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No. 165 勇気づけられること

ちょーー忙しくて、体力気力的にもばて気味のこのごろ。 仕事にも文句を言いそうになったり、ネガティブな発言が増えきそうな傾向にあるこの頃。 そんな時、鼓舞されることがある。 それは・・・・・ KISS 行為のKissではなく、Rock BandのKISS。 この土曜日に、息子のサッカーチームのファンドレージングのために、この地域にあるPizza Hut Stadiumに行った。 KISSのコンサートがあったのだが、そこで、ジュース、ビール、スナックを売るスタンドで売り子+準備係り+掃除のおばさんをしていた。 終わったのが夜中の12時過ぎで、体にこたえたけど。 そのKISSであるが、リーダーはGene Simmons。巷で言われているのは、4700人以上の女性と関係した、ということである。 4700人を365で割ったら、約13。 つまり、毎日一人の女性を相手にしても、13年かかる、という計算である。 しかし、確率からいって、変な病気をもらう可能性が高くなるけど、いまだに生きているGene Simmons。  別に、関係した女性の数を肯定するつもりもなく、否定するつもりもなく、また、クリスチャンの人はそういうことを真っ向から否定するでしょ、というステレオタイプに従うことも考えず、ただただ、数の計算をしただけなんだけど、いや~、大変なことだ、これは、もし本当だったら・・・・。 と、そんなことはどうでもいいことである。 KISSって、私が十代のころから活躍していた。 ということは、老舗のRolling Stoneの一世代後のバンドだけど、メンバーってすごい歳なんだろう、と思う。 サーチしたら、Gene Simmonsは61歳であった。 仕事が一段落したとき、外にでて、コンサートをちょっと見た。(もちろんボランティアだから、入場料払っていないので、ただ。) ちょうど、Gene Simmonsが舌を出して、真っ赤な血のようなものを口からだしていたところ。 そのあと、彼は、ワイヤーで吊り上げられて、ライトがつる下がっている仮ステージの上で演奏した。 いや~、61歳になる親父がここまでするんだよね。 それに、演奏しっかりしていたし。 メンバーは4人になってしまっていたけど、皆デブっていない。 上半身裸のメンバーもいたけど、見る限り、おなかが出っ

No. 164 道端に立つ兄弟

あれは、夏ではなかったと思う。 ものすごく寒い冬でもなかったであろう。 秋だったのか、春だったのか。  父はまだ帰って来なかったある夜。 ふすまの向こうから母が、言う。 「T先生に電話して。」 黒い電話の受話器をとって、ダイアルを回した。 電話がつながったことをふすま越しに母に言うと、「先生に、こういって。 血を少し吐いたので、来てほしい、と。」 その通りに、電話の向こうのお医者さんに伝えると、先生は、 「すぐ行くから! XXちゃん、おうちがわからないから、○○通りのところまで出てきてくれないか?」 「はい。 わかりました。」 夜は暗かった。 一人で行くのが不安だったのか、弟を一人家の残すのが心配だったのか。弟の手を握り、夜人通りのない通りに出て、お医者さんを待った。 たった、一分もしない30メートルくらいの家の前の道を通りまで出た。  私はたぶん、9歳か10歳くらいだったろうか。 弟は6歳だったであろう。  どのくらい待ったのであろうか。 電燈があったにせよ、夜、人通りのないところに、ぽつんと二人立って待っていた。 しばらくして、白い軽自動車が勢いよく走ってきた。 私たちの前にきぃーっと止まり、先生がまどから顔をだして、「どっち?」 私は先生を先導して、家まで走った。 T先生は、家に駆け上がり、ふすまの向こうに行った。 ふすまの向こうには、両親の寝室で、母がそこに伏していた。  記憶にはないのだが、たぶん、部屋には入るな、といわれていたと思う。 母は、学校に帰ってきたあとから床に伏していたんだと思う。 (夕飯はちゃんと用意してくれたのだと思う。) お医者さんが、「洗面器を持ってきて。」というので、洗面器に新聞紙をひいて渡した。  しばらくして、母の苦しい咳とうめき声が聞こえてきた。 居間にいた私は弟の耳をふさいだ。 何度も何度も苦しそうな咳が聞こえてきた。 怖かったのか、心細かったのか、苦しい声を聞きたくなかったのだろう、私は弟の手を取って、玄関から外にでた。 二人で、星空の下にいた。 私は弟に、「二人で神様にお願いしよう。 ママを助けてください、って。」 弟は何もわからないようであったが、私は弟の手をとって、「神様、ママを助けて下さい。」とお願いした。 当時、私は神がどういう存在であることすら知らなか

No. 163 新しいドアを開いて

最後に書いたのは、6月20日。 今日は、8月29日。 まるまる2ヶ月書いていなかった。 ある人から、更新ありませんね。 楽しみにしているのに、といわれたんだけど。 そうか、息子のサッカーチームに入れるかどうかのときが最後であった。 そのあと、気違いのようなスケジュールの夏だった。 家の中もぐちゃぐちゃ。 人の助けをかりて、すこしきれいになったこの週末。 ***** 子供たちの学校が始まり、ともかく早く寝るようにしているこのごろ。 仕事も夜中の1時までしていたこの夏だが、これからは辞めよう。 ということで、今回は短く。 神さんは、祈りにいつも答えてくれる。 いつも私のそばにいてくれる。 その確信はゆるぎない。 先週も、祈ってお願いしたことに知恵をもって答えてくれた。 そして、ことは解決に向かって進んでいる。 天のお父さんは、私にはいつも優しい。 ずっとそんな関係であった。 でも、今日の礼拝のメッセージを聞いて、ぬるま湯につかっている自分の状態を改めて考えた。 だから、祈った。 お父さん、今は、あなたと一緒に幸せです。 でも、もっともっとすごいこと、あなたと一緒にいて、さらに新しい境地というのがあるのでしたら、ドアをもうひとつ開けてください。 神さんは、必ず祈りに答えてくれるから、これからが楽しみである。 果たして、新しいドアが開かれた向こうに見える景色はどのようなものであろうか。 わくわく。 あかしや

No. 162  断食終了とこれから

金曜日の夕方で、断食を終えた。 5日であった。 神さんにいつ食べていいか、と祈って聞いた。 子供にも祈ってもらい、頼んでもらった。 金曜日の夜、町でフェスティバルがあったので、いったのだが、そこで足がつった。 こむらがえりであった。 あー、これがサインか、と。 足がつるのは、体の中の電解質が足らなくなったからであろう。  フェスティバルの夜店は、ホットドックやら、レモネード、アイスクリーム、ファフィータ、ナチョといった類。 その中で、ギリシャ料理があった。 なすの揚げ物を頼んだのだが・・・これが・・・見かけほど、おいしくなかった。 そのあと、ファフィータも食べたんだけどまあまあ。 *********** 断食中、いや、その前からであろう。 どうやったら、昔の燃えるような信仰がもどるのだろうか、と考えていた。 そして、教えてください、と祈っていた。 私は神さんにかつおの一本釣りのごとく、ひきあげられたどうしようもない、人間であった。 そのきっかけは、母の受難と天国への道であった。 そのことは、ある事柄が落ち着いてから、じっくりここに書いていこうか、と思っていた。 現在進行形のものがあるから、まずいかもしれない、と躊躇があった。 でも、母のこと抜きにしては、私の神さんへの熱い思いは語れない。 今日の礼拝でも、同じ事をパタリロ牧師を通していわれた。 神さんへの熱い心があったときの自分の信仰を思い出せ、と。 そして、言葉に出して伝えよ、と。  どうやら、母のことをここに書いていくことになる。 あかしや

No. 161 断食祈祷 Day-2

今はDay-3の朝なんだけど、午前1時ごろまで仕事をしていた。 ああ、もう1時半である。 くそ熱いダラス。40度は超える気温。 そんなときに、私のホームオフィスのエアコンが壊れた。 熱い。 夜中を過ぎて、おなかがすいてきた。  今日は、ざくろジュースを飲んだ。 水も飲んだ。 うちの教会のWebsiteにTのお父さんと奥さんの仲むつまじい写真がある。 それをみていて、思わずまた祈った。  神さん、Tのお父さんを治してあげてください! お二人でまた仲良く一緒にバイブルスタディーのために車を走らせることができますように! Tのお父さんたち、健康保険をもっていない。 なので、病院の費用はものすごい。 すでに、$10,000はかかっている。 手術となると、もっとすごいだろう。 一千万いっちゃたりして。 でも、天のお父さんは、ものすごい金持ちだし、できないことはないんだから、入院費も面倒見てくれるに違いない。  お金はどうにでもなるんだ。 回復してもらって、またお二人のむつまじい姿を見るんだ。 断食祈祷続けます。 手を上げたい人はコメントください。 あかしや

No. 160 断食祈祷 Day 1 -その2

私の生ぬるい信仰のせいで、Tのお父さんが倒れた、と思う。  ばかばかしい、あまりにも日本人的な自己欺瞞的な発言だけど、そう思う。 私が倒れればいいものを、Tのお父さんが倒れてしまった。 身代わりに倒れてしまった。 イエス兄さんがそうだった。 私どもなんぞ、ありを踏み潰すくらいに簡単に根こそぎ絶つことができるのが神さん。 でも、もし、イエス兄さんがいなかったら、本当にどうなっていたんだろう。 2000年前の人類。 だから、今、祈る。 神さん、すんませんでした!と。 あまり祈れなかったこの春。 そして、だらけた信仰。 まず、神さんに謝ってからじゃないと、神さんだって、祈りなんて、聞いてくんないよ。 自分立場で考えてみればそうだよ。 助けたり、一生懸命愛したり、信じたんだけど、裏切られたり、そっぽ向かれたやつがいる。 でも、何かのときに、そのやつが、「だずげでぐで~」ときたとする。 どうするかね、そんとき? こんにゃろ~、今頃きやがって、というのが人間の反応である。 でも、そんとき、「あの時は、すまなかった!」と指をつめる覚悟できてくれれば、こちらとて、「う~む。 そうか、反省しとるか。 よし、ここは過去のこと水に流して、人肌ぬぐか。」となるのが人情である。 なんで、やくざの世界っぽくなってしまったのかわからんが。 なんで、人肌脱ぐのか?というのもよくわからんが。 肌脱いだら、いたいじゃないか! と、わき道にそれたが、まずは、神さんとわれらの間に通っている黄金の道においてあるうんちを拾わんといかんのである。 うんちとは、神さんの愛を無視したことである。 うんちとらないと、前に進めない。 神さんだって、うんちがいやだから、助けてくれない。 だから、神さんに謝る。 すみまへんでした、神さん。 私のいいかげんな信仰を許してください。 あかしや

No. 159 断食祈祷 Day 1

Mixi, Twitter, Facebookに載せた。 断食祈祷を今日から始めた。 T牧師の完全なる回復と、経済的にすべてが満たされるように。 24時間、水物しか取らない断食である。 脂肪の蓄積はある。・・・・と馬鹿なことをまた書いているが。 自分が好きなものを絶ち、祈るしかない。 賛美もしよう。 そして、熱い炎が神さんからまた私に送られることを。 一緒に断食できる方、祈れるかた、賛美できるかた、一緒にしよう。 いまや、こういったBlogへのコメントでもいいし、Twitter, Facebook, Mixiでも、コメント残して、一緒に祈れるではないか。  Akashiya Bantoまたは、Akashiyaで検索すれば、Twitter, Facebook, Mixiで私のHomeにいくはず。 こんな日に限って、Officeのあるはなれのほうのエアコンが壊れたようだ。 熱い部屋で今書いている。 でも、神さんにもっと熱い炎を送ってもらいたい。 コメントに何でも書いてほしい。 あなたの祈りでも、なんでも。 神さんに叫ぼう。 あかしや

No. 158 Send the fire! 熱い心を送ってください。

この春から感じていた。 でも口に出したくなかった。 認めたくなかった。 でも、私は初恋の心が薄れてきてしまっていた。  あの、切なく、激しく。 そして、一日中そのことを考えていた季節が遠くになりつつあった。 忙しい、という漢字は心が亡くなると書く。  神さんが仕事を与えてくれた。それは、ありがたい。 しかし、失ったものは、神さんに対する熱い思いであった。 でも、言葉に出していいたくなかった。 でも、ここで新たに言葉にして、現実の認識をしよう。 出会った頃の情熱は、いずれ冷めてしまうことがある。 結婚するとマンネリ夫婦になることがある。 それが私の現状である。 でも、神さんは炎の方だ。 私に対する愛は果てしなく大きい。 そして、神さんは私に対して、とても優しい。 たとえ、私の火が衰えても、神さんの火は強く、高く、激しく燃えているのだ。 そして、神さんはいう。  私は決してあなたを孤児にしない。  ヨハネ14:18 神さんの私たちへの熱い思いは永遠である。 いつもそばにいてくれるのである。 それを忘れちゃあ、いかんぜよ。 と、自分の戒めのために、これをかく。 もう夜中である。 

No. 157 食べ納め

今までは、断食する、と決めたその時点で断食を始めていた。 いつであろうと、何時であろうと。 しかし、なんであろうか、このだらけさは。 私が今晩したことは、食べ納め。 というのも、ビビンバ作りすぎたのと、昨日のケーキの残りがあったからである。  昨日、パナマに向かう親戚が飛行機の乗り継ぎのため、うちに一泊していた。 たまたま、お誕生日であったので、韓国系の本当においしいケーキを買ってきた。 また、イスラムのラマダン(秋の断食の月)の前の食事のようにがっついていた。 今まで、こんな気持ちになったことがなかったのだが・・・・。 本当にどうしようもない不信仰者である。 と、自分で自分をあきれ返っていたのだが、先ほど、パタリロ牧師から、Tのお父さん(牧師)が火曜日の朝にバイパス手術をする、と連絡がきた。 ほかの医者はRiskyだ、といっていたのだが、3rd Opinionだったのか。 やはり、それだけ緊急を要する容態なのだろう。 明日から24時間水しか飲まない断食をする。 自分をあきれる、なんて悠長なことやってられるか。  子供をつれてHoustonにいこうか、とも思ってはいたが、それより、今、私に求めらているのは、祈ることだ。 熱く祈らなければならぬ。  神さん、熱い思いをください! あかしや

NO. 156 命を懸けてきてくれた牧師

「Tのお父さん」と私が呼んでいる牧師が数日前に、心筋梗塞で倒れた。  うちの教会のHouston Branchに次の牧師が就任するまでの2年、ということで、日本から来てくださった。 私の両親より、2-3歳年が若い方であるが、昭和一桁生まれの江戸っ子。 「神様に仕えるために」とこんなに遠いテキサスまで来てくださった。 奥様も横浜に住んでいたということと、母に歳が近いので、お母さんと呼んでいた。 ふと、思ったのは、この方たちは、死のことも覚悟してこられているのではないか、と。 牧師夫妻の活動は、「これが70歳過ぎの人かよ?!」と驚くほど、あちらこちらにバイブルスタディーへ、長距離を走って、主催されてきた。 ヒューストンからサン・アントニオまで250キロ以上はあるだろう。 4時間はかかる。 そんなところまでいって、神さんのことを話しにいっていたのである。 コーパスクリスティーにも行かれていると思う。 昨年と今年には、立て続けに空き巣に入られた。 ご家族の方の術後の経過が悪いこともあった。 困難続きであった。 そこへ、今度は、心筋梗塞。 今日、車を運転していて、思った。 最近、私の中に、炎のような心はあるんだろうか、と。 そして、Tのお父さんが苦しんでいるのに、何もしなくていいのか、と。 そうだ。 断食だ。 お父さん苦しんでいるのに、こんなことしか出来ない。 でも、好きなものを経って、神さんにTのお父さんの全快を懇願するしかない。 今日、パタリロ先生から教会員全員にメールがきた。 12時間断食をして、T牧師の回復をいのろう、との旨。 やはり、そうか。 みんなで、好きなものをギブアップして、祈ることを神さん、望んでいるのだろうなぁ。 最近太っているから、ダイエットにいいや、という考えもよぎる。 あー、よこしまな考えで、現世的なこの私。 これじゃ、神さん、こけるだろう。 いや、こんな私のあほさはすでにご存知であろう。 命を懸けて、日本からアメリカまでスーツケースひとつで来られたT牧師夫妻。 その命は神さんにあづけられている。 だから、私たちも一緒に後押ししなきゃいかんね。 あかしや

NO. 155 新しくなる

このブログはGoogleを使っているんだけど、なんと、新しいデザインが追加された。 いろいろ選んだ結果、夏らしい、ってことで、ぶどうのバックグラウンドを使うことにした。 東京は大手町だったか? 『ぶどうの木』というケーキ屋さんがあったと思う。 ぶどうって聖書の中にたくさん出てくる。 地域柄、ぶどうが多く収穫できたんだろう。 ぶどうがたわわになっている様子は、神さんからの恵みを思わせるしね。  恵みと違ったぶどうの意味では、サムソンに言及できる。 サムソンはナジル人として生まれた。 ナジル人は、ぶどう畑に入ってはいけない。 髪の毛をそってはいけない。 死体に触れてはいけない、というおきてがある。 それをすべて破ったのがサムソン。 力持ちで、イスラエルの敵をことごとく打ち倒していった。 でも、女に弱かったから、ついに彼の弱みを妻に知らせることに。 妻は敵の手先であった。 結果、敵に捕らえられて、目玉を抉り取られてしまう。 でも、最後は宮殿の柱を二つ抱えて、根こそぎにして、宮殿をつぶし、多くの敵とともに、自決した、という人。 詳しくは、聖書を読むと面白い。 でも、何で、ぶどう畑にはいってはいかんのかねぇ。  イエス兄さんは、天に帰る前に、ぶどう酒は飲まない、という宣言をした。 アルコール中毒の人が「おりゃ~あしたっから酒はやめるだべぇ~」というのとは違うんだけど、なんでそういうことをいったのか?  う~む。 ぶどうには多くの意味があるようだ。 と話がそれたが、とどのつまり、ブログのデザインを新しくしましたよ、ってことだ。 家の中でも、新しくするところがある。 新しいというか、変えるといったほうがいいかも。 それは、自分のHome Office。  夏は、家で仕事をするので、機能的にならなきゃいかん。 現在は、ごみためのように、紙やら、税制の本、資料がちらかっている。 この夏はこの部屋で過ごすことが多くなるので、一新する。 机のエクステンション、書類のトレイ、新しい本棚などを買ってきた。 明日は、その作業をする。 来客もあるし、家事、子供の世話、客室の掃除などで明日は忙殺されるであろう。 片付けは苦痛である。 私の場合、これだけ、物や紙が溜まると、気が重い。 でも、掃除して、新しいものを入れることは、すっきりして、気持ちが新たになる

No. 154 その後

どーんと献金をしたその週のこと。 結果はこうであった。 1. 夏休みは家でも働ける。 2. 3週間の休暇のこと言ったのであるが、何も言われず。会社の経営者が、私のいない間の従業員給料計算とそのプロセスはやってあげる、とのこと。 なので、OKってこと。 3. 前から以来していた支払いに必要ないろいろな情報、On line Bankingのログイン情報など、があっさり手にはいり、仕事の効率が良くなる。 4. 今まで、自腹を切っていた同僚と私のVeggie Snack. これも、経費で落としていいよーだって。 5. 会社のクレジットカード作ってくれるそうだ。 6. 頼んでいた会計ソフトのオンライン化(家でも出来るので)は、試験的にやってみてよい、とのこと。 ということで、希望していたこと、すべてOKであった。 あれま~。 あの不安な気持ちってのは、やはり、サタンからきていたんだなぁ~。 ということで、めでたし、めでたし。 神さん、ありがとう!!!

No. 153 またもや十分の一の献金

どうして、元気が無かったのか、不安に包まれてしまったのか、という理由のひとつには、たぶん、十分の一献金のことが原因だったかも、と思い始めている。 いつもながら、春のTaxの仕事のお給料は、もらうたびに10%を銀行から引き落として、封筒に入れておく。 今年は、1月下旬からもうひとつお仕事がいただけたので、昨年よりは多少多くなった献金であった。 特に、新しい仕事は従業員ではなく、Independent Contractorといって、会社がソーシャルセキュリティーとメディケアTax(というか保険料)を払わず、本人が分割で税金を直接払ったり、Taxファイリング時にまとめて払うのである。 なので、手取りではなく、稼いだ分まるごともらっている。 そこから10%をだすから、手取りからの10%ではなく、ほんまにきっかり10%。 封筒に増えていくお金をみて、わあ、これだけ神さんに返すんだなぁーと楽しくもあるが、実際に献金するまでは、神さんに返していないわけで・・・。 ということで、ここで踏ん切りをつけて、昨日の日曜日、指定献金を含め、日本の教会に送る分を除いては、すべて献金してしまった。 どーんと。 自分の手元にあるうちは、私の所有であって、完全に神さんに渡していないんだな、と思う。 きれいさっぱり、どーんと献金したあとは、すがすがしいわい。 神さん、祝福してね!!

No. 152  私を第一に考えなさい

マタイに 神の国と神の義を求めよ。 そうすれば、これらにあわせて、望むものはすべて与えられる。 とある。 過去に親のことで悩んでいたとき、日本の教会の牧師先生から示され、その後、Houstonの牧師にも示された箇所である。 今年のTaxの仕事は景気の悪さをうけて、業績ダウン。 Taxをする私たちに、もっとマーケティングしろ、と命令が下る。 私ら、セールスマンではない。 Taxをする人間だ、と思っていても、利益追求するのがビジネス。 薄給しかくれないくせに、プレッシャーだけは重くなる。 -とこれは愚痴になるが、そんな厳しい状況であった。 さらに、ピークの一月下旬から、会計の仕事もパートで入ってきた。 しかし、もらう仕事が過去の後始末も多い。 更に、新しい小さな会社だから、いろいろなことがまとまっていない、というか、オーナーの頭の中にあるだけで、情報がない。 文句の言えないお給料と仕事内容でありがたいのであるが、時間がやたらかかっていた。 ということで、この春は、昼も夜も働き、自由時間がゼロ。 春休み前日では、レストランで気を失って、救急車で運ばれる始末。 だから、祈る時間もほとんどなかった。 というか、祈れなかった。 祈らないと何が起こるか、というと、ゴシップとか、ネガティブな考えに左右されてしまいがちになってしまうのであった。 昨年は、ただただ、神さんにささげるため、働くんだという喜びがあった。 そして、十分の一の献金への神さんの約束(マラキ3:10)が真実である、ということの目撃者になることができたのであった。 今年はその喜びがなかった。 むしろ、同僚の愚痴、ゴシップに判断力を左右されてしまい、後始末をする羽目にもなってしまった。 更には、Tax Seasonの後、体調がおかしく、もしや更年期障害では?とも疑ってしまった。 (どうやらそうではなさそう。) Pentecostal的に言えば、悪魔の攻撃を受けたってことだろう。 心の中は、不安が募り、体調が悪い。 でも、これは、数週間前の祈りで退治した。 そして、それから神さんとの時間を増やしていった。 忙しくとも、朝は一曲でも賛美した。 仕事が休みのときは、ばかちんつれて、森の中にいって祈りはじめた。 というか、再開した。 今の仕事はTelecommu

No. 151 快復される主、神さん

Taxのお仕事が4月15日で終わったはいいが、そのすぐ後の土曜日に大学院のOpen Houseがあるってんで、子供を日本人学校に下ろしたあと、直行してきた。 今流行のOnlineの授業が受けられる大学であるが、いわば商業主義。 CPAに必要な授業だけを取りたいのに、MBAのコースを取るもんだと決めてかかるんで、コミットせずに帰ってきた。 日曜日は、ぐだ~と寝て、月曜日はTaxと平行してやってきたお仕事に出かけた。 なにせ、お給料上げてくれたし、やることが山ほどある。 ということで、休養もとらずに、せっせと仕事をした。 そうしたら、水曜日の夜あたりからくらくらしはじめたのである。 翌日の木曜日は歯医者。 奥歯だったので、結構大変である。 そのあと、教会にて聖書研究会、いわばバイブルスタディー。 金曜日仕事にいったけど、効率あがらず、土曜日は久々に日本人学校のママさん友達とお茶。 疲れている顔している、と言われて、さもありなん。 少し頭痛がしたし、くらくらしていた。 鉄不足か? 更年期障害か? ストレスか? と、とあるソーシャルネットワークに書いたら、皆よってたかって「更年期障害」と勝手に決め付けるありさまであった。 おいおい。 もし、更年期障害であれば、ホットフラッシュ(首のあたりからかーっと熱くなる感覚)、動悸などの症状があるはずなのであるが、ことに心拍数に関しては、ゆっくりすぎる”Bradicardia”っていうのです、私。 心拍数60いかないのである。 血圧も、100前後が上で、下は67くらい。 以前、日本にいたとき、ストレスからものすごいめまいを起こしたことがある。 脳腫瘍か!と病院にいったが、「ストレス」ですね、で終わった。 駅から自分のマンショ ンまでたったの5分であったが、その5分の道のりが30分以上に感じられた。 その軽いバージョンであった。  日曜日の礼拝にいつもの通りにいったのであるが、その日は、このくらくらするのを神さんに治してもらおうと思っていた。 あとの祈りの時間に、このことをパタリロ先生にも御願いして祈ってもらおうと思った。 祈りの時間のときか、礼拝中であろうか、神さんは、「私はいつもそばにいる。」と言ってくれた。 そして、私はあることに気づかされたのである。 仕事仕事って、ずっと忙しくて、祈る時間がまったくなかった。

No. 150  Full timeになるんでしょ?

実は、Taxの仕事のPeakに差し掛かるときの2月上旬から、もうひとつのパートの仕事を始めた。 会計と人事、その他もろもろの仕事。 小さなTechnologyの会社。 ともかく、何でもやる、って感じでやんす。 Employeeではなく、Independent Contractorという日本でいえば、契約社員みたいの。 社会保険費用は自腹をきる、というもの。 ともかく、Taxとの両立で忙しかった。 でも、Technologyの会社だから、家でもE-mailで連絡したり、Invoiceのチェックをすることができる。 子供がいる母親にとっては、時間がフレキシブルな仕事は、大変ありがたい。 それに、時給もTaxより良い。 この業界は初めてで、慣れるのに一苦労。 それに、On the job trainingなんてもの一切なし。 自分で判断せにゃならん。  そんなんで、2ヶ月たった。 社長の相方から、私のEvaluationをしろ、と社長に連絡が数回いくことこの2週間。 うーん。 仕事がのろいし、理解するのに時間がかかるから、首になるのかな、と思っていた。 この仕事、実は、ずっと前に祈ったか心の中で欲した仕事であった。 パートで、家でもできて、フレキシブルで、DallasのDown Townより、うちに近いところ。 ここら辺でないかな、と思っていたんですよね。 そしたら、与えられてしまった。 だから、首になっても、たぶん神さん次見つけてくれるだろう、と首もあまり くびくび・・じゃない、びくびくしなかった。 そんでもって、やっと先週の金曜日に社長と話をした。 そしたら、唐突に、「Full Timeなんでしょ?」とくる。 私、「はあぁ????」 まあ、よくわからんが、Full timeできて欲しいということみたい。 でも、Taxの仕事のこと、CPAをとろうとしていること、子供がいるから2時半にはでなければいけないから、まだPartで、とこの不況時にありえない回答をしたんである。 夏は子供がいるから、家で仕事したいといったらOK。 そして、時給上げてくれた。 私のほうは、朝8時半から2時半をコミットした。 それまでは、9時半にいったり、といい加減だったので。 この会社のソフトウエアのエンジニアたちは、時給は軽く

No. 149 気持ちを起こさせるのは誰か?

わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 Therefore, my beloved, as you have always obeyed, not as in my presence only, but now much more in my absence, work out your own salvation with fear and trembling; for it is God who works in you both to will and to do for His good pleasure. ピリピ人への手紙 2章 12-13節       よく引用される聖書の箇所かもしれない。   でも、日本語と英語の書き方で意味が違っていると私は思う。   日本語では、      あなたのうちに働きかけて、"その”願いを・・・   とあるが、英語では、       for it is God who works in you both to will and to do for His good pleasure. とある。 日本語の”その”願いは、「イエスを信じて地獄行きだったはずのところを救われる」ことを指すだろう。 でも、英語のほうは、単に"to will ... to do" であって、日本語に換えれば、     あなたがたのうちに働きかけて、願いを起させ、行動に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 と、前の文との直接の関連、つまり「願い」=「救い」に固執せず、「願い」=「神があなたの心に起こさせるもの」となる。 果たしてどちらなんだろうなぁ。 新約聖書はマタイの福音書は、へブル語で、あとはギリシャ語で書かれている。 どちらの言語も私は知らないから、なんともはや。 あとで、枕元にあるKing George Versionで見てみよう。 閑話休題

No. 148 ゴシップの後味

今日でTaxの仕事がおわった!!!!! なので、リラックスして、ワイン片手に書いています。 今日は早めにBedに入って、思い切り読書したいので手短に。 ********** 不況のアメリカ。 当然、わがTax Officeの業績も悪い。 なので、ManagementはMarketingをせよなど、うるさかった。  やるだけのことはやったんで、Managementも文句は言えない。 ManagerもあまりOfficeに来なかった。 なので、負担は私たちTax Preparerに重くのしかかった今シーズンであった。 そんなOfficeの状況だから、モラルも下がっている。 朝のメンバーは朝の作業の間に、必ず、Managerの批判で大騒ぎになる。 弱い私は、多少迎合してしまった。 上司というのは、神さんが選んだ権威である。 それに批判をするのは、神さんへの批判と同じ。 本人がいないところで、本人の悪口をいうのは、Gossipである。 私は弱い人間である。 そして、迎合したあとの後味はものすごく悪い。 なんど繰り返したことだろう。 神さん、すみませんでした。

No. 147 神無月

神無月は、十月のことだけど、私にとっては、一月下旬から四月中旬である。 Taxの仕事でめちゃ忙しい。 先週までは、昼間で仕事が終わらず、夜、時には、子供たちを家に置いて、仕事に行った。 安息日の日曜日の今日も、午前中仕事にいった。 一週間のうち、7日働いている。 でも、給料良くない。 とほほ。 以前にも、神無月、というタイトルでBlogを書いたと思う。 神さんと会話をする、つまり、祈ることがおろそかになると、どうも、弱くなる。 肉体的にも、精神的にも。 アメリカはいまだに不況だし、TaxのSoftwareも世に出回っているため、顧客数は減っている。 なので、会社として、8%ダウンの業績。 さらに、前年より、新しいOffice Managerが来た。 コミッション制でお金を頂く私らTax Proと違って、固定給のManagerは、私らが大変なとき、サポートするべきだし、以前のManagerはそうしてきてくれた。 しかし、新しいManagerはそうではない。 むしろ、私たちの負担が増えるばかり。 なので、Officeのモラルは低下している。  さらに、優秀な先輩たちが文句をいいだすと、弱い私は迎合してしまっていた。 昨年は、この仕事は神さんにささげる、という気持ちで乗り越えてきた。 今年は、もうひとつ仕事が来たので、多少、緩みもでてきたのか、Managementがいろいろ言ってくること、ことごとく無視する形で、ともかく、出来ることしかやってこなかった。 というか、自由時間がまったくないのだから、余計なことも出来ない。 自由時間がないから、祈る時間も少なくなるってことなのである。 だから、神無月。 Tax Seasonもあと4日になった今日の日曜日。 安息日のくせして、朝、ユーゴスラビアからの移民の人のTaxを仕上げた。 家族のこといろいろ聞かされて、同情してしまったあほな私は、日曜日なのだが、Taxを終わらせるため、彼らのために出て行った。 神さん、イエス兄さんは、安息日に人を癒したので、パリサイ人から非難されたけど、イエス兄さんは、あえて人を癒した。 だから、私もこのお客さんが困っているから、日曜日だけど、助けてあげたいんです、と言い訳して。  私とイエス兄さんとでは、大違いなのに、引用したあほな私である。 そのあと、教会

No. 146  神業

春! である。 3週間前は、雪が降っていた、っちゅーのに、もう新芽が出ている。 昨日、何もなかった枝から、ものすごい勢いで、新芽が吹いている。 いつもながら、ひえ~神業だぁ~、と感銘する。 でも、これは神さんの約束なんだなぁ。 神さんは、約束を守る方である。 植物に対してすら、このように、春になれば、ちゃんと、新芽をだしてくれるのである。 神さんはだから私たちにも忠実なんだな、って自然を見て思うこのごろ。 本当に、大きな愛だなぁとおもうのである。 Taxの仕事は来週で終わる。 もう一息だなぁ・・・。 ふぅ~。