No. 43 ひろう神

子供の学校が始まり、一週間が経った。 

去年と較べると、私には余裕が出来ていた。 去年は、アメリカの小学校に子供をいれるのは、初めての体験であった。 その上、入学一ヶ月で、転校という事態になった。 子供たちの英語力が足らないので、ESLという英語を母国語としない生徒のクラスにいれるように、との学校からのお達しがあった。 その上、日本では、母の入院先がわからなくなるという出来事も重なった。 

学校では、いろいろな書類にサインしなければならない。 多くの書類を読んでサインするのが苦痛であった。 なので、ほおっておいたら、催促がきた。 聞いていたことであるが、アメリカの学校って親への負担がかなり大きい。 「○○を持ってきてください。」「家で○○をさせてください。」「○○の行事がありますので、ボランティアして下さい。」とやたら『うるさい』。 なので、最初は参った。 

しかし、一年を過ごすと、慣れてきた。 今年は転校もないし、子供達も明るく元気に学校に通っている。 金曜日の夜はファンナイトとかいうものがあるのだが、それもPTAの勧誘と知っているので、行かなかった。 担任の先生を直接たすけるのはOKであるが、PTAという組織はあまり好きではないし、メリットを感じないので、自分自ら必要だ、と思えるようになるまでは、まあ、いいや、というスタンスである。


さて、昨日の金曜日の午後、子供たちを迎えにいった。 昨日のブログで話したミス・マリーの姿が見当たらない。 幼稚部で一緒だったお母さんが近づいてきて、ミス・マリーは他の小学校に転勤になりました、という。 「じゃあ、解雇ではないのですね!?」と聞くと、親指立てて、「そうです。」とそのお母さん。 

「捨てる神あれば、拾う神あり」、というか、「捨てる学校あれば、拾う学校あり」。

あ~よかった、と安堵のため息が出た。 たとえ、学校が変わっても、収入の道が閉ざされることがない。 それに、別の学校で、もっといいことがあるかもしれない。 または、これは、「天のお父さんの御計画」かもしれない。 

計画の一つかな?と思うのは、私たちの子供達たった6人の教師になるため、うちの小学校に来てくれたということ。 普通の教室は20人前後。 でも、去年は特別に6人という小クラスで、先生の目がよく届くクラスであったこと。 お陰で、私の子供達は落ちこぼれずに済んだ。

二つ目は、小さなクラスなので、お母さんたちとのコミュニケーションが良かったこと。 ミス・マリー、他のお母さんからも応援されていたんだと思う。  

三つ目は、まだわからないけれど、新しい学校で、もっといいことがミス・マリーに起こるかもしれないということ。 

上記で、私は、「天のお父さんの御計画」という言葉を使った。 このように、「良いこと」には、「御計画」という言葉を使い、悪いことには「不運・不幸」という言葉を前Blogで使った。 自分勝手よね、私。

家に旦那が帰ってきたとき、このニュースを旦那に伝えた。 それは、よかった!と旦那。 そして、面白いことを言う。 「夕べ、夜中、眠りが浅くて、苦しんだ。 目が覚めてしまった時、ミス・マリーのことを心配していたんだよ。 だから、眠れなかったのかなぁ・・。」 

うちの旦那、外見のひょうきんさと違い、繊細な部分もある。 改めて、優しい人間なんだなぁと感心。



話は遡る。 私は今、働いていないので、電気代、ガス代、電話代を節約する努力をしている。 この家に越してきた時、家全体のアラーム(警報)システムを稼動させた。 月25ドル(2700円位?)である。 でも、このアラーム、バケーション中も使わなかった。 なぜなら、バケーション中は、猫を置いて、お隣さんに面倒を見てもらう。家の中のMotion Detector(動き感知器)は猫が動いたり、たんすの上にとびのったりすれば、作動してしまう。 なので、だめ。 

それに、アラームを使い始めたとき、サイレンが鳴り響いたことがあった。 警備会社から電話がすぐ来て、「これってきっと間違いの作動ですよ。」と説明した。 なのに、5分後に家の前には、大きな消防車が・・・。 道路に面している窓のすべてを見ても、真っ赤な車の側面が見えた。 ものすごいエンジンの音。 

玄関脇の壁には、警察、救急車、消防車をボタン一つで呼べるシステムになっている。 ふと目を横に向けると、息子が横のリビングのテーブルの下に隠れていた。 何も悪いことをしていなければ、隠れる必要がない。 なので、「○○! ボタン押したか?!」そうしたら、頷いた。 首根っこを掴んで、玄関に向かってくる消防士に突き出して、「犯人はこいつです!」 おかっぴきかよ。

それ以来、息子は警報機のそばに近寄ろうとしない。


警報機の利用は、その消防車を呼んだだけに使われた。 普段使わないものにお金は払いたくない、と旦那。 なので、私はキャンセルしたいとの旨の手紙を警備会社に送った。 

一週間後の先週、警備会社から電話が来た。 「3年契約なんで、キャンセルできません。」だと。 なにぃ~! そんなこと、セールスマンいっとらんかったぞ! "Unconscionable"(不当取引)だ!とまくし立てた。 

ここ、アメリカでは、自分が間違っていても、自分が正しいと主張しないと損するときがある。 日本人にしてみれば、「なんて馬鹿なこと」を、ということを厚顔無恥でまくし立てるのである。 相手の話し方もこの仕事いやいややっているという感じが伝わってきたので、なおさらである。

「請求書がきても支払わなかったらどうなりますか?」と聞くと、取立て屋(Collection Agency)にまわすとのこと。 そうなると、自分のクレジット(信用度数)が下がり、将来のローンが降りなくなるので、ここは泣き寝入りするしかない。 でも、素直になれず、「じゃあ、然るべきauthority(権威)と旦那に相談してみます。」と電話を切った。

そのあと、契約書を見ると、3年と書いてある。 う~む。 あと一年、使わないものにお金を払うのか。でもサインしたのは、私だからしょうがないか、と半分諦めた。 じゃあ、次は、電話代節約に力を入れようと、新興企業のVonageというインターネットを使った電話に変えようと、情報を集め始めていた。 Vonageを使うと、今、平均して月50ドルの電話代であるが、それがが半分になる。 ただ、インターネットのサービスの不備があったばあい、電話が使えなくなる。 また、救急の電話(911)も場所によっては、電話をかけた人の家を探知できない、という難点があるところもある。 その代わり、今は、各自携帯電話を持つ時代だから、そこからかければ良いのであろう。

ということで、警備会社の契約キャンセルのことは、まったく忘れていた。 

それが、同じ昨日の金曜日、フォートワースであったバイブル・スタディーの帰りに、携帯に電話があった。 「旦那さんと話したか? まだ、契約やめたいか?」と聞いてくる。 「だって、3年契約だから、だめなんでしょ?」というと、結果として、「来月の請求書を送る。 それで、契約終わりにしましょう。」だって。 あと一年ある契約、こちらからの契約破棄なんだけど、何故だか、出来てしまった。 あれ~。 不思議。 法律用語使って、まくしたてたからか? まあ、いいや。


一旦は諦めたことであったが、セコンド・チャンスがあった。 ミス・マリーと同じ。

一旦諦める、捨てる、ということによって、別の恵が来るってことだろうか。 


私は、忍耐強くなく、Blogに神さん、教えろよ!とぶちまけて、どうしようもない人間だなと思わされた出来事であった。


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