No. 145 イースターよりPassover(過ぎ越しの祭り)
まったく自由時間がないこの頃。
この町あたりで、自由な時間で仕事ができる仕事がほしい、と思っていたことがある。
そういった仕事が2月の上旬に与えられた。
Taxの仕事と両立しているんだが、Taxの仕事では、今は、難しい複雑なTaxをこなす時期に入り、且つ、Walk Inといって、予約無しで入ってくるお客さんの対応もあるんで、仕事のスケジュールが無い日や夜でも、Taxを処理しにオフィスに向かう。
新しく頂いた仕事は、夜、家でもできてしまう。
ということで、めちゃくちゃ忙しい。
んで、2週間ほど前は、レストランで気を失って、救急車で運ばれた。 たまに、やるのよね、私。 日本でも、ビールを飲んだ後、電車の中でぶったおれたこともある。 血圧が低いし、心拍数60いかないこともあるんで。
ということで、ご無沙汰である。
*******
この週末はイースターであった。 いわゆる復活祭。 こちらでは、子供たちがエッグハンティングにくる。 クリスマスより、人が集まる場合もある。
しかし、私、このイースターの祭りって、どうでも良いや、と思う。 わいわい騒ぐ必要もねぇって。 たまごで遊ぶのも、聖書には書いていないし、まあ、クリスマス化してしまっている、ってやつねぇ。
確かに、イエス兄さんが生き返った、ということを記念する日ではあるけど、そんなん、神格のあるイエス兄さんにはあたりまえのことであるので、別に、と思う。
それより、私は過ぎ越しの日、Passoverのほうが個人的には重要だと思う。
Passoverはイースターの3日前。 そのPassoverの日にイエス兄さんは十字架にかかって一度死んだ。
Prince of Egypt(エジプトの王子)というアニメの映画を観られた方も多いと思うけど、旧約聖書の出エジプト記で、モーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトのファラオの下で奴隷として400年以上過ごしてきた。 そのイスラエルの民をエジプトから出したのが神さん。 海を真っ二つに分けて、その中を100万人ほどのイスラエルの民を渡らせた。
おいそれと奴隷を解放しなかったパラオにイスラエルの民はエジプトを去って良い、と言わせたのも神さん。 いろいろな災難をエジプトにもたらして、最後は、エジプトすべての長男すべてを殺した。 パラオの息子も例外ではなかった。
しかし、エジプトの長男を殺す夜の前に、神さんは、イスラエルの民に、「傷のない子羊を殺して、その血を家の入り口に塗れば、私はその家に災害をもたらさない。」、と約束したので、イスラエルの民はそのとおりにした。 災難がパスするからPassoverという。
それ以来、その日をPassoverとして、イスラエルの祭日と決めたのも神さん。
過ぎ越しの祭り(Passover:春), Skot (仮庵の祭り:秋)、Rosh なんとかっていうのは、新年のお祭りで確か9月ごろ。 と、他のユダヤの祭りもあるが、Passoverはユダヤの大きな祭りである。
傷のない子羊の血を捧げるのは、犠牲、生贄(いけにえ)であり、それによって、神さんの気持ちをなだめるのである。 旧約聖書を読むと、ともかく、こういった生贄のことが沢山出てくる。 いけにえを捧げることによって、人間は罪滅ぼしをしていたんである。
紀元30年ごろ、イエス兄さんはこのPassoverの生贄を捧げる時間に亡くなった。
イエス兄さんが「子羊」と呼ばれるのは、そのゆえんである。
つまり、イエス兄さんは人類の罪の為に、生贄となって死んだのである。
*******
Passoverの前、イエス兄さんは、エルサレムに入場した。 人々が棕櫚(しゅろ)を葉をふって、「ホサナ! ホサナ!(栄光あれ、栄光あれ!)イスラエルの王に!」と叫んだ。
しかし、イエス兄さんはエルサレムに入ることは死を意味していた。 死ぬために、殺されるために、エルサレムにはいったのである。
だから、ろばの背にのったイエス兄さんは、人々に歓喜を持って迎えられても、浮かない顔をしていたんだろう、と思う。
何十回ととげや、鉄の塊のある鞭、拷問の道具で打たれることも十分しっていた。 手の平に五寸釘よりも太い釘が打ち付けられるのも知っていた。 長い時間、ものすごい苦しみのなか、息をすることすら苦痛でじわじわと死んでいく、十字架の極刑もしっていた。
逃げることもできたはずである。
ゲッセマネでは、血の汗を流して、父なる神様に、「出来ることなら、これから起きることをやめてください。」とも祈った。 でも、結果として、神さんにゆだねた。
イエス兄さんは逃げなかった。
私だったら、確実に逃げていただろう。
********
そういう人なんだよね。 イエス兄さんは。 私たちの為に死んでくれた。 それも、ものすごい苦しみを通って。
だからこそ、私には、イースターよりも、イスラエルに入場していくときのイエス兄さんの気持ちを考える。
Passoverの日、私はイエス兄さんに語りかけた。
行きたくなかったでしょう。 でも、あなたは、イスラエルに行かれた。
そして、このPassoverの日に、あなたは、十字架にかかられた。
イエス兄さん、有難う。 私の為に・・・と。
この町あたりで、自由な時間で仕事ができる仕事がほしい、と思っていたことがある。
そういった仕事が2月の上旬に与えられた。
Taxの仕事と両立しているんだが、Taxの仕事では、今は、難しい複雑なTaxをこなす時期に入り、且つ、Walk Inといって、予約無しで入ってくるお客さんの対応もあるんで、仕事のスケジュールが無い日や夜でも、Taxを処理しにオフィスに向かう。
新しく頂いた仕事は、夜、家でもできてしまう。
ということで、めちゃくちゃ忙しい。
んで、2週間ほど前は、レストランで気を失って、救急車で運ばれた。 たまに、やるのよね、私。 日本でも、ビールを飲んだ後、電車の中でぶったおれたこともある。 血圧が低いし、心拍数60いかないこともあるんで。
ということで、ご無沙汰である。
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この週末はイースターであった。 いわゆる復活祭。 こちらでは、子供たちがエッグハンティングにくる。 クリスマスより、人が集まる場合もある。
しかし、私、このイースターの祭りって、どうでも良いや、と思う。 わいわい騒ぐ必要もねぇって。 たまごで遊ぶのも、聖書には書いていないし、まあ、クリスマス化してしまっている、ってやつねぇ。
確かに、イエス兄さんが生き返った、ということを記念する日ではあるけど、そんなん、神格のあるイエス兄さんにはあたりまえのことであるので、別に、と思う。
それより、私は過ぎ越しの日、Passoverのほうが個人的には重要だと思う。
Passoverはイースターの3日前。 そのPassoverの日にイエス兄さんは十字架にかかって一度死んだ。
Prince of Egypt(エジプトの王子)というアニメの映画を観られた方も多いと思うけど、旧約聖書の出エジプト記で、モーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトのファラオの下で奴隷として400年以上過ごしてきた。 そのイスラエルの民をエジプトから出したのが神さん。 海を真っ二つに分けて、その中を100万人ほどのイスラエルの民を渡らせた。
おいそれと奴隷を解放しなかったパラオにイスラエルの民はエジプトを去って良い、と言わせたのも神さん。 いろいろな災難をエジプトにもたらして、最後は、エジプトすべての長男すべてを殺した。 パラオの息子も例外ではなかった。
しかし、エジプトの長男を殺す夜の前に、神さんは、イスラエルの民に、「傷のない子羊を殺して、その血を家の入り口に塗れば、私はその家に災害をもたらさない。」、と約束したので、イスラエルの民はそのとおりにした。 災難がパスするからPassoverという。
それ以来、その日をPassoverとして、イスラエルの祭日と決めたのも神さん。
過ぎ越しの祭り(Passover:春), Skot (仮庵の祭り:秋)、Rosh なんとかっていうのは、新年のお祭りで確か9月ごろ。 と、他のユダヤの祭りもあるが、Passoverはユダヤの大きな祭りである。
傷のない子羊の血を捧げるのは、犠牲、生贄(いけにえ)であり、それによって、神さんの気持ちをなだめるのである。 旧約聖書を読むと、ともかく、こういった生贄のことが沢山出てくる。 いけにえを捧げることによって、人間は罪滅ぼしをしていたんである。
紀元30年ごろ、イエス兄さんはこのPassoverの生贄を捧げる時間に亡くなった。
イエス兄さんが「子羊」と呼ばれるのは、そのゆえんである。
つまり、イエス兄さんは人類の罪の為に、生贄となって死んだのである。
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Passoverの前、イエス兄さんは、エルサレムに入場した。 人々が棕櫚(しゅろ)を葉をふって、「ホサナ! ホサナ!(栄光あれ、栄光あれ!)イスラエルの王に!」と叫んだ。
しかし、イエス兄さんはエルサレムに入ることは死を意味していた。 死ぬために、殺されるために、エルサレムにはいったのである。
だから、ろばの背にのったイエス兄さんは、人々に歓喜を持って迎えられても、浮かない顔をしていたんだろう、と思う。
何十回ととげや、鉄の塊のある鞭、拷問の道具で打たれることも十分しっていた。 手の平に五寸釘よりも太い釘が打ち付けられるのも知っていた。 長い時間、ものすごい苦しみのなか、息をすることすら苦痛でじわじわと死んでいく、十字架の極刑もしっていた。
逃げることもできたはずである。
ゲッセマネでは、血の汗を流して、父なる神様に、「出来ることなら、これから起きることをやめてください。」とも祈った。 でも、結果として、神さんにゆだねた。
イエス兄さんは逃げなかった。
私だったら、確実に逃げていただろう。
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そういう人なんだよね。 イエス兄さんは。 私たちの為に死んでくれた。 それも、ものすごい苦しみを通って。
だからこそ、私には、イースターよりも、イスラエルに入場していくときのイエス兄さんの気持ちを考える。
Passoverの日、私はイエス兄さんに語りかけた。
行きたくなかったでしょう。 でも、あなたは、イスラエルに行かれた。
そして、このPassoverの日に、あなたは、十字架にかかられた。
イエス兄さん、有難う。 私の為に・・・と。
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