No. 120 遠いところへ行くあなたへ

この夏の終わり、ある人の夫が危険地帯に行くという話を聞いた。 とても、気になっていて、突然、歌が出来た。 歌詞もメロディーも、沸いてきたというか、来たというか。  神様から与えられたという人もいるだろう。

歌詞がこんな出だしです。 サビとEndingの歌詞が未完成で、まだ60%しかできていないけど。


「守ってください」 

遠いところに行った 

彼を守ってください

その足元を 照らしたまえ

盾になり 守りたまえ

私は毎日祈る

あなたを賛美し続ける

頼るのはあなただけ

それが私の光

(このあとサビの予定)

   2008© Akashiya Banto



前回の投稿にも書いたけど、師匠でもないのに走っている私がいる師走である。 Taxのトレーニングが2週間続き、上級コースの勉強、車の修理、代理教員と、家を掃除する時間もない。

でも、12月は12月。 いろいろな節目である。

卒業式、引越し、転校、退職、解雇、店じまい。
時期柄、何かに終止符を打つ、という季節でもある。

おっと、そういえば、母の命日は・・おっと、6日前だった。 もう、3年前のことになってしまった。 この地での生活に終止符を打って、天国に移動しただけのこと。 今は、天国で幸せだから、こちらも心配なし。 私が行くのをお茶をすすりながら、のんびりまっているでしょう。


今週は2回も子供たちの小学校の特別教室に代理教員して出向くことになった。 月曜日と明日の水曜日。 

この代理教員の仕事をしてから、一年経つ。 代理教員が行きたがらないのは特別教室で、電話のシステムで毎日のように、自宅待機の代理教員に電話が最後までかかってくるのが特別教室。 「なんだよ、誰も行かないじゃん。 これは、かわいそうじゃん。」と、出向いたのが始まりだった。

更に、子供の学校なので、子供の送り迎えが楽という点は利点でもあった。 そして、特別教室の先生が信頼しくれて、代理が必要なときには、学区のシステムに入れる前に、個人的に電話がかかってくるようになった。 

特別教室というか、日本語だと、養護教室と言ったほうが分かりやすいかも。 今は、4人の重度の障害のある子供たちがいる。 一人として、喋れない。 自分で食べることもできない。 一人だけは、食べ物を砕いて、スプーンで口にいれてあげれば、食べれる。 あとの子達は、おなかについている穴みたいのに、チューブで流動の栄養液を入れる。 それが彼らの食事である。 

手足が硬直するので、それを和らげるための薬を少しづつ出していくツナの缶詰大のものがおなかに埋められている。 

トイレも自分でいかれないから、みんなオシメ。 歩けないから、みんな車椅子。

そんな子供たちだけど、笑顔がすばらしいんだよね。 障害があっても、多少のコミュニケーションは出来るし、ゆっくりだけど、進歩がある。 叫ぶだけの子が、だんだんと言葉らしきものを言えるようになったり、叫んではいけないときも、すぐ反応しないで、No!と言い聞かせていくと、彼らもそれなりに、態度の修正をするようになる。 ちゃんと学習できるんだよね。

そういう子供たちをみると、なにか、こう、美しいものに触れた、とても純粋なものに触れた、という感動がある。 そして、自分たちの子供が、普通であること、に感謝する。 普通であることがどんなに素晴らしいことであるかは、なかなか気がつかないことだけど。


教室の中に、アジア人移民の子供で、小さい子がいる。 気管と食道の入れ替えというのか、たとえば、唾液を飲み込むと、気管に入ってしまう、という障害「も」ある子。 それ以前に重度の障害者であるのだが。 咳き込んだら、大変。 せきこみすぎて吐いてしまったり、と、べちょべちょの状態になることが多々あった。 さらに、頻繁に熱や感染症にしょっちゅう、かかっていた。 なので、代理の私や、補佐の人たちには扱えず、教室の大ボスの先生の横に車椅子のその子をそばに置いて、タオルをそばにおいて、常に待機という状態が続いていた。 時に、学校の看護婦さんを呼んで、相談し、親に引き取ってもらい、医者につれていくように頼む、ということが常であった。

でも、今年の夏が終わってからは、そういう状況も少なくなり、車椅子から下ろして、マットレスに乗せてあげることが出来た。 

がちがちになった手足をそれなりに、振り回すように動かして、車椅子の窮屈さから開放されるので、こちらも、開放された気分になって眺めていた。

時には、その子と一緒になって、寝そべった。 同じ目線で、話しかけると、うれしいらしい。 にこーっと笑ってくれた。

手に触れるととても冷たい。 足もだ。 血液の循環がかなり悪いようである。 なので、恐る恐る、マッサージをしてあげた。 特に足のマッサージが好きなようだ。

それ以来、代理教員で出向いたときは、その子の手と足のマッサージをするようにしていた。


この月曜日に、特別教室のアシスタントの人から、その子が今週が最後で、クリスマス後には、この学校に戻ってこない、と聞かされた。

親にかなりの負担があり、また、一時期、父親が解雇されていた、ということらしい。 その父親が新しい職場から、「ホーム」があると聞いて、申請したらしい。 Medicaidという連邦の福祉システムで費用は負担してくれるので、経済的負担が減るらしい。

その「ホーム」の場所は、この地域から1時間半いったところだという。

ホームというのは、日本で言う「施設」なんだろう。 家から離れ、そこに住むことになる。 当然、親の介護もなくなり、特別教室での訓練もないのだろう。


そのこはいつも可愛い洋服を着せられていた。 それも、新しかったり、汚れのないもだった。 母親にあったことあるけど、英語が出来る、という人ではなかった。 でも、その母親が母国語で歌を歌って、それを録音したものが教室にあった。 そんなところから、この子は、母親にとっても愛されているのだな、とたまに来る私でも感じることができた。


一般の人は、施設にいれる、というと、どう思うだろうか。

可愛そうに、と言う人が多い。 それは、家庭や、特別教室のような、少人数によるCareが受けられなくなり、ベッドや車椅子に乗せられっぱなしで、あまり言葉をかけてもらったり、抱き上げてもらうことも少なくなるのだろう、という憶測からかもしれない。

実際のところは、私はわからない。 でも、子供が親元を離れる、ということは、それだけで、愛の量が減るということだ。


周りの人は、可愛そうに、というだろうけど、私はそれ以上に、その子の母親の心が張り裂けている、と思うのである。 それでも、精神的にも、経済的にも、施設にいれる、という決断をせざる終えなかったのだと思う。 障害児を抱える人の負担は、普通の子供を持つ私には計り知れない。 


教室の人が言う。 寂しくなる、と。

咳き込んで、吐いて、大変だった子供だけど、寂しいと思う。

あの子に手足のマッサージをしてあげられるのも、明日が最後。

明日、あの子を抱きしめてあげよう。


神さん、あの子を守ってあげてください。



遠いところに行く 

あの子を守ってください

その足元を 照らしたまえ

盾になり 守りたまえ

私は毎日祈る

あなたを賛美し続ける

頼るのはあなただけ

それが私の光



あかしや番頭

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