No. 83 キャリアウーマンが聞いた「声」 その2
<その1よりつづく:その1は、スクロールダウンするとあります。>
その1年半後、私は、待遇と給料のよかった仕事を未練もなく、すっぱりとやめた。 そして、ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク市立大学のBaruch Collegeに留学した。 1992年の8月なので、もう15年前のことである。
当時は、バブルがはじけたばかりであったが、まだ一般人には、その影響が体感されていなかった時であった。 なので、留学が決定したことを、マスコミ関係の飲み仲間に話したところ、その中の一人が、「今、アメリカに行くのは、トレンディーじゃあないんだよね。」とビールのグラスを傾けながら、ぽつり、と言った。
確かに、年収がとてもよかったし、会社も有名でネームバリューがあったから、その仕事を捨ててまで、学ぶものがもう無いアメリカに行くのは、賢い選択ではない、と思う人も多かったのだろう。 しかし、私は前進することで精一杯で、惜しいものを捨ててしまった、という考えがまったく浮かばなかった。
私が日本をでて、まもなく、日本は「失われた10年間」に突入し、リストラ、という言葉が誰の耳にも馴染み深くなってしまった。 一方、アメリカは、低迷から脱出し、首切りになった人たちがSmall Businessブームを引き起こし、さらに、テクノロジーバブルとなり、1996年ごろには、Nasdaqが5000を突破した。 私は、ニューヨークでは、激貧生活を一年ちょっと経験したものの、これまた不思議なことで、仕事がみつかり、口糊をしのぐことが出来た。 さらに、今の夫ともドイツで巡り会えた。
そして、フロリダにうつり、学生主婦となり、その後は、「ゴルフのプータローおばさん」となり、そして、「双子の母親」となった。 「キャリアウーマン」の私は、いなくなってしまった。
その後、シンガポールに移り、ダラスに来た。 ダラスは本来なら、来るはずではないところであった。 これも、本当に不思議なことが起こって、ダラスに引っ越すことになった。
ダラスにくる直前に父が突然亡くなり、それから母と私の苦難が始まった。 そのときに、私は、イエス兄さんと神さんに、ぐいっと引き寄せられたのである。 母がアメリカの私の元に来ようかしら、といった一言で、私は気がついたら、ここの日本人教会の一つに車を走らせていた。 母は、クリスチャンであったので、教会を通して、こちらの知り合いができれば、と願っただけの理由だった。 自分の為に教会にいこう、という理由ではなかった。(詳しくは、ずーっと昔のBlog ”ディスコICC"をご参照のほど。)
日本で母が直面していた艱難(かんなん)に対して、私の心はかなり苦しみ、教会では、その愚痴を聞いてもらった。 なんとなく、すっきりした、というのが最初の印象であった。
しかし、教会に行って、2週間後の2004年12月26日にインドネシア沖大地震による津波があり、多くの命が失われた。 まだ、Blogでは詳しく書いていないが、私達家族は、結果的にこの津波から救われていたのであった。
シンガポールで2年にわたって、私の夫は、つらい立場に置かれていて、彼が結果的に正しかったのであるが、シンガポールから理不尽な形で出されたのであった。 しかし、それは、私達家族の命を救うためだった。 それが、12月26日にわかった。 夫ですら、「もし、あのままシンガポールにいたら・・・。」と、不思議な力を感じたに違いない。 シンガポールは津波に遭わなかった。 ただ、あのまま私達がシンガポールに滞在し続けたら、その12月26日には、タイのカオラックというリゾートに行っていたはずであった。 そのカオラックは津波ですべて流されていた。
そのあとも、私は何故か教会に通い続け、私にとっては、不思議なことが起こり続けた。 それぞれ、ここにゆっくり紹介していく機会があると思う。
教会に通い始めて、年があけた。 2005年のある朝、多分、2月か3月ごろであろうか。 自分で、初めて「主」という存在に向かって祈ってみた。 自宅の、今はピアノがある部屋で。 朝日がたくさん差し込んでいた。 春の兆しを感じさせる朝であった。
「主よ。 なんで、私達家族を津波から助けてくださり、このダラスに連れてきてくれたのですか?」と語りかけた。
その瞬間であった。 突然、「ガラスの教会」のイメージがばーんと脳裏に浮かんだ。 本当に、教会のイメージが飛ぶように、頭に入ってきたのである。
それまでは、ガラスの教会のことすら、忘れていた。 13年程、考えもしなかった場所であり、忘れていたところであった。 また、祈りともなんの脈絡もないイメージであった。
そして、そのイメージが矢のように私の頭に差し込まれたとき、私は思い出したのである。
その教会で聞いた、「Go!」という「声」を。
その時、瞬時に理解した。 その「Go!」という声は、亡くなったTonyの声ではなかったということを。
それは、「主」「神」からの「声」であったのだ。 それを教えるために、ガラスの教会のイメージで、神さんは、私に語りかけたのであった。
「アメリカに行け、と言ったのは、私だよ。」と。
*********************
最初は、なんでこういうことを神さんはいうのか、ちんぷんかんぷんであった。
でも、それから暫くして、なんでそういってくれたのがわかってきた。
クリスチャンになってから、まだ母が生存中に帰国したとき、母のことで、親戚の方と話した。「あなたは、なんでアメリカにいってしまったのか。」と攻め口調で言われたことがあった。 その親戚の方はじめ、多くの人が、私はアメリカにとどまらずに、私が母の面倒を看るべきと心のなかで思っていたのであろう。
しかし、そのように親戚から言われても、私は力強く立ち続けた。 自分を責める必要がなかった。 「Go!」が、神さんの言葉だ、という確信があった。 神さんの言葉は絶対であるから。 私がアメリカに来ることは、神さんの意思であったのだ。 もし、その確信がなかったら、私はどんなにか苦しんだことだろう。
そして、「Go!」といった神さんは、言ったからには、ちゃんと責任をとってくれていた。
ニューヨークの激貧生活はしたものの、これまた、不思議な形で、仕事が見つかった。 それも、Eastman Kodakというアメリカの著名な大企業であった。(今は、その行く末が危ぶまれているが。)
素晴らしい夫も与えてくれた。 夫のとの出会いも、ドイツという場所で、不思議なめぐり合わせであった。
そして、健康でめちゃくちゃに明るい双子も与えてくれた。 子供たちは、体外受精で妊娠した。 その150万円もの費用も不思議なことが続いて、いつのまにか返済してしまった。 妊娠を考える前に、自分でなにもしなくても、勝手に仕事がどんどん向こうのほうから来て、準備費用ができた。 そして、主産後は、費用の残高も、大学で学んだ会計・税制の知識を使って、税金の還付により、あっというまに全額返済できてしまったのである。
そして、圧巻は、神さんは、母を天国に連れて行ってくれた。 神さんから離れてしまっていた母を、私を使って、神さんの元に引き寄せてくれたのである。 これは、なかなか書けずにいる、天のお父さんのこの上ない恵みなのであった。
******
これから仕事を探すにあたっては、私はすでに、15年近くも仕事の現役から遠ざかっていて、そのあいだに歳も十分にとってしまった。 今の20歳代の若い人たちからすれば、「時代遅れとなったおばさん」に過ぎない。
事実、教会のウエブサイトをFront Pageというソフトを使って作ったはいいが、2年経った今では、私のWebsite作成の知識は時代遅れである。 いまや、CSS(Cascade Styling Sheet)とDatabaseを使うWebが主流である。 ましてや、Flashをつかった動画なんて手に負えやしない。 Web作成は、私にはもう出来ない。
また、私は、Computer Gameのことは、まったくわからない。 知っているのは、20年以上も前の「スペース・インベーダー」だけ。 笑うな! SonyのPlayStationも使ったことない。
さらに、Ipod、BlueTooth, Blackberryも使ったことがない。 だって、高いんだもん。 $200を自分の楽しみの為に使うことは、家計を預かる主婦としては、もう出来ない。 日本の携帯電話は帰国時に使う。 しかし、電車のなかで携帯でメッセージを書いている若い子たちをみると、あのような「速打ち」はできない。
こんな時代遅れとなった人間が労働市場に戻るのである。 もう役立たずである。 悲しいけど、認めざる負えない。 昔はキャリアウーマンでバリバリやっていたので、その事実と較べると、なんとも情けないのである。
しかし、私の望みは、神さんが言われた「Go!」のその一言である。
神さんが言われた言葉である。
アメリカに来て、ここで人生を過ごすのが、神さんの心である。
神さんは、私を決して見捨てない。 ましてや、今までずっと「Go!」といった落とし前をちゃんとつけてくれて、きちんと面倒を看てきてくれた神さんではないか。 「いわんや、今後もをや。」である。
その確信だけを抱きしめて、2-3年後の再就職に向けて、こつこつとやっていこうと思う。
あかしや
その1年半後、私は、待遇と給料のよかった仕事を未練もなく、すっぱりとやめた。 そして、ニューヨークのマンハッタンにあるニューヨーク市立大学のBaruch Collegeに留学した。 1992年の8月なので、もう15年前のことである。
当時は、バブルがはじけたばかりであったが、まだ一般人には、その影響が体感されていなかった時であった。 なので、留学が決定したことを、マスコミ関係の飲み仲間に話したところ、その中の一人が、「今、アメリカに行くのは、トレンディーじゃあないんだよね。」とビールのグラスを傾けながら、ぽつり、と言った。
確かに、年収がとてもよかったし、会社も有名でネームバリューがあったから、その仕事を捨ててまで、学ぶものがもう無いアメリカに行くのは、賢い選択ではない、と思う人も多かったのだろう。 しかし、私は前進することで精一杯で、惜しいものを捨ててしまった、という考えがまったく浮かばなかった。
私が日本をでて、まもなく、日本は「失われた10年間」に突入し、リストラ、という言葉が誰の耳にも馴染み深くなってしまった。 一方、アメリカは、低迷から脱出し、首切りになった人たちがSmall Businessブームを引き起こし、さらに、テクノロジーバブルとなり、1996年ごろには、Nasdaqが5000を突破した。 私は、ニューヨークでは、激貧生活を一年ちょっと経験したものの、これまた不思議なことで、仕事がみつかり、口糊をしのぐことが出来た。 さらに、今の夫ともドイツで巡り会えた。
そして、フロリダにうつり、学生主婦となり、その後は、「ゴルフのプータローおばさん」となり、そして、「双子の母親」となった。 「キャリアウーマン」の私は、いなくなってしまった。
その後、シンガポールに移り、ダラスに来た。 ダラスは本来なら、来るはずではないところであった。 これも、本当に不思議なことが起こって、ダラスに引っ越すことになった。
ダラスにくる直前に父が突然亡くなり、それから母と私の苦難が始まった。 そのときに、私は、イエス兄さんと神さんに、ぐいっと引き寄せられたのである。 母がアメリカの私の元に来ようかしら、といった一言で、私は気がついたら、ここの日本人教会の一つに車を走らせていた。 母は、クリスチャンであったので、教会を通して、こちらの知り合いができれば、と願っただけの理由だった。 自分の為に教会にいこう、という理由ではなかった。(詳しくは、ずーっと昔のBlog ”ディスコICC"をご参照のほど。)
日本で母が直面していた艱難(かんなん)に対して、私の心はかなり苦しみ、教会では、その愚痴を聞いてもらった。 なんとなく、すっきりした、というのが最初の印象であった。
しかし、教会に行って、2週間後の2004年12月26日にインドネシア沖大地震による津波があり、多くの命が失われた。 まだ、Blogでは詳しく書いていないが、私達家族は、結果的にこの津波から救われていたのであった。
シンガポールで2年にわたって、私の夫は、つらい立場に置かれていて、彼が結果的に正しかったのであるが、シンガポールから理不尽な形で出されたのであった。 しかし、それは、私達家族の命を救うためだった。 それが、12月26日にわかった。 夫ですら、「もし、あのままシンガポールにいたら・・・。」と、不思議な力を感じたに違いない。 シンガポールは津波に遭わなかった。 ただ、あのまま私達がシンガポールに滞在し続けたら、その12月26日には、タイのカオラックというリゾートに行っていたはずであった。 そのカオラックは津波ですべて流されていた。
そのあとも、私は何故か教会に通い続け、私にとっては、不思議なことが起こり続けた。 それぞれ、ここにゆっくり紹介していく機会があると思う。
教会に通い始めて、年があけた。 2005年のある朝、多分、2月か3月ごろであろうか。 自分で、初めて「主」という存在に向かって祈ってみた。 自宅の、今はピアノがある部屋で。 朝日がたくさん差し込んでいた。 春の兆しを感じさせる朝であった。
「主よ。 なんで、私達家族を津波から助けてくださり、このダラスに連れてきてくれたのですか?」と語りかけた。
その瞬間であった。 突然、「ガラスの教会」のイメージがばーんと脳裏に浮かんだ。 本当に、教会のイメージが飛ぶように、頭に入ってきたのである。
それまでは、ガラスの教会のことすら、忘れていた。 13年程、考えもしなかった場所であり、忘れていたところであった。 また、祈りともなんの脈絡もないイメージであった。
そして、そのイメージが矢のように私の頭に差し込まれたとき、私は思い出したのである。
その教会で聞いた、「Go!」という「声」を。
その時、瞬時に理解した。 その「Go!」という声は、亡くなったTonyの声ではなかったということを。
それは、「主」「神」からの「声」であったのだ。 それを教えるために、ガラスの教会のイメージで、神さんは、私に語りかけたのであった。
「アメリカに行け、と言ったのは、私だよ。」と。
*********************
最初は、なんでこういうことを神さんはいうのか、ちんぷんかんぷんであった。
でも、それから暫くして、なんでそういってくれたのがわかってきた。
クリスチャンになってから、まだ母が生存中に帰国したとき、母のことで、親戚の方と話した。「あなたは、なんでアメリカにいってしまったのか。」と攻め口調で言われたことがあった。 その親戚の方はじめ、多くの人が、私はアメリカにとどまらずに、私が母の面倒を看るべきと心のなかで思っていたのであろう。
しかし、そのように親戚から言われても、私は力強く立ち続けた。 自分を責める必要がなかった。 「Go!」が、神さんの言葉だ、という確信があった。 神さんの言葉は絶対であるから。 私がアメリカに来ることは、神さんの意思であったのだ。 もし、その確信がなかったら、私はどんなにか苦しんだことだろう。
そして、「Go!」といった神さんは、言ったからには、ちゃんと責任をとってくれていた。
ニューヨークの激貧生活はしたものの、これまた、不思議な形で、仕事が見つかった。 それも、Eastman Kodakというアメリカの著名な大企業であった。(今は、その行く末が危ぶまれているが。)
素晴らしい夫も与えてくれた。 夫のとの出会いも、ドイツという場所で、不思議なめぐり合わせであった。
そして、健康でめちゃくちゃに明るい双子も与えてくれた。 子供たちは、体外受精で妊娠した。 その150万円もの費用も不思議なことが続いて、いつのまにか返済してしまった。 妊娠を考える前に、自分でなにもしなくても、勝手に仕事がどんどん向こうのほうから来て、準備費用ができた。 そして、主産後は、費用の残高も、大学で学んだ会計・税制の知識を使って、税金の還付により、あっというまに全額返済できてしまったのである。
そして、圧巻は、神さんは、母を天国に連れて行ってくれた。 神さんから離れてしまっていた母を、私を使って、神さんの元に引き寄せてくれたのである。 これは、なかなか書けずにいる、天のお父さんのこの上ない恵みなのであった。
******
これから仕事を探すにあたっては、私はすでに、15年近くも仕事の現役から遠ざかっていて、そのあいだに歳も十分にとってしまった。 今の20歳代の若い人たちからすれば、「時代遅れとなったおばさん」に過ぎない。
事実、教会のウエブサイトをFront Pageというソフトを使って作ったはいいが、2年経った今では、私のWebsite作成の知識は時代遅れである。 いまや、CSS(Cascade Styling Sheet)とDatabaseを使うWebが主流である。 ましてや、Flashをつかった動画なんて手に負えやしない。 Web作成は、私にはもう出来ない。
また、私は、Computer Gameのことは、まったくわからない。 知っているのは、20年以上も前の「スペース・インベーダー」だけ。 笑うな! SonyのPlayStationも使ったことない。
さらに、Ipod、BlueTooth, Blackberryも使ったことがない。 だって、高いんだもん。 $200を自分の楽しみの為に使うことは、家計を預かる主婦としては、もう出来ない。 日本の携帯電話は帰国時に使う。 しかし、電車のなかで携帯でメッセージを書いている若い子たちをみると、あのような「速打ち」はできない。
こんな時代遅れとなった人間が労働市場に戻るのである。 もう役立たずである。 悲しいけど、認めざる負えない。 昔はキャリアウーマンでバリバリやっていたので、その事実と較べると、なんとも情けないのである。
しかし、私の望みは、神さんが言われた「Go!」のその一言である。
神さんが言われた言葉である。
アメリカに来て、ここで人生を過ごすのが、神さんの心である。
神さんは、私を決して見捨てない。 ましてや、今までずっと「Go!」といった落とし前をちゃんとつけてくれて、きちんと面倒を看てきてくれた神さんではないか。 「いわんや、今後もをや。」である。
その確信だけを抱きしめて、2-3年後の再就職に向けて、こつこつとやっていこうと思う。
あかしや
コメント
ようやくここへこられました。
先々月からマックからウィンドウズマシーンに変えてネットのお気に入りなど一切PCには移行できなかったのでなかなかここへは来られませんでした。
先月からのを読ませていただいて一貫して感じる事は「神様に助けられている人はみんな共通的な救われ方や栄光をもらっている」でした。「Go!」あれはわかりますです、同じ経験をしましたから。やはり最後は自分の信仰が自分を救うのだと言うことと、その信仰の度合いで救われ方も違うって事です。
イエス兄さんも言われてますからよく新約を読み返すとわかりますね。
「棒ほど願って針ほど叶う」自分の望みを諦めずにひたすら持ち続けていたら必ず報われますですじゃ!神様のギャランティー付きです(^_^)
いやー、どなたか、または、ひげさんの具合が悪いんじゃないか、とちょっと心配していました。 コンピューターの具合だったということで、一安心です。
聖書では、イエス兄さんがたくさんの人の病気を癒されていますよね。 マタイだったか、ルカだったか、読みながら、癒しの部分のメモを取ってみたことがあります。 そして、わかったことは、「癒す」のは、イエス兄さんだけではなくって、癒されたい人の「信仰」によってなのだ、とわかりました。
『あなたの信仰が病を治したのです。」とm兄さんがいわれています。
ただ、私の場合は、「Go!]と声を聞いたときは、神さんもイエス兄さんも自分の人生に関係ないものだったときなんですよ。
でも、向こうから語りかけてくれました。 これは、自分の信仰だけでなく(だって、そのときは、そんなもの、なかったのですから)、神さんの大いなる「恵み」以外のなにものでもないんですよね。
いつか、ひげさんの聞かれた神様の声の話も聞かせてくださいね!
あかしや