向かいにあるスタジオにて、Victory International Churchの礼拝にでる。 このVictory International Churchは、以前、紹介したクリスチャンロックバンドのImariTonesの人たちも参加している。 礼拝といっても、スタジオの中で行われた。 牧師はガーナ人の方。 祈りを中心として、神さんの臨在のある礼拝であった。

その後、わがままを言って、お好み焼きが食べたい、というリクエストをする。 教会の人たちと横浜の地下街にいって、お好み焼きを食べた。 私にとっては、10何年ぶりのお好み焼き。 おいしかった! さらには、ImariTonesの人たちがおごってくれたのである。 感謝!

滞在中は、高校からの親友とも会った。 資生堂パーラーのケーキを食べたい、という私のリクエストに応じて、そこに行った上、おごってもらった。 更には、ご尊父様のご霊前を渡したはいいが、後日、どうしてももらえない、と。 それどころではなく、更に倍のお金を、もっていけ、と渡されてしまったのである。


その後、東京に移り、野暮用を済ませた後、昔の飲み友達と飲む。 仕事の合間に顔だけ見に来てくれた友人もいた。 そこの食事もおいしかった。 その後、親戚が経営するクラブに、近所の幼馴染で、小中高の同窓のやつと一緒にいった。 今は、とある週刊誌の編集長代理になっていた。 ものすごい出世と成功だと思った。 でも、駆け出しの頃は、嫌な仕事の担当になって、苦労した、と言っていた。 

親戚のバーの看板のあと、別のバーにいって、カラオケ。 4時まで歌っていた、という大騒ぎ。 でも、とても楽しかったのである。 おまけに、飲み代すべて、友人がもってくれちゃったのである。 

翌日、高野フルーツパーラーで、フルーツサンドイッチをお昼に食べ、念願のホームベーカリーの機械を購入して、空港に向かった。 空港から、旧知の牧師先生に献金と、ホテルからもらったけど使わなかったギフトカードなどを送った。 何せ、多くの友人におごってもらったり、世話になり、恵みが沢山あったので、少しでも天に返さなければ、と思った。



帰りの空路は、ほとんど揺れもせず、ダラスに着陸したときも本当にスムーズであった。

実は、出発する一週間前に、同じダラス発成田行きのアメリカン航空の同便で乱気流による事故があったのである。 機内にいた人が怪我をした。

私の乗った飛行機もアリューシャン列島上でものすごく揺れた。 

『ひえ~、神さん、助けてください。 あ、そうだ、賛美歌さんびかぁ~。』

と、心のなかで、汗たらしながら、歌った。

銚子岬が見えて、成田空港着陸態勢に入った時も、低気圧の影響で、揺れるわゆれる~。 木の葉のようにゆれるぅ~~。

『あ~れ~、神さん、なんとかしてください。 そうだ、そうだ、こういうときもさんびかぁ~。』

と、肘掛を握る手に力が入りながらも、心の中で歌う。 飛行機が着陸するときは、叩きつけられるように、どぉーーんん!! という、衝撃的な着陸であった。 パイロットもびびったであろう。 ”Oh, my God"っていったのだろうか? (パイロットはアメリカ人のはず。) 事故があった時と同じクルーだったかもしれないし。 でも、フライトアテンダントさんは、いたって平静だったけど。

まぁ、ともかく、行きはこわい、帰りはよいよい、の旅であった。

でも、本当に恵まれた旅だったなぁ。


*********


思い返せば、こんなに楽しい日本への訪問は、10数年ン振りであった。 今までは、親のことで緊急帰国が多かったし、親の死後は、その片付け。 2年前の帰国は、子供の教育の為であって、人の家に居候したので、気を遣った滞在であった。

でも、今回は、友人に助けられた。 経済的に助けられただけではなく、心から歓迎してくれた人ばかりであった。 たま~に帰るからか。 へへへ。


時差ボケと風邪が治ったあと、教会にいった。 礼拝のあと、パタリロ先生に祈ってもらった。 「神さん、日本への旅で、私を守ってくれました。 そして、沢山の恵みを受けてきました。有難う!」の感謝の祈りを捧げたいので、お願いします、と。

神さんは、パタリロ先生を通じて、こう言われた。


「お前は、常に上を向いているからだ。 だから、恵みを受けるのだ。」 と。


そして、この恵みを、今、私が心に気にかけている人たちにも与えてほしい、とも祈った。


***********

体力が持たないときは、どうしてもおろそかになってしまう祈りである。 でも、寝床の中で、できるだけ、

「神さん、有難うございます。 今日も生きています。」
「神さん、有難うございます。 今日も家族全員が安全で、無事で、生きていて、一日を終えることができました。」

と、まず、感謝して、一日を始め、一日を終えるようにしている。


そして、私は、一度も神さんに怒ったことがない。 文句をいったことがない。 不平を言ったことがない。 だって、神さんは絶対だし、されることは、どんなことでも正しいから。 人間の思う「正しい」こととは違うことがあるけど。 


常に、神さんを見上げること。 その時には、横で起こっている人間世界の野暮用は、どうでもよくなってしまう、単純な私である。 そんなアホだけど、神さんにしてみれば、いつも自分を見上げてくれる小さな存在は大切にしてくれるのだと思う。


あかしや

コメント

たかねぇ さんの投稿…
無事のお帰り、そして祈りに満ちた日々のupありがとうございます。

初めましてたかねぇと申します。
ヒゲMacさんつながりでblog拝見させていただいてます。
たかねは川崎駅前に住んでいるので今回の帰国のエントリーをみたとき、もし横浜にいらしたり滞在するならご連絡してお逢いできたら..とも思ったのですが、急には厳しいだろうと想い次の機会を祈る事にしました。

予想通りの予定満載。
しかも久しぶりですものね。
たくさんのご友人と良い時間を楽しく過ごせて本当によかったですね。

神様がパタリロ先生を通じての言葉
とても支えられます。ありがとうございます。

クリスチャンホームに生まれ
もがき悩み時間はかかりましたが
神様は私をとらえてくださり続けています。

初めましてで長々すみません。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Akashiya さんの投稿…
たかねぇさん、
コメント、有難うございました。 そして、初めまして!

川崎ですか! 実は、私は赤ん坊のころ、短期間ですが、川崎に住んでいたことがあるのです。 と、両親が言っていました。 記憶はないですが。 横浜から10分。 ご近所さんですね。

私の場合は、普通の日本の家庭に育ち、クリスチャンホームという環境ではありませんでした。 でも、神さんの計画というのはすごいな、と思うことしばしばです。
 
私はかつおの一本釣りのごとく、神さんに引き寄せられました。 神さんに動かされているときは、???ですが、後からそれが、母を救い、強いては私を救うことだったのだ、とわかると、その恵みと優しさと愛の大きさに土下座してしまいます。

そんなんで、このBlogを通じて、イエス兄さんの営業活動をさせていただいています。

日本へは、2年後に行きたいと思います。 その時に、横浜でお会いできればと思います。

これからもよろしくお願いします。

あかしや 

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