No. 137  癒しは私にも起こってしまった

とんでもないことが起こった。

「癒し」を体験してしまったのである。


先週の土曜日と日曜日はうちの教会の修養会、つまりリトリートであった。 宿泊施設に泊まり、ゲストスピーカーを呼び、メッセージをしてもらったり、祈りの時間を長く持ったり、そして、バーベキューもしたのである。

ゲストスピーカーは、Carrolltonという町にあるCovenant ChurchのYouth Pastor, Joel Scrivner氏が来てくれた。 テコンドーのチャンピオンにもなった人である。 

アメリカでもキリスト教では、福音派、ペンテコステ派、メソジスト、バプティスト、と色々なDenominationがある。 いわゆる派閥みたいなのであろうか? そして、ペンテコステ系の教会は、異言(意味のわからない言葉を祈りのときに発する)や、奇跡、癒しという、日常から少し離れたことを信じる傾向がある、ということで、保守的なバプティストや、福音派からは、白い目で見られている、らしい。

うちの教会は、どちらかというとペンテコステ派であろう。 しかし、そういった超自然現象というか、スピリチュアルなことばかりを中心にしているわけではなく、聖書をしっかりと読み、勉強するという福音派が喜ぶこともしっかりしている。 

まあ、私に言わせれば、聖書に書いてあることを、都合の良いところばかり、自分の都合に合わせるということよりも、まるごとそのまんま信じるべきなので、癒しも超自然現象もOKと思っている。 でも、バプティストや福音派は、自分たちでそういったことを経験していないのであろうか、「そういったことは、現代では起こらない」と一掃している。 うーん。 でもねぇ、イエス兄さん、ものすごい数の人間を癒しているんだよねぇ。 死からもよみがえっちゃったし。 パウロだって、牢屋にぶち込まれたとき、地震が起こって、足かせはとれちゃうわ、牢屋は開いてしまうわ、ってことが起こったし。 死んだ人も生き返ることもあった。 そういうことが書かれているのが、聖書なんだけど。 それも、多くの箇所がある。 そういった部分を無視したら、聖書の半分くらいは、破り捨てなければいけないんじゃないだろうか。


さて、そのJoel牧師は、何でそういう意見の違いが起きるのかを簡単に説明してくれた。 それは、次回に述べる。 なるほどーと思った。


この書き込みの本題は、派閥のことではなく、私も癒しを経験して、驚いたな、もー、のことをかきたいのだ。 それに、もう夜遅いから、端的に書いちゃう。


Pastor Joelの素晴らしいメッセージのあと、個人的に皆祈ってもらった。 私もそう。 タダなんだから、沢山祈ってもらえって魂胆か?

7月の終わりのくそ暑い最中に、うちのフェンスを新たに追加して、旦那と二人で作った。 その時、私は旦那をこきつかったのだろうか、旦那、肩というか、右の肩の筋肉を傷めたらしい。 痛みがかなりつづいたので、医者に行った。 それが8月。 ステロイドを注射して、様子をみたんだけど、痛みはますますひどくなるばかり。 

普通、痛みは消えていくのであるが、それが一ヶ月半以上続いたので、再度、医者へ。 今回は、MRIをしてもらった。 (高かったけど。 200ドル以上の請求がきた。) 再度、ステロイドの注射を2本もしてもらった。 それが、修養会に行く週の火曜日。

修養会に向かう土曜日の朝、痛みはまたひどくなっていた。 骨には異常はないようである。 肩の関節か、筋肉か、筋か???

その夜に、Pastor Joelが来てくれたのである。 なので、個人的に祈ってもらうように、会場の前に出て行った。 私も腰が痛かったし、それよりも旦那の腕が心配だから。 近くにいた人は、その本人が信じないと癒しはないよ、とは言われた。 

でも、聖書には、カペナウムという場所で、イエス兄さんが大勢の人の前でお話をしている家の屋根を壊して、病人をその穴からつるして、イエス兄さんの下にさげたという話がある。 イエス兄さんは、病人を連れてきて、屋根まで壊した人たちに向かい、「あなたの信仰が、この人を癒したのです。」と、いとも簡単にその人を癒してしまったのである。

また、どこかの牧師から聞いた話か読んだ話で、癒しの賜物がある牧師が、ある女性に頼まれて、重病の子供の為に祈って欲しいと頼まれた。 医学的にも治癒不可能で、その牧師もまったく自信がなかったそうだ。 それでも、その女性は頼んだ。 なので、祈りはその牧師が専念して、その女性は「信じること」だけに専念する、ということになった。 それでも、その牧師はまったく癒されるという確信なしに、祈った。

結果として、癒しは起こった。


ということを見聞きしていたので、たとえ、旦那は教会にこないし、祈らないし、表面では信じていない、という人間であるが、私が旦那の分まで信じれば、癒されることがある、と思っていた。

なので、「私は旦那の分まで信じます。」と私に話しかけてきた人にいって、Pastor Joelのほうに立っていった。

*********

翌朝、朝食の前の祈祷会があった。 そこで、小グループに分かれて祈った。
私のグループは私ともう一方以外は、皆女性の牧師先生。 当然、旦那の肩の癒しを祈ってもらった。

朝食後、旦那に電話した。 意外にも、元気な声。 よく寝れたらしい。
肩は、どうか、と聞いたら、

「いや~、不思議なんだけど、痛くないんだよ。 普通に戻ってしまったみたい。」

だと。

私は、心の中で、「へ??」と目が点になっていた。


翌日も起きたときに、しつこく旦那に、肩はどうか、と聞いたら、「Not bad」(「いいよ」)だって。

一週間後の今日、出張から帰ってきた旦那に、またしつこく聞いたら、「なんともない。 荷物を無理して持ってしまったから、すこし痛いけど、でも、普通だよ。」


信じているといったくせに、何度も確認してしまう人間の悲しさ。

しかし、旦那の肩は癒されていたのである!!


痛みが2ヶ月続いて、どんどん悪化していたのが、一日で治ってしまった・・・・。


驚いたよ~、と言えば、神さんは、「このどあほ!! わしが何でもできるっちゅーのを信じ切れないこの超ドアホ!!」と私を怒るに違いない、というか、怒っているというか、あきれているだろう。

***********

Pastor Jeol曰く、神の御国で起こることは、この地上にも起こる、ということだ。 主の祈りにも、天でなされることをこの地にもなさせたまえ、ってある。 それには、祈りと断食をもって、主の存在の中に自分を置くことが大事だといっていた。 

Pastor Joelは7年前、お子さんを脳腫瘍で亡くされた。 それを乗り越えるときに、毎日神の言葉を求めてメモしたそうだ。 そいうった試練を超えて、神の存在する場所にいくようになったのだろう。 

主の存在の近くにいくこと、そして、聖なるバディー、つまり神、イエス兄さんの霊が私たちの中にあるとき、神の国で普通に起こることが、この世にも起こるってことだ。


聖なるバディーは、聖書では、聖霊という。 

事実、私は、その霊が胸の辺りから自分の体の中に入ってきた、という経験をしているから、わかる。


Pastor Jeolに個人的に祈ってもらう前に、全員で祈ったのであるが、その時、私は自分が天から降りてきた光の筒の中にいるというヴィジョンが与えられた。 なんともなく、気持ちがいいもんで、何も祈らず、光の中にいる居心地よさを楽しんでいた。 祈りが終わっても、ぼーっとしていた。


そんな状況だったから、多分、神さんの存在のそばにいたのかもしれない。 そして、Pastor Joel、うちの教会の女性牧師との祈りも聞かれたのである。 旦那の肩は治ってしまった。


*************


旦那の癒しのあと、単純な私は、こう思った。

この世に神の御国を築くことはできる、と。 そこには、病気も悲しみもないのである。 天国をこの地につくれるのである、と単純に信じてしまったのである。

それには、聖霊が体の中に住んでいる人間が集まり、手をつなぎ、天からの光の筒を収束すればいと思った。


桃源郷、楽園・・・、意外と身近に出来てしまうものであるかもしれない。


あかしや番頭

コメント

Tone さんの投稿…
うおお、感激っす。
天の御国right here right nowっす!
ちゅーか神の御国を毎日地上に作るのが僕らの仕事なのかと。
なんかやるべきことがわかった気がします。
シェアしていただいてありがとうです。
Akashiya さんの投稿…
私、単細胞だから、そう思って、神さんにも言ってしまった。

「そうなんすよね、神さん。 っちゅーことはぁ、この地にも、神さんの国ができちゃうってことでしょ?」って。

Toneさん、レビ人としての使命、がんばって! 歴代史下5:12

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