No. 136  後悔しない "I love you"

洋画(死語か?)やアメリカからのドラマを見ると、よくもまあ、「I love you.」を連発している。 

 日本では、そんなこと言わないだろうなぁ。 そんなこといったら、虫唾(むしず)がはしる、というか照れくさいというか。それだけ、日本人にとっては、「愛している」「I love you.」という表現とは距離がある。 というか、こういう表現は、日本の文化にはないのだろう。  

 では、日本の愛情表現は、態度で示す、その人の為に尽くす、という行動なのだろう。言葉では、「好きだよ。」とか、「大切だよ。」なんだろう。 

 今日は、2009年9月11日。 New Yorkの同時テロから8年たった。 子供を学校に送ったあと、車の中でNPR (National Public Radio)をいつものように聞いていた。東海岸時間の8時40分過ぎ、テキサス時間の7時40分過ぎに、一人の男性が話している録音が流れてきた。 

 その人の息子は、New Yorkの消防士で、テロ事件で若くして亡くなった。 New York World Trading Centerの一つのビルに飛行機が突っ込んだのが、この朝8時40分過ぎであった。 その男性は、イタリア系の苗字であった。 New Yorkはイタリア系がとても多い。 私がNew Yorkに住んでいたころ、Little Italy はChineseに押されて、かなりの小規模になってしまっていた。 しかし、イタリア系も4世5世の世代となり、アメリカ経済・文化の一貫となっている。 民主党のSpeakerという重要なポストは、Nancy Pelosi. 苗字からして、イタリア系である。 政府の確かAttoney General(司法長官)の女性も、苗字は、Napoletano. イタリア系。 

 さて、話題を本題にもどしてっと。  学校から家への短い距離であるが、ラジオから流れる、そのイタリア系の苗字の男性のナレーションに聞き入った。 息子の一人が警官になり、そのあと消防士になり・・・という生い立ち。 そして、いつも仕事にでるときは、息子と父の間の会話は、「I love you.」であった。 

 2001年9月11日の前日。 夕方の出勤に向かう息子は、父親に「I love you.」と言って、家を出た。 翌朝、息子は父に電話し、テロ事件が起こったことを告げ、現場に向かう、と言った。 そして、息子は父に、「I love you.」 父親も「息子よ、気をつけて。 I love you.」と返した。 それが父と息子の最後の会話であった。 

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 かれこれ、7-5年ほどまえであろうか。 母は病弱で、入退院を繰り返していた。 父からのAbuseも沢山あった。私は当時はフロリダに住んでいた。 日本に住んで親のそばにいなかったので、親の看病は常に24時間以上かけて、アメリカから飛行機で日本に帰っていた。 そばにいてあげられないことは、私の心の中に思い枷(かせ)となっていた。 すまない、という気持ちで暗い気持ちでいたことも多くあった。 

これは、イエス兄さんを知るだいぶ前のことである。 どういう心の動きだったかは、その痛さをいまさら味わいたくないので、思い返さないつもりである。しかし、一晩かけて、母に手紙を書いた。アメリカ製のピンクのレポート用紙だった。  母への思い、口では恥ずかしくて言えないことを書いたと思う。 

そして、私は母に、「愛しています。 生んでくれて有難う。」としっかりと書いた。 

 1999年の12月に双子が生まれたとき、私はいい歳して、子供たちの写真を小さなアルバムにまとめて、その表紙に「パパとママへ、生んでくれてありがとう。」と書いた。 親の気持ちは自分が親にならないとわからないと痛感したので。 「親の心子知らず」「親孝行したくとも親はなし」とはよく言ったもんだ。 

 母の入退院の上、父も大変であった。仕事で失敗し、多額の売上金を会社に納めることが出来なかった。それがきっかけだろうか、父はうつ病になってしまった。 母といつも喧嘩していた父で、私は母の味方をしていたけど、だんだんと母が正しいということに疑問を持つようになり、自然と父の苦労も理解するようになっていた。 

父の退職のときだろうか? あまり良く覚えていないが、父を励ます手紙を書いたと思う。 「I love you.」とはいえなかったけれど、よくやってくれました、母をよく面倒みてくれています、仕事も大変だったでしょう、ありがとう、という文だったと思う。 

 父が亡くなる直前、父は我が家に通っていたホームヘルパーさんに、「○○さん、娘というのは、いいものですね。」と漏らしていたそうだ。 

 日本を出る1992年の前の2-3年前、合気道をしていた。 そこでお世話になっていた大先輩がいた。合気道のお稽古が終わると、仲間とのみにいったけど、その人も来ていた。 温厚なおじさん。 

 アメリカにわたり一年ほどして、先輩からその方が急死したという知らせを受けた。 顧客のビルに納品しにいって、地下の通路で倒れていたそうだ。 

帰国の際に、先輩と一緒に家を訪ね、お墓参りをした。 そのとき、奥さん曰く、「朝、『いってきまーす』と出て行って、遺体で家に戻ってきました。」と。 

 その言葉がいつも念頭から離れず、私は夫を必ず仕事に送り出す。 雨でも外に出て、送り出す。 ここはアメリカ。 しっかりと、「I love you.]を言う。 そして、車が家の前の道を曲がり、視界から去るまで見送る。 そして、天のお父さんに、「夫を今日一日お守りください。」とお願いする。

 私はアメリカかぶれであろうか? 洋画の見すぎであろうか? 

でも、言葉で伝えることは大事である。  多少の勇気はいるけど、言葉でなくとも、手紙で、ということも出来る。 

 子供たちを学校で下ろすとき、「I love you]といったら、二人とも、「うげー、気持ち悪い。」だと! こんな変なところは、日本人なんだよなぁ、あいつら。 日本語ほとんど出来ないくせに、へんなところが日本人。 

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 そのラジオの男性のナレーションに戻る。 息子との最後の会話が「I love you.」であった。 それだけであった。しかし、その人はこうしめくくった。 「でも、その言葉があったから、その夜は眠ることができたのだよ。」と。 そのナレーションは以下で聞けます。 

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