No. 64 怖いもの

今朝、いつものように、ばか犬(ぴっぴちゃん)と老犬ぷっぷちゃんを散歩に連れていった。

いつも車を停める駐車場にバンを置いて、二匹をおろした。 もちろん、呼んでもそばにこないばか犬は、首輪に引き綱をつけた。 その駐車場から森への小道にいくには、道路沿いにある歩道をほんの少しだけ歩く。

その歩道にさしかかるころ、ぴっぴのばか犬、行きたくない、という。 「なにぃ~、なにしとるんや! ほれ!いくんだよ!」と綱をひっぱって、森の方に向かうと、今度は、猛ダッシュしやがった! こちとら、そこの高い靴(ハイヒールというより、全体が高いブーツのようなもの)をはいているんで、危うく、こけそうになった。 危ない! ぐいんってひっぱるから、へたすりゃ、鞭打ちになるよ。 老人になったら、こういったばか犬は飼えない。 こけて、骨折って、寝たきり老人となってしまう。

そんなことを考えている私のことは、どうでもよく、ばか犬はぐいぐい、ひっぱっていく。 森の小道に入ったところで、首輪と引き綱をはずしてやった。 それでも、道を先へ、どんどん走っていく。 「お~い、どこへいくんだぁ??」 それでも、しっぽを下げて走っていくあのばか犬。


後ろを振り向くと、今、通ってきた道路の分離帯では、工事をしていた。 その工事現場には、キャタピラー社製の大きなパワーシャベルが土を掘っていた。 ぐお~ん、ぐお~ん、という音と、エンジンの音がしている。


そうか、これだったんだ。 ばか犬がこわがっていたのは・・・・。 


そうね。 犬にしてみれば、パワーシャベルの用途なんて理解できるわきゃぁないわ。 あの黄色くて、どでかいロボットのような手のものが、ごぉ~って動くんだから、そりゃあ、怖いかもしれない。 人間にしてみれば、ジャイアントロボにせまられてるようなもんだ。 (* ジャイアントロボ:1960-1970年代のTV番組:でかーいロボットよん。) 

老犬のぷっぷちゃんは、べつに~と普通に歩いている。 さ~すがぁ、年の功。 年季はいってるよね、このおばさん。 年輪を重ねると、あまり驚かなくなるってことね。



ばか犬でも、怖いものがあった。 怖いといえば、思い出すのが、野茂投手。 

13年前、日本人ただ一人、アメリカの大リーグで勝負するために来日した。 ロス・アンジェルスのドジャーズに入団。 あのナックル投法で、多くのスラッガーを三振にしとめて、一躍メジャーリーグで注目をあびた。 アメリカの大手企業のコマーシャルにもでるようになった。 日本人プロ野球選手として、初めてアメリカで脚光を浴びた、パイオニアである。

彼の投法にアメリカ中が度肝を抜かれている時期に、試合後のインタビューがあった。 通訳はアメリカ人で、下手な通訳をしていたが、そのなかで、間違って通訳していた質問があった。 「なにか、怖いものありますかぁ?(アメリカ人的な発音でやってみて。)」 野茂選手、答えた。 「怖いものは何もありません。」

大した人だと思った。 彼がいなかったら、イチローも松井も、新庄も、松坂牛じゃなかった、松坂もアメリカにはこれなかっただろう。 


そんなこと、思いながら、森の中を歩いて、いつもの祈りの場所に着いた。 一通り、祈ったあと、天のお父さんにこうつぶやいた。

「お父さん、私が怖いもんってなんでしょうねぇ? お父さんは怖いと聖書にかいているけど、今朝も命をくれたし、今までいろいろ面倒みてくれてきたから、お父さんは怖いにあてはまらないんですけど・・・。 悪魔? そりゃ、お父さんが守ってくれるから、ぜんぜん怖くないしねぇ。 あるんですかねぇ、私の怖いもの・・・・」


ダラスに来たばかりで、まだイエス兄さんのことを知らないとき、なぜだか、私には、死の恐怖があった。 何故、そう感じたのかの理由はまったく分からない。 ただ、漠然と死への怖さがあった。

天のお父さんをイエス兄さんを通して信じる人へは、死を乗り越えてしまう平安が与えられる。 死は、この世からあの世に行くための通過地点となるだけ。 死のあとがあるんである。 なので、私がお父さんに引き寄せられたあとは、その死への恐怖は消えてしまった。


では、ばか犬と同じように、子供の時、私が怖かったものはなんだったか?

それは、大船観音であった。 

大船は、横浜から南にあって、京浜東北線の終着駅であり、東海道線と横須賀線が停まる駅。 家族で、湘南や鎌倉に行った帰り、大船は通ってくるところである。

記憶にあるのは、夜走る電車の窓から、どでかい観音様の顔だけが、丘の上に照らし出されているシーンである。 観音の体があったかどうかは定かでない。 記憶では、首から上だけが丘の上にどーんとのっているのである。 ライトアップされた大船観音は、電車に乗っている私を伏目であるが、じーっと見つめて、後をついてくるように思えた。 どうやら、電車はその丘のまわりを巡るように走っていたらしく、大船観音の頭がいつまでも車窓から追ってくるように思えたのであろう。

子供心に、怖かったのである。


あと、怖いのは、とういか、そうなりたくないのは、抗がん剤の投与。 これだけは、避けて生きたい。 母は入退院を繰りかえしてきた人生であったので、私にとっては、病院とは、なじみの深い場所である。 母は横浜市医大付属病院にいつも入院していた。 大学病院だから、複雑な病状の人が多い。 母の同室に、肺がんの女性がいた。 抗がん剤投与の苦しみを私はそこで見た。

また、自分がバイクで事故って、ひじの骨をおって入院したときも、同じ病院。 内科の母とは違い、整形外科の病室であった。 私の足元には、骨肉腫の患者さんがいて、足の切断の準備をしていた。 切断前に、抗がん剤を受けていた。 夜中、私も音で起きてしまったこともしばしば。 大変なことであった。

そういうのを見ているし、母もよく知っていたから、抗がん剤だけは、したくない、と思う。 がんの末期とと告知されたら、抗がん剤はうけたくない。 私、げろげろって本当に弱い。 40歳過ぎても、げろげろとなると、私はふにゃけて、情けなく、大人気なくなる。 本当にいやである!!

なので、子供が巣立つまでは、子のからだを健康にしておいて欲しい、と切に願う。 天のお父さんに、「子供を育て上げるまで、この命を健康で永らえさせて下さい。」と毎朝祈る。


他に怖いものあるか? と再度自問する。 あまりなさそうだ。 でも、それは、「こわいものなし」とは違うような気がする。  貧乏? もうすでにニューヨークでやったから、あまり怖くない。 天災? 忘れた頃にやってくるから、怖いもへったくれもないぞ。


以前は、最悪の事態を想定しちゃったり、大殺界とかいって、占いでの悪い時期、というのも恐れていた。 また、悪いことが起こる、とばかり考えると、そうなってしまうことも多々ある。 人によっては、これは、潜在意識に刷り込んでしまったから、という理論もある。 それは、それでよいとして。 

今、私は、げろげろ以外には、あまり怖いものはない。だって、私には天のおとうさんとイエス兄さんと聖なるバディーがいつもそばにいるから。 

物事を心配したって、解決にはならない。 だから、心配すんなって聖書に書いている。 そうよね。 今日のことは今日心配して、明日のことは、明日考えろって、聖書はいいこといってんだからさ。 

悪いことが起こっても、それに感謝しちゃうと、新たなる道が切り開かれる。 それも、聖書にある。  

さらに、求めなさい、って聖書にあるから、こう祈る。 「お父さん、お金ちょうだ~い。」って。
家計が厳しくって、旦那に文句いうより、天のお父さんにちょうだいなーってねだったほうが、家庭内安定だよね。

そいういった聖書の言葉を、ばかの一つ覚えで実践している。 なので、こうやって脳天気で生きている私である。 


あかしや番頭

コメント

匿名 さんのコメント…
おひさしぶりです。日本は三十番地キリスト教会の牧師の富田です。
最近、ぼくのほうの牧師館(ブログ)では、お酒の話で盛り上がりつつあるので、あかしや番頭さんを思い出したというわけです。あらためてこちらのブログのほうで紹介しておきました。
ズブロッカの話題がなつかしい。
いま、ぼくはジンをロックでガンガン飲んでます。
匿名 さんのコメント…
おひさしぶりです。日本は三十番地キリスト教会の牧師の富田です。
最近、ぼくのほうのブログ「牧師館」で、お酒の話題でもりあがりつつあるので、あかしや番頭さんのことを思い出しました。
あらためてこちらのブログを紹介しておきました。
ズブロッカの話題がなつかしいですね。今も飲んでますか。
こちらはジンをロックでガンガンやってます。

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