No. 35 ズブロッカと東中野の長い夜

三十番地教会の牧師先生、おまたせしました。 やっとズブロッカの話です。

20代も終わる頃の、バブル真っ盛りの1988年の年明けに、ものすごい飲み友達-それも私をいれて9人ものメンバー、が出来てしまった。 ホイチョイプロダクションによる「私をスキーにつれていって」に感化されたやつらがスキーツアーを計画した。 どういうわけだか、ほとんどが初対面で斑尾のペンションで出会う、という形で始まった。 そのツアーでも、はじめからぶっ放しのめちゃくちゃな騒動がはじまったが、これを書いてしまうとBlog一つ出来てしまうくらいのことばかりなので、割愛。 山から下りた後、再会を約束した。 そのあと、女性二人が参加し、それで9人になり、「ムカデーズ」というパワー全開のめちゃくちゃ集団が出来上がってしまった。 メンバーは錚々(そうそう)たるもんで、マスコミ、宣伝業界、プー太郎、メーカー社員と、80年代の波にのったやつらばかりであった。 プー太郎でも一目(?)置かれていた。 今で言う、フリーターという言葉の出始めであったが、ニート、という言葉は無かった。 日本が金余りの時代の話さ。 私らムカデーズはみな独身で、仕事柄、結構収入があったと思う。 いつのまにか、毎月1回か2回は集まるようになってしまった。 金曜日、または土曜日の夜集まることがあった。 が、まず、家にまともに帰れたことがなかった。 また、週末に皆で泊りがけで出かけることもあった。 

いやー、思い出すなあ、めちゃくちゃな日々。 見舞い先の病室での酒盛り、代沢での花見と喧嘩、人の歌うカラオケに「踊りつけましょうか?」、斑尾ナンパ大会、カラオケ歌っていたら朝だよ葉山の別荘、ホテルパシフィックどんちゃんパーティー・・・・。 でも、それなりのやつらばかりで、知的レベルが高かったから、話題が豊富だった。 めちゃくちゃしたけど、どこかでお互い尊敬しあっていたと思う。 

さて、ここでは、数え切れない破天荒な集まりの一つを書こう。 題して、「ズブロッカと東中野の長い夜。」


その日は、金曜日だったと思う。 とある、経済誌系の雑誌会社に勤務のOが地元だというので、東京は新宿の西にある、「東中野」のバーというか、食べ物と飲み物を出すところで集まった。 (ムカデへの個人通信:あそこ、Oさんがさがしたんだっけ? それとも、Sさんだったけ? あまり覚えていないからあとで、教えて。) そこで、出てきたお酒が「ズブロッカ」 (英語)というものであった。  ビンのラベルにはバイソンの絵が描いてあり、ビンの中には、細長い草が入っていた。 ポーランドのお酒で、ウオッカに香がついたようなもの。 多分、ビールを飲んで乾杯したあとだったであろうか? そこで、そのズブロッカが出てきて、Oのやつ、「あーぁ・・・ズブロッカだ。 俺、3年前、これで失敗してんだよな。 これで女に逃げられたんだよ。」 女ったらしのSのやつは、「この草がきっと危ないんだよな・・・。 これを食べたバイソンが飛び跳ねるんじゃねいの?」 皆、ビンの中に縦に入っている細い草を見つめた。  しかし、パワフルなムカデーズ、そんなことはいつの間にか忘れ、飲み始めた。 いつものように、楽しい話をしたり、人に説教しながら(お前だ!Oさん)、がんがん飲み始めた。 そして、いつの間にか、われわれは2本目のズブロッカも終えようとしていた。

どうしてそういういことになったか、覚えていないが、Sのやつ、私の頭を揺さぶり始めた。 これには、まいったよ。 生まれて初めて酒の席で吐くかな? と思って、トイレに行った。 私、酒を飲みすぎて吐いたことって無い。 せっかくお金を払って飲んだ酒。 もったいない。 吐いたらあかん! ということで、貧乏性なのであろうか、ちょっとトイレで休んだだけで、私は吐かなかった。

私は飲むと、顔は赤くなるが、どうやら父親譲りらしく、酒には強い。 短大に通っていたとき、YMCAで子供たちにスキーを教えていた。 そのスキーリーダー仲間たちとスキーに行った。 夜の宴会で私ともう一人の男性Tとで、日本酒を一升瓶の半分以上空けた。 翌朝、やつは二日酔いで具合悪くて、朝食食べれない、という。 なので、「じゃあ、私がたべるわ。」と私はさっさとそいつの分まで食べ、ゲレンデに真っ先に出て行った。 やつがあとで仲間に言った。「あいつは化け物だ。」 20歳くらいというのは、肝臓も丈夫だし、体力があるから、そのくらいはなんともないとおもうけど。 そいつが弱かったんだとおもう。

しかし、そんな私でも、ズブロッカには酔った。 初めての酔い方であった。 酔い覚ましに、その店の2階にあるカラオケか、バーに行った。 赤いじゅうたんが敷かれた階段をのぼっていくのであるが、広告代理店のFちゃん(男)が階段で座るといったのか、上にいくといったのかは覚えていない。 また、2階では歌を歌ったのか、別のものを飲んだのかはまったく覚えていない。  (ムカデ個人通信:だれか覚えている?)  まあ、暫く2階で時間をすごしたと思う。 じゃあ、外にでようか(帰ろうとはいわないかった)と、また階段をおりていくと・・・・ Fちゃんが階段の上に足があって、地面の上に頭がある、という状態で意識を失っていた。  吐いたんじゃなかろうか?  「Fちゃん、大丈夫か?!」 と呼びかけても、応答なし。 こりゃいかん、と私は一気に酔いが覚めてしまった。 吐き気どころではない。 ムカデの仲間で、年下の彼氏のプー太郎の(いや、仕事そのとき辞めてなかったっけ?)Pと二人で、Fちゃんをかつぎ、編集者Hにタクシーをひろってもらい、Fちゃんをタクシーに乗せて、原宿のアパートまで送ることにした。 

新宿方面、東にタクシーを走らせると、ラーメン屋が点在していた。 Hが突然、「俺、腹減った。 ラーメン食いたい。」 ということで、皆でタクシーを降りた。 ぐだぐだのFちゃんを店の入り口に座らせて、H、Pと私はラーメンをすすった。 夜中の2時か3時ごろだったであろう。 飲んだ後のラーメンはうまいのである。 

(回想:以前住んでいた横浜中華街にあるいつも行くバーで、よく朝の3時ごろまで飲んだ。 そのあと仕事がひけた店のバーテンさんたちと食べに行った屋台のねぎラーメンは格別であった。) 

酔って死んでいる友達を縁石に置き去りにして、ラーメンをすすったという我々。 わははは。 
あー、くった、くった、と店を出た。 私は、Hにタクシー代一万円を借りて、Pと二人でFちゃんをタクシーに乗せて、原宿へ向かった。 Hはそこから別の方角に帰っていったか、仕事場が渋谷の裏だったから、仕事しに戻ったのかもしれない。 編集者というのは、昼と夜が逆転する生活だしね。 幸い、Fちゃん、意識が戻りかけてきたので、タクシーに道順を説明できるところまで回復。 共同便所しかない古ーい木造の原宿のアパートにFちゃんを運び入れた。 Pの家のある清瀬(東京都下)と私のマンションのある横浜へは、到底帰れないので、二人でFちゃんの小さなアパートに泊まりこんだ。 小さな部屋で裸電球があったんだっけな。 今は、もう取り壊しになっているだろう、あのアパート。 

翌朝、PとFちゃんと私とで、青山界隈を歩いた。 銭湯を探しに。 当時でも、すでにナウかった(死語か?)青山だったので、銭湯はみつからなかった。 がっかりして、朝食を買って、Pと私は、横浜の私の家に戻った。 幸い、Fちゃんはぼーっとしていたけど、大丈夫であった。 

私たちがFちゃんを介抱し、原宿のアパートに向かっていたとき、女ったらしのSとムカデ仲間のNちゃん(女)はどこにいったのかは、不明である。 Oさんは、どうしたんだっけ? 家が中野だから、編集者Aを送って無事帰ったのだろうか? ズブロッカの魔の夜、その後、皆はどうなったのか・・・。 それは未だに謎である。 暫くして、Hに借りたタクシー代一万円を返そうとしたら、「えっ? 貸したっけ?」 覚えていないのである。 やつも酔っていたのである。

「ズブロッカ・・・、魔の酒」、とムカデ仲間では、定着し、それからは一度も私は飲んでいない。 上記、ズブロッカの英語のサイトでは、ビンの中に入っている草に含まれる成分がなんと「催淫剤:aphrodisiac」である、ともかいてある。 ひえ~。 このズブロッカ、アメリカでは輸入禁止である。 成分の「クマリン」の為だそうだ。 じゃあ、このクマリンが催淫剤なのであろうか・・・と謎は尽きない酒である。

*********

まあ、このズブロッカ事件(?)は数あるムカデの集まりのたった一つの出来事に過ぎない。 その後も我々、はちゃめちゃ集団は快進撃を続けた。 そして、1992年の8月、アメリカへの留学に旅立つ私を成田空港まで見送りに来てくれたやつらでもあった。  その後、帰国のうち、何回か会う機会はあった。 NYCまで婚前旅行に来てくれた2カップルもいた。 シンガポールであったやつもいる。 ほとんどが結婚していった。 そうして、私は、父と母のことで、帰国時の時間がすべてとられてしまったので、子供の誕生のあとは、なんとなく疎遠になってしまった。

それが、なんと約2年前の父の葬式のときに、ほとんどの仲間が来てくれたのであった。  これには、本当に驚き、懐かしすぎて、声が出なかった。 編集者のH, 広告代理店のY, Nちゃん、編集者Aちゃん、そして、元彼氏のプーのP。 それ以外にも、小学校、中学校、高校のバスケット部の仲間と先生、OB会の先輩、元上司が来てくれてしまった。 驚いた。  父の写真をみて、「パパ、旧交を温めよ。って言っているんだね。」と頷いた。 その夜は、お通夜で親戚の相手があるため、その時は、ムカデの仲間と話すことが出来なかった。 でも、後から聞くと、父の葬儀の時、何年ぶりかで皆で会ったので、そのあと、飲みにいったそうだ。 昔とちがって、「しみじみ」と飲んだそうだ。 そして、また定例会が始まったそうだ。 

そのあと、3回、日本に帰った。 3回とも、ムカデの仲間全員ではないが、個人的にも、大勢でも会えた。 なんと、元彼氏のPが中心になって、連絡役を買って出てくれた。 Pのやつ、40歳になっただと。 信じられない。 初めて会った時は、23歳で、髪の毛が突っ立ていた。 彼女とも入籍したそうだ。 それで、姑問題で悩んでいるんだって。 お前が姑問題でなやむなんて、世も末だと皆で言った。 本当に時の流れを感じた。 母の葬儀の後、Nちゃんと、御茶ノ水のクリスチャンセンターで行われた、アーサー・ホランドのプレッシングナイトにいった。 Nちゃんをアーサーに紹介した。 アーサー、「あれはどういう友達かね?」   アーサーの面白い話にNちゃんは涙流して笑い転げていた。 ちなみに、プレッシングナイトの間に私に起こった事は、Blog「No. 10 まぼろし」に書いてある。 Oとは、母の葬式のあと、関空から帰ることになったので、大阪で奥さんと子供さんとで会った。 「サラリーマン、いやになったよ。」と大手経済紙の部長になったやつは言った。 

それぞれ、みんな所帯をもち、伴侶のこと、仕事のこと、健康のこと、親のことで、悩みを抱いている。 はちゃめちゃなことをしていたあの頃から十何年もたつのだから、それぞれの生きてきた道には、いろいろある。 でも、こうやって久々でも、遠くから来てまで会ってくれる仲間は有難く、懐かしい。 いつか、このダラスにて、ムカデで集まりたいと思うのだ。 よっぱらい集団、ここの教会には来るなって? いや~、イエス兄さんのまわりには、罪人、悪党ばかりが集まったから、聖書的ではないか。  なんちゃって。 これからもこの仲間は大切にしていきたい。 病気になったと聞けば、なんとかして、日本に帰り、手を握ってあげたいと思う。 全員をアーサーの話を聞きに連れていきたいと思う。 そして、この仲間たちに天のお父さんの愛と恵みが雨のように降り注いで欲しいと切に願う。 

なんでかっていうと、50年先には、また天国でムカデ全員と大宴会をひらきたいのである!!! わっはははは!

では、取って置きのお気に入りの曲を聴きながら、〆たい。 下記の歌の題名をクリックするとヤフーミュージックのページに行く。 そこで、視聴が出来る。 冒頭だけだけど、一応合法であろう。 ただし、「MAGIQLIP2」という無料のソフトをダウンロードしないと聞けないけれど。 

私なぞ、この曲が聞きたいがために、60年代特集のCDを日本へAmazonで発注したもんね。 Houstonの大魔神牧師の家に行く時に車のなかで聞いていた。 じゃみらさんと、「これは名曲だ!」と騒いでいたら、曲がるべき道をうっかり過ぎてしまい、道にまよってしまっただ~。 



帰ってきたヨッパライ  ザ・フォーク・クルセダーズ

作詞: ザ・フォーク・パロディ・ギャング  作曲: 加藤和彦

おらは死んじまっただ   おらは死んじまっただ
おらは死んじまっただ   天国行っただ
長い階段を  雲の階段を
おらは登っただ  ふらふらと
おらはよたよたと 登りつづけただ
やっと天国の門についただ

天国よいとこ 一度はおいで
酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ
ワー ワー ワッワー

おらが死んだのは ヨッパライ運転で(効果音 ブーン、 あー!!)
おらは死んじまっただ   おらは死んじまっただ
おらは死んじまっただ   天国行っただ
だけど天国にゃ こわい神様が
酒を取り上げて いつもどなるんだ
(セリフ)
「なあおまえ、天国ちゅうところは
そんなに甘いもんやおまへんやもっとまじめにやれ」

天国よいとこ 一度はおいで
酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ
ワー ワー ワッワー

毎日酒を おらは飲み続け
神様のことを おらは忘れただ

(セリフ)

「なあおまえ、まだそんなことばかり
やってんのでっか ほなら出てゆけ」

そんなわけで おらは追い出され
雲の階段を降りて行っただ 長い階段をおらは降りただ
ちょっとふみはずして ・・・・

おらの目がさめた 畑のど真ん中
おらは行きかえっただ  おらは行きかえっただ



神様って、関西弁でしゃべるんだねぇ。
あかしや


追記:大発見だ! 帰ってきたヨッパライのエンディングはポクポク音に乗ったお経と「エリーゼの為に」のピアノで終わるんだが、な・・なんと、お経をよく聞くと、「it's been a hard day's night, it's been a hard day's night」と言っているんだよ! すげ~。 上記ヤフーのサイトの視聴では最後まで聞けない。 日本の人、一曲いくらかで買えるから購入してみたら? あと、ダラス-フォーとワース方面の方、連絡くれればCD貸します。 

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