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No. 171 二年以上の空白

うわーーー、2年もブログほったらかしにしていました。 理由はたくさん。 大きな理由は時間がまったくなくなってしまったためです。 2010年に息子がサッカーチームに入り、夕方から週3回の練習、週末はトーナメント続き。 それに、走る距離が半端ではない。 軽く東京から小田原、静岡の距離を走り、練習や試合にいく日々なのです。 すでに、3年目になります。 税理士の仕事も、最近は、海外にいる人、アメリカにいる外国人のタックスなど、一筋縄ではいかない部類のタックスを手がけることが多くなりました。 事務所も同じ会社のなかでプレミアムという名のつくところに行き、個室を貰ったのはいいのですが、いやー、リサーチすることの多い日々。 本来なら、4月16日で契約が終わるのですが、今年はタックスのオフシーズンの夏も事務所に出ることが多くなりそう。 別の会計の仕事も、人事の仕事も多くなりましたわい。 「大元を見直す」ということをしているので、契約書の書き換えもしております。 更に、会計ソフトもすこし深くつっこんで、整理する、ということもしちょります。 さらに!! 小さな中古車会社の会計、というか経営建て直しのようなことをしております。。。が、これだけ忙しいので、なかなか進まず。 ともかく、会計がぐちゃぐちゃで2010年の創業時にさかのぼって直す、という気の遠くなるような作業をしています。 なので、夜になると、ぐったり。 更には、歳なんでしょうねぇ、やる気がなかなか出ない。  そして、重力に負ける日々。 そう、重力って、質量が増えると大きくなるんだっけ?? 質量=体重、が増えております。        ********* こんな状況の2年半。 結果として、神さんにお祈りすることが少なくなり、喜びが少なくなりました。  ぶっちゃけて言ってしまえば、今は、信仰の最低なところにいるのでしょう。 愛とは、その人に対して時間をかけることである、といえるかもしれないけど、私は神さんとの時間をかなりおろそかにしてしまっている。 毎日、何かに追われてしまい、神さんのことは後回し。  神さんには、謝るのだけど、毎日、次から次へ、と物事に追われる日々。       ******** でも、時に神さんには、許しておくんなせい。 この状況をなんとかしてください。 あな

No. 170 祈りながら眠った結果

昨晩は11時過ぎに寝たのである。 床の中で、神さんに総括して、謝った。 そして、眠りに落ちた。 今朝は、6時15分に目が覚め、体の疲れも軽い。 不思議である。 仕事も緊急のものがどっとまっていたんだけど、それも、落ち着いてこなせた。 他にも、たまっているものがたくさんあるんだけど、もう焦らない。 焦りの心はない。 これが神さんからもらう平安の心というのか。 こんないいことをもらえるんだから、神さんとの会話は途絶えさせてはいけないのだな。 そして、神さんはみんなから話しかけてもらいたいんだよね。 まっているんだよね。 またもや、神さんを無視していた自分に気がつくおろかな自分でありんす。 おっと、夜中の12時を越えてしまった。 これから床に就きます。 神さんとちょっとお話してから、眠ります。 あかしや番頭

No. 169 停滞

アメリカでは、感謝祭の週が終わった今日の日曜日。 つかれたよん。 今週の月曜日は、お友達にお願いして、家の大掃除。 というか、何もしていなかったので、大掃除になってしまった。 そして、ばあちゃんがきて、親戚が来て、教会の学生さんも呼んで、ご飯をたらふく食べた、という一週間。 やろうかな、と持って帰ってきた仕事も一切手付かず。 ああ、明日から、恐ろしいぞ。 ******* この夏の終わりから秋にかけて、祈ったことが結果として聞かれていた。 一つは、経済的なこと。 多少、お金が入ったので、旦那との結婚記念にちょっとしたものをプレゼント。 そして、子供の大学資金にも多少お金を付け足した。 もちろん、10%は神さんに返した。 もう一つは、Taxの仕事でちょっとチャレンジ的なTaxをしたいと思っていた。 普通は、そのPositionは空いていないのである。 しかし、ひょんなことから、パートだけど、そのポジションがもらえた。 普通、ありえないのである。 しかし、しかしだよ、勉強をこれからしなければならない。 年とともに、体力と能力が低下しているこのごろ。 さらに、いただいた会計の仕事も常に新しいことばかりや、尋常ではないこともしていて、チャレンジの連続。 ああ・・・もう少し頭良かったらいいなぁ、体力あったらいいなぁ、時間があったらいいなぁ、と思う毎日である。 息子も私が願っていたサッカーチームに夏に入れたから、それでまた忙しい。 よくよく考えてみたら、すべて祈って願ったこと。 祈りが聞かれた結果、こう文句をいっている私は、モーゼに率いられたイスラエルの民とあいたがわないのである。 情けない話である。 前回のブログに神さんに「地平線を見よ。」と言われていたのも、忘れている始末。 あー、本当に記憶力も悪くなってきたのである。  **** 今日は、うちの教会のある牧師が日本に赴任するんで、最後のメッセージであった。  大宣教命令というのが聖書にある。 マタイ28:19,20 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あ

No. 168 しかし!

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また続きである。 頼ったら、一見落着したんだが、もうひとつの問題を見忘れていて、これもどひゃ~であった。 実は、今週日曜日から家族で近場に出かけて、一週間半分仕事を休むつもりであった。 あ~あ、がっかり。また、ちくちくと調べなければならんのか・・・・・。 家のこと、家計のことをしようと決めていた一週間だったのだが。 土曜日は息子のサッカーの試合と、日本語学校の運動会でつぶれてしまった。 午後は疲れて、昼ね。 せっかくの日曜日の朝は、その会計の問題の原因を探ることに。 でも、教会の後に予定していた小旅行には行くことにした。 もう、こうなったら、自分の実力はないもの、と観念して、神さんの助けを100%もらわなければいかん。 ということで、礼拝のあとパタリロ先生に祈ってもらった。 そうしたら、神さんは、こういうではないか。 「先を見よ。 地平線を見よ。 今していることは、後で大きなまかないとなって、お前の元に戻ってくる。」 そうか・・・・。 今している苦労はあとで実を結ぶということで、今は修行せい、ということか。 さて、まかないとは、何のことか??と調べてみたら以下。 まかない[まかなひ]  0 3  【賄い】 〔補説〕  動詞「賄う」の連用形から [1] 食事を用意して食べさせること。また、その役の人。 寮の―をしている [2] 準備。世話。 御手水など参りたる様は例のやうなれど、―目ざましう思されて〔出典: 源氏(浮舟)〕 [3] 給仕をすること。また、その人。 御―は命婦の君〔出典: 栄花(着るは佗し)〕 [4] とりはからうこと。やりくり 間に合わせ。 諸事を春の事とてのばし当分の―ばかりに暮れければ〔出典: 浮世草子・胸算用 3〕 [5] 負担。面倒を見ること。 しかも一切わたしらが―で〔出典: 人情本・梅児誉美 3〕 [6] 近世の廻船乗組の役職の一。会計事務を担当し、親司 (おやじ) ・表仕 (おもてし) とともに三役と呼ばれ、船頭を補佐する役で賄方 (まかないかた) ・岡廻りともいい、日本海方面では知工 (ちく) という。 ************ そうか。 船頭さんの助けをする会計役か。  先ほど、その小旅行から戻ったのだが

No. 167 頼ったら。。。

前回の続きです。 そいでもって、昨日の金曜日は、旦那が家で働くことにする、というので、子供の送り迎えをすべて頼んで、朝の7時に家をでた。 といっても、小さい会社なので、いろいろな仕事が降ってくるため、常時会計の仕事ができるわけでもない。 更に、金曜日は一人の社員のお誕生日の会食があり、その準備と後片付けで結構時間をとられた。 さらには、別件を仕上げなければならず、さてと、と会計のComputerの前に座ったのが、すでに5時であった。 うーん、神さんに頼んだけど、まったく時間なくなっちゃたじゃん・・・。 やっぱコリャ、休もうと思っていた来週来なきゃいかなくなるなぁ、と億劫な気持ちがもたげてきた。 でも、ともかく、作業に取り掛かった。 人がいると、集中できないのが、こういった会計のチェック。 みんな帰ってしまったあと、こつこつと始めた。  前日に、問題点の解決をサーチしておいたので、それを元に、チェックを始めた。  ひとつの項目を直して、さてつぎは・・・とチェックしたら、あれまー、すべてクリアーしてしまった。 よくよく見ると、マイナスの項目は、昨年の繰越のマイナスであり、私がやり始めた今年からの数字の問題ではなかった。 なぁ~んだ、ってことであった。 だったら、このマイナスの項目は、ほかの項目がその分多くなっているだけだから、そこからとりあえず引く形で提示すればいいや、と簡単に頭の中で解決した。 コンピューターに向かって、神さん、ありがとう、とお礼を言った。 私にはすでに知恵が与えられていたのであった。 それなのに、不満の心を抱いた私であった。 やはり、私は、あほである。 ************* しかし、しかしだよ、落ちがあったんだよね、その後。 すっかり、ほっとしきったのか、私はビルの外に締め出されてしまったのである。 駐車場にほとんど車がなくなってしまったので、人通りもビルにはない。 たまたま、外に出てきた人がいたんで、カードでいり口をあけてもらった。 どういうことかというと、お誕生会の会食の残りが結構あったので、それをまず先に車に入れた。 戻ろうとしたら、いつも開いているビルのガラスドアが開かない。 そう、ある時間がくると、ロックされてしまうらしいのだ。 やはり、私はあほであった。 やっとのことで、自分の

No. 166  あんたに頼るしかないだべ

来週、一週間仕事をオフにしようと、がんばってきた会計のFinancial Statement (日本でなんていうのか?)。 つまり、バランスシートとインカムステートメント。 会計報告書とでも言えばいいか。 読み方はともかく。。。。最後の最後で、バランスしない! あるアカウント(項目)がマイナスのバランスになっていて、????なのである。 確かに、この仕事を始めた当初は、会計の情報が思うように入ってこなかったり、Bank Statement(銀行の書類)も手に入らず、ことが進まなかったのは確かである。 それを直したり、Journal Entryという、まあ調整をいれたのだが・・・・。 う~ん。 ここにきて~。。。 難関にぶつかったのである。 昨晩も遅くまで、いろいろ考えたり、やらなければならない書類をつくるなど、遅くまで起きていた。 おかげで、今日は眠く、調子が良くない。 こんなときこそ、神さんの力、聖なるバディーの力、イエス兄さんの力を借りるしかない。 どうか、知恵を与えてください! いや、もっと積極的に! 神さん、あんたがそばにいるから、この問題は全能のあなたの力によって、解決します!!! Come! Holy Spirit!! 私の足りない脳みそでは、ここで行き詰っていますが、あなたが会計やってください!  解決を明日中に与えてください! 以下は、今日頂いたデボーションである。 まさにそうである。 今、夜の9時。 今日は早く寝て、明日早起きして、Officeにはやーく行こう。 旦那は明日は家出仕事するってんで、子供は任せた! あかしや ************* 詩篇   91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、 わが信頼しまつるわが神」と。 一節の黙想 人生の荒波が吹き荒れ、 危険にさらされているように見えたとしても、 その荒波は神の御手の中にあります。 どのような状況にあっても神のうちにいる限り恐れる必要はありま せん。 すべての状況にたじろぐことなく対処しましょう。 苦難と危険を前にしても、 主がともにいてくださることを信じましょう。 恐れを神に告白してください。 神は私達の避け所、とりで、より頼むべき方です。 恐れずに歩む祝福 スコットランドのあるクリスチャン

No. 165 勇気づけられること

ちょーー忙しくて、体力気力的にもばて気味のこのごろ。 仕事にも文句を言いそうになったり、ネガティブな発言が増えきそうな傾向にあるこの頃。 そんな時、鼓舞されることがある。 それは・・・・・ KISS 行為のKissではなく、Rock BandのKISS。 この土曜日に、息子のサッカーチームのファンドレージングのために、この地域にあるPizza Hut Stadiumに行った。 KISSのコンサートがあったのだが、そこで、ジュース、ビール、スナックを売るスタンドで売り子+準備係り+掃除のおばさんをしていた。 終わったのが夜中の12時過ぎで、体にこたえたけど。 そのKISSであるが、リーダーはGene Simmons。巷で言われているのは、4700人以上の女性と関係した、ということである。 4700人を365で割ったら、約13。 つまり、毎日一人の女性を相手にしても、13年かかる、という計算である。 しかし、確率からいって、変な病気をもらう可能性が高くなるけど、いまだに生きているGene Simmons。  別に、関係した女性の数を肯定するつもりもなく、否定するつもりもなく、また、クリスチャンの人はそういうことを真っ向から否定するでしょ、というステレオタイプに従うことも考えず、ただただ、数の計算をしただけなんだけど、いや~、大変なことだ、これは、もし本当だったら・・・・。 と、そんなことはどうでもいいことである。 KISSって、私が十代のころから活躍していた。 ということは、老舗のRolling Stoneの一世代後のバンドだけど、メンバーってすごい歳なんだろう、と思う。 サーチしたら、Gene Simmonsは61歳であった。 仕事が一段落したとき、外にでて、コンサートをちょっと見た。(もちろんボランティアだから、入場料払っていないので、ただ。) ちょうど、Gene Simmonsが舌を出して、真っ赤な血のようなものを口からだしていたところ。 そのあと、彼は、ワイヤーで吊り上げられて、ライトがつる下がっている仮ステージの上で演奏した。 いや~、61歳になる親父がここまでするんだよね。 それに、演奏しっかりしていたし。 メンバーは4人になってしまっていたけど、皆デブっていない。 上半身裸のメンバーもいたけど、見る限り、おなかが出っ

No. 164 道端に立つ兄弟

あれは、夏ではなかったと思う。 ものすごく寒い冬でもなかったであろう。 秋だったのか、春だったのか。  父はまだ帰って来なかったある夜。 ふすまの向こうから母が、言う。 「T先生に電話して。」 黒い電話の受話器をとって、ダイアルを回した。 電話がつながったことをふすま越しに母に言うと、「先生に、こういって。 血を少し吐いたので、来てほしい、と。」 その通りに、電話の向こうのお医者さんに伝えると、先生は、 「すぐ行くから! XXちゃん、おうちがわからないから、○○通りのところまで出てきてくれないか?」 「はい。 わかりました。」 夜は暗かった。 一人で行くのが不安だったのか、弟を一人家の残すのが心配だったのか。弟の手を握り、夜人通りのない通りに出て、お医者さんを待った。 たった、一分もしない30メートルくらいの家の前の道を通りまで出た。  私はたぶん、9歳か10歳くらいだったろうか。 弟は6歳だったであろう。  どのくらい待ったのであろうか。 電燈があったにせよ、夜、人通りのないところに、ぽつんと二人立って待っていた。 しばらくして、白い軽自動車が勢いよく走ってきた。 私たちの前にきぃーっと止まり、先生がまどから顔をだして、「どっち?」 私は先生を先導して、家まで走った。 T先生は、家に駆け上がり、ふすまの向こうに行った。 ふすまの向こうには、両親の寝室で、母がそこに伏していた。  記憶にはないのだが、たぶん、部屋には入るな、といわれていたと思う。 母は、学校に帰ってきたあとから床に伏していたんだと思う。 (夕飯はちゃんと用意してくれたのだと思う。) お医者さんが、「洗面器を持ってきて。」というので、洗面器に新聞紙をひいて渡した。  しばらくして、母の苦しい咳とうめき声が聞こえてきた。 居間にいた私は弟の耳をふさいだ。 何度も何度も苦しそうな咳が聞こえてきた。 怖かったのか、心細かったのか、苦しい声を聞きたくなかったのだろう、私は弟の手を取って、玄関から外にでた。 二人で、星空の下にいた。 私は弟に、「二人で神様にお願いしよう。 ママを助けてください、って。」 弟は何もわからないようであったが、私は弟の手をとって、「神様、ママを助けて下さい。」とお願いした。 当時、私は神がどういう存在であることすら知らなか

No. 163 新しいドアを開いて

最後に書いたのは、6月20日。 今日は、8月29日。 まるまる2ヶ月書いていなかった。 ある人から、更新ありませんね。 楽しみにしているのに、といわれたんだけど。 そうか、息子のサッカーチームに入れるかどうかのときが最後であった。 そのあと、気違いのようなスケジュールの夏だった。 家の中もぐちゃぐちゃ。 人の助けをかりて、すこしきれいになったこの週末。 ***** 子供たちの学校が始まり、ともかく早く寝るようにしているこのごろ。 仕事も夜中の1時までしていたこの夏だが、これからは辞めよう。 ということで、今回は短く。 神さんは、祈りにいつも答えてくれる。 いつも私のそばにいてくれる。 その確信はゆるぎない。 先週も、祈ってお願いしたことに知恵をもって答えてくれた。 そして、ことは解決に向かって進んでいる。 天のお父さんは、私にはいつも優しい。 ずっとそんな関係であった。 でも、今日の礼拝のメッセージを聞いて、ぬるま湯につかっている自分の状態を改めて考えた。 だから、祈った。 お父さん、今は、あなたと一緒に幸せです。 でも、もっともっとすごいこと、あなたと一緒にいて、さらに新しい境地というのがあるのでしたら、ドアをもうひとつ開けてください。 神さんは、必ず祈りに答えてくれるから、これからが楽しみである。 果たして、新しいドアが開かれた向こうに見える景色はどのようなものであろうか。 わくわく。 あかしや

No. 162  断食終了とこれから

金曜日の夕方で、断食を終えた。 5日であった。 神さんにいつ食べていいか、と祈って聞いた。 子供にも祈ってもらい、頼んでもらった。 金曜日の夜、町でフェスティバルがあったので、いったのだが、そこで足がつった。 こむらがえりであった。 あー、これがサインか、と。 足がつるのは、体の中の電解質が足らなくなったからであろう。  フェスティバルの夜店は、ホットドックやら、レモネード、アイスクリーム、ファフィータ、ナチョといった類。 その中で、ギリシャ料理があった。 なすの揚げ物を頼んだのだが・・・これが・・・見かけほど、おいしくなかった。 そのあと、ファフィータも食べたんだけどまあまあ。 *********** 断食中、いや、その前からであろう。 どうやったら、昔の燃えるような信仰がもどるのだろうか、と考えていた。 そして、教えてください、と祈っていた。 私は神さんにかつおの一本釣りのごとく、ひきあげられたどうしようもない、人間であった。 そのきっかけは、母の受難と天国への道であった。 そのことは、ある事柄が落ち着いてから、じっくりここに書いていこうか、と思っていた。 現在進行形のものがあるから、まずいかもしれない、と躊躇があった。 でも、母のこと抜きにしては、私の神さんへの熱い思いは語れない。 今日の礼拝でも、同じ事をパタリロ牧師を通していわれた。 神さんへの熱い心があったときの自分の信仰を思い出せ、と。 そして、言葉に出して伝えよ、と。  どうやら、母のことをここに書いていくことになる。 あかしや

No. 161 断食祈祷 Day-2

今はDay-3の朝なんだけど、午前1時ごろまで仕事をしていた。 ああ、もう1時半である。 くそ熱いダラス。40度は超える気温。 そんなときに、私のホームオフィスのエアコンが壊れた。 熱い。 夜中を過ぎて、おなかがすいてきた。  今日は、ざくろジュースを飲んだ。 水も飲んだ。 うちの教会のWebsiteにTのお父さんと奥さんの仲むつまじい写真がある。 それをみていて、思わずまた祈った。  神さん、Tのお父さんを治してあげてください! お二人でまた仲良く一緒にバイブルスタディーのために車を走らせることができますように! Tのお父さんたち、健康保険をもっていない。 なので、病院の費用はものすごい。 すでに、$10,000はかかっている。 手術となると、もっとすごいだろう。 一千万いっちゃたりして。 でも、天のお父さんは、ものすごい金持ちだし、できないことはないんだから、入院費も面倒見てくれるに違いない。  お金はどうにでもなるんだ。 回復してもらって、またお二人のむつまじい姿を見るんだ。 断食祈祷続けます。 手を上げたい人はコメントください。 あかしや

No. 160 断食祈祷 Day 1 -その2

私の生ぬるい信仰のせいで、Tのお父さんが倒れた、と思う。  ばかばかしい、あまりにも日本人的な自己欺瞞的な発言だけど、そう思う。 私が倒れればいいものを、Tのお父さんが倒れてしまった。 身代わりに倒れてしまった。 イエス兄さんがそうだった。 私どもなんぞ、ありを踏み潰すくらいに簡単に根こそぎ絶つことができるのが神さん。 でも、もし、イエス兄さんがいなかったら、本当にどうなっていたんだろう。 2000年前の人類。 だから、今、祈る。 神さん、すんませんでした!と。 あまり祈れなかったこの春。 そして、だらけた信仰。 まず、神さんに謝ってからじゃないと、神さんだって、祈りなんて、聞いてくんないよ。 自分立場で考えてみればそうだよ。 助けたり、一生懸命愛したり、信じたんだけど、裏切られたり、そっぽ向かれたやつがいる。 でも、何かのときに、そのやつが、「だずげでぐで~」ときたとする。 どうするかね、そんとき? こんにゃろ~、今頃きやがって、というのが人間の反応である。 でも、そんとき、「あの時は、すまなかった!」と指をつめる覚悟できてくれれば、こちらとて、「う~む。 そうか、反省しとるか。 よし、ここは過去のこと水に流して、人肌ぬぐか。」となるのが人情である。 なんで、やくざの世界っぽくなってしまったのかわからんが。 なんで、人肌脱ぐのか?というのもよくわからんが。 肌脱いだら、いたいじゃないか! と、わき道にそれたが、まずは、神さんとわれらの間に通っている黄金の道においてあるうんちを拾わんといかんのである。 うんちとは、神さんの愛を無視したことである。 うんちとらないと、前に進めない。 神さんだって、うんちがいやだから、助けてくれない。 だから、神さんに謝る。 すみまへんでした、神さん。 私のいいかげんな信仰を許してください。 あかしや

No. 159 断食祈祷 Day 1

Mixi, Twitter, Facebookに載せた。 断食祈祷を今日から始めた。 T牧師の完全なる回復と、経済的にすべてが満たされるように。 24時間、水物しか取らない断食である。 脂肪の蓄積はある。・・・・と馬鹿なことをまた書いているが。 自分が好きなものを絶ち、祈るしかない。 賛美もしよう。 そして、熱い炎が神さんからまた私に送られることを。 一緒に断食できる方、祈れるかた、賛美できるかた、一緒にしよう。 いまや、こういったBlogへのコメントでもいいし、Twitter, Facebook, Mixiでも、コメント残して、一緒に祈れるではないか。  Akashiya Bantoまたは、Akashiyaで検索すれば、Twitter, Facebook, Mixiで私のHomeにいくはず。 こんな日に限って、Officeのあるはなれのほうのエアコンが壊れたようだ。 熱い部屋で今書いている。 でも、神さんにもっと熱い炎を送ってもらいたい。 コメントに何でも書いてほしい。 あなたの祈りでも、なんでも。 神さんに叫ぼう。 あかしや

No. 158 Send the fire! 熱い心を送ってください。

この春から感じていた。 でも口に出したくなかった。 認めたくなかった。 でも、私は初恋の心が薄れてきてしまっていた。  あの、切なく、激しく。 そして、一日中そのことを考えていた季節が遠くになりつつあった。 忙しい、という漢字は心が亡くなると書く。  神さんが仕事を与えてくれた。それは、ありがたい。 しかし、失ったものは、神さんに対する熱い思いであった。 でも、言葉に出していいたくなかった。 でも、ここで新たに言葉にして、現実の認識をしよう。 出会った頃の情熱は、いずれ冷めてしまうことがある。 結婚するとマンネリ夫婦になることがある。 それが私の現状である。 でも、神さんは炎の方だ。 私に対する愛は果てしなく大きい。 そして、神さんは私に対して、とても優しい。 たとえ、私の火が衰えても、神さんの火は強く、高く、激しく燃えているのだ。 そして、神さんはいう。  私は決してあなたを孤児にしない。  ヨハネ14:18 神さんの私たちへの熱い思いは永遠である。 いつもそばにいてくれるのである。 それを忘れちゃあ、いかんぜよ。 と、自分の戒めのために、これをかく。 もう夜中である。 

No. 157 食べ納め

今までは、断食する、と決めたその時点で断食を始めていた。 いつであろうと、何時であろうと。 しかし、なんであろうか、このだらけさは。 私が今晩したことは、食べ納め。 というのも、ビビンバ作りすぎたのと、昨日のケーキの残りがあったからである。  昨日、パナマに向かう親戚が飛行機の乗り継ぎのため、うちに一泊していた。 たまたま、お誕生日であったので、韓国系の本当においしいケーキを買ってきた。 また、イスラムのラマダン(秋の断食の月)の前の食事のようにがっついていた。 今まで、こんな気持ちになったことがなかったのだが・・・・。 本当にどうしようもない不信仰者である。 と、自分で自分をあきれ返っていたのだが、先ほど、パタリロ牧師から、Tのお父さん(牧師)が火曜日の朝にバイパス手術をする、と連絡がきた。 ほかの医者はRiskyだ、といっていたのだが、3rd Opinionだったのか。 やはり、それだけ緊急を要する容態なのだろう。 明日から24時間水しか飲まない断食をする。 自分をあきれる、なんて悠長なことやってられるか。  子供をつれてHoustonにいこうか、とも思ってはいたが、それより、今、私に求めらているのは、祈ることだ。 熱く祈らなければならぬ。  神さん、熱い思いをください! あかしや

NO. 156 命を懸けてきてくれた牧師

「Tのお父さん」と私が呼んでいる牧師が数日前に、心筋梗塞で倒れた。  うちの教会のHouston Branchに次の牧師が就任するまでの2年、ということで、日本から来てくださった。 私の両親より、2-3歳年が若い方であるが、昭和一桁生まれの江戸っ子。 「神様に仕えるために」とこんなに遠いテキサスまで来てくださった。 奥様も横浜に住んでいたということと、母に歳が近いので、お母さんと呼んでいた。 ふと、思ったのは、この方たちは、死のことも覚悟してこられているのではないか、と。 牧師夫妻の活動は、「これが70歳過ぎの人かよ?!」と驚くほど、あちらこちらにバイブルスタディーへ、長距離を走って、主催されてきた。 ヒューストンからサン・アントニオまで250キロ以上はあるだろう。 4時間はかかる。 そんなところまでいって、神さんのことを話しにいっていたのである。 コーパスクリスティーにも行かれていると思う。 昨年と今年には、立て続けに空き巣に入られた。 ご家族の方の術後の経過が悪いこともあった。 困難続きであった。 そこへ、今度は、心筋梗塞。 今日、車を運転していて、思った。 最近、私の中に、炎のような心はあるんだろうか、と。 そして、Tのお父さんが苦しんでいるのに、何もしなくていいのか、と。 そうだ。 断食だ。 お父さん苦しんでいるのに、こんなことしか出来ない。 でも、好きなものを経って、神さんにTのお父さんの全快を懇願するしかない。 今日、パタリロ先生から教会員全員にメールがきた。 12時間断食をして、T牧師の回復をいのろう、との旨。 やはり、そうか。 みんなで、好きなものをギブアップして、祈ることを神さん、望んでいるのだろうなぁ。 最近太っているから、ダイエットにいいや、という考えもよぎる。 あー、よこしまな考えで、現世的なこの私。 これじゃ、神さん、こけるだろう。 いや、こんな私のあほさはすでにご存知であろう。 命を懸けて、日本からアメリカまでスーツケースひとつで来られたT牧師夫妻。 その命は神さんにあづけられている。 だから、私たちも一緒に後押ししなきゃいかんね。 あかしや

NO. 155 新しくなる

このブログはGoogleを使っているんだけど、なんと、新しいデザインが追加された。 いろいろ選んだ結果、夏らしい、ってことで、ぶどうのバックグラウンドを使うことにした。 東京は大手町だったか? 『ぶどうの木』というケーキ屋さんがあったと思う。 ぶどうって聖書の中にたくさん出てくる。 地域柄、ぶどうが多く収穫できたんだろう。 ぶどうがたわわになっている様子は、神さんからの恵みを思わせるしね。  恵みと違ったぶどうの意味では、サムソンに言及できる。 サムソンはナジル人として生まれた。 ナジル人は、ぶどう畑に入ってはいけない。 髪の毛をそってはいけない。 死体に触れてはいけない、というおきてがある。 それをすべて破ったのがサムソン。 力持ちで、イスラエルの敵をことごとく打ち倒していった。 でも、女に弱かったから、ついに彼の弱みを妻に知らせることに。 妻は敵の手先であった。 結果、敵に捕らえられて、目玉を抉り取られてしまう。 でも、最後は宮殿の柱を二つ抱えて、根こそぎにして、宮殿をつぶし、多くの敵とともに、自決した、という人。 詳しくは、聖書を読むと面白い。 でも、何で、ぶどう畑にはいってはいかんのかねぇ。  イエス兄さんは、天に帰る前に、ぶどう酒は飲まない、という宣言をした。 アルコール中毒の人が「おりゃ~あしたっから酒はやめるだべぇ~」というのとは違うんだけど、なんでそういうことをいったのか?  う~む。 ぶどうには多くの意味があるようだ。 と話がそれたが、とどのつまり、ブログのデザインを新しくしましたよ、ってことだ。 家の中でも、新しくするところがある。 新しいというか、変えるといったほうがいいかも。 それは、自分のHome Office。  夏は、家で仕事をするので、機能的にならなきゃいかん。 現在は、ごみためのように、紙やら、税制の本、資料がちらかっている。 この夏はこの部屋で過ごすことが多くなるので、一新する。 机のエクステンション、書類のトレイ、新しい本棚などを買ってきた。 明日は、その作業をする。 来客もあるし、家事、子供の世話、客室の掃除などで明日は忙殺されるであろう。 片付けは苦痛である。 私の場合、これだけ、物や紙が溜まると、気が重い。 でも、掃除して、新しいものを入れることは、すっきりして、気持ちが新たになる

No. 154 その後

どーんと献金をしたその週のこと。 結果はこうであった。 1. 夏休みは家でも働ける。 2. 3週間の休暇のこと言ったのであるが、何も言われず。会社の経営者が、私のいない間の従業員給料計算とそのプロセスはやってあげる、とのこと。 なので、OKってこと。 3. 前から以来していた支払いに必要ないろいろな情報、On line Bankingのログイン情報など、があっさり手にはいり、仕事の効率が良くなる。 4. 今まで、自腹を切っていた同僚と私のVeggie Snack. これも、経費で落としていいよーだって。 5. 会社のクレジットカード作ってくれるそうだ。 6. 頼んでいた会計ソフトのオンライン化(家でも出来るので)は、試験的にやってみてよい、とのこと。 ということで、希望していたこと、すべてOKであった。 あれま~。 あの不安な気持ちってのは、やはり、サタンからきていたんだなぁ~。 ということで、めでたし、めでたし。 神さん、ありがとう!!!

No. 153 またもや十分の一の献金

どうして、元気が無かったのか、不安に包まれてしまったのか、という理由のひとつには、たぶん、十分の一献金のことが原因だったかも、と思い始めている。 いつもながら、春のTaxの仕事のお給料は、もらうたびに10%を銀行から引き落として、封筒に入れておく。 今年は、1月下旬からもうひとつお仕事がいただけたので、昨年よりは多少多くなった献金であった。 特に、新しい仕事は従業員ではなく、Independent Contractorといって、会社がソーシャルセキュリティーとメディケアTax(というか保険料)を払わず、本人が分割で税金を直接払ったり、Taxファイリング時にまとめて払うのである。 なので、手取りではなく、稼いだ分まるごともらっている。 そこから10%をだすから、手取りからの10%ではなく、ほんまにきっかり10%。 封筒に増えていくお金をみて、わあ、これだけ神さんに返すんだなぁーと楽しくもあるが、実際に献金するまでは、神さんに返していないわけで・・・。 ということで、ここで踏ん切りをつけて、昨日の日曜日、指定献金を含め、日本の教会に送る分を除いては、すべて献金してしまった。 どーんと。 自分の手元にあるうちは、私の所有であって、完全に神さんに渡していないんだな、と思う。 きれいさっぱり、どーんと献金したあとは、すがすがしいわい。 神さん、祝福してね!!

No. 152  私を第一に考えなさい

マタイに 神の国と神の義を求めよ。 そうすれば、これらにあわせて、望むものはすべて与えられる。 とある。 過去に親のことで悩んでいたとき、日本の教会の牧師先生から示され、その後、Houstonの牧師にも示された箇所である。 今年のTaxの仕事は景気の悪さをうけて、業績ダウン。 Taxをする私たちに、もっとマーケティングしろ、と命令が下る。 私ら、セールスマンではない。 Taxをする人間だ、と思っていても、利益追求するのがビジネス。 薄給しかくれないくせに、プレッシャーだけは重くなる。 -とこれは愚痴になるが、そんな厳しい状況であった。 さらに、ピークの一月下旬から、会計の仕事もパートで入ってきた。 しかし、もらう仕事が過去の後始末も多い。 更に、新しい小さな会社だから、いろいろなことがまとまっていない、というか、オーナーの頭の中にあるだけで、情報がない。 文句の言えないお給料と仕事内容でありがたいのであるが、時間がやたらかかっていた。 ということで、この春は、昼も夜も働き、自由時間がゼロ。 春休み前日では、レストランで気を失って、救急車で運ばれる始末。 だから、祈る時間もほとんどなかった。 というか、祈れなかった。 祈らないと何が起こるか、というと、ゴシップとか、ネガティブな考えに左右されてしまいがちになってしまうのであった。 昨年は、ただただ、神さんにささげるため、働くんだという喜びがあった。 そして、十分の一の献金への神さんの約束(マラキ3:10)が真実である、ということの目撃者になることができたのであった。 今年はその喜びがなかった。 むしろ、同僚の愚痴、ゴシップに判断力を左右されてしまい、後始末をする羽目にもなってしまった。 更には、Tax Seasonの後、体調がおかしく、もしや更年期障害では?とも疑ってしまった。 (どうやらそうではなさそう。) Pentecostal的に言えば、悪魔の攻撃を受けたってことだろう。 心の中は、不安が募り、体調が悪い。 でも、これは、数週間前の祈りで退治した。 そして、それから神さんとの時間を増やしていった。 忙しくとも、朝は一曲でも賛美した。 仕事が休みのときは、ばかちんつれて、森の中にいって祈りはじめた。 というか、再開した。 今の仕事はTelecommu