No. 124 ぷっぷちゃんのこと
相変わらず、忙しい毎日である。
朝は、柄にもなく化粧をして、きちんとした格好して、子供を学校に連れて行ったあと、仕事へ。 Taxもシーズンたけなわである。
そんななかで、2ヶ月間、出張のなかった夫の出張が始まった。 そんな矢先、夫と喧嘩。 子供のいる夕飯の席で。
ぷっぷちゃんをどうするか、ということで。
ぷっぷちゃんは、14歳になるラブラドールとシェパードの雑種。 ばかちんは、まだ2歳で、ぷっぷちゃんは、ばかちんとは違う、もう一匹の犬である。私たち夫婦の長女である。 日本の感覚だと大型犬になるのだろうか。30キロ以上はあった。
犬の14歳は、人間で言えば90歳を超えている。 なので、このところ、老化現象著しい。 目もあまりみえないらしいし、耳も聞こえないようだ。 歩くのもおぼつかなくなってきた。 庭にだすと、人事不詳って感じで、立ち尽くしている。 家の中でも、よろよろして、ご飯や、水の入れ物をころがしてしまったり、家の中でそそうをしてしまうようになった。
旦那は、それをみて、「Put to sleep」つまり、「安楽死」を考えねばいけないと私にほのめかしていた。
でも、私は、怖いのか、よくわからないが、神様から頂いた命は、人間が勝手に絶ってしまってはいけないのでは、と思う。
旦那は、「じゃあ、何を期待しているんだ、ぷっぷちゃんに!」と怒り始めた。
私は、「自然のなすがままに!」
でも、結局、「殺すことはできない!」と泣いてしまった。 それを見ていた息子も涙ぐんでいた。 娘は・・・・平然としていた。(先が怖いぞ。)
人間も犬も年をとり、最期がちかくなると、汚くなり、見ているほうもつらくなる。 私は、旦那は、見ているのがつらいのだと思う。 だから、アメリカでは、犬の安楽死は常識のようになっている。
でも、ぷっぷちゃんは、どこが痛いというわけでもない。 ただ、ただ、召される日に向かって下降線をたどっているに過ぎない。 こけて、自分のしたうんちの中に転がってしまうこともある。 家の中におしっこをしてしまい、家に帰ると家がおしっこ臭くなってきた。 でも、それは、掃除をすればよい。 だから、ぷっぷちゃんには、「いいよ、うんちも、おしっこもして、いいんだよ。」と言ってあげる。
人間をはじめ、生き物が神様のおうちに帰る過程というのは、ごく自然なことで、赤ちゃんが大きくなる過程を逆行しているに過ぎない。
自分で自分を面倒みれない。 オムツが必要である。 食べ物も、やわらかいものがよい。 本能に近いことを中心に生活がまわっていく。
このことは、赤ちゃんとよぼよぼの老人が共通してもっていることである。 違いは、体重と体格の違いである。 老人は赤ちゃんに比べて、大きいので、ひょいっと抱っこすることができない。 だから、オシメの交換も大変である。 あかちゃんと老人の差は、そんなものである。
神様のおうちから近い場所にいる人間は、オシメが必要なのである????
20世紀の始め頃、または、第二次世界大戦が終わってから、家の中から、死と生が取り去られた。 だから、目の前で誕生を見たことがない人たちが増えた。 それ以上に、家の中で死ぬ、ということも激減したので、死が身近ではなくなった。
だから、死が近くなると、知らない死への恐れが沸いてくるのだろう。 旦那は、優しい人だから、それがいやなんだろう。 実際、ある日、仕事から帰ってきて、ぷっぷちゃんの姿がみつからなかったそうだ。 旦那は、ぷっぷちゃんが死んでしまったのだろうと思って、泣きながらぷっぷちゃんを探したそうだ。
私の母の最期は、精神病棟で、ベッドに寝たきりで、オシメだった。 汚い話だが、大便をしたからといって、すぐに看護師がオシメを交換してくれるわけではない。 看護師3人がかりで、オシメを代えていた。 私には、させてもらえなかった、というか、持ち上げられないのである。
はたからみれば、惨めな最期だったかもしれない。 でも、それが現実である。 旦那は、両親が94歳でも健在なので、そういった場面を知らない。 双子のオシメは代えてくれたけど、3キロ、4キロの可愛い赤ちゃんのうんちとオシメしかしらない。 だから、ぷっぷちゃんの老化も、耐えられないのかもしれない。
さきほど、どこにいっていいか分からないぷっぷちゃんに、牛肉のひき肉を煮たのを、手で食べさせてあげた。 もう、あまり食べない。 そして、ささえながら、庭に出してあげて、トイレをさせた。 もう、自分で戻って来れないので、抱えて家に連れてきた。 こんな毎日だけど、最期まで、そうしてあげようと思う。 痛みがあって、苦しそうなときは、考えるしかないけど。
生き物の生死をつかさどるのは、神さんだと思っている。 だから、神さんの与えた命を全うさせてあげたいと思う。
ただ、神さんに祈り、お願いするのは、
どうか、ぷっぷちゃんを苦しませず、寝ている間に、神さんの家にそっと連れて行ってあげて欲しい、
と。 そして、いつか、私もそこにいくから、と。
ただ、ただ、それだけを神さんにお願いしている。
あかしや番頭
朝は、柄にもなく化粧をして、きちんとした格好して、子供を学校に連れて行ったあと、仕事へ。 Taxもシーズンたけなわである。
そんななかで、2ヶ月間、出張のなかった夫の出張が始まった。 そんな矢先、夫と喧嘩。 子供のいる夕飯の席で。
ぷっぷちゃんをどうするか、ということで。
ぷっぷちゃんは、14歳になるラブラドールとシェパードの雑種。 ばかちんは、まだ2歳で、ぷっぷちゃんは、ばかちんとは違う、もう一匹の犬である。私たち夫婦の長女である。 日本の感覚だと大型犬になるのだろうか。30キロ以上はあった。
犬の14歳は、人間で言えば90歳を超えている。 なので、このところ、老化現象著しい。 目もあまりみえないらしいし、耳も聞こえないようだ。 歩くのもおぼつかなくなってきた。 庭にだすと、人事不詳って感じで、立ち尽くしている。 家の中でも、よろよろして、ご飯や、水の入れ物をころがしてしまったり、家の中でそそうをしてしまうようになった。
旦那は、それをみて、「Put to sleep」つまり、「安楽死」を考えねばいけないと私にほのめかしていた。
でも、私は、怖いのか、よくわからないが、神様から頂いた命は、人間が勝手に絶ってしまってはいけないのでは、と思う。
旦那は、「じゃあ、何を期待しているんだ、ぷっぷちゃんに!」と怒り始めた。
私は、「自然のなすがままに!」
でも、結局、「殺すことはできない!」と泣いてしまった。 それを見ていた息子も涙ぐんでいた。 娘は・・・・平然としていた。(先が怖いぞ。)
人間も犬も年をとり、最期がちかくなると、汚くなり、見ているほうもつらくなる。 私は、旦那は、見ているのがつらいのだと思う。 だから、アメリカでは、犬の安楽死は常識のようになっている。
でも、ぷっぷちゃんは、どこが痛いというわけでもない。 ただ、ただ、召される日に向かって下降線をたどっているに過ぎない。 こけて、自分のしたうんちの中に転がってしまうこともある。 家の中におしっこをしてしまい、家に帰ると家がおしっこ臭くなってきた。 でも、それは、掃除をすればよい。 だから、ぷっぷちゃんには、「いいよ、うんちも、おしっこもして、いいんだよ。」と言ってあげる。
人間をはじめ、生き物が神様のおうちに帰る過程というのは、ごく自然なことで、赤ちゃんが大きくなる過程を逆行しているに過ぎない。
自分で自分を面倒みれない。 オムツが必要である。 食べ物も、やわらかいものがよい。 本能に近いことを中心に生活がまわっていく。
このことは、赤ちゃんとよぼよぼの老人が共通してもっていることである。 違いは、体重と体格の違いである。 老人は赤ちゃんに比べて、大きいので、ひょいっと抱っこすることができない。 だから、オシメの交換も大変である。 あかちゃんと老人の差は、そんなものである。
神様のおうちから近い場所にいる人間は、オシメが必要なのである????
20世紀の始め頃、または、第二次世界大戦が終わってから、家の中から、死と生が取り去られた。 だから、目の前で誕生を見たことがない人たちが増えた。 それ以上に、家の中で死ぬ、ということも激減したので、死が身近ではなくなった。
だから、死が近くなると、知らない死への恐れが沸いてくるのだろう。 旦那は、優しい人だから、それがいやなんだろう。 実際、ある日、仕事から帰ってきて、ぷっぷちゃんの姿がみつからなかったそうだ。 旦那は、ぷっぷちゃんが死んでしまったのだろうと思って、泣きながらぷっぷちゃんを探したそうだ。
私の母の最期は、精神病棟で、ベッドに寝たきりで、オシメだった。 汚い話だが、大便をしたからといって、すぐに看護師がオシメを交換してくれるわけではない。 看護師3人がかりで、オシメを代えていた。 私には、させてもらえなかった、というか、持ち上げられないのである。
はたからみれば、惨めな最期だったかもしれない。 でも、それが現実である。 旦那は、両親が94歳でも健在なので、そういった場面を知らない。 双子のオシメは代えてくれたけど、3キロ、4キロの可愛い赤ちゃんのうんちとオシメしかしらない。 だから、ぷっぷちゃんの老化も、耐えられないのかもしれない。
さきほど、どこにいっていいか分からないぷっぷちゃんに、牛肉のひき肉を煮たのを、手で食べさせてあげた。 もう、あまり食べない。 そして、ささえながら、庭に出してあげて、トイレをさせた。 もう、自分で戻って来れないので、抱えて家に連れてきた。 こんな毎日だけど、最期まで、そうしてあげようと思う。 痛みがあって、苦しそうなときは、考えるしかないけど。
生き物の生死をつかさどるのは、神さんだと思っている。 だから、神さんの与えた命を全うさせてあげたいと思う。
ただ、神さんに祈り、お願いするのは、
どうか、ぷっぷちゃんを苦しませず、寝ている間に、神さんの家にそっと連れて行ってあげて欲しい、
と。 そして、いつか、私もそこにいくから、と。
ただ、ただ、それだけを神さんにお願いしている。
あかしや番頭
コメント
我が家も今12歳で今年13歳のラブだけれど、食料でない以上人為的には命を絶つことが出来ない。
一緒にずっと生活してきたのだから・・・
でも、本当に生き地獄みたいな苦しい状況になったならば・・・安楽死も一つの方法かもです・・・彼らは我々人間にその行く末を委ねたのですから、遠く何千年も前に・・・
あかしやさんの神様が一番良い道を照らしてくれますよ(*^_^*)
どうもありがとう。
この世では、人の死が近くなると、急にその人を見舞いにいく人が多いです。 人情としてはわかるけど。 でも、体の具合の悪い人にとって、来客や見舞い客は負担だと思う。
おじがなくなる前、私にいったのは、こういったことは、結局は、その本人の為にやっているだけのことなんだ、と。
むしろ、生きて元気なうちにいろいろしてあげること、そして、ひげsなんが言われたように、「助けたい」のであれば、全身全霊をかけて、本気でどっぷり浸からない限りは、中途半端であるので、しないほうがよい、ということ。
ぷっぷちゃんは、おかげさんで、今日は、調子がよさそうです。 今日、買い物から帰ってきたら、迎えに出てくれました。 驚きです。
でも、一進一退です。 明日も、牛肉のひき肉、たっぷり買ってきてあげようと思います。
調子よさそうだったら、明日仕事から帰ってきて、ちょっとお散歩してみようかと思います。
ひげさんのラブも長寿ですね。 愛されているんですよね。
自然な形で神様のもとへ帰ることができますように。
そんで、私もぷっぷちゃんにお会いできるといいなあ。
今日も、牛のひき肉をたっぷりかってきて、食べさせました。
ぷっぷちゃんは、神様がわかるようです。
Toneさんたちが来られる頃までがんばってくれるかもね。