No. 62 恩人の言葉

2007年、2月ももう終わろうとしている。 速いもんだなぁ・・・。 

私がマンハッタンに留学生として降り立ったのが、1992年の8月だから、アメリカ滞在、もう15年目となるんだ。 日本では、バブルが1991年にはじけて、その打撃が個人レベルで感じられるようになった年に日本を出た。 なので、「失われた10年」というものを経験していない。 

ここまでの15年、いろいろあり続けたけど、今日も、朝起きて、私は生きている。 毎朝、毎朝、それを第一に、天のお父さんに感謝している。 

1992年当時、私は30歳をちょっと越えたばかり。 そんな年で、結構よかった年収の仕事を辞めて、アメリカに留学、と決めた。 でも、母は難病を抱えていたし、そんな状態で親を置いて、出ていいものか、という躊躇もあった。 一応、私は長女で、父と母は私を頼りにしてくれていた。

そんな時、高校からの親友の旦那さん交えて、食事をした。 彼は、大企業の部長さんに、30台後半で昇格したばかり。 北陸出身の人で、北陸の有名国立大学を卒業して、東京に本社のある会社に勤めた。


彼は、私に言った。 「いつかは、親を捨てる時がくる。」 と。


その一言が私の運命を後押ししてくれた、と言っても過言ではない。 この人の言葉で、私は踏ん切りがついた。


彼自身、若いころ、父親を亡くした人であった。 東大に入れた人でもあったようだ。 しかし、母親を残すことに躊躇し、地元の国立大学に入った。 その後悔があったらしい。 彼は、その後悔を私に託し、前進しろ、と背中をこの言葉で押してくれたのであった。


難病の母も、私には、やりのこしたことがある、とわかっていたらしい。 「行ってきなさい。」と言ってくれた。  父は、ぶすっとしたままであった。


そして、両親と多くの友人たちに見送られて、1992年の8月の上旬、成田空港から飛び立った。 英語の苦労、極貧生活の最初の一年であった。 つらい日々の後は、仕事が与えられ、口糊をしのぐことが出来るようになり、さらにそれがきっかけで - といっても、風が拭けば桶屋がもうかるの類のきっかけであるが - 旦那にもドイツでめぐり合うことが出来た。

今は、双子の元気(すぎる)子供と2匹の犬たちと、私にはもったいないくらいの旦那と、楽しい家庭を持つことが出来ている。 

だいぶ後の2年前にわかったことだが、アメリカ行きは、天のお父さんの計画であったことがわかった。 振り返れば、天のおとうさんは、私を苦しみに通したあと、必要なことをちゃんと備えていてくれた。   



20代の終わりの頃、私は、人間として、どうしようもないことをした。 でも、友人に助けられた。 なので、今の私がある。 その困難の最中に、ふと本棚にあった新約聖書を手にした。 通っていた短大でもらった日英バイリンガルの新約聖書で、国際ギデオン教会が無料配布している小さい聖書である。 

この聖書のよいところは、裏表紙から何枚かのページに、「おりにかなう助け」と題して、副題に「その時あなたはここを読んでください」と書いている。 そして、悲しみで心がふさぐ時、恐怖におそわれたとき、心が責められる時、失望したとき、心配な時、愛するものがなくなったとき・・・・と各状況において、読んだらいいのでは、という聖書の箇所が書かれている。

その聖書を手にして、「こころが責められる時」の項目に出ている「ヨハネの第一の手紙 1章 4~9節」を開いた。

そのなかの9節が心に響いた。


もし、私たちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちを清めてくださる。


その頃の私はクリスチャンではなかった。 キャリアウーマンで、80年代のバブルに乗って仕事に遊びに東方西走していた。

でも、そんな現実主義バリバリの遊び人の自分が、どうしようもないことをしてしまった時に、ふと聖書を手にして、上の言葉を読んだのである。 私は、「こんなことをしてしまったこの私を、あなたは赦す、といいます。 神様、それは、優しすぎます・・!」と夜中に自分のベッドの上で泣き続けたのであった。

その後、すぐ改心して、クリスチャンになったか、というとそうではなかった。 しかし、その時の聖書の言葉はやさしく私を慰めてくれたことは確かであった。 そして、その困難を機会に私は友人たちを大事にするようになり、多くの素晴らしい友に恵まれた。 そして、4年後には、アメリカに発っていた。


人の口が放った何気ない言葉でさえ、人間の心は大きく動揺することがある。 親友の旦那さんが私に言ってくれた言葉、「いつかは、親を捨てるときがくる」には、彼が達成できなかった希望を私に託してくれた熱い思いが込められていた。 その言葉によって、私はアメリカに来ることが出来、私の人生が変った。 それは、とても良い方向に変った。

同じように、ふと手にした聖書の中にも、あなたの人生を変える言葉があるのかもしれない。 クリスチャンであっても、なくても、聖書の中の言葉には、力があると思う。 

もし、よろしかったら、もし、お手元に聖書があったら、ちょっと眺めて見てくださいね。 



2003年の終わりに、当時住んでいたシンガポールから、日本に急遽戻り、親友の旦那を訪ねた。「あなたのあの一言がなければ、私はアメリカにいっておらず、今の(幸せな)私は存在していませんでした。 あなたは、私の恩人です。」と彼にお礼をいった。 ただ、それだけが言いたくて、日本に帰った。 彼は、病床で、うんうんとうなずいていた。 

10日後、彼は、亡くなった。 一年にわたる癌との闘いの末であった。


人の人生を変えるのは、お金だけではない。 いかに「言葉」が人の人生を変えることか。

聖書の中には、あなたの人生を変える言葉が満載である。


あかしや番頭

コメント

匿名 さんのコメント…
Bluesやな~~。from PUNK
Akashiya さんの投稿…
おおっ! Punkじゃん。
読んでくれて、ありがとよ~。

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