No. 147 神無月

神無月は、十月のことだけど、私にとっては、一月下旬から四月中旬である。

Taxの仕事でめちゃ忙しい。 先週までは、昼間で仕事が終わらず、夜、時には、子供たちを家に置いて、仕事に行った。 安息日の日曜日の今日も、午前中仕事にいった。 一週間のうち、7日働いている。 でも、給料良くない。 とほほ。

以前にも、神無月、というタイトルでBlogを書いたと思う。

神さんと会話をする、つまり、祈ることがおろそかになると、どうも、弱くなる。 肉体的にも、精神的にも。

アメリカはいまだに不況だし、TaxのSoftwareも世に出回っているため、顧客数は減っている。 なので、会社として、8%ダウンの業績。 さらに、前年より、新しいOffice Managerが来た。 コミッション制でお金を頂く私らTax Proと違って、固定給のManagerは、私らが大変なとき、サポートするべきだし、以前のManagerはそうしてきてくれた。 しかし、新しいManagerはそうではない。 むしろ、私たちの負担が増えるばかり。 なので、Officeのモラルは低下している。 

さらに、優秀な先輩たちが文句をいいだすと、弱い私は迎合してしまっていた。

昨年は、この仕事は神さんにささげる、という気持ちで乗り越えてきた。 今年は、もうひとつ仕事が来たので、多少、緩みもでてきたのか、Managementがいろいろ言ってくること、ことごとく無視する形で、ともかく、出来ることしかやってこなかった。 というか、自由時間がまったくないのだから、余計なことも出来ない。 自由時間がないから、祈る時間も少なくなるってことなのである。

だから、神無月。

Tax Seasonもあと4日になった今日の日曜日。 安息日のくせして、朝、ユーゴスラビアからの移民の人のTaxを仕上げた。 家族のこといろいろ聞かされて、同情してしまったあほな私は、日曜日なのだが、Taxを終わらせるため、彼らのために出て行った。

神さん、イエス兄さんは、安息日に人を癒したので、パリサイ人から非難されたけど、イエス兄さんは、あえて人を癒した。 だから、私もこのお客さんが困っているから、日曜日だけど、助けてあげたいんです、と言い訳して。 

私とイエス兄さんとでは、大違いなのに、引用したあほな私である。


そのあと、教会にいった。 バイブルスタディーには遅れてしまった。

んで、礼拝。 始まる前に祈りの時間があるんだけど、そこで、私は、やはり上司の批判、人の批判、ゴシップに迎合することは良くないことだ、と思えるようになり、心が和らいだ。 そして、神さんに、「また、やってしもうた。 すんまへん。」と謝った。


パタリロ牧師が昨晩の特別合同礼拝(他の教会との)のときに、神さんが、「みんな悔い改めよ」と言われた、と言っていた。 

あ~やっぱり言われてしまった・・・・


人の批判は後味が悪い。 神さんはお見通しである。

これから、同じ場所でTaxの仕事を続けていく限り、毎年の春はこういった戦いなのであろう。

2年後を目指して、もうひとつステップアップして、足りない脳みそだろうけど、培った知識を利用して、人のためにできることをしたい、と思うのである。

私は、本気のときは、無言実行をするので、結果が出たときに、ここでいつか発表できればよいと思う。

あと、4日で神無月が終わる。 早く終わって欲しいものだ。


あかしや

コメント

ヒゲMac(BinkyBlue) さんの投稿…
てんてこ舞いの時は自分に余裕ができなくなりますねぇ。

安息日に縛られる必要まったくないですよぉ~(*^_^*)

古い神様のとの契約に縛れてはいかんとイエス兄さんはぶどう酒の入れ物を例えて説明してますし、はっきりとモーセの律法はヨハネの時に終わったと言ってますです(^^)v

だから安息日に癒し、仕事し、弟子には断食させず食わせてね・・・(^^)

そして肝心なのが「行いによる”義”」ではなく「信仰による”義”」を神さんは見ているのだと。

だからボランティアとか善良な行いをしないと神さんは・・・はあまり神さん自信には関係ないと言う事・・・これも古い律法に縛られた考えで、イエスキリストを送ってきたのは「信仰による義」が新しい契約の一番の柱である事を、とにかくタンタンとひっこく新約に記しているのですね。

でも悲しいかな・・・ほとんどのクリスチャンと言われる人々はこの古い「行いによる義」に半ば強迫観念的に囚われてしまっている・・・もちろんそうすることは素晴らしい事で行えばよのですが、神さんとはなんら関係ないって事を神さんが伝えているのですが、、、意外とこれ新約ではベールに隠れたような感じで記されているのです・・・

なんのためにイエスが十字架にかかってくださったのか・・・いまだ鎖を足につけられているような人たちが多くいて、本当はその鎖はもうないんです。 でも象さんで足に鎖を着けられつづけて飼育されて、ある時自由になり鎖を足からとっているのに、その象はそこから外へでずにいつもと同じ場所をうろうろしていた・・・

象は自分が自由になった事に気が付かないでそのままスレーブ状態なんですね心の中が・・・これに類似しているのが現在の多くのクリスチャンです。

だからイエスキリストはあの時代にこれらの事をどうどうとやっていき、今で言う原理主義の神の教えを守るパリサイ人から「ころしたる!!」となったわけですね。

悔い改めるのは別の意味かもしれませんが、イエス兄さんはあかしやさんの全てを知って、それで今があるわけで生かして貰っていますし、それは人の事で愚痴るとか、ルーマーしたりそんな事を心にいだくことも全てわかっていて、今のその全部のあかしやさんを受け入れてそのままでいいんだよと聖書のどこかの句にあるはずですです。

じゃないと人間やっていけにですよほんまに(^^ゞ

その良い例が「ダビデ」をものすごく後押しして成功させ王にした、その記録がこれらを物語っています。 あんな酷い男を神さんずーっと応援して望みをかなえ助けて行ったのですから。

モーセの律法を考えたら石で殺されていますねぇ(^▽^;)

ダビデはあるいみイエスの先にイエスのような事をやっていたような感じですかね。(;^_^A アセアセ・・・


長くなりましたが、古い旧約は参考程度がよいとヒゲは感じるのです。

すでに古い神さんとの契約の書であって、今ではなんら効果はないのですねあれは。 でないとイエスキリストのきた意味、そして新約の意味がまったく失われてしまいます。

古い皮袋は捨てちゃってください。あっでももったいなかったら、、飾りとしておいてアンティークって事にしときましょう!!(^^)v
Akashiya さんの投稿…
イエス兄さんは律法主義による束縛からの自由を訴えていましたよね。 パウロがガラテヤ書に書いたごとく、コロサイの二章にかいたごとく。

信仰は目に見えないことを信じることです。(ヘブル) だけど、人間、どうしても目にみえる「行い」によって安心を得ようとしてしまいますね。

その点、うちの教会とパタリロ牧師は、しっかりと踏まえているんで、本当に良い教会にいるのだ、と感謝していますです。

上司ってのは、一応、神さんが選んだ権威なんで、それを批判するのは、やはり・・・です。 ともかく、後味悪いんで、私にはよくないことでした。

そうそう。 礼拝の後の祈りで、神さんは、『人の心を慰め、いたわる、そいういうお前を知っている。 私はお前のすぐ後ろにいる。」と言ってくれました。

そうか、じゃあ、ぶったおれても、後ろでしっかりと支えてくれているんだから、多少の失敗は大丈夫だ、と思います。 なんてたって、神さんのお墨付きですから。

あと2日でTaxの仕事おわります。 もうひとつのほうの仕事も継続させてくれるのかどうか。 そして、これからしようとしていることも、導いてくれるんでしょう。 費用も工面してくれるんでしょうねぇ。

あと、2日!
そうしたら、もっとしっかりと賛美しなきゃ、と思います。 EWIで賛美?(笑)
Akashiya さんの投稿…
旧約聖書ですが、私はこれは基本だと思います。 ただ、人間が勝手に解釈してしまっているところもあるんで。

申命記は時代と環境の違いでよくわからんんけど、やはり、十戒が一番大事だなぁ。
電気屋 さんの投稿…
”やはり、十戒が一番大事だなぁ。”

天地が滅びても、なを残る言葉は
素晴らしいです。

そしてその二つを要約すれば

「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

この二つになります。
ただ私には完全にこの2つさえも成し遂げる事ができません。
それで神に明け渡したとき、イエスが私の代わりにそれをなしてくださいます。それで私は主を褒め称えます。

岩波訳では、
「聞け、イスラエルよ。我らの神なる主は、一なる主である。そこであなたは。あなたの神なる主を、あなたの心を尽くし、あなたの命を尽くし、あなたの思いを尽くし、あなたの力をつくしてあいするであろう。」
第二のものはこれだ、
「あなたはあなたの隣人をあなた自身として愛するであろう」

誠に有り難いことです。
Akashiya さんの投稿…
電気屋さん。 コメントありがとうございます。
とくに、隣人を愛せよ、は難しいことです。 身をもって実感しています。 だからこそ、イエス兄さん、神さんに預けるしかないんですよ。 私のようなあほには。

Blogすこし拝見させていただきました。 長野は、祖父が波多の出身です。 長野は大好きなところでして、毎年スキーに、温泉に、山登りに行っていました。 アメリカにいると、ときどき、あの美しい日本のアルプスのことを懐かしく思います。 家族を連れて、いきたいところです。

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