No. 202 見よ、私はあたらしいことをする

 旦那が懇意にしているフライフィッシングの店の親父が亡くなった。

3日前のこと。 コロナだそうだ。

元フットボールコーチだったので、「コーチ」と呼んでいた人。

年末に会ったったばかりだった。


アメリカではお香典はない。花を送る。近年は、花の代わりに団体に寄付してください、というリクエストもある。

以下は”コーチ”のお名前で寄付してください、というサイト。

戦争で傷ついた軍人さんたちをフライフィッシングを通して癒し、回復をたすける、という団体。 知っている方もビデオに登場している。(英語)



自然は神さんからの贈り物。自然に触れることによって、心が回復することは多くある。

先月も、この釣りの場所に行ったが、ダムの放流により、釣りが全くできない状態。

その日に限って、こういう戦争に行った人の為の釣りの集いがあった。

残念な日だったなぁ。



このように、死が続くコロナの季節である。

まるで、過ぎ越しの夜みたいだ。風がサーっと吹いてきて、命を「さっ」とすくってもっていってしまう。 そのあとには何も残らない。

死の意味を探そうとしても答えはない。

残された者たちが、自分の気持ちに落とし前をつけるために、色々と理由をつける。

でも、理由なんてない。


残された者たちは、泣く。

でも、それは、自分が悲しいからであって、亡くなった方は悲しくないのかも。

天国に行くことが約束されていた人は、むしろ、天国で喜んでいるはずだ。


神さんが決めた時が誰にでもあり、その時がくると、風が吹き、ほかの人を残して、この地上からは消える。




思い返せば、私のアメリカ留学への布石は、叔父の死だったのかもしれない。

体の状態が良くなかった母を車に乗せて、何回か叔父を見舞った。

最初は、お話できて、マッサージしてあげたりした。 叔父は目をつぶって、気持ちよさそうにしていた。

次のお見舞いの時は、昏睡状態であった。 叔父は脳腫瘍であった。


ある晩、犬が叫ぶような声が、夜空を割くように飛んでいった。

家族には聞こえなかった。 そのあと、訃報を受け取った。 

あれはなんだったのだろうか。


叔父の死に関して、「死んだらおわりだ。」と思った記憶がうっすらとある。

それが直接の動機ではなかったもかもしれないが、留学に背中を押される一つの要素であったことは確かである。


不謹慎に聞こえるかもしれないが、人の「死」とは、悲しみとともに、「安堵」と「希望」ももたらすと思う。



このコロナ禍の年に於いて、思うのは、「やりたいことを先延ばしにするな」、ということ。


やりたいことがあるのなら、今、すぐ実行しよう、ということ。


イザヤ書43:18-19
 
先のことどもを思い出すな。
昔のことどもを考えるな。

 見よ。私は新しいことをする。

今、それがもうおころうとしている。
あなたはそれをしらないのか。


そう、新しいことをしよう。

なんとなくであるが、心の中に、新芽が膨らんでいるような気がする。


今週、私の住む場所では、寒波がきている。

摂氏では、マイナスの気温で、すべてが凍る。

しかし、暦では、もう春である。



冬きたりなば、春とおからじ。


"Le vent se leve, il faut tenter de vivre"

風が吹いてきた

さあ、生きめやも。


新しいことが 今、あなたの中に芽生えている。

静まって、神さんに祈り、導いてもらおう。


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