2010年2月7日日曜日

No. 144  謙虚であることの強さ

今日の土曜日は仕事であった。

安息日である明日の日曜日は・・・実は仕事になった。

理由は、同僚が一人突然やめてしまい、その穴を埋めるため。
そして、辞めることになったきっかけが私のコーヒーカップであったかもしれないので。


聖書には、"Humble"=「謙虚」になれ、ということが書かれている。 

謙虚になるには、自分がどーしよーもない「罪びと」であることを認識することに基づく。

「罪びと」というのは、むかーしのブログに書いたように、人妻と不倫した、とか、お縄頂戴になった、ということではない。 単に、神さんから離れてしまっている、ということだ。 神さんがこんなに愛してくれるのに、無視して生きている。 そのことである。

普段生きていて、すぐに神さんを忘れて、自分だけの判断で生きてしまうことがある。 でも、神さんは、いつも見守ってくれている。 神さん、見えないから、そうなっちゃうのかもしれない。

ともかく、私らは不完全な存在であるんだよね。 神さんの慈悲によって生かされている。 

そういう意識というか、布石を心の中においておかないと、人間って、自分のエゴイズムで動いてしまいがちである。 そして、自分が第一になってしまう。

でも、私らは、神さんの優しさによって、こうやって滅ぼされずに生きている。 偶然だ、ラッキーだ、と思うことも、実は神さんの計画であるのだよ。

だから、良いことすべて、自分の実力、って思っちゃうこと、これ、エゴなんだよね。 でも、神さんの見えない手が動いていたということに気がつかされることがある。 そういったとき、神さんにははーってひれ伏して、涙流して感謝して、自分の存在がいかに微小であるかに気がつかされる。 

そういう経験があると、どうしても、謙虚にならざる終えない。 自分はすごいぜ、なんて口が裂けても言えない。


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私の仕事はTaxだけど、コミッション制でお給料をいただく。 だから、数をこなせば、成績が上がる。 うちのOfficeに、3人ほどTop Performerがいる。 たった3ヶ月半の間に300人以上の顧客のTaxを処理してしまう人たちが。

その中の一人の人はほぼ10年間この仕事をしてきて、数をこなして、OfficeでTopであった。 Officeの席には、個人のものを置いてはいけないのだが、過去にとったMVPなどの賞の置物を沢山おいてある。 

また、10年近くやっていると、彼自身の「自分のやり方」と言うのがあったらしい。 たとえ、それが会社の方針から外れていても、それを変えようとはしなかったらしい。

彼の言葉の端々に見え隠れするのは、自分は毎年300から400件のTaxを処理しているんだ、という自慢であった。 確かに優秀なTax Advisorであるし、私もいろいろとAdviceを頂いた。 

去年、数年勤めたOffice Managerが辞めて、新しいManagerが入ってきた。 前のManagerと比べると、私たちへの負担が増える形のManagementになり、私らTax Advisorの間では、文句がかなり増えた。

私は、そういったゴシップにはなるべく参加しないようにした。 ただ、どうしても問題があるな、という場合には、裏でゴシップたたかず、マネジャーに直接E-mailして、進言した。

そんなマネジメントのやり方に嫌気がさしたのか、そのTop Performerは先週突然辞めてしまった。

辞める前日、私は自分の飲みかけのコーヒーカップを彼のデスクに置きっぱなしにして帰宅してしまった。 あと、顧客の過去のデーターを見るため、隣にある彼のComputerを使って、アクセスしたんだが、これも閉めずに開けっ放しにして、帰宅してしまったのである。 翌日気がついて、彼のメールボックスに「すみません。」とのメモを置いておいた。

彼は夜働き、私は昼間のシフトなので、顔を合わせることはなかった。

おととい、そのマネジャーに呼ばれて、彼が突然辞めた、ということを聞かされた。 そして、私が放置したコーヒーカップと開けっ放しのコンピュータースクリーンに対して、彼が激怒した、ということである。

その翌日に、彼は辞めた。

私のせいだろうか?

私はそうだとは思わなかった。 私のコーヒーカップ以前に、彼の中で積もりに積もった鬱憤と不満があったのだと思う。 私のコーヒーカップは、引き金になってしまっただけのこと。 コーヒーカップがなくとも、いづれ起こったことであっただろう。 なので、私の心はまったく重たくない。

しかし、Top Performerに連絡もなく、相談もなく、突然辞められたマネジャーは、蒼白モンだったであろう。 更には、うちのOfficeの人たちの評判もよくないマネジャーである。 かなりのショックではなかったであろうか。


たとえ、皆からみたら何も助けてくれないヘボマネージャーであろうけど、上司というものは、神さんが備えた権威である。 そう聖書に書いてある。 だから、私は他の人の愚痴を聞きながらも、やはり、ボスには従うべき、と思う。 その代わり、進言はしっかりする。 ときに、同僚の愚痴、ゴシップに影響され、多少頷いてしまうこともあるけど。 

ということで、明日の日曜日、そのTop Performerが抜けた分、穴埋めとして働きます、と手を挙げた。 そのマネジャーには、「私はあなたをサポートします。 一番大事なのは、顧客にしっかりと対応することです。」と言った。

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「謙虚」の言葉に戻ろう。

その辞めたTop Performerは謙虚であったか?

否。

確かに実力はあった。

しかし、エゴが強かった、というか、自己顕示が表面に出ていた。 私もその毛があるから(あったから、といいたいなぁ)、良くわかる。

「俺は、300‐400件のTaxをしている。」「こうして、座って新聞を読んでいるだけで、会社は時給にして$30以上くれているんだ。」「XX件のTaxをXX分で終わらせてしまったことがある。」

自己顕示の裏には、何らかのコンプレックスがある、と私は思っている。 会社のWebsiteの彼の肩書きを見ると、彼は短大卒のようだ。 一方、多くのTax Advisorは大卒。 彼の昼間の仕事は、大手航空会社である。 でも、そんななかで、短大卒の男性ということで肩身の狭い思いをしていたのかなぁ、と思ったことがある。 だって、日本では私もそうだったし。(だからアメリカに留学したんだけど。) まあ、これは余計な憶測である。


これが、聖書にあるように、常に感謝し、謙虚でいたら、どうであったろうか・・・。

「300件のTaxをこなせるようにしてくれたのは、神さんのお陰だ。」
「お客がいない間、新聞を読めるフリーの時間があるのも、神さんのお陰だ。」
「たった3ヶ月の仕事でこれだけいただけるのは、本当にありがたい。 神さんのお陰だ。」
「変な客がきた。 嫌な対応だった。 でも、神さん、有難う。」


常に神さんに感謝すると、謙虚にならざる終えない。 そうして、世界がばら色にみえないかなぁ・・・。

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2年前の2月ごろ、ブログに書いたと思うけど、私もこの仕事の一年目は、ストレスがすごかったし、脱水症状を起こすし、ほうほうの体であったけど、神さんにすがって、そして、マネジャーは神さんが与えた権威だから、とともかく従ってきた。 結果として、一緒に入ってきた7人の新人のうちで生き残った二人のうちの一人になった。

2年目の去年は、ただただ、神さんに十分の一献金をするため、神さんの栄光を仕事を通してあらわすため、と自分に言い聞かせてやってきた。 結果として、成績はあがり、お給料は倍になった。 絶対数は微々たるモンだけど。

この3年目は、昨年のお客さんをキープすることだけに集中している。 それが会社方針でもあるし。 全体の数は追わない、と決めた。 一人一人丁寧にTaxのファイリングをしている。
おかげさまで、去年のお客さんで電話してきて、私にTaxをしてほしい、と言ってくる人がこのところ多い。 ありがたいことである。 うれしいことである。


もしかして、売り上げを追わない私の態度、自分を犠牲にすることをいとわない私の態度が、そのTop Performerの彼にとっては、気に食わない存在だったのかもしれないなぁ・・・。


しかし、考えてみよう。
突然辞めた彼は、何を失ったか?

彼のサイドビジネスからの収入はこれでゼロである。
彼の顧客は、私たち残ったもので分けるから、私たちのTaxの件数は増えることになる。 なので、それぞれの同僚は、心の中では、「これで、私の顧客が増える。」と嬉しい気持ちもあるだろう。 

更に、彼と仲の良かった同僚でさえ、そのTop Performerは「Control Freakであったし、彼自身のやりかたを押し通したという問題があった」というではないか。 

私たち、残ったものにとっては、彼が出て行くことによって、失う物は何も無い。
失ったのは彼のほうである。

今日のオフィスの雰囲気は、彼の存在がない分、少しリラックスして、やわらかい感じがした。

もしかして、その彼は、別の新しいTaxをするFranchiseに行くかもしれないけど、そこでは、彼のやり方が通じるであろうか? 同じ給料であろうか・・・・。


私の心の中には、負けたのは彼である、というかすかな思いがある。


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今年も、小額ではあるが、少しつづお給料が振り込まれてきている。
まだ、10%を取り分けていない。

おりを見て、銀行にいって、より分けなければ。 これを聖別、っていうんだそうだ。

10%は神さんに返す分だもんね。


ということで、Super Bowl(アメリカの一大行事=フットボールのプロの全米一のチームを決める試合)の日曜日、仕事に行って来ます。


あかしや

2010年1月20日水曜日

No. 143 破壊のあとには

ハイチの首都、ボート オブ プリンスの近くでマグニチュード7以上の地震が起きてから一週間経った。 

十万人以上が亡くなり、死体はトラックに積まれて、掘った穴に放り込まれて埋められるというありさま。 ハイチは日本やテキサスが冬でも、30度を越える熱い日々である。 死体はすぐに腐乱する。 

呆然とした4-5日のあとは、奪略、暴力などが起こり始めている。 

地震が起こる前から、ハイチは西半球で一番貧しい国と言われている。 農業中心の国で、80%の人が失業中。 汚職もはびこり、安全な飲み水はない。 ほんの一部の金持ちは、飛行機でマイアミに買い物にくんだけど、多くの人は、一日2ドルの稼ぎしかない。 インフラストラクチャーもまったく遅れている。

旦那が一度だけハイチに出張にいったことがある。 空港でミッショナリーの人が近寄ってきて、旦那がもっていたボトルの水をくれないか、と頼みに来た。 ハイチではそういった水がないのである。

この地震によって、首都のポートオフプリンスが倒壊した。 なので、立て直すしかない。 ハイチにはお金がないから、外国の援助に頼りきるしかない。 そういった状況は、在米ハイチ大使は言葉では認識しようとしていなかったが、事実は悲惨である。

近年地震や自然災害が起こったところは、押しなべてまずしい地域である。 2008年オリンピックの前で、中国の人権問題批判が高まる中で地震が起こり、中国側としては、問題をそらすことができたが、学校が丸ごと倒壊して、学童たちが犠牲になるなど、大きな被害があった。 2004年のクリスマス直後にはインド洋での津波。 多くの命が失われた。 最近では、ミヤンマーでのサイクロン。 

どうして貧しい人たちがいるところに災害がくるのか?と神さんに問うたことがある。 

そして、ちょっと熟考してみれば、災害が起きたところは、神さんに従っていないところが多いみたい。 こういうと、だからキリスト教やっているやつは!と反応する人も多いでしょう。

特に、ハイチでは、Voodoo教(ブードゥー教)がある。 これがやっかいにも、カトリックとからんじゃっている。 鳥を生贄にして、のろいをかけるようなものらしい。 住んでいたNew YorkにあるセントラルパークでもVoodooの儀式をするところがあるらしい、と地元新聞が書いていた。 

カトリックだからキリスト教じゃん、という人もいるけど、ラテンアメリカ、カリビアンに広がっているカトリックってのは、私に言わせれば、イエス営業部ではない。

なぜなら、マリア信仰がある。 偶像を拝むからである。

聖書には、マリアのことは、受胎の事実を神さんの御心のままに、と受け入れたイエス兄さんの母親というだけで、それ以上のものでもない。 しかし、カトリックの一部では、マリアを信仰し、像を作って拝んでいる。

アルゼンチン人の女性と昔仲良くしていたことがある。 New Yorkの中を自転車で駆け抜けるんだけど、ヘルメットをしないと危ないよという私の忠告には、「Santa Maria。。。なんとかかんとか」という呪文みたいのを言いながら乗っているから大丈夫、と私に言った。 そんな拝みより、ヘルメットのほうがもっとご利益あるぜ、と心では思ったけど。

イタリアに何回かいったけど、教会の多くに、イエスの像、聖人とか言われる人たちの像がある。 ここテキサスのサンアントニオには、ミッションってのがあって、修道場なんだけど、私に言わせれば、インディアンを閉じ込めて、奴隷として使って利用していたに過ぎない施設である。 そこには、ななななんと、マリアの夫のヨセフの像まであった。 ここまでくると、口もあんぐり。
中に入って、説明をよめば、礼拝中にお御堂が崩れた、ということもあったそうだ。 あたりまえだ。 偶像崇拝して、イエス以外のものを拝んでいるんだから、神さん、そういったところ、破壊するにきまっとるわ。 それに、そういった像は不気味でしょうがない。

話をハイチにもどせば、そういった異端になった一部のカトリックにブードゥーなんてやっているから、破壊されてしまったのだろうか、と言う考えも頭をよぎってしまうのである。 死んだ人には申し訳ないけど。


多くの死と破壊があった。 しかし、その後には、新しい世界がまっているんじゃなかろうか。 ハイチでは、国を立て直す力はない。 外部からのモノ・カネ・ヒトが頼り。 実際、Habitat of Humanityはじめ、ハイチ復興の為に、いろいろ準備しているNPOも多い。 

一から立て直すには、神さんを中心にした国になってほしいと思う。 そうすれば、ハイチは豊かになるであろう。


災害ではないが、日本も倒壊したことがある。 第二次世界大戦である。 これはいうまでもないが、首都や大阪、阪神は焼け野原。 損害賠償を支払い、日本はド貧乏になった。 でも、そのお金で、日本は外国からの支援によって、立ち上がった。 それから60年以上。

今は、経済的にも、精神的にも、再度破壊されてしまっている日本である。 物理的倒壊が再度されれば、それは、日本にとって、新たなる機会かもしれない。 危険思想かもしれないけど、日本が立ち直るには、すべて燃えつくされなければいけないのかもしれない、と思ったことがある。 モンタナの山の大火事の2年あと、山に入ってみてきた実感である。 焦土と化したところから、小さいけれど、若々しい松の木が生えてきていたのをみたのである。 燃えてしまって、何もなくなったというところからでさえ、神さんは新しい命を生えさせてくれているのである。

民主党政権は多分長く続かないであろうし、その後は、自民党政権にもどるだけである。 日本は何をやっても変わらないと思う。 でも、地震や、津波、災害によって、戦後の焼け野原の状態になる日が来るかもしれない。 

だから、日本には今から種まきをしておかんといけないと思う。 神さんの力が入った種を。


対岸の火事、という見方かもしれないけど、死んでしまったヒトは戻ってこない。 救助だって、すぐにはこない。 阪神大震災が良い例だ。 先進国である日本でさえ、そのざまだったのだから、いわんやハイチをや。 当事者だったら、あたふたするけどね。


あかしや

2010年1月5日火曜日

No. 142 親孝行と自分の犠牲

謹賀新年!

いつものように、クリスマスはじじばばのいるSanta Feに滞在して、スキーと料理つくりをした。 もう、10年以上続いているパターンなので、詳しく書くこともないか。

ただ、子供たちが夏から柔道を始めたのだが、それがスキーの上達に役立っているのがありありと見えた今回のスキーであった。 娘はスポーツマンの息子に比べて、多少、スキーの進歩が遅かった。 しかし、今回のスキーでは、柔道のうちこみ(投げる動作の練習”いわば、ゴルフの素振りみたいの)の練習のお陰だろうか、足腰がかなり強くなっていて、中級の斜面に連れていっても、転ばずに降りてきた。 それもすごいスピードで。 以前だったら、何度も転んだのだが。 さすが、私たちの子供たち。 急斜面をものともせず、がんがん滑っていた。 こちらも、だんだんと自分のスピードで滑れるようになってきたので、スキーも楽になってきた。


さて、今回の滞在で出てきた話。 じじばばとの同居。

じじばばは94歳。 2010年の今年に95歳になる。 ばあちゃんは200歳まで軽く生きそうなくらい、元気。 しかし、じいちゃんは、耳もあまり聞こえず、片目は20-30年前に網膜はく離で失明している。 そして、家の中を補助歩行器を使って移動しているが、外にはほとんど出ず、歩くこともしない。 去年の5月には心臓発作を起こして、救急車で運ばれた。 しかし、その後経過がよく、前より元気になったとか。 

しかし、年を取ると、どうしても、寝ているときに尿を漏らしてしまう。 これは、括約筋が緩んでしまうから、多くの人もそうなる。 最近は、オムツを履いて寝るようにしている。 

そのじいちゃんを面倒みているのが94歳のばあちゃん。 時に、おむつがもれて、ベッドが濡れてしまうことも多々あるそうだ。 さらに、食事もばあちゃんが毎日作っている。 作りおきして、それを数日食べることもあるが、3食きちんとじいちゃんに出している。 外食はあまりしない。 ばあちゃんは外食すきなんだけど、じいちゃんは、まず、家から出たくないから、ばあちゃんはいかれない。 なので、ばあちゃんの負担がかなり増えてきてしまったのである。

旦那の弟がこの数年は、仕事や自分へ郵便物を自分の家に取りに行く以外には、ほとんどじじばばの住むトレーラーに住んでいてくれるから、いざというときは、彼が車で送り迎えすることもある。 しかし、男性だから、家の掃除はしないし、バーベキュー以外は食事は作らない。 さらに、この弟さん、年末に失業して、家の支払いなどでパニックしている状態。 


ということで、旦那、弟さん、ばあちゃん、子供たちでちょこっと近郊の町に遊びに行った際、車のなかで、じじばばがダラスの我が家に移ることはどうか、と弟さんから提案があった。


ダラスのこの家を買ったとき、二階建ての家は避けた。家族4人だから、子供部屋二つに夫婦の寝室があれば十分であるが、もう一寝室の4ベッドルームの家にした。 

それは、私の親か旦那の親がいつか住むかもしれない、ということを予想してのことであった。 私の両親はすでにいない。 だから、残っている部屋は、今は、じじばばの為に用意されているのである。

私は旦那と結婚して・・・・ええーっと、何年たつんだ? 1994年だから、今年で16年目。 (去年の15周年の記念日も二人ともすっかり忘れていて、いまだに二人でのディナーは行っていない。)

シンガポールにいた2年を除き、その16年間、じじばばには、しょっちゅう会っていたし、フロリダに私たちが住んでいたときは、一回の滞在が1-4ヶ月、ということもしばしばであった。 そういった付き合いのなかで、私はじじばばから嫌な思いをさせれたことが一度もなかった。 もう、ファミリーである。 私の両親亡き後は、じじばばが私の親である。

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この話が出てから、私はまず、家具の配置、必要な家具、備品を考え始めて、年始からIkeaにいって、準備を始めた。 彼らの部屋からトイレへは、手すりが必要だろう、とか、クローゼットの扉をあけると、シングルベッド二つはいらないから、戸を取り払って、カーテンにしようか、とか。

うちではケーブルテレビはないけど、じじばばのお友達はテレビ。 だから、ケーブルテレビの加入費用はじじばばに払ってもらおう。 でも、子供がいる間は、居間のケーブルテレビは見れないように、ブロックさせてもらおう。 彼らの部屋にも、当然テレビを入れる。 フラットテレビを買ったばかりだから、壁掛けにすればいいし。 In-law Quarter:隠居の離れ、というのも、私たちのオフィスのあるところを改造すれば出来る。 しかし、家族6人、うるさいけど、一緒のところで過ごし、一緒に食事をしたほうが良いのでは、と思う。 二人だけ隔離されると、ぼけてしまうし。

一方、私が毎日食事を作ると思われたら困るな。 子供の柔道と習い事で、週3-4回しか夕飯は作れない。 朝食と昼は自分たちでやってもらおう。

私は乾燥機は極力使わず、電気を節約しているけど、じじばばの洗濯は自分でやってもらって、乾燥機を使ってもらおう。 その分、電気代がかかるから、生活費を入れてもらおう。

いづれ、家での介護が必要となるから、そういった介護のヘルプはじじばばの収入のなかから雇ってもらおう。 老人保健で家での介護サービスが受けられる保険に入っていなかったので、自腹となるのである。 私は子供たちの世話で手がいっぱいだから、介護のほうは、あまり手伝えない。

でも、食事を作る負担、掃除をする負担はばあちゃんから減る。

私も仕事で子供のPick Upに間に合わないときは、友人に子供を私の家まで届けてもらえば、ばあちゃんがいるから、安心、という利点もある。

老人クラブがうちから来るまで1分のところにあるので、ばあちゃんは、自分で車を運転していってもらえばいいし。 (94歳だが、いまだに車を運転しているのである。)

・・・・・・
   ・・・・・
     ・・・・

と、いろいろ考えているのである。 いろーんなことが頭のなかをめぐり、眠れない夜もあった。


さらには、私自身の犠牲のことも考えてしまった。 今は子供の世話で自分のキャパは85-90%埋まってしまっている。 残りの15%は自分の心身の休養の為に空けておきたいから、そこをじじばばのことでは、埋めたくない。 さらに、今仕事が始まったから、キャパは95%埋まっている。

来年はパナマ、再来年は日本への長期旅行を考えている。 その計画を潰されたくないなぁ。

旦那もばあちゃんもパナマ人だから、声がでかい。 本当にうるさい。 たまには静かな時間があるのかなぁ。 

旦那も退職考えているから、退職後、経済的にやっていかれるかなぁ・・・・。


そういった懸念項目を考え始めると、一歩あとずさりしてしまうのも正直な気持ち。


モーゼの十戒に 

親を敬え。 そうすれば、この世でのあなたの齢が長くなるから。

とある。 

神さんが言うのだから、そうだ。 それに、親を大切にする人ってのは、なんだかんだ恵まれている。 だから、もし、同居が神さんの目にとって正しいことであれば、私はそうする。


でも、私は人間だから、不安がよぎることもある。 保身を考えてしまう。

なので、神さんに頼む。 同居となったら、うまくいくようにしてください、と。


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旦那の弟に電話したら、急に、じじばばがそちらにいくのは、大分先だ!という。 話を聞いていると、失業したため、収入が減り、自分の家の確保のことでパニックを起こしていたようである。 その家も、一番下の弟(旦那は3人兄弟)が不動産屋をやっているころ、不完全な家を売りつけられてしまったようだ。 なので、すぐ売れる状態ではない。

あれま~、自分から言い出したことなのに。 でも、パニックしているので、今、オバマ政府が出しているMakingHomeAffordable Programという住宅ローンの軽減プログラムをサーチして教えてあげた。 文句、愚痴も聞いてあげた。 そうしたら、落ち着いたみたい。

でも、今年の同居はどうなるかな、ということみたい。

まあ、とにかく、今できる準備で今の我が家の家族に必要な家具など、揃えたり、配置変換したり、とやってみますか。


なんだかんだいって、同居というすごい変化に対応しなければいけないのは94歳の老人二人なんだもんね。 こちらのほうが大変だろうな。 

多少の不安はあるけど、同居について、内心、楽しみにしている部分もかなりある私である。

あまり心配せず、神さんにいろいろと頼んじゃえばいいしね!


と脳天気な自分にもどった今日である。


あかしや

2009年12月6日日曜日

No. 141  それは、いつも見上げているから

11月の前半に日本に行っていた。

同窓会と野暮用があったため。

実家は空き家となっており、電気もガスも水道も使えず、かびがはびこっており、泊まれる状態ではない。 しかし、友人が彼女の家での宿泊を勧めてくれた。 ありがたく頂戴した。

この友人、料理がうまいし、仕事もこなすスーパーウーマンである。 お子さんも成長し、堅実な家庭を築いている。 

到着時の夕飯に御寿司。 そして、友人は仕事を休んでくれて、買い物などの野暮用に付き合ってくれた。 今までは、電車でそういった用を足していたのだが、車でさっさっさーとあっちこっち連れて行ってくれて、時差ボケがある私としては、本当に体が楽であった。 

彼女宅への宿泊が一泊短くなり、なんと、その分のホテル代まで出してくれてしまった。 おいしいおそばまでも、おごってくれて、その上、お茶まであとで送ってくれたのである。

本当に、世話になりっぱなしで、頭が下がる思いである。

ホテルに移り、多少の野暮用を昼に終え、夜は、中高からの後輩とホテルで会い、飲みながらいろいろと話した。

翌日は、鎌倉でInternetで知り合った人と会い、天園ハイキングコースを少し登ることになり、由比ガ浜、大島を小さい峠から見たのである。

北鎌倉へ、亀が谷切通しを通り、大船から湘南電車(=東海道線)に乗り、湯河原へ。

紹介されて予約をしておいた、たった5部屋しかないこじんまりとした温泉宿に二泊した。 子供は旦那に任せて出てきたので、ゆっくりと出来た。

二日目の朝、バスにのって大観山に行き、富士山の絶景を堪能してきた。 翌日からまた曇りで、富士山が見えたのはこの日だけ。

箱根までいって、杉並木の旧道を少しあるいて、もどってきて、部屋でうだうだしていたら、出来立てのお饅頭とお茶をもってきてくれた。

このお宿、高いけど、食事が絶品。 若い女将さんはじめ、家族経営であるが、心づくしのサービスに感動。 後で気がついたら、2日目のお昼のそばのチャージと、頼んだお酒、一合飲みきれなかったら、チャージが無かった。 翌日の少量のお酒もチャージされていなかった・・・。


湯河原を後にして、真鶴に立ち寄って、横浜へ戻り、同窓会へ。 30年ぶりにあう人、久々の友達・・・。 懐かしく、食べることを忘れて、話してばかりであった。 合計4次会まで行き、4時半まで飲んでいた。 

同窓会翌日は日曜日。 朝、ぼーっとしながらも、同級生とホテルのカフェで朝食を取り、のんびり、まったりの朝。 その後、横浜駅まで見送って、ジョイナスあたりをうろついたが、あまりの人の多さに圧倒されて、私はホテルに戻った。 その後2時から、ホテルの向かいにあるスタジオにて、Victory International Churchの礼拝にでる。 このVictory International Churchは、以前、紹介したクリスチャンロックバンドのImariTonesの人たちも参加している。 礼拝といっても、スタジオの中で行われた。 牧師はガーナ人の方。 祈りを中心として、神さんの臨在のある礼拝であった。

その後、わがままを言って、お好み焼きが食べたい、というリクエストをする。 教会の人たちと横浜の地下街にいって、お好み焼きを食べた。 私にとっては、10何年ぶりのお好み焼き。 おいしかった! さらには、ImariTonesの人たちがおごってくれたのである。 感謝!

滞在中は、高校からの親友とも会った。 資生堂パーラーのケーキを食べたい、という私のリクエストに応じて、そこに行った上、おごってもらった。 更には、ご尊父様のご霊前を渡したはいいが、後日、どうしてももらえない、と。 それどころではなく、更に倍のお金を、もっていけ、と渡されてしまったのである。


その後、東京に移り、野暮用を済ませた後、昔の飲み友達と飲む。 仕事の合間に顔だけ見に来てくれた友人もいた。 そこの食事もおいしかった。 その後、親戚が経営するクラブに、近所の幼馴染で、小中高の同窓のやつと一緒にいった。 今は、とある週刊誌の編集長代理になっていた。 ものすごい出世と成功だと思った。 でも、駆け出しの頃は、嫌な仕事の担当になって、苦労した、と言っていた。 

親戚のバーの看板のあと、別のバーにいって、カラオケ。 4時まで歌っていた、という大騒ぎ。 でも、とても楽しかったのである。 おまけに、飲み代すべて、友人がもってくれちゃったのである。 

翌日、高野フルーツパーラーで、フルーツサンドイッチをお昼に食べ、念願のホームベーカリーの機械を購入して、空港に向かった。 空港から、旧知の牧師先生に献金と、ホテルからもらったけど使わなかったギフトカードなどを送った。 何せ、多くの友人におごってもらったり、世話になり、恵みが沢山あったので、少しでも天に返さなければ、と思った。



帰りの空路は、ほとんど揺れもせず、ダラスに着陸したときも本当にスムーズであった。

実は、出発する一週間前に、同じダラス発成田行きのアメリカン航空の同便で乱気流による事故があったのである。 機内にいた人が怪我をした。

私の乗った飛行機もアリューシャン列島上でものすごく揺れた。 

『ひえ~、神さん、助けてください。 あ、そうだ、賛美歌さんびかぁ~。』

と、心のなかで、汗たらしながら、歌った。

銚子岬が見えて、成田空港着陸態勢に入った時も、低気圧の影響で、揺れるわゆれる~。 木の葉のようにゆれるぅ~~。

『あ~れ~、神さん、なんとかしてください。 そうだ、そうだ、こういうときもさんびかぁ~。』

と、肘掛を握る手に力が入りながらも、心の中で歌う。 飛行機が着陸するときは、叩きつけられるように、どぉーーんん!! という、衝撃的な着陸であった。 パイロットもびびったであろう。 ”Oh, my God"っていったのだろうか? (パイロットはアメリカ人のはず。) 事故があった時と同じクルーだったかもしれないし。 でも、フライトアテンダントさんは、いたって平静だったけど。

まぁ、ともかく、行きはこわい、帰りはよいよい、の旅であった。

でも、本当に恵まれた旅だったなぁ。


*********


思い返せば、こんなに楽しい日本への訪問は、10数年ン振りであった。 今までは、親のことで緊急帰国が多かったし、親の死後は、その片付け。 2年前の帰国は、子供の教育の為であって、人の家に居候したので、気を遣った滞在であった。

でも、今回は、友人に助けられた。 経済的に助けられただけではなく、心から歓迎してくれた人ばかりであった。 たま~に帰るからか。 へへへ。


時差ボケと風邪が治ったあと、教会にいった。 礼拝のあと、パタリロ先生に祈ってもらった。 「神さん、日本への旅で、私を守ってくれました。 そして、沢山の恵みを受けてきました。有難う!」の感謝の祈りを捧げたいので、お願いします、と。

神さんは、パタリロ先生を通じて、こう言われた。


「お前は、常に上を向いているからだ。 だから、恵みを受けるのだ。」 と。


そして、この恵みを、今、私が心に気にかけている人たちにも与えてほしい、とも祈った。


***********

体力が持たないときは、どうしてもおろそかになってしまう祈りである。 でも、寝床の中で、できるだけ、

「神さん、有難うございます。 今日も生きています。」
「神さん、有難うございます。 今日も家族全員が安全で、無事で、生きていて、一日を終えることができました。」

と、まず、感謝して、一日を始め、一日を終えるようにしている。


そして、私は、一度も神さんに怒ったことがない。 文句をいったことがない。 不平を言ったことがない。 だって、神さんは絶対だし、されることは、どんなことでも正しいから。 人間の思う「正しい」こととは違うことがあるけど。 


常に、神さんを見上げること。 その時には、横で起こっている人間世界の野暮用は、どうでもよくなってしまう、単純な私である。 そんなアホだけど、神さんにしてみれば、いつも自分を見上げてくれる小さな存在は大切にしてくれるのだと思う。


あかしや

2009年10月30日金曜日

No. 140 日本訪問直前

あと、12時間で空港に向かう。 
今日は、10月30日。 夜である。

家族を残して、単身の日本帰国・訪問である。 しかし、母親と妻として、お留守番をするものたちへの指示、支払い、手はず、とかなり忙しい。

その上、仕事のTaxの試験があった。 10月半ば、熱のでないへんな風邪で、2週間ダウンしていたので、勉強できず。 

神さんに、「どうか、お願いします。 帰国の準備がすんなりと行きますようにしてください。風邪にかかりませんようにお守り下さい。 そして、出発前日の試験が受かりますように。」と祈ってきた。

結果として、試験は受かった。 88%だけど。 でも、これで、お給料のベースが少し上がる。 子供たちの為に、次のシーズンは、もう少し稼ぎたいところなので、この試験は受かりたかった。 もう一レベル上げたいので、12月中に試験もう一つ出来るであろうか・・・・。

あと神さんにお願いするのは、私の旅中の健康と安全。 そして、夫と子供たちの健康と安全。

もちろん、うがいに手洗いは敢行している。 しかし、こうくたくたの毎日では、体力も免疫も落ちているから、神頼みが大切。

たった10日の滞在である。 何があるのかな? 神さんはどういったところに導いてくれるのか?

暇な時間はあまりないけど、日本に少し滞在する私を使ってくれるかもしれない、という小さな楽しみもある。

それでは、行って来ます!


あかしや

2009年10月26日月曜日

No. 139 揺れた時の賛美歌

あったま来るほど忙しいこの頃である。 余裕が無く、祈る時間もあまりない。 朝、おきて、神さん、有難う、と感謝する時としない時まで出てきてしまった。 これは、いかんいかん。

10月下旬から10日ほど日本に行って来る。
理由は、高校の同窓会。 30周年だ。

クラスメートが言う。 「もう人生の半分きたんだしさ。」
ありゃーほんとうだ。 どうしよう。

*************

こういった出発直前にやってくる嫌なニュースがある。

昨日、アメリカン空港ダラス発成田行きのAA61便が乱気流にあって、けが人が出たという。

私、それに乗るんですけど・・・・。


初めてアメリカに行ったのが、1983年であった。 安い飛行機ってことで、China Airlineを使った。 台湾の航空会社である。 ハワイ経由でLos Angelsに行った。 アメリカから戻ってくる時に、気流の悪いところを通った。 みんな緊張しているようだったけど、お隣のフィリッピンの叔母ちゃん二人は、何か歌っていた。 何歌っているんだろうなあ、と思ったけど、良くわからなかった。

タイタニックだったか、客船が沈没するとき、小オーケストラが音楽を奏でたという話は、多くの人が知っていると思う。

埼玉の教会を訪ね礼拝まえの賛美をしていたときであった。 ぐらっときた! 
そばにいたフィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生と私は、やばい!といったかどうかは別にして、ドアを開けにいった。 祖母と母からは、地震の度に、戸を開けろ、でないと、戸が開かなくなって閉じ込められる、と言われて育った私であった。

しかし、後ろを振り向けば、前で賛美していたフィリピン人の女性は、歌い続け、地震がまた襲ってくると、手を挙げて祈り、賛美していた。 そうして、地震は収まった。

その時、この方は、真のクリスチャンだ!と恐れ入ったのであった。 (そう、この方、私の代わりに日本での母の娘になります、と言って、私を大泣きさせてくれた方である。 詳しくはまたいつか書くね。)

ちなみに、フィンランド人?ノルウェー人?の牧師先生、フィリピン人と書いたが、皆日本語で礼拝していた。


若い頃は、乱気流の時も、ぐっすり眠りこけていたものである。 しかし、こう何度も飛行機に乗るようになり、昔と比べて、いつも満員で、家畜の運搬車みたいな状態になってきた飛行機。 そして、こちらも歳を取って来ると、飛行機の中で熟睡ができなくなってきた。 そして、気流の悪いところを通過するときは、ちょっと緊張するようになってきた。 子供がいて、後に残す者がいるからだろうか。

前回の帰国の時だったか、気流の悪いところを通ったとき、心の中で祈り、賛美歌を歌った、と思う。 だって、頼るのは神さんしかいないしね。 おっと、パイロットさんもがんばってください。

最初にアメリカに行った時のお隣のフィリピンおばちゃんが歌っていたのは、賛美歌だったのだろうなぁ。 こういうときって、多くの人が心の中で賛美歌を歌っているんだと思う。

本当にやばい!時はどうなるんだろうか。 私はじたばたするであろう。 でも、あの埼玉の教会のフィリピン人女性は、祈り、賛美するだろう。 死に際が悪いのは、私である。 きっと。

今回の日本行きでは、まずロッキー山脈上で一揺れ。 まあ、これは、いつものこと。
そして、寝ている頃、日本に到着の数時間前は、アリューシャン列島の上。 ここが揺れるんだよね。 だから、賛美歌にお世話になろう。

歌う曲は、「やすけさは川のごとし」「It is well with my soul 」である。
だって、この曲しか、空覚していないんで。 あー、私の脳みそ一ビット。

以前のBlogで作詞者のこと、曲の訳を書いたのでご参考に。但し、文末のビデオが見れなくなっているので、下記のSelahのYoutubeを見てください。

No. 85 It is Well With My Soul やすけさは川のごとく(その一)

No. 85 It is Well With My Soul やすけさは川のごとく(その二)



Selahが911の5回忌で歌う It it Well With My Soul~Raise Me Up




では、あと6日で出発です。 多分、平気な顔して帰ってくると思う。

生きるも死ぬも神さん次第!

あかしや番頭

2009年9月29日火曜日

No. 138 亡くなった人の為に祈る

日曜日の朝だったのだろう。

父の夢を見た。


どこからか苦しい声が聞こえてきて、それがだんだん近くなった。 吐いている苦しみの声であった。

私たちの寝室に来たのは、一回り小さくなって、白くなっている父であった。

父は、またすぐに苦しくなって、トイレのほうに行った。


そんな夢であった。


実は、一年ほど前にも、寝ているとき、父の声が聞こえてきて、「苦しいんだ。」と言っていた。


夢を見た後、暫くして起きたと思う。 そして、神さんに祈った。


神様、人間が死んだあとのことは、私にはわからない。 天国と地獄以外に他のところがあるのかも、聖書には書いていないから、私にはわからない。 だから、あなたにお願いします。 父を楽にしてあげてください。 母と同じ天国に連れて行ってください、と。


神さんは、パタリロ牧師を通じて、「おまえの愛する者は、私のそばにいる。」と言ってくれたので、母は神の御国にいる。

しかし、父は今、どこにいるのだろうか?


父の死後、父がうらめしそうな顔をして、枕元に立っていたのを見た、という親族もいる。 


父はどこにいるのだろうか?


******

私の父は、アル中で、いろいろあった。 私も結構いやな思いをして育った。 詳しくは、3年前に書いたBlog「父の日」 を読んでもらえれば、結構具体的に書いてしまったからわかるだろう。 素直に、愛しているという対象ではなかった。 でも、今は、感謝の対象である。


教会の礼拝のあとの祈りの時間で、父のことを祈り始めたら、涙がどっと出そうになった。 

父を助けてあげたい、という気持ちが沸いてきてしょうがなかった。

だから、心に誓った。

これから毎日、しつこく、神さんに頼もうと。 父を良いところに移して欲しいと。 父の苦しみを取り去ってほしいと。


私たちが死んだ先は、神さんの領域である。 

「私たちクリスチャンは天国にいかれるのよ。 でも、信じない人は、地獄行きだわ。」

と、のどもとまで出掛かっているクリスチャンと呼ばれる人は多いだろう。


私は、人が死んだあとは、天国と地獄しかない、というのは、まだ、わからない。 単に聖書を全部読んでいないからかもしれない。 でも、父のためには、その中間点があってほしい、と思うことがある。 

これは、単なる一個人の勝手な願いである。


日本の実家では、何回か家庭集会があった。 退職したあとの父はそれを横から聞いていたこともあったと思う。 しかし、父に神さん、イエス兄さんのことを伝えようとした人はいたのであろうか・・・・。

信仰は聞くことから始まる、と聖書に書いてある。 でも、その言葉を父に伝える人がいなくては、始まらない。 母は当然、そういうことはしていなかったであろう。

神さんの言葉を聞くチャンスが無かった人が、死んだら、どこへいくのだろうか? 

「おい、神さん、知らんまんまで、死んじゃって、そういう人を地獄に送るんですかい?」、と日曜日の朝、神さんに問うてみた。 神さん、怒るかもしれないけど、正直に問うてみた。


********

私はこれから毎日、しつこく、神さんに頼む。 

父を楽にしてやってほしい。 できれば、母のいる天国に連れて行ってほしい、と。

私は父を救いたい。

それが出来るのは、神さんだけだから。



あかしや番頭

2009年9月25日金曜日

No. 137  癒しは私にも起こってしまった

とんでもないことが起こった。

「癒し」を体験してしまったのである。


先週の土曜日と日曜日はうちの教会の修養会、つまりリトリートであった。 宿泊施設に泊まり、ゲストスピーカーを呼び、メッセージをしてもらったり、祈りの時間を長く持ったり、そして、バーベキューもしたのである。

ゲストスピーカーは、Carrolltonという町にあるCovenant ChurchのYouth Pastor, Joel Scrivner氏が来てくれた。 テコンドーのチャンピオンにもなった人である。 

アメリカでもキリスト教では、福音派、ペンテコステ派、メソジスト、バプティスト、と色々なDenominationがある。 いわゆる派閥みたいなのであろうか? そして、ペンテコステ系の教会は、異言(意味のわからない言葉を祈りのときに発する)や、奇跡、癒しという、日常から少し離れたことを信じる傾向がある、ということで、保守的なバプティストや、福音派からは、白い目で見られている、らしい。

うちの教会は、どちらかというとペンテコステ派であろう。 しかし、そういった超自然現象というか、スピリチュアルなことばかりを中心にしているわけではなく、聖書をしっかりと読み、勉強するという福音派が喜ぶこともしっかりしている。 

まあ、私に言わせれば、聖書に書いてあることを、都合の良いところばかり、自分の都合に合わせるということよりも、まるごとそのまんま信じるべきなので、癒しも超自然現象もOKと思っている。 でも、バプティストや福音派は、自分たちでそういったことを経験していないのであろうか、「そういったことは、現代では起こらない」と一掃している。 うーん。 でもねぇ、イエス兄さん、ものすごい数の人間を癒しているんだよねぇ。 死からもよみがえっちゃったし。 パウロだって、牢屋にぶち込まれたとき、地震が起こって、足かせはとれちゃうわ、牢屋は開いてしまうわ、ってことが起こったし。 死んだ人も生き返ることもあった。 そういうことが書かれているのが、聖書なんだけど。 それも、多くの箇所がある。 そういった部分を無視したら、聖書の半分くらいは、破り捨てなければいけないんじゃないだろうか。


さて、そのJoel牧師は、何でそういう意見の違いが起きるのかを簡単に説明してくれた。 それは、次回に述べる。 なるほどーと思った。


この書き込みの本題は、派閥のことではなく、私も癒しを経験して、驚いたな、もー、のことをかきたいのだ。 それに、もう夜遅いから、端的に書いちゃう。


Pastor Joelの素晴らしいメッセージのあと、個人的に皆祈ってもらった。 私もそう。 タダなんだから、沢山祈ってもらえって魂胆か?

7月の終わりのくそ暑い最中に、うちのフェンスを新たに追加して、旦那と二人で作った。 その時、私は旦那をこきつかったのだろうか、旦那、肩というか、右の肩の筋肉を傷めたらしい。 痛みがかなりつづいたので、医者に行った。 それが8月。 ステロイドを注射して、様子をみたんだけど、痛みはますますひどくなるばかり。 

普通、痛みは消えていくのであるが、それが一ヶ月半以上続いたので、再度、医者へ。 今回は、MRIをしてもらった。 (高かったけど。 200ドル以上の請求がきた。) 再度、ステロイドの注射を2本もしてもらった。 それが、修養会に行く週の火曜日。

修養会に向かう土曜日の朝、痛みはまたひどくなっていた。 骨には異常はないようである。 肩の関節か、筋肉か、筋か???

その夜に、Pastor Joelが来てくれたのである。 なので、個人的に祈ってもらうように、会場の前に出て行った。 私も腰が痛かったし、それよりも旦那の腕が心配だから。 近くにいた人は、その本人が信じないと癒しはないよ、とは言われた。 

でも、聖書には、カペナウムという場所で、イエス兄さんが大勢の人の前でお話をしている家の屋根を壊して、病人をその穴からつるして、イエス兄さんの下にさげたという話がある。 イエス兄さんは、病人を連れてきて、屋根まで壊した人たちに向かい、「あなたの信仰が、この人を癒したのです。」と、いとも簡単にその人を癒してしまったのである。

また、どこかの牧師から聞いた話か読んだ話で、癒しの賜物がある牧師が、ある女性に頼まれて、重病の子供の為に祈って欲しいと頼まれた。 医学的にも治癒不可能で、その牧師もまったく自信がなかったそうだ。 それでも、その女性は頼んだ。 なので、祈りはその牧師が専念して、その女性は「信じること」だけに専念する、ということになった。 それでも、その牧師はまったく癒されるという確信なしに、祈った。

結果として、癒しは起こった。


ということを見聞きしていたので、たとえ、旦那は教会にこないし、祈らないし、表面では信じていない、という人間であるが、私が旦那の分まで信じれば、癒されることがある、と思っていた。

なので、「私は旦那の分まで信じます。」と私に話しかけてきた人にいって、Pastor Joelのほうに立っていった。

*********

翌朝、朝食の前の祈祷会があった。 そこで、小グループに分かれて祈った。
私のグループは私ともう一方以外は、皆女性の牧師先生。 当然、旦那の肩の癒しを祈ってもらった。

朝食後、旦那に電話した。 意外にも、元気な声。 よく寝れたらしい。
肩は、どうか、と聞いたら、

「いや~、不思議なんだけど、痛くないんだよ。 普通に戻ってしまったみたい。」

だと。

私は、心の中で、「へ??」と目が点になっていた。


翌日も起きたときに、しつこく旦那に、肩はどうか、と聞いたら、「Not bad」(「いいよ」)だって。

一週間後の今日、出張から帰ってきた旦那に、またしつこく聞いたら、「なんともない。 荷物を無理して持ってしまったから、すこし痛いけど、でも、普通だよ。」


信じているといったくせに、何度も確認してしまう人間の悲しさ。

しかし、旦那の肩は癒されていたのである!!


痛みが2ヶ月続いて、どんどん悪化していたのが、一日で治ってしまった・・・・。


驚いたよ~、と言えば、神さんは、「このどあほ!! わしが何でもできるっちゅーのを信じ切れないこの超ドアホ!!」と私を怒るに違いない、というか、怒っているというか、あきれているだろう。

***********

Pastor Jeol曰く、神の御国で起こることは、この地上にも起こる、ということだ。 主の祈りにも、天でなされることをこの地にもなさせたまえ、ってある。 それには、祈りと断食をもって、主の存在の中に自分を置くことが大事だといっていた。 

Pastor Joelは7年前、お子さんを脳腫瘍で亡くされた。 それを乗り越えるときに、毎日神の言葉を求めてメモしたそうだ。 そいうった試練を超えて、神の存在する場所にいくようになったのだろう。 

主の存在の近くにいくこと、そして、聖なるバディー、つまり神、イエス兄さんの霊が私たちの中にあるとき、神の国で普通に起こることが、この世にも起こるってことだ。


聖なるバディーは、聖書では、聖霊という。 

事実、私は、その霊が胸の辺りから自分の体の中に入ってきた、という経験をしているから、わかる。


Pastor Jeolに個人的に祈ってもらう前に、全員で祈ったのであるが、その時、私は自分が天から降りてきた光の筒の中にいるというヴィジョンが与えられた。 なんともなく、気持ちがいいもんで、何も祈らず、光の中にいる居心地よさを楽しんでいた。 祈りが終わっても、ぼーっとしていた。


そんな状況だったから、多分、神さんの存在のそばにいたのかもしれない。 そして、Pastor Joel、うちの教会の女性牧師との祈りも聞かれたのである。 旦那の肩は治ってしまった。


*************


旦那の癒しのあと、単純な私は、こう思った。

この世に神の御国を築くことはできる、と。 そこには、病気も悲しみもないのである。 天国をこの地につくれるのである、と単純に信じてしまったのである。

それには、聖霊が体の中に住んでいる人間が集まり、手をつなぎ、天からの光の筒を収束すればいと思った。


桃源郷、楽園・・・、意外と身近に出来てしまうものであるかもしれない。


あかしや番頭

2009年9月11日金曜日

No. 136  後悔しない "I love you"

洋画(死語か?)やアメリカからのドラマを見ると、よくもまあ、「I love you.」を連発している。

日本では、そんなこと言わないだろうなぁ。 そんなこといったら、虫唾(むしず)がはしる、というか照れくさいというか。  それだけ、日本人にとっては、「愛している」「I love you.」という表現とは距離がある。 というか、こういう表現は、日本の文化にはないのだろう。 

では、日本の愛情表現は、態度で示す、その人の為に尽くす、という行動なのだろう。 言葉では、「好きだよ。」とか、「大切だよ。」なんだろう。


今日は、2009年9月11日。 New Yorkの同時テロから8年たった。

子供を学校に送ったあと、車の中でNPR (National Public Radio)をいつものように聞いていた。 東海岸時間の8時40分過ぎ、テキサス時間の7時40分過ぎに、一人の男性が話している録音が流れてきた。

その人の息子は、New Yorkの消防士で、テロ事件で若くして亡くなった。 New York World Trading Centerの一つのビルに飛行機が突っ込んだのが、この朝8時40分過ぎであった。


その男性は、イタリア系の苗字であった。 New Yorkはイタリア系がとても多い。 私がNew Yorkに住んでいたころ、Little Italy はChineseに押されて、かなりの小規模になってしまっていた。 しかし、イタリア系も4世5世の世代となり、アメリカ経済・文化の一貫となっている。 民主党のSpeakerという重要なポストは、Nancy Pelosi. 苗字からして、イタリア系である。 政府の確かAttoney General(司法長官)の女性も、苗字は、Napoletano. イタリア系。


さて、話題を本題にもどしてっと。 


学校から家への短い距離であるが、ラジオから流れる、そのイタリア系の苗字の男性のナレーションに聞き入った。
息子の一人が警官になり、そのあと消防士になり・・・という生い立ち。 そして、いつも仕事にでるときは、息子と父の間の会話は、「I love you.」であった。

2001年9月11日の前日。 夕方の出勤に向かう息子は、父親に「I love you.」と言って、家を出た。 翌朝、息子は父に電話し、テロ事件が起こったことを告げ、現場に向かう、と言った。 そして、息子は父に、「I love you.」 父親も「息子よ、気をつけて。 I love you.」と返した。

それが父と息子の最後の会話であった。


**********

かれこれ、7-5年ほどまえであろうか。 母は病弱で、入退院を繰り返していた。 父からのAbuseも沢山あった。 私は当時はフロリダに住んでいた。 日本に住んで親のそばにいなかったので、親の看病は常に24時間以上かけて、アメリカから飛行機で日本に帰っていた。

そばにいてあげられないことは、私の心の中に思い枷(かせ)となっていた。 すまない、という気持ちで暗い気持ちでいたことも多くあった。 これは、イエス兄さんを知るだいぶ前のことである。

どういう心の動きだったかは、その痛さをいまさら味わいたくないので、思い返さないつもりである。 しかし、一晩かけて、母に手紙を書いた。 アメリカ製のピンクのレポート用紙だった。 

母への思い、口では恥ずかしくて言えないことを書いたと思う。 そして、私は母に、「愛しています。 生んでくれて有難う。」としっかりと書いた。


1999年の12月に双子が生まれたとき、私はいい歳して、子供たちの写真を小さなアルバムにまとめて、その表紙に「パパとママへ、生んでくれてありがとう。」と書いた。

親の気持ちは自分が親にならないとわからないと痛感したので。 「親の心子知らず」「親孝行したくとも親はなし」とはよく言ったもんだ。


母の入退院の上、父も大変であった。 仕事で失敗し、多額の売上金を会社に納めることが出来なかった。 それがきっかけだろうか、父はうつ病になってしまった。 母といつも喧嘩していた父で、私は母の味方をしていたけど、だんだんと母が正しいということに疑問を持つようになり、自然と父の苦労も理解するようになっていた。 父の退職のときだろうか? あまり良く覚えていないが、父を励ます手紙を書いたと思う。 「I love you.」とはいえなかったけれど、よくやってくれました、母をよく面倒みてくれています、仕事も大変だったでしょう、ありがとう、という文だったと思う。

父が亡くなる直前、父は我が家に通っていたホームヘルパーさんに、「○○さん、娘というのは、いいものですね。」と漏らしていたそうだ。



日本を出る1992年の前の2-3年前、合気道をしていた。 そこでお世話になっていた大先輩がいた。 合気道のお稽古が終わると、仲間とのみにいったけど、その人も来ていた。 温厚なおじさん。

アメリカにわたり一年ほどして、先輩からその方が急死したという知らせを受けた。 顧客のビルに納品しにいって、地下の通路で倒れていたそうだ。 帰国の際に、先輩と一緒に家を訪ね、お墓参りをした。 そのとき、奥さん曰く、「朝、『いってきまーす』と出て行って、遺体で家に戻ってきました。」と。


その言葉がいつも念頭から離れず、私は夫を必ず仕事に送り出す。 雨でも外に出て、送り出す。 ここはアメリカ。 しっかりと、「I love you.]を言う。 そして、車が家の前の道を曲がり、視界から去るまで見送る。

そして、天のお父さんに、「夫を今日一日お守りください。」とお願いする。


私はアメリカかぷれであろうか? 洋画の見すぎであろうか?
でも、言葉で伝えることは大事である。  多少の勇気はいるけど、言葉でなくとも、手紙で、ということも出来る。

子供たちを学校で下ろすとき、「I love you]といったら、二人とも、「うげー、気持ち悪い。」だと! こんな変なところは、日本人なんだよなぁ、あいつら。 日本語ほとんど出来ないくせに、へんなところが日本人。


**************

そのラジオの男性のナレーションに戻る。

息子との最後の会話が「I love you.」であった。 それだけであった。 しかし、その人はこうしめくくった。

「でも、その言葉があったから、その夜は眠ることができたのだよ。」と。


そのナレーションは以下で聞けます。

Firefighter Father Recalls Losing Sons On 9/11

あかしや番頭

2009年9月3日木曜日

No. 135 尻拭いしてくれた神さん

夏休みが終わり、子供たちの学校が始まった。 旦那と子供の為に朝食と弁当作り。 さらに、学校のあとのスナックに、夕食の弁当つくりも週一回となった。 

子供たちがある武道を始め、それが週三回。 他にもサッカーとピアノがあるので、私はとたんに忙しくなる。 以前、そんなことしている友人を見て、あれまー、と思っていたけど、今度は自分がその立場。 あれま~。

そんな忙しい日々である。 土方もだいぶめどがついてきて、あと1-2プロジェクトで終わる。 その後は、家の片付けに税制の勉強である。 なかなかここに書き込めないが、短いのを単発でやっていこうか、と思う。

*************


昨年の秋は、税制の勉強のコースをやたら取りすぎて、自分の首を自分で絞めてしまっていた。 勉強して、コースの試験にパスすると、時間が加算されて、それによって、Certificationと言って、格付けが決まる。 格付けが上がればあがるほど、一つあたりの仕事の単価があがり、収入があがる。 しかし、今思うと、焦りすぎた。

そんな忙しい昨年の秋のこと。 近所の人で知り合ったイエス営業部の人。 タイ人である。 その人は、近所の家で平日は住み込みで子供の面倒と家政婦をしている。 長い話を短くすると、私は頼まれて、その家で祈った。 やはり、感じる変なものがあり、幻も見えた。 子供が悲しんでいること。 別れた奥さんのこと。 いろいろある家庭。 子供の部屋で祈ったあと、うしろから何か迫ってきて、翌日から背中が痛くなった。 これは、日曜日の礼拝のあとに祈ってもらった。 そういった場所で祈ると、時に「やられる」ことがある。

そんなかんやで、そのタイ人の彼女、何かと電話してくる。 そして、一緒に祈っていた。

明日試験、という日で勉強中にも電話がかかってきた。 子供たちがオカルトか、暴力的なビデオばかりみていて・・・という相談だった。 彼女は、もうこんな家にはいたくない。 辞める、といい始めた。 しかし、私は善人ではない。 今は勉強中で手が離せないから、後で祈っていてあげる、と。 ただ、神さんは、あなたをこの家に送ったんだよ、とは、言ったが、辞めたいと決めたのなら、辞めたらどうですか。 そこまで自分を犠牲にすることはないでしょう。 とも言った。


それから一年近く経った。 

ある暑い夏の夜。 ばかちんの散歩に出た。 ふと、彼女が働いていた家の前を通りかかると、見覚えのある人影がたっていた。 電話でなにか話していた。

そのタイ人の彼女であった。 まだ、その家にいたのである。 辞めていなかったのである。


翌朝、呼び鈴がして、子供が玄関にでた。 そして、「マミーお客さんだよ。」

そのタイ人の彼女であった。


いろいろと、あのあとどうなったか、という話になった。 つまり、私がつっけんどに断ってしまった後、どうなったか、ということ。 善人ではないにせよ、悪かったなーと後味が悪かったもんで。


ことのいきさつはこうである。

私に電話したあと、また日曜日がきて礼拝にいったそうだ。 そこで、女性の牧師に、「あなたに神様からのお告げがあります! 辞めてはいけない! 今していることを続けなさい! 逃げてはいけない。」と言われたそうだ。 これは、預言という。 予言ではない。 予測ではなく、神さんの言葉を伝えられる人がたまにいるのである。 その女牧師の方にはそういった神からの”Gift"がある。


私が蹴った依頼を、神さん、フォローアップしていてくれたんだ。

私は彼女を拒否したあと、神さんに「よろしくお願いします!」と祈っただけ。 本当にいい加減な人間であるが、しっかりと神さん、私の尻拭いをしてくれていたのである。


神さんが人間の尻を拭く・・・・かぁ・・・・。


私、お尻、拭かれてしまったわけだ。 パンパース? クリネックスか、ちり紙か、濡れタオルか、なんで拭いてくれたんだろう?


「おしりかじり虫」ならぬ「おしり拭き拭き神」である。


神さん、有難うございます。 ほっとしました。

でも、彼女に来週電話してみます。 彼女はDyslexia(文字が読めない)なので、聖書を読んで欲しい、と頼まれてもいたので、来週あたりから、彼女と聖書を読む時間を割いてみようかと思います。 超多忙の私ですが、時間を有効に使えるようにしてください。 お願いします。


あかしや番頭

2009年8月6日木曜日

No. 134 夏休みももう終わり


前回の投稿は6月下旬。 今日は、広島原爆記念日の8月5日。 一ヶ月半も書き込まなかった。 不定期発行だもんね。 Blogにまどわされないのだ、というか、夏休みで子供がいるので、じっくりコンピューターに向かっていられない毎日であった。

以下は、何をしていたかを早送りで書く。 というか、どっかのソーシャルネットワークの日記をコピペして、手を加えただけ。 だって、もう夜中。 眠いし、明日早朝は勉強したいので。

2009年夏休み

<達成したこと>

(1)Back Yardの家庭菜園の芝生をとって、川砂利をしいた。ものすごい重労働だった。 でも、もうスプリンクラーを使って芝を潤すことをしなくて良くなった。 水道代も節約だし、環境にも良し。 芝って、水あげて、肥料上げて、伸びれば芝刈り。 刈った芝はBio Massとしてはものすごい量。 これ、食べられないんだよね。 なんという資源の無駄。 という考えかたから。


(2)家庭菜園の拡張。 
中途半端だった菜園を広げた。 ミントが繁茂してしまったイチゴ畑を整理した。 畑は、今はなかなかの出来。 日本のきゅうり、オクラ、ズッキーニ、すいかが生っている。 すべて無農薬・無肥料。 家ででる野菜の皮とかくずを土に鋤きこんであげている。 きゅうりは毎日食べている。 これから豆とオクラの収穫。 すいかもだいぶ大きくなってきたよん。 だいこん、メロン、かぼちゃ、トマトが今成長している。

(3)木の塀。 
ほぼ完成。 土方でまっくろけっけ+筋肉+体重が減った。
明日、市の人がInspectionに来る。 となりの敷地に1-2インチはみ出してしまっているので、却下されるか? その場合のPlan Bはすでに旦那と相談してある。

(4)子供の勉強。 
一応、毎日こつこつと算数をさせている。 今日、やっとあまりのある割り算を教えた。 本も一日一冊は読んだ。 何日かは読まない日もあったけど。 日本語は今までは、ひらがなとカタカナの書き取りのみ。 今月からスピードアップして、作文と読みをさせねば。 遅れてしまっていたよん。

(5)曲作り。 
一曲できたわ。 英語の歌詞は断念したけど。  イエス兄さんへの感謝と、自分を含め、人を安易に裁いてしまう人のことを思いながら作った。 実は、いつも家でピアノで賛美していたんだけど、いつも同じ曲で飽きてしまったので、「神さん、新しい曲を下さい。」と祈った。 そうしたら、数日後、朝、頭の中でメロディーががんがんに流れていて。 「あーあ、わかりましたよ。 うるさいなぁ~」とピアノに向かった。 あっという間に出来てしまった。 なので、私が作ったんじゃなくって、聖なるバディーが作ったんだろう。


<残りの2週間ですること>

(1)息子はゴルフのキャンプ。 Tiger WoodsのコーチをしているHank Hanleyという人のゴルフ教室に来週いれることにする。 教えるのは、Hankではないけど。息子にTiger Woodsみたくなってほしいとは思わない。 ただ、マミーと一緒にGolfコースを廻れるようになってほしいだけ。 娘はArtのキャンプ。 生まれつきのArtistだからこの人。 ということで、夏休みのキャンプはこれが最初で最後。

(2)子供たちの日本語の作文。 頭が痛いわ~。 だって、日本語ぜんぜんだめな子供たち。

(3)娘がぬいぐるみのためのTree Houseを作りたいという。 設計図の描き方から教えてあげるか。

(4)私の税制の勉強。 先週から授業が始まり、一つ終わり。 テストもパス。今日からは、コンピューターBaseのTax Course。 しかし、老眼になって、Computerでコースを取るのが難儀。 ScreenをCopyして、それを印刷して読んでいる。 今、勉強しているのは、農業のTax。 牛とか馬の減価償却もあるし、普通のビジネスとちょっと違う。 このコンピューターベースのコースをこれから10個は取らなきゃいけないし、教室での授業も10月一杯まである。 試験も沢山。 あー、老眼が進むぞ。

(5)ガレージセール
(6)健康診断、歯医者、婦人科検診の予約

<達成しそうにもないこと>
(1)家の中の掃除。
(2)自分の書斎・Officeの掃除。 本と書類だらけ。 これはひどい。
(3)家計のBalance SheetとIncome Statement
(4)チェロの練習。 

ということで、この夏は、去年に比べたら、子供たちをコンスタントに勉強させた、という点では、70点くらいはいけるかな。  それでも、波はあったけど。 

*********

おしなべて、私は時間の使い方が下手である。 だから、いつも走っているし、ぎりぎりでやっているし、遅刻もいろいろする。 今だって、農業のTaxの勉強をせにゃならんのに、ひょんなきっかけからこれ書いているんだもん。

だた、私が無沙汰をしている間でもこのBlogを読んでくれる方がいる、というのは、勇気付けられる。 なので、突如、書くことにした。


ネタは何個かあるんだけど、じっくりと腰を落ち着けていられないから、予告編。


その一

この一ヶ月、私は本当に罪というか、神様からすぐに離れてしまう、というどうしようもない人間だ、とつくづく思い知った。 こんなくだらない気持ちのために、イエス兄さんが死んでくれた、というのも、もったいないすぎる。 隣の人から境界線のことで、ちょっと言われただけで、逆恨みをしてしまうアホな私のことをいずれ書く。 イエス兄さんの死がもったいないくらいアホ。 でも、思い当たる人もいるだろうな。


その二

夫婦仲が悪かったり、離婚する夫婦ってまわりに沢山いる。 何故だか、私は片側、多くは妻か妻であった人から、相手の悪口・批判を聞くことが多い。 話を聞きながら、心の中では、「でも、その人はあなたが選んで結婚したんでしょ?」と思ってしまうこともある。 しかし、この夏、ペットを通して、結婚生活の先というのは、予測できないものである、ということを実感したのである。 旧約聖書の終わりのほうでは、神さんは、「私は離婚を憎む」と言っている。 はい、そうでしょうねぇ。 では、どうしたら、一生添い遂げる結婚ってのが成就できるんすかねぇ。 夫婦なかの悪い夫婦ってのも、神さんがアレンジしたんかいなぁ、と思う。 ま、小さな体験から、予想できず、どうしようもないことって夫婦の間に起こるんだな、と思ったのである。

***********

夏休みが終わり、子供たちが学校に行くまで二週間半となった。 そうしたら、また、頻繁に投稿できるようになる・・・・と思う。 税制の勉強も始まったし、家の片付けがまったくなんで、「頻繁」は真っ赤な嘘かもしれないけどね。

のんびりまっててね。

じゃあね。

あかしや

2009年6月20日土曜日

No. 133 試してみろ、っちゅーから、試すよ。

夏休みに入って、4週目。

今年は、あまり疲れずに子供の相手もできる。 Wiiというゲームを買って、子供がそれで遊んでてくれる間は楽が出来るからか。


ということで、先週の木曜日の午前中、子供を家に残して、郵便局へ。


何を送ったか、というと、日本の教会と西海岸の教会への献金を送った。

4ヶ月のTaxの季節労働の報酬の十分の一をこつこつ封筒にためてきた。 Taxの仕事が4月の第3週に終わり、最期のお給料が5月の上旬に入った。 それから、だいぶ経ってしまったけど、ようやく先週の木曜日、各教会に送ることができた。 私の行っている教会には、すでにちゃんと献金した。


日本人が教会に関する質問の中に、献金をしなければいけないのですか?というのがある。 

私に言わせれば、「しなければいけない」というレベルではない、と思う。

喜んで献金はするものだと思う。

というか、収入があるのは、神さんのお陰なので、10%は就職斡旋業としての神さんの取り分である。
私のものではない。 ということで、献じるというよりは、お返しする、というほうが正しいと思う。


旧約聖書の最期のマラキ書3章10節には、10%を納め、私を試してみよ、と神さんは言っている。

過去に試した。 そうしたら、大きな恵みが来てしまった。

ウエイトレスの助っ人で頂いた$100があった。 十分の一だから$10を納めて、そのあとすぐに借金して日本にいった。 お金ないから、飛行機代、借金だった。 そうしたら、日本の私の口座に30万円がどこからか振り込まれていた。 アメリカに戻り、それで、借金を返すことが出来た。 $10で、$3,000(役30万円)を神さんから頂いてしまったのであった。 300倍である。 


知り合いが、試してみようって、十分の一の献金を始めます!と宣言して、開始した。 その数ヵ月後、旦那さんに良い仕事が与えられた。 更にその一年後、収入は倍増していた。


うちの教会のパタリロ牧師も億単位の負の遺産を抱え込んでいた。 やけくそになって、どうせ、ないお金だ!と十分の一の献金を始めてから、10年でその負の遺産は、消えた。 何故か、周りから助けてくれる人が沢山でてきたそうだ。 



Taxのファイリングの仕事では、経済的なことをいろいろ質問する。 そうやって、どういうCreditなどが適用できるかを判断していくのである。  

Schedule A(Itemized Deduction)という書類がある。 Standard Deduction(標準控除)の額より、大きな額を控除できる人が使える。 例えば、夫婦合算で2008年度、10900ドルを超える控除がある場合である。 たとえば、住宅ローンの利子と固定資産税。 これ二つをあわせると、ゆうに$15000を超える場合がある。 そういう方たちにはItemized Deductionをする。

Itemized Deductionでは、上記の項目だけではなく、一定額を超える医療費、寄付金、就職活動費、被災額・盗難被害額なども控除できる。

寄付金を控除する人は沢山いる。 多くは、教会への献金である。 中には、正規収入のほとんどを献金している人もいた。 

そこで、ある一定の法則に気づかされた。

きちんと教会に献金、それも十分の一をきちんとしている人は、経済的にとても安定しているのである。 これは、十分の一献金をしている人すべてであった。 100%である。

25歳の若者で、収入が約一万ドルほどの人で、きちんと10%寄付している人がいた。 彼は、月々$25だけでも、なんとか貯金している、という。 若いときからの$25は、30年後40年後には、一千万くらいにはなるんだろう。


安定している、というのは、大金持ち、ということではない。 十分の一の献金をしている人は、仕事が安定していて、貯金もしっかりしており、老後の資金も計画して、きちんとしているのである。 さらに、昨年度に比べて、お給料がしっかりあがっているのである。 この大不況の最中にも。


自分の体験だけではなく、仕事からこうもはっきりと聖書にかかれていることが現実として見えてしまうと、聖書は真理だ、と思う。 神さんは真理だ、と思う。


一方、借金や経済的に困っているクライアントがいて、クリスチャンだった場合は、ちゃんと10%の献金を思い切ってするといいですよ、と話をする。 別にクリスチャンでなくとも、ボランティアをしたり、人の為にお金を使う人には、幸福がやってくる。 私が独身時代、お金がなくとも、人の為に小額であるが、借金して、家でご馳走をもてなす、ということをよくした。 すると不思議なことに、別のところから経済的に戻ってきた。 クリスチャンになる前の話である。 本当に不思議である。


******

日本の教会には、来週の終わりごろに封筒がつくだろう。 たいした金額ではないけど、去年送った金額の倍である。 

そう。 私の収入もたいした金額ではないけど、去年の倍になった。 

仕事で、嫌な場面があっても、この仕事は神さんに10%を納めるために、仕事自体を神さんに捧げるんだ、と自分を鼓舞してやってきた。 

その結果は、お給料が倍になったのである。

お給料の10%を入れていた封筒には、まだ多少のお金が残っていた。 これは、明日の日曜日に神さんにごっそり返して、封筒を殻にする。


神さん、試します! だいぶ遅れてしまいましたが、許しておくんなさいましよ!

神さん、この夏、ばあちゃんを海に連れて行くんですが、お金がかかります。 ホテルが高いです。 だから、神さん、面倒みてください! 

お隣さんとの間のフェンスが倒壊しました。 でも、境界のことでちょっとギクシャクしています。 神さん、お金返します。 どうか、隣人とフェンスのこと、解決してください!


たいした金額ではないけど、神さんの天の倉庫に納めること、それも、喜びを持って納めること。 
私にとっては、わくわくする出来事なのである。

さあ、これからどんなことが起こるかな? たのしみ、たのしみ。


あかしや番頭

2009年6月2日火曜日

No. 132 今日は誕生日

今日は何を隠そう、私の誕生日である。

もう、いいたくない年齢だから、言わないもんね。 自分がこんな歳になるとは、思ってもいなかった。

更年期も近いのか? ということは、骨ももろくなってきて、老化がもっと進むんだろうなぁ。 

かといって、対策をとるつもりもない。 ただ、健康でいたいと思う。



4X年前の夜中の2時ごろ、私は東京は渋谷の日本赤十字病院で生まれた。

母にとっては、難産で、大変だったらしい。 生まれたとき、私は声を上げなかったそうだ。 生まれたあと、父と祖母は明け方の道を二人で家までとことこ歩いて帰ったそうだ。 渋谷から板橋まで。 そんな話を父母から何回か聞いた。

子供のときは、病弱だったが(嘘だ!ええーっつ!という声が聞こえるぞ。)、今は一応元気な双子のかあちゃんである。


いろいろあった人生だけど、40歳代後半まで、こうして何とか生きてこれたことに感謝する。

元気な双子の子供も生めた。 そうだ、旦那という素晴らしい人にもめぐり合えた。 

父と母は、それはいろいろあったけど、やはり、私は私の父と母の間に生まれて幸せだったと、今思う。 私が父と母を選んだのかも。 それか、神さんが私を父と母に託したのだろうなぁ。 

なんだかんだいって、ごたごたしたけど、それでも、死ぬまで両親は一緒だった。 私たちの為に大きな犠牲を払ってきてくれたんだろうな。 

だから、神さんにお礼を言う。


私を父と母の元に送ってくれて有難う、と。 私にはもったいない夫を与えてくれて、有難う。 美しい双子を与えてくれて有難うと。

食べるのに困らないで何とか生きていかれる環境においてくれて有難う。

雨露をしのげる屋根のついた家に住めることに感謝。

周りで体を壊している人が多いのに、一応、今の所、健康であることに感謝。

目が見えること、耳が聞こえること、両手両足があること、喋れることに感謝。



昼は、Taxの仕事場の人たちが誕生会を開いてくれる、という。

夜は、夫と子供たちがご飯を作ってくれるという。




今日は朝から雷雨。 

庭と、庭の家庭菜園も人の力を借りて、だいぶ完成。 昨日は豆や大根の種を植えた。

よし! 更年期になると骨がもろくなるから、今日は、植木の植え替えという重労働を朝にして、骨を強くしよう。 重力に逆らう動きが骨にいいんだよね。 

歳をとるけど、どんどん体を動かして、健康でありつづけたいものである。



あかしや

2009年5月10日日曜日

No. 131 Me and God

今日は、母の日。 

でも、まったく関係のない内容を書く。

それも、短く。 明日は月曜日で早く起きなければならないので。

*********


Taxの仕事は、クライアントのサインをもらう書類がやたら多い。

夫婦合算というか、夫婦で一緒にTaxをファイルする場合は、夫婦二人のサインが書類に必要である。 

でも、往々にして、夫か妻のどちらかが、一人できて、あとでもう片方のサインをもらうことがある。 オフィスに来てもらうか、持ち帰ってサインをもらって、また戻ってきてもらうか、ということだ。


リタイアした70歳代のご婦人がTaxをしにきた。 対応してあげた。 普通はクライアントのことは公にしないのだが、このご夫婦は、リタイアメントとソーシャルセキュリティーの収入でほそぼそと暮らしている。 でも、教会への献金はしっかり10%されていた、と思う。

それでも、明るい奥さんである。 そして、言うのである。 「明日、股関節手術をするのよ。」と。

多少のリファンドがあって、$100ちょっとの費用で終わった。 そして、書類を盛って帰ってもらって、旦那さんのサインをもらって、旦那さんにもってきてくださいね、と融通を利かせた。 本当は、夫婦一緒にサインするまで、ファイルできないんだけど、私は多少、ルールから外れても、やっちゃう。 本当はいけないんだけどね。


さて、暫くしても、サインした書類が届かない。 旦那さんももってこない。 たぶん、術後で大変なんだろうなぁ、と思った。 電話したら、いなくて、留守電に。
そして、電話がかかってきた。 明るい奥さんの声。 手術のあとは、大丈夫だったみたい。 話の内容を聞くと、旦那さんの奥さんの世話で忙しいみたい。

ということで、普通はしないんだけど、「伺いましょうか?」といったら、「それは、助かるわ!」と嬉しそうに言うので、子供を迎えにいったあと、その足で向かった。 オフィスのそば。


家の前に車を止めた。 小さな家。 ほそぼそと老後を二人で過ごしているみたい。


気づいた旦那さんが外に出てきた。 家にはいりますか? と聞かれたけど、術後の奥さんは動こうとするだろうから、遠慮した。 車のボンネットの上でサインをもらった。

そして、オフィスから盗んできた袋一杯のスナックを渡した。 なんでそうしたかは、分からない。 ただ、奥さんの明るい声を聞いたからかもしれない。


旦那さんとちょっと立ち話。 「食事つくりなどの、ヘルプはないんですか?」と聞いたら、旦那さん、こういった。

「No. Me, and God!」と明るい笑顔で。 

小さい旦那さんで、しわくちゃの顔だった。 でも、その笑顔が素敵だった。


そして、教会の人も食べ物をもってきてくれるんだよ、と。


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旦那さんが言った、「Me and God」

心にずっと残っている。 なんでだろう。 


ほそぼそと暮らしている老夫婦。 でも、その目は輝いていた。




あかしや

2009年5月3日日曜日

No. 130 死ぬんじゃねぇ!バカヤロー!!

オクラホマにいる癌と闘病中の親戚のところで週末食事作りにいって、帰ってきたら、忌野清志朗=キヨシローが亡くなっていた・・・。

泉谷しげるの口調で言う。 キヨシロー、死ぬんじゃねぇ! バカヤロー!!!






ニュースの人が言うように、確かにキヨシローは、日本のロックを代表していたと思う。

早すぎるよなぁ、死ぬの。


たくろうも体調わるいらしいし。 泉谷、中井戸さん、教授・・・と、あの時代の人たちがなんと50歳代後半から60歳になっている、ということに驚きである。

自分も歳を取った、ということだ。





オクラホマの親戚も、大腸がんの手術をして、家に戻って一週間後、出血して、ICU。 死に掛かった。 また家に戻ったあと、食事を作りにいったんだが、今度は感染症をおこして、病院へ。 一週間後のこの金曜日に退院したばかり。 そこに、また食事つくりをしにいった。


小腸から大腸に行く場所から管を通して、腸内のものを小さいバッグに行くようにする。 一般的にストマっていうんだけど。 感染しやすいらしい。 それに、しょっちゅう交換しなければならない。 奥さんは夜中に少なくとも2回は起きて、交換する、ということである。 昼間ならなおさら。

食事をつくるほうとしても、植物繊維は腸が詰まって危ない、ということで、避けなければいけない。 普段は、大腸をきれいにするために、繊維をとろう、というのが常套文句である。 それが出来ない。 そういった食事を作るのが意外と難しい。 術後の傷の回復と体力回復のため、たんぱく質をなるべくとってもらうようにする。 こちらのほうは、まだ、簡単。 どういう野菜をどうやって調理するかがチャレンジだった。


同じ時期、93歳のじいさんも心臓発作おこして、病院に運ばれたけど、マイルドだったらしい。 家に昨日帰ってきた。 93歳で心臓発作起こしたほうが、67歳で大腸がんの手術をした人より、回復が早い。 


それほど、中期の癌でも、治療の過程は大変である。 ほんとうに。

小腸は癌にならないから、胃と大腸の癌だけにはなりたくないなぁ・・・。
本当に大変だから。


看病する家族も大変。 人間関係もギクシャクしてくるしね。


帰り道3時間、運転しながら思った。 この夫婦が神さんを知っていたら、もっともっと心が楽かもしれないのに、と。 

本当だよ。

宗教することはどうでもいいのよ。 何をしようと、何を行おうと、何を言おうと。 そんなことは。 

ただ、ただ、信じるだけ。 神さんとの個人的関係を持つ。 ただ、それだけでいいんだよね。

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しかし・・・キヨシロー! もどってこい! バカヤロー!!(泉谷調)



あかしや

2009年5月1日金曜日

No. 129 旦那の家族のちょっと不思議な出来事

よっと、落ち着いたら、夜中の一時過ぎである。

明日、旦那側の親戚の家まで3時間かけて運転して、看病しに行く。 そのための病人食を作っていたら、夜中になった。


3日前の火曜日の早朝、メキシコに出張に行こうとしていた旦那に電話があった。 じじばばの家からであった。 


じいちゃん(旦那のお父さん)、心臓発作起こして病院にいる、だと。
私も飛び起きて、急いで、フライトをオンラインでとってあげた。 旦那は、その日の10時前には、現地に到着していた。

月曜日、じいちゃん、震えて、がたがたしたそうだ。 熱があるから、肺炎かという見方があったのだが、入院した病院の医者が言うには、軽い心臓発作だったそうだ。 

でも、今は、じいちゃんは、普通にしていて、数日後には家に戻ってくるそうだ。


今日、旦那を空港まで迎えにいって、実際どのようにして起こったのかを聞いた。

月曜日の朝のこと。 月曜日はばあちゃんは、地元の老人会でビンゴをしに行く日であった。 友達が10時に迎えにいくよ、と電話をくれたらしい。 いつもなら、迎えに来てもらうそうだ。 

しかし、理由もなく、その日は、お迎えを断ったらしい。 ばあちゃんも何故だかはわからないそうだ。 

  -ところで、ばあちゃん、今年95歳になるんだが、未だに車を運転している。


朝食を済ませ、じいちゃんは居間の定位置のカウチにいたそうだ。 10時近くなったので、ばあちゃん、ビンゴに出かける準備をした。 そうしたら、じいちゃんが、気分が悪い。救急車を呼べ、と言ったそうだ。

旦那の弟は近くのオフィスにいた。 ばあちゃん、弟に電話して、弟は、救急車を呼んだ。 そして、家に駆けつけてきた。


そのあと一日様子を見た。 そして、朝方の5時ごろ、また心臓発作を起こした、ということだ。 そこで、旦那に電話がかかってきた火曜日の朝。


旦那が駆けつけたときは、多少病人のような様相をしていたらしいが、暫くして、顔色も良くなってきた。 昨日は、座って食事をして、いつもと変わらない爺さんだということだ。 家にはこの週末あたりもどるだろう。



しかし、もし、ばあちゃんが「いってくるねー!」とお迎えの車に乗って、ビンゴに行ってしまっていたら、じいちゃん、危なかっただろう。 

なんで、ばあちゃん、お迎えの車を断ったんだろう。 ばあちゃんにも理由がわからないらしい・・・・。



実は、じいちゃん側では、似たような話がもう一つある。

じいちゃんが子供だったとき。 1915年生まれだから、第一次世界大戦中か、第二次世界大戦の前の話。

じいちゃんの父親ってのは、どうやらスパイだったらしい。 いつも海外にいっていた。 お陰で、うちには、インパラの角がある。 うちの息子は、旦那側からすれば、跡取り、というか、この家系の末裔である。 なので、おばさんが、そいういったひいじいさんの遺品をくれたのである。 なので、インパラなど、ひいじいがアフリカでしとめてきた動物の角がうちにあるのだ。 

このひいじい、代わりモンだったらしい。 何故か、日本の敗戦の調印式をやった船の上でカメラマンをしていたらしい。 じいさんは、ひいじいのせいで、戦時中、スパイ容疑をかけられたし。 さらに、ひいじいは、60歳を過ぎてから、20歳代のメキシコ人女性と駆け落ちして、メキシコへ。  そこで、生涯を終えた。 じいさんの家系の人たちは、墓の場所もしらんそうだ。 うーむ、スパイらしい最期だなぁ。


まあ、そういうことで、このひいじいは、家にいつもいなかったらしい。 常に海外にいたらしい。 まるで、うちの旦那みたい。

じいさんの母親はそれでも一人で3人の子供たちを育てあげた。 じいさんの話によれば、電気も水道もない場所だった、ということだ。 (この家族、本になって、映画化されたらしい。)


ある日、じいさんの母親はかんづめの切ったふたで、手を切ってしまったそうだ。 運悪く、感染してしまい、手がまっくろに腫れ上がったそうだ。 このままいけば、敗血症で死んでしまう。 夫(ひいじい)は海外。 

爺さんは、幼少で、妹がまだ赤ちゃんのとき。 お母さんは、家を出て、歩いて、車が通る道に出た。 当時、車はまれであったし、電気も水道もないところに住んでいたから、めったに車は通らない。

赤ちゃんを抱えて、じいちゃんの手を引いて、おかあさんは、どれだけ待ったのだろうか・・・・。

結果的に車が通りかかり、乗せてもらい町の医者にいって、一命をとりとめた、ということだ。


おばさんの話によると、その車の運転手、どういうわけだか、迷うはずのない道に迷ってしまったそうだ。 迷った道を走っていると、赤ちゃんを抱えた、長身の女性が道端に立っていたということである・・・・・。


旦那も鮫に食べられそうになったことや、最近では、あやうく正面衝突、ということろを避けた、という死の直前から救われていることが結構ある。


不思議な家系である。


ひいじいさんの遺品はインパラの角だけではなかった。 1900年初頭らしいのだが、古い聖書がある。 おかあさんの遺品である。 手にとって開いてみれば、当然、King James Version。 細かい活字印刷である。 ところどころ、おかあさんのメモがある。

おばさんが言う。 「ママが聖書をもっていたなんて、知らなかったわ・・・。」


私は、神さんがお母さんを守ってくれた、と信じたい。


旦那も豚インフルエンザが蔓延しつつあるメキシコに出張の予定だったが、急遽、じいさんのところに駆けつけたので、メキシコに行かないで済んだ。 じいちゃんのところに行ってから、メキシコの状況は悪くなった。

これも、そうかもしれない・・・・・。


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明日から数日、オクラホマまで看病にいってくるだべ。


あかしや番頭

2009年4月29日水曜日

No. 128 Swine Flu (豚インフルエンザ)

大変御無沙汰してます。

4月15日がアメリカの個人のTaxの締め切りでしたが、残務処理(他の人たちの)をやったので、21日で仕事納めとしました。 あとは、夏にアドバンスのTaxコースをまたとることになりますです。

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さて、巷では、豚インフルエンザのことが騒がれている。 今日(4月29日)の速報で、同じ学区の小学校で豚インフルエンザの発症があった、という連絡が来た。 うちから、20分くらい離れている小学校である。 なので、今は、さほど気にならない。 しかし、それも時間の問題か?

日本では、ゴールデンウィークの直前に、豚インフルエンザの注意報が出たので、海外旅行を中止する人が増えた。 更に、成田空港など、北米から来た飛行機は機内で検閲を始めている。 到着しても、機内で2時間も待たされるらしい。 水際で止めようというプロアクティブな方針である。 日本にいる人たちは、戦々恐々としているのだろう。 


・・・と、他人事の様に、のんびり構えて書いている。 

実は、2003年の春に、SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)がアジアで蔓延したとき、シンガポールにいた。 発症者数が206人、死亡者32人であった。 

中国政府がSARS患者発症のことを隠蔽していた時期、旦那は北京に出張していた。 私も騒ぎの直前に香港にいって、シンガポールにSARSウィルスをもってくるきっかけっとなったホテルに泊まろうと思っていた。 安かったから。 でも、直前に旦那の薦める九龍のホテルに変更。 あのまま、泊まっていたら、そして、保菌者と同じエレベータに乗っていたら、私は死んでいた?

まあ、ともかく、今回の豚インフルエンザの騒ぎは2回目。 なので、ああ、またかぁ、と思う。 

しかし、子供たちには、外から帰ったら、手を洗うように厳しく言っている。 明日からは、学校のあと、校庭で遊ばせるのはやめることにしよう。 


今回は、どうやらメキシコにあるアメリカの養豚工場が発生源みたいである。 大量の豚が飼われているのであろう。 その地域のそばに住む子供がどうやら第一感染者らしい。 そのあと、春休みにイースターで人の行き来があり、メキシコ市に広がり、アメリカはじめ海外に広がっている。 (イースターはメキシコではSemana Santaといって、大きな祝日の週である。)
SARSは飛沫感染であったが、豚ウイルスは空気感染か?


今日は、WHOがフェーズを5に引き上げた。 つまり、世界中に広がる、という警告である。 つくづく、人間は、世界中どこでも移動しているのだなぁ、と改めて驚かされる。 SARSのときは、中国が発祥元である。 そこからベトナム、香港、台湾、カナダ、シンガポールと広がっていった。 中国人・華人を中心に広がった。

今回の豚インフルエンザは、メキシコ人を中心に広がっている。 テキサスはメキシコ人が多い。 違法移民も沢山いる。 私の町には、いないが、隣の町には、違法も含めて、メキシコ人の人口が集中している場所がある。 そこで、感染者が出るのも時間の問題かもしれない。

大事なことは、外から帰ったら、手と顔を洗うこと。 手で、目をこすらないこと。 目も口の中や鼻の中にある粘膜と同じだから、ウィルスは忍び込むのである。 もうひとつ。 もし、病院にいくことがあって、誰かがネビュライザーを使っていたら、即、その部屋から出ることである。

シンガポールでは、SARS発症者が増えたとき、院内感染が増えた。 理由は、ネビュライザーを当初の治療に使っていたからである。 患者が吐き出した息は、噴霧となって、部屋に広がる。 こんな危ないことはない。

シンガポール政府では、そのことを新聞では、明確に発表しなかった。 これは、在シンガポール、アメリカ大使館の医務次官から直接聞いた情報である。 私は、それ以来、インフルエンザあるなしにかかわらず、お見舞いにいって、ネビュライザーを同じ部屋で使っているのをみたら、すぐにその部屋から出ることにしている。


以前読んだ、Jarette Diamond博士の「Gun, Germs and Steel」では、インフルエンザ、Small Pox、はしかなどのウィルスは、もともとは、動物の家畜化に発しているということである。 人間と動物の接点とは、農業にある。 農地を耕すには、牛を使う場合がある。 その他、ニワトリや豚も家畜化されてきた。
動物についていたウィルスが今回の豚ウィルスのように、人間に感染し、遺伝子上の変化を起こしながら、Mutationしていく。 そして、人間と人間の間の感染となる。 農業があるところは、大体にして、人口が多い。 だから、人間の歴史には、今回のようなインフルエンザによる大量死亡が繰り返されてきたに違いない。 良い例が、インカ帝国の滅亡は、ヨーロッパ人が持ち込んだSmall Poxによるものではないか、という説が有力である。 ヨーロッパ人は、そのときはすでに免疫ができていたが、アメリカ大陸の原住民には、免疫がなかったので、あっという間に全滅したのであろう。


さて、聖書にも同じような現象が書かれている。

旧約聖書 民数記 11章31-33である。

モーゼに率いられたイスラエルの民は、神さんが分けた海の水の間を通って、シナイ半島に来た。 そのあと、モーゼは山に40日間こもって、十戒の彫られた石版をもっておりてきたが、待ちきれなかった民は金で子牛像を作って拝んでいた。 その民を殺し、神さんが、いろいろな法律を民に言い聞かせたあとのことである。 民は、毎日マナという食べ物にあきて、肉が食いてぇ~、と文句をいった。 なので、神さん怒って、ウズラの大群を送ってきた。 神さんは、「ついにあなた方の鼻から出てきて、吐き気を催すほどになる」 と言っている。(民数記 11章18-20)

そして、結果として、うずらまみれになった民は疫病で倒れてしまうのである。

これこそ、うずらからのウィルスが人に感染して、大量の死者を出した、ということになるのだと私は思う。


転じて、地球温暖化に拍車をかけているのは、二酸化炭素だけではない。 メタンガスもそうである。 このメタンガスはどこから沢山でているか、というと、家畜からである。 地球上には、家畜が増えすぎている。 とくに、アメリカでは、食用牛、豚、ニワトリが多量に消費されている。 そして、多くが、食べ残しとして、捨てられる。

この飽食社会のツケがメタンガス大量発生で、われわれの未来の地球を脅かしている。


だから、われわれは、肉の消費を個人レベルで減らしていくべきなのだ、と思う。 別に菜食主義にはなるつもりはないけど、肉類は週に数回だけ、良い品質のもの少量を摂取すればいいと思う。 


聖書には、人間の食べ物が定義されている。

旧約聖書 創世記1章29節

ついで神は仰せられた。 「見よ。 私は全治の上にあって、種を持つすべての草と、種をもって、実を結ぶすべての木をあなた方に与えた。 それがあなた方の食べ物となる。」



やはり、人間は菜食であるべきなのだろうなぁ。 でも、生贄をほふったあと、食べなければいけない場合もあるから、肉類は時々、というのが、人間にとって良い食事なのだろう。


*******

アメリカの親戚で病気が続いている。 病み上がりには、おかゆなど、さらったしたものが食べやすいようだ。 アメリカ人でも、そうである。 おかゆ、スープ、カスタードを作ってあげたら、それまでまったく食べなかった人が食べてくれた。 鶏肉は食べれなかった。 

やはり、地から生えるものが体にいいのだろう。 また、食べないと、免疫も下がってしまう。 インフルエンザに感染しても、免疫がちゃんとしていれば、死ぬことはない。 SARSのときの、ベトナムの例がそうであった。 治療をやたらしようとしたシンガポールより、何もしないで、個人の免疫に頼らざる終えなかったベトナムのほうが死亡率が低かったのである。

この数週間、病人の食事、豚インフルエンザのことで、色々考えたのである。また、私もダイエットを始めて、大豆、豆腐、アボカド、野菜、という食事にしている。 コーヒーも飲んでいない。 

聖書に従った食事でいいのかもしれないな、と思う今日である。

体の免疫には、睡眠も大事なので、今日はこのへんで。 もう寝ますワイ。
手と顔を洗って寝ようっと。


あかしや

2009年3月10日火曜日

No. 127 呪縛の国、日本:カーネルの呪い

今日本では、というか大阪道頓堀川では、23年前に川に投げ込まれた。ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダース像について大騒ぎしているらしい。
報道のヘリコプターまで出動したってんだから。

おまけに、朝日新聞まで、連続して、記事載せている。

http://www.asahi.com/national/update/0310/OSK200903100056.html



トラファンにとっては、拝む対象なんだろうなぁ。 ケンタッキーフライドチキンの店頭に戻っても、そこでは、神社、祭壇が出来るに違いない。



旧約聖書で、モーゼが40日間、シナイ山にこもって神さんと会っていたときに、イスラエルの民は待ちきれずに、金をかき集めて、子牛の像を作って拝んでしまった。 これは、神さんの逆鱗に触れた。

この出来事を思い出してしまった。

十戒では、偶像崇拝はいかんと神さんは言っている。 もし、偶像崇拝をしたら、結果は死が待っている。 


日本、なんでも拝んでしまう、呪縛の国。 


自分を「神」と偽って、100万円しぼりとった輩のニュースもある。 


おいおい、反対だよ。 収入のたった10%を神さんに捧げるだけで、100万円どころではない、心の平安と神さんからの祝福がくるのが、本当の神さん。


十戒に、神の名前をみだりに使うな、というけど、確かにそうだ。


そんな時、桜島が噴火。

http://www.asahi.com/video/news/TKY200903100244.html

この記事の題名が「爆発的に噴火・・・」とあるが、噴火って爆発的だと思っていたのは、私だけだろうか。


大丈夫か、日本。
これから天変地異が起こるんじゃないか?


神さんが怒ると、火と地震が来る。


低俗な霊に蝕まれた日本。 ソドムとゴモラか。 地の果てまで落ちてしまうのか?


それをよそにして、私はインフルエンザのためダウン。 そして、このあと恒例のじじばばのところに一週間行って来る。



あかしや

2009年2月24日火曜日

No. 126 春来る、でもばかちんは・・・

ダラスには春が来た。

なんでわかるかというと・・・庭に雑草が急に生え始めたから。

今日は、久々に仕事を休んだ。 だからというわけではないが、雑草を少し抜いた。

昨年、収穫に預かったオクラの枯れ木も抜いた。 正露丸くらいの大きさの種から、直径3cm以上の木(?)になるのである。 抜くと、根が大きい。

こんな小さな種から、こんな大きな木を作ること自体、神業である。 


今年は不景気で、TaxのClientの数も去年に比べて減っている。 でも、私にはTargetがあって、その数をこなさなければならない。 ここのところ、忙しくて祈りと感謝をないがしろにしていた。 

雑草を抜きながら、オクラの木を抜きながら、改めて神さんに感謝する。

そうそう、仕事も神さんに捧げるという気持ちでやっているんだが、この一週間、その意識がどっかいってしまった。 焦っていたのか?

なので、明日から、また、このお仕事は神さんに捧げるもの、Clientを通して、伝道すること、マラキ3:10の目撃者になること、と心に言い聞かせて、新たにやってみよう。

仕事はときにこういったブレークが必要である。 神様に立ち返るブレークが。


・・・と、ばかちゃんは、このところ、太り気味。 私は、子供を送ったあと、その足で、仕事場に向かってしまうので、お散歩していない。 いつも、寂しそうな顔をして、私を送り出してくれるばかちん。

今日は、久々に、お散歩につれていった。 鼻をピィーと鳴らして、喜んでいた。

しかし、ばかちん、数日前、息子の聖書をかじって食べてしまった。


ああ・・・、ばかちん・・・・・。


久々の休暇。

今日は、これから、韓国風の銭湯にいって、大きな湯船に使ってきますだ。

極楽、極楽。 たのしみである。


あかしや番頭

2009年2月22日日曜日

No. 125 I am worth for it. (わたしゃ、値打ちがあるんやで!)

今日、教会のあと、30マイル以上(48キロ以上)運転して、McKinneyという町に行った。 スキー一式を買いに行った。 なんでまた、そんな遠くまで、というのは、新聞に「50%オフ」のセールを見つけたからである。 広告にはクーポンがついているので、それを切り取って、もって行った。

スキーは、ブーツが一番大切である。 なので、ブーツ売り場にいった。 初老の男性が他のお客に対応していたので、他の人を呼んでくれた。 そのお兄ちゃんと話して、半額クーポンで、一番高いのを半額にして、スキー用品一式を$400でそろえられるか?と聞いたら、出来るということで、「じゃあ、あんたにまかせるさ。」と頼んだ。 10分もしないうちに、スキー用品一式、つまり、スキーブーツ、スキー、バインディング、ストックを一揃えた。 現金は$300だけ下ろしてきたので、残りは、家計のチェックを借りて、支払った。

買った一式のうち、知っているメーカーはバインディングのロシニョールだけ。 後は、よく知らん。 ブーツは、履いた感覚がよかったイタリア製のものにした。

いい加減な買い方だったけど、疲れている上に、30マイル以上も走ったので、もう、これは、店員に任せようと言うことにした。


以前のBlogにも書いたけど、今を去ること30年前の短大時代、私は横浜のYMCAで子供たちにスキーを教えるスキーリーダーだった。 学生だったから、高いスキーセットには手が出なかった。 なので、いつもレンタル。 でも、就職が内定しそうなある秋に、横浜ジョイナスのスポーツ用品店に行って、スキー一式を取り揃えた。

そのときは、ノルディカ(Nordica)の女性レーサー用のスキーブーツ、7万円。 一番上のモデルだった。 スキーは、Olin Mark III 175cmの溝なしスキー。 これも、7万円はしたと思う。 バインディングは、ソロモンの結構良いやつ。 ということで、何だかんだいって、20万円近かった。 1980年のことだから、大金であった。 これは、就職をする、という先払いローンを組んでもらった。 その為に、私は就職したようなもんであった。 それまでは、就職も真剣に考えなかった。

ともかく、当時は、急斜面に命を賭けていたし、その後の数年は、毎週末には、五龍遠見にいって、山小屋の屋根裏に寝泊りして、スキー三昧の冬だった。

だから、良いスキーセットを、と大枚はたいたというか、その為に仕事を始めた。


なぜ、ノルディカとオーリンだったのか? それは、名の知れたメーカーだったから。 そして、値段の張るものは、良いものだ、という固定観念があった。 日本人だからかもしれないけど。


それと比べて、今回の買い物は、本当にいい加減であった。 メーカーの名前なんてどうでもよい。 予算に合えばよかった。 唯一、名前をしっているメーカーはバインディングのロシニョール。 ん?? ロシニョールって、バインディング作っていたんかいな?? ただ、スキーブーツだけは、良いもの、というか自分の足にピッタリ来るものでないとスキーは出来ない。 スキー自体は、ブーツに比べたら、さほど重要でもない。 店員さんだって、そのくらい知っているだろう。 二つもってきてくれて、足にフィットするほうを選べ、といった。 名前は知らないメーカーだけど、悪くなかった。

おまけに、それぞれいくらかもあまり聞かずに、店員さんには、$400でそろえてください、と一任した。 色も水色で、スキーウエアーとまったくマッチしない。 でも、いいや。 すべれれば。

昔のように、足の筋肉や腹筋もなくなってきたし、急斜面をがーっとすべる豪快さもなくなってしまった。 中くらいの斜面をしゃっしゃっしゃっ、すい~と滑るのが心地よい。 それに、今は、自分が気持ちよくすべることよりも、子供たちに教えることが中心である。 なので、高いお金を払って、良いブランドで一式そろえる必要もなくなった。




スキーセットを新たに買おうと決めたのは、レンタルするのに疲れたから。

この冬のスキーでは、スキーに行く前の夜、雪が降ったため、スキー場に向かう朝には、除雪車がまだサンタフェの町にきていなかった。 そのため、うちのバンは、山道に通じる道のまえでスリップ。 運転していた地元住民の旦那の弟は、こりゃ、だめだわ、と断念。 なので、レンタルしたはいいが、まる一日、無駄になった。 翌日は、晴れてスキー。 しかし、レンタル2日分で、$100以上かかった。

これだったら、買ったほうが、レンタルを返す面倒もないし、天候で行かれなくとも、レンタル代の心配をしなくてよい。 事実、$400であれば、5回行けば元が取れてしまう。 この$400だって、今のTaxの仕事でやっと貯めたお金である。 でも、まあまあの買い物だったと思っている。


帰りの長い道のりで西日に向かって運転しているとき、ふと思った。 なんで、人は、時に、高いお金を払ってブランド品を買うんだろう。 スキーも、ロシニョール、ボルクルなどがある。 ブーツだって、ノルディカやソロモン。 バインディングはソロモン。 スキーウエアーは、Columbiaとかね。 (これが高いのなんのって。 春なら、ちゃんちゃんこに、G-パンでもいいでねーか、とも思うんだが。 実際、日本での春スキーはそうだったべ。)

スキーだけじゃない。 特に日本人の女性のBagは高価なものが多い。 ルイ・ビトン、グッチ、コーチ、などなど。 それも、外から見て、そのブランドだ!と分かるようにデザインが特有。 あのCoachだって、昔は、ブランドが外から見てわからなかったくらいに粋だったけど、このごろは、Coachだと分かるようになってしまった。 Tumiは、機能的にいいけど、日本人女性の間にはあまり浸透していない。 機能的すぎるのか?

男性だったら、スーツかな? Brooks Brothersのスーツとかね。 昔、同僚が、自慢げに「これ、J Pressなんだよね。」と言っていた。 ブランド音痴の私は、「え? それって、新聞屋か?」と言ってしまい、その同僚からさんざんコケにされた。 

私もルイ・ビトンのバッグはたっくさんもってるよーだ。 ただし、正価の100分の一で買ったけど。 香港から中国本土のシンセンにいって、闇市場で買ってきた。 だから、あまり丈夫ではないのもあるけど。 一応、表面の合成の皮見たいのが丈夫なところだけ、気に入っている。 機能的だという理由だけど。

アメリカ社会だと、車がブランドのバッグに取って代わる。 いろいろ話を傍からきいていると、あの人は、XXXを運転しているから、ということで、経済状態を勝手に推測されてしまう。 乗っている車が、Lexus、Mercedez Benz, BMW, Hammer, Bentley, Jaguar, Porsche, オートバイであれば、Harley Davidsonであれば、その持ち主は、金持ちというレッテルが張られる。 一方、その人は、月に600万円のカーローンを抱えたままかもしれないけど。 さらに、電気系統の弱いBMWやMercedezの修理費がウン十万何回もかかる、という事実にもかかわらず。

あとは、住んでいる場所と家である。 親子たった3人なので、4000SQ Foot(360平米)に住んでいる人もいる。 有名なお金持ちが住むという場所を選んで住む人もいる。 こういった傾向が、近日の住宅バブルを引き起こして、バブルが消滅して、今やForeclosure、つまり、住宅ローンが払いきれず、家を手放さなければならない人が増えている。



まあ、ともかく、人は何故ブランド品や見栄えが良いものがすきかということに立ち戻る。 なんでか。 

たぶん、それは、人は、なんだかんだいっても、自分には価値がある、と思っているからだと思う。 それを人に誇示したいが為に、外から見て簡単に分かる印が欲しいのだと思う。 そういうものを所有することによって、自分の価値を転化しているのだと思う。

また、そういったものを所有することで得られる満足感がある。 これは、短期的には、心地よいものである。 時が経つと、その価値を忘れてしまう。 しかし、そのものを売る、ということになった場合、昔費やした金額を思い出して、何とか、元を取ろうとして、あがく結果ともなる。

一方、人の心の優しさ、美しさ、貴重さ、高価さ、というのは、なかなか具現化されにくい。 また、そういった高価さの心の持ち主は、自分がしたことを誇示しない人が多いから、なおさら、外からは分からない。


自分が高価である、という意識をもつことはとても大事だと思う。 そして、神さんも、あなたがたは、「高価で尊い」と言ってくださっているのである。 さらに、「私はあなたを愛している」とまで言ってくれているのである。


旧約 イザヤ書43章4節

私の目には、あなたは高価で尊い
私はあなたを愛している




私はここで、ブランドが好きな人を批判するつもりもないし、LexusやMercedezに乗っている人、大きな家に住んでいる人をうらやましいとも思わない。 カーローンとメンテ大変だろうなぁ、掃除大変だろうな、とは思いはするけど。

ただ、神様は、あなたがあなたを大事に思う以上に、あなたのことを愛してくれているんだと思う。

じゃあ、不治の病に罹って苦しんでいる人はどうなんだ、無残に殺されてしまった人はどうなんだ、といわれると、「うっ」となってしまう。 でも、神さんがそういうんだから、本当だ。 そこには、人間の理論が通用しない世界なのかもしれない。


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Taxの仕事でお金が溜まったら、私たち夫婦のBed Roomの家具を一新しようとと思っている。 旦那には、もっと大きなワードローブが必要になってきたためである。 

私はMahoganyや、Rose Woodの家具が好きである。 とくにMahoganyの暖かい手触りが大好きである。 でも、シンガポールにいるとき、すべて安い値段で手に入れたので、もういらない。 だから、私たちのMaster Bed Roomの家具は、あのIkeaの安い家具でそろえればいいや、と思う。 高価には見えないけど、機能する。 それに、もう、敢えて、高い良い家具を買うことに飽きてしまった。 結局は、土に帰ってしまうんだし、私たちも、そういったものが必要のない世界にいずれはいってしまうので。


こんな考え方を最近するようになった。 年をとったのか? いや、宝を天に蓄えよ、と神さんがいっているからだろう。


あかしや番頭