No. 164 道端に立つ兄弟

あれは、夏ではなかったと思う。 ものすごく寒い冬でもなかったであろう。 秋だったのか、春だったのか。 

父はまだ帰って来なかったある夜。

ふすまの向こうから母が、言う。

「T先生に電話して。」

黒い電話の受話器をとって、ダイアルを回した。 電話がつながったことをふすま越しに母に言うと、「先生に、こういって。 血を少し吐いたので、来てほしい、と。」

その通りに、電話の向こうのお医者さんに伝えると、先生は、
「すぐ行くから! XXちゃん、おうちがわからないから、○○通りのところまで出てきてくれないか?」 「はい。 わかりました。」

夜は暗かった。 一人で行くのが不安だったのか、弟を一人家の残すのが心配だったのか。弟の手を握り、夜人通りのない通りに出て、お医者さんを待った。 たった、一分もしない30メートルくらいの家の前の道を通りまで出た。 

私はたぶん、9歳か10歳くらいだったろうか。 弟は6歳だったであろう。 

どのくらい待ったのであろうか。 電燈があったにせよ、夜、人通りのないところに、ぽつんと二人立って待っていた。

しばらくして、白い軽自動車が勢いよく走ってきた。 私たちの前にきぃーっと止まり、先生がまどから顔をだして、「どっち?」 私は先生を先導して、家まで走った。

T先生は、家に駆け上がり、ふすまの向こうに行った。 ふすまの向こうには、両親の寝室で、母がそこに伏していた。 

記憶にはないのだが、たぶん、部屋には入るな、といわれていたと思う。 母は、学校に帰ってきたあとから床に伏していたんだと思う。 (夕飯はちゃんと用意してくれたのだと思う。)

お医者さんが、「洗面器を持ってきて。」というので、洗面器に新聞紙をひいて渡した。 

しばらくして、母の苦しい咳とうめき声が聞こえてきた。 居間にいた私は弟の耳をふさいだ。 何度も何度も苦しそうな咳が聞こえてきた。 怖かったのか、心細かったのか、苦しい声を聞きたくなかったのだろう、私は弟の手を取って、玄関から外にでた。 二人で、星空の下にいた。

私は弟に、「二人で神様にお願いしよう。 ママを助けてください、って。」 弟は何もわからないようであったが、私は弟の手をとって、「神様、ママを助けて下さい。」とお願いした。

当時、私は神がどういう存在であることすら知らなかった。 ただ、そのような存在にお願いした。 やはり、怖かったのであろう。

しばらくして、家に戻った。 そして、先生の呼ぶ声がして、新聞紙の先がぎゅっとしぼられて乗せられている洗面器を私に渡した。「あけちゃだめだよ。 お便所に捨ててきてくれるかな? あとは、ちゃんと手を洗ってね。」
当時は、汲み取り式のトイレであったので、そのまま、つまんでトイレに落とした。

新しく新聞紙を入れて、先生に渡した。

しばらくして、先生が出てきて、「お父さんは、いつ帰るの?」と聞くので、「わからない。」と答えたた。 母が先生に何か言ったのか、私が家の電話番号帳を探したのか、覚えていないが、先生は、父に電話したと思う。

どのくらい経ったのか、父が帰ってきて、先生は父に何か話して、しばらくして、帰っていった。

*******

母は昭和一桁生まれで、戦時中は中島飛行場に学徒動員に行ったと何度も聞かされた。 戦後は、ドレメに通い、洋裁の先生の資格をとったらしい。 その後、三味線と長唄の才能を見込まれ、昼はお稽古、夜は、洋裁の先生として、人に教えていたとうことだ。 しかし、過労がたたったのか、肺結核になってしまった。 いくつのときだったのだろうか? 20歳代前半だったのだろう。

戦後は、栄養不足から、結核にかかる人は多かった。 叔父も結核だったらしい。 戦争中は、満州に送られたそうだ。 満州から戻ってきて、入院した。 叔父と母の父、つまり私の祖父は、官吏(かんり)であり、金持ちではないが、薬を買う経済力はあったらしい。 叔父曰く、「ストレプトマイシンを注射してもらった後、すーっと良くなったんだよ。 本当に、忘れられないよ。」 と言っていた。 叔父は、運がよかったほうであろう。 当時は、多くの人が、結核にかかり命を落としたのであった。

*****

うちの教会は数箇所にある。 我が家から一時間のところでも、日曜日の朝、礼拝している。 その支部で、今闘病されている方がいる。 かなり状態は悪いらしい。 一ヶ月ほど前、一時間かけて、その地域の礼拝に行ってきた。 その方は、入院されていて、病室にいって、短時間であったが、お見舞いして、お祈りをしてきた。

旦那様によると、過去にも病気をされていたらしい。 お子さんが二人。 十代の女の子と男の子である。 姉と弟である。 

お父さんは、夜働いているので、その姉弟は、自分たちでご飯を作っているようだ。 弟は、やっとご飯作りを始めたそうだ。 お姉ちゃんは、すでに出来る、とのこと。 礼拝後は、お昼を皆で食べる。 その後片付けを手伝った。 弟君は、お皿を洗っている。 彼の横にいって、私が子供の頃、母が病気になって、弟と二人、不安げに通りに出て、お医者さんを待った、という話をしてあげた。

お母さんの具合が悪いから、この子たちの気持ちは如何ばかりか・・・・。 

二人を見ていて、思い出したのが、私と弟が手を握り合って、お医者さんを待っていたあの星空の夜であった。


私に何ができるだろうか。 祈ること以外に。 もう少し近ければ、もっといろいろ出来るのに。

今日の夜は、熱さも収まり、秋の夜空であった。 

こんな日だったのかもしれない。 弟と二人で、玄関の前で祈った夜は・・・・。

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