No. 253 祈りと犠牲
いやー、今年のアメリカンフットボールのPlay Offは結構接戦ばかりで、あたしには珍しく、テレビにくぎ付け。
旦那と大騒ぎしている。贔屓チームが勝つと、大騒ぎ。
いえぇーー!と叫ぶと、犬が一緒にわんわん!!
あー、やかましい家族。
うちに滞在中の学生さんも、勉強の手を止めて、夕飯と一緒に参戦。
「接戦ですね!」と、Bufferlo Bills とKansas Cityの試合を最後まで見ていた。
通常であれば、試験を控えたこの学生さん、夕飯後、自分のお部屋にもどり、お勉強している。
更に、すごいことは、毎朝5時に起きて、教会の祈り会に毎日参加している。
ご両親が日本で牧師先生をされている。
話によると、日曜日に部活の試合があっても、教会を優先してきたそうだ。
又、教会、神様のこと ー ゆるぎない信仰 ーのことを話して、もうすこしだった就職先から採用が取りやめになったこともあったとのこと。
一般人からみれば、大変だねー、で済むことかもしれない。
その人が、自分と同じ立場である、という前提に成り立った発言である。
しかし、幼いころから、それが、神さんに仕える者として、あたりまえのこと、と生きてきたら、それは違うかもしれない。
10代のころは、Peer Pressure (同調圧力)もあっただろうし、葛藤もかなりあったのではないか。
そして、親に文句言ったり、嘆いたり、怒ったり。。。
時間って、人々に平等に分け与えられている。
あたしたち夫婦は十代二十代の人が享受できる何十年は、先がそろそろみえてくる、という年齢にはいってきた。
YouTubeを見て、喜んでいるあたしは、もったいない時間の使い方をしている。
時に、このBlogを書くが、意外に時間がかかるものである。
祈り、と一言でいえてしまう単語であるが、祈りにも時間がかかる。
つまり、大事な自分の時間、他に仕える時間を神様と過ごす。
そこには、祈りにかけた時間のOpportunity Cost は、たとえば、アルバイトをして時給$15もらえる時間で会ったり、大事な睡眠時間であったり、Football Gameを楽しむ時間であったり、お友達と遊ぶ時間だったり。。。
つまり、あることをする陰に犠牲になった事柄なのである。
うちの学生さん、早朝、私たちがまだ寝ている時に、祈っている。
あたしたちが、テレビを見ている時、うちの教会の奉仕をしている。
一般人の楽しみに使う時間を,神様の為につかっているのである。
見ていて、頭がさがるなぁ。
祈りと賛美は犠牲である、とうちの英語牧師先生が言われたことがある。
そういうことなんだな。
***
これから、聖書を開けて、ちょっと読んで、仕事やねん。
コメント