No. 92 びびりばびりぶー
アーサー・ホランド氏の十八番に、「びびりばびりぶー」ってのがある。
「びびりまくった。」という意味である。
一体、「びびる」は日本語なのか? 私には、わからない。 正統(?)な日本語で言うとすれば、「恐れおののく」という意味であろう。
しかし、この一週間の私の心境は、「びびっている」という語感がぴったりなのである。
先週から、Tax Advisorのパートの仕事を始めた。 えらそうに聞こえるが、Tax のファイリングの季節労働者に過ぎない。 Taxファイリングの大手のH&R Blockという会社である。 でも、サービスの内容は、Taxであっても、歩合制。 また、Tax以外のサービスも提供しなければならない。 ということで、私に言わせれば、セールスとあまり大差ない。
仕事の初日、まだシーズンまえなので、オフィスは閑散としていた。 さあ、帰るか、というときになって、次にくる人が遅れる、という連絡。 そして、突然、客は来た。
そのお客は、Taxというより、TaxのRefund(リファンド)を当てにした、ローンを求め来た人であった。 そして、15分くらいで、すぐ終わる、と期待してきたはず。
そこで、対応したのは、そのローンのことをあまり知らない、私であった。 また、そのローンは、去年とは、いろいろ変わっていて、お客の期待通りの金額が貸し出せなくなっていた。
ということで、そのお客をプロセスしたはいいが、そのお客さん、あまり満足したようすではない。 あったりまえだ。 だって、応対したのが、ペーペーの新人だったし、マネジャーが横で、手取り足取り教えながらやったので、時間がかかった。
私としても、わるいなぁー、という気持ちがあった。 また、そのローンの商品のことは、Taxのトレーニングには、含まれていなくて、個人勝手に勉強せよ、というものであった。 つまり、まったく準備できていなかった私であった。
同じ日に、電話の対応もした。 Taxの質問が多い。 夏から勉強して、テストも90%以上で合格したのに、クリスマス休暇で、ワイプアウト、つまり白紙に戻ってしまった。 なので、質問ひとつひとつにすぐ、答えられなかった。 しびれをきらした、電話の向こうの人間は、ぶちっと電話を切ってしまった。
私は・・・・びびった。 びびりまくった。
ずぶとそうに見える私らしいが、ほんまに、「びびった」。
その夜、神さんに祈った。 「お父さん、私、びびりまくっています。 助けてください。」
すると、「聖書を開けなさい。」といわれたような気がしたので、聖書を開けた。 それも、目をつむって、「お父さん、どこでしょうか?」と聞きながら。
出てきた箇所が、旧約聖書の申命記。 1枚めくると、申命記の31章であった。 その、31章の6節にたどりついた。
強くあれ。 雄雄しくあれ。 彼らを恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。 主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てない。 (申命記31章6節)
これは、死を目前としたモーゼが主より言われたことばを、これからカナンの地に入ろうとしているヨシュアたちに告げた言葉である。
でも、私は、この箇所をよんで、「お父さん、ありがとう。 あなたがそばにいてくれます。」と眠りについた。
さて、今日の日曜日の午前中も仕事。 でも、今日もお客はあまりこなかった。 ひとつの電話にでた。 なかなか聞き取れずにいると、その客は、「私は、英語の話せる人としゃべっているのかしら?!」と痛烈ないやみ。 でも、おこらず、がっかりせず、先輩にその電話を譲る。 と、いつのまにか、同期の友人には、お客がきていて、早速仕事をしている。
うーん。 先を越された。 彼女には、仕事がきて、私は、いやみの電話と対応していただけ。
でも、こういったいやみ、実は、私、シンガポールでシンガポール人に対してしてしまっていた。 英語を話している相手に、「すみませんが、英語を話してくれませんか?」と。 因果応報であろう。 なので、「お父さん、昔他人にしたことが、今、私に返ってきました。 なので、これからは、二度と、人に対して、そういった発言をするのを辞めます。 すみませんでした。」と謝り、起こったことに対して、感謝した。
お父さん、イエス兄さんを知る前の私であったら、今頃は、ものすごく落ち込んでいたはず。 でも、この痛烈ないやみは、私にとって、喜ぶことである。
そんなことのあった今日。 でも、あいかわらず、びびっている。 本当に、この仕事できるんだろうか、と。
主がそばにいる、ということは、必ずしも、その仕事が成功する、とは限らないと思う。 時に、主が、敢えて私を失敗や失意に導くこともあるかもしれない。 でも、それも、主の導きであろう。
いいや、明日もびびりばびりぶー。 あさっても、びびりばびりぶー。 たとえ、結果が私が望むものでは、ないとしても。 でも、お父さんは、そばにいてくれる。
強くあれ。 雄雄しくあれ。 彼らを恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。 主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てない。 (申命記31章6節)
この言葉だけを、握り締めて、今週も生きていこう。
さて、もう夜の10時。 今日は、勉強は辞めて、寝ることとする。
あー、肩こったわい。
あかしや番頭
「びびりまくった。」という意味である。
一体、「びびる」は日本語なのか? 私には、わからない。 正統(?)な日本語で言うとすれば、「恐れおののく」という意味であろう。
しかし、この一週間の私の心境は、「びびっている」という語感がぴったりなのである。
先週から、Tax Advisorのパートの仕事を始めた。 えらそうに聞こえるが、Tax のファイリングの季節労働者に過ぎない。 Taxファイリングの大手のH&R Blockという会社である。 でも、サービスの内容は、Taxであっても、歩合制。 また、Tax以外のサービスも提供しなければならない。 ということで、私に言わせれば、セールスとあまり大差ない。
仕事の初日、まだシーズンまえなので、オフィスは閑散としていた。 さあ、帰るか、というときになって、次にくる人が遅れる、という連絡。 そして、突然、客は来た。
そのお客は、Taxというより、TaxのRefund(リファンド)を当てにした、ローンを求め来た人であった。 そして、15分くらいで、すぐ終わる、と期待してきたはず。
そこで、対応したのは、そのローンのことをあまり知らない、私であった。 また、そのローンは、去年とは、いろいろ変わっていて、お客の期待通りの金額が貸し出せなくなっていた。
ということで、そのお客をプロセスしたはいいが、そのお客さん、あまり満足したようすではない。 あったりまえだ。 だって、応対したのが、ペーペーの新人だったし、マネジャーが横で、手取り足取り教えながらやったので、時間がかかった。
私としても、わるいなぁー、という気持ちがあった。 また、そのローンの商品のことは、Taxのトレーニングには、含まれていなくて、個人勝手に勉強せよ、というものであった。 つまり、まったく準備できていなかった私であった。
同じ日に、電話の対応もした。 Taxの質問が多い。 夏から勉強して、テストも90%以上で合格したのに、クリスマス休暇で、ワイプアウト、つまり白紙に戻ってしまった。 なので、質問ひとつひとつにすぐ、答えられなかった。 しびれをきらした、電話の向こうの人間は、ぶちっと電話を切ってしまった。
私は・・・・びびった。 びびりまくった。
ずぶとそうに見える私らしいが、ほんまに、「びびった」。
その夜、神さんに祈った。 「お父さん、私、びびりまくっています。 助けてください。」
すると、「聖書を開けなさい。」といわれたような気がしたので、聖書を開けた。 それも、目をつむって、「お父さん、どこでしょうか?」と聞きながら。
出てきた箇所が、旧約聖書の申命記。 1枚めくると、申命記の31章であった。 その、31章の6節にたどりついた。
強くあれ。 雄雄しくあれ。 彼らを恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。 主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てない。 (申命記31章6節)
これは、死を目前としたモーゼが主より言われたことばを、これからカナンの地に入ろうとしているヨシュアたちに告げた言葉である。
でも、私は、この箇所をよんで、「お父さん、ありがとう。 あなたがそばにいてくれます。」と眠りについた。
さて、今日の日曜日の午前中も仕事。 でも、今日もお客はあまりこなかった。 ひとつの電話にでた。 なかなか聞き取れずにいると、その客は、「私は、英語の話せる人としゃべっているのかしら?!」と痛烈ないやみ。 でも、おこらず、がっかりせず、先輩にその電話を譲る。 と、いつのまにか、同期の友人には、お客がきていて、早速仕事をしている。
うーん。 先を越された。 彼女には、仕事がきて、私は、いやみの電話と対応していただけ。
でも、こういったいやみ、実は、私、シンガポールでシンガポール人に対してしてしまっていた。 英語を話している相手に、「すみませんが、英語を話してくれませんか?」と。 因果応報であろう。 なので、「お父さん、昔他人にしたことが、今、私に返ってきました。 なので、これからは、二度と、人に対して、そういった発言をするのを辞めます。 すみませんでした。」と謝り、起こったことに対して、感謝した。
お父さん、イエス兄さんを知る前の私であったら、今頃は、ものすごく落ち込んでいたはず。 でも、この痛烈ないやみは、私にとって、喜ぶことである。
そんなことのあった今日。 でも、あいかわらず、びびっている。 本当に、この仕事できるんだろうか、と。
主がそばにいる、ということは、必ずしも、その仕事が成功する、とは限らないと思う。 時に、主が、敢えて私を失敗や失意に導くこともあるかもしれない。 でも、それも、主の導きであろう。
いいや、明日もびびりばびりぶー。 あさっても、びびりばびりぶー。 たとえ、結果が私が望むものでは、ないとしても。 でも、お父さんは、そばにいてくれる。
強くあれ。 雄雄しくあれ。 彼らを恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。 主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てない。 (申命記31章6節)
この言葉だけを、握り締めて、今週も生きていこう。
さて、もう夜の10時。 今日は、勉強は辞めて、寝ることとする。
あー、肩こったわい。
あかしや番頭
コメント
たしかに難しそうなお仕事ですが、慣れるまでゴタゴタはつきもの。トレーニングだってすべてがカバーされてても、予測できないことはつきものだし。応援してます。
こんにちわ。
いつもいつも、コメントありがとうございます。
そうですね。 必要なときは、神さんは、引きずってくれましたっけ。
与えられた、聖書の箇所、こころに刻みました。
必要とされているかどうかは、まだよくわかりませんが、こき使われているのかもしれません。
でも、このあと、いいことが。 次のBlogに書きますね。
どうもありがとうございました。
まりさん、
そうですね。 慣れるまで。 でも、焦ったんですよん。
たとえ、テストが受かっても、実践はまったく違うんだ、ということをひしひしと学んでいます。
後日談は、Blogにかきますね。
応援、ありがとうございます。 心強いです。
あかしや